第13話 酒呑の鬼
暗い部屋の中。
正方形の畳部屋。
「それで、なんで逃げ帰ったのじゃ? 返答によっては――食ろうてしまうぞ?」
角の生えた黒髪の妖艶な美女に睨まれ、身を強張らせる角の生えた幼女の姿があった。
蝋燭の明かりに照らされる部屋は不気味な雰囲気を纏っていた。
幼女の名は"暴食の鬼"。
そして、対峙する鬼の名は――"酒呑の鬼"。
最強の鬼の片割れ。
残忍の化身。
真っ当な悪。
そんな数々の異名を持つ鬼――それが"酒呑の鬼"。
「負けを確信したからでございます」
「ほぉ……貴様が負けを確信するほどの相手かァ?」
「はい」
「貴様は確かにその体のせいで力を十二分に出せていないのは分かっておる。しかしのォ……それでも貴様を圧倒できるほどの者をわしは知らんのじゃ」
威圧感。
押しつぶされそうなプレッシャーの中、暴食の鬼は冷静に答える。
「――茨木様と陰陽師、芦屋の者です」
その二つの名を聞いた瞬間、酒呑は威圧感を抑えた。
そして、満面の笑みを見せた。
暴食の鬼は、先程の圧倒的なプレッシャーより、笑顔に恐怖を感じる。
「そうかァそうかァ……貴様、お姉様と戦ったのかァ」
「はい……噂通り弱体しておりましたが、一部力を使えるようで油断を突かれてしまいました」
「キャハハ! 貴様は馬鹿で阿呆じゃのォ……油断してなくともお姉様はお前をヤれるに決まっておるじゃろ」
しかし、と続ける。
「そうかァ。やはり弱体しておったのじゃのォ……でなければ人間に憑りつくなど考えられないのじゃなから、そうだと確信してはいたのじゃが」
「何故、そんなに嬉しそうなのですか?」
嬉しそうに笑う酒呑に暴食の鬼は聞いた。
「キャハハ。野暮な事を聞くな貴様、そんなのわしが――」
「――酒呑様! 酒呑様!!」
酒呑達の部屋の扉が勢いよく開けられ、赤鬼が入ってくる。
話を遮られた酒呑は、不愉快そうな顔に戻る。
「なんじゃ……わしの話を遮ってまでする話なのかァ?」
「申し訳ございません! ですがご報告いたします!!」
焦った顔の鬼は赤鬼なのに真っ青だ。
「――四天王【色欲の鬼】【憤怒の鬼】【怠惰の鬼】が何者かに倒され、消されました!」
「なッ、それは本当ですか!? 何かの間違いでは、あの三人は今日同伴で行動していました……!! あの三人と同時に対峙して勝った者が居ると――」
「――うるさい。時間の無駄になる行動をするな馬鹿者が……」
驚きの余り、立ち上がり声を荒げる暴食の鬼。
酒呑の鬼は声を荒げる暴食の鬼の口に手を重ねて黙らせる。
酒呑に威圧され「もう騒がぬな?」と聞かれ首を上下に振る暴食の鬼。
「それで、誰が倒したか見当はついておるのじゃろうなァ?」
暴食の鬼から手を離し、酒呑の鬼は赤鬼に聞く。
「はい……恐らく、茨木様が憑いている人間かと……」
「ほう……人間風情が鬼を――それも四天王の内三人を殺ったという事じゃな?」
「はい、観測した最後の霊力の付近には、その人間しか居ませんでした……!」
鬼が殺される事を覚悟して言った。
鬼にとって、人間に殺されるのは最大の侮辱であり、それを報告した自分は殺されても仕方ないと覚悟していた。
「キャハ、キャハハハハハハハ!!!! いいのじゃ! いいのじゃ!! いいのじゃ!!! きっと、お姉様が人間に何かしたのじゃろう!!! ァぁあああァあお姉様ァァァ!!! わしの四天王を倒せるだけの力を人間に与えられるなんて――わしは感動じゃァァァ!!! キャハハ!!」
突然、大笑しだす酒呑の鬼。
そんな酒呑の嫣然たる様を見て、暴食の鬼と赤鬼は恐怖を感じていた。
鬼とは狂えば狂うほど強いと言われる。
一部の例外は居るが、強き鬼のほとんどはどこか狂っている。
暴食の鬼もその他の鬼も人間から見れば狂っている。
しかし、それは鬼から見れば正常だ。
狂っているという事が正常なのだ。
――だが、そんな鬼から見ても酒呑は狂っていた。
言動や行動だけじゃない。
根本的な、心の部分が狂っているという事だ。
いくら狂っている鬼でも、鬼は自分が狂っていると自覚している。
「あァ、アァ!! 素敵、素敵素敵!! わしよりも強い唯一の君!! 今から会うのが待ち遠しいのじゃァ!!! キャハハァァ!!!」
――酒呑にはその感情がない。
酒呑は自分を狂っていると微塵も思っていない。
酒呑の興奮のあまり漏れだす霊力の影響で、畳が腐り周りの物も腐敗してゆく。
「ここは危険です。他の奴らにも伝えて避難しなさい」
「は、はいッ!」
暴食の鬼の言葉を聞き、赤鬼は走り去った。
「はぁ……この体お気に入りだったんですけど」
そう言って、暴食の鬼は酒呑に近づく。
体が少しづつ腐敗していき、肉はただれる。
それでも近づく、そして一メートルほどまで近づくと霊力の全てを使い結界を張った。
「この結界が何分持つか分かりませんが……酒呑様をこのまま放置していたらこの地域一帯が消滅してしまいますからね」
興奮し続け、独り言を続ける酒呑を四角い透明な膜の様な物で囲む。
結界。
酒呑の能力の被害が、これ以上広がらない為だ。
「酒呑様、貴女は自分より茨木様の方が強いとおっしゃる……ですが――」
結界にヒビが入る。
「時を操る。時を奪う。その力を持つ貴女が誰かに負けるなど我々には想像できません」
結界は消滅した。
酒呑の鬼の禍々しい霊力は辺りを包みこんだ。
――この日、鹿児島にあった一つの山が消滅し、地図から消えた。
二章のエピローグです