第九章:惨劇はなんの前触れもなく/01
第九章:惨劇はなんの前触れもなく
風谷美雪が戒斗たちと出逢ってから、何だかんだと数週間の刻が過ぎた頃。急激すぎる変化は、なんの前触れもなく訪れた――――。
「母さん、リモコン取ってくれ」
「はいはい」
「悪いね」
「あっ、ちょっとお父さんっ! 私まだ観てるんだけど!」
「そうだったのか? すまんすまん」
「もう……」
――――風谷家。
純喫茶『ノワール・エンフォーサー』から徒歩十分圏内の近所にある一軒家。その家のリビングルームで美雪の父と母、それに妹の燐はゆったりと一家団欒のひとときを過ごしていた。
専業主婦の母親と、今日は有給休暇を消化するために休みを取っている父親に、そして学校から帰ってきたばかりの燐。長女の美雪はまだ帰ってきていなかったが、じきに帰宅するはずだ。何せ今日はこの後、家族で外食をする予定があるのだから。
そこにあったのは、一言で言えば幸せな光景だった。
ソファに腰掛けてぼうっとしている父親と、その後ろにあるカウンターキッチンの流し台で食器洗いに勤しむ母親。そんな両親の目の届くところ、テレビの前に座って……再放送の刑事ドラマをじっと眺めている燐。ゆったりとした時間が流れる風谷家のリビングルームにあったのは、本当に幸せな家族団欒の光景だった。
「――――――」
そんな幸せな景色、風谷家の中の様相を……窓越しにジッと観察する視線があることに、風谷家の面々は誰一人として気が付いていなかった。
リビングルームの大きな窓、レースのカーテンの隙間から覗き込むようにして家の中の様子を窺っているのは、明らかに人間ではない異形の視線だ。
――――スコーピオン・バンディット。
塀を音も無く跳び越え、いつの間にか風谷家の庭に侵入し。そしてリビングルームのガラス窓越しに中の様子をじっと観察しているその異形の怪物。それこそが、このスコーピオン・バンディットだった。
蒼に近いような濃い紫の体色で、そんな身体の節々は硬い甲羅のようになっている。加えて両手はハサミ状になっていて、文字通りサソリの物と酷似した長い尻尾も生えている。
そんな醜悪な風貌の異形……怪人の静かな視線に、風谷家の三人はじっと窓越しに見つめられていた。
「シュルルルル…………」
のんびりとした家族団欒の時間を過ごす父と母、そして燐。三人を窓越しに観察しながら……スコーピオンは舌舐めずりするように低く唸る。ギラつく双眸で見つめながら、まるで獲物を前にした猛獣のように。
「シュルルルル――――!!」
そんな風に舌舐めずりをしていたスコーピオンは、もう辛抱できないと言わんばかりにバッと唐突に地を蹴り。目の前にあったガラス窓を叩き割って家の中へと、風谷家の中へと飛び込んでいく。
「な、なんなの……!?」
「お父さん、ちょっとこれって!?」
「か、怪物――――」
突然現れた異形の怪人、スコーピオン・バンディットを前にして腰を抜かす燐と父親。驚きと恐怖のあまり、手に持っていた皿を足元に落としてしまう母親。
「シュルルルル…………」
恐怖する風谷家の三人を前に、無力な三人を前に。スコーピオンはまた舌舐めずりをし、そして――――――――。