第12話 暴食の鬼
――芦屋透香SIDE――
くじ引きのせいで、川畑君から離れてしまった。
川畑君の近くで茨木の鬼が出てくるまで監視していたかったのに……。
ここ一週間、学校に居る間はずっと監視していたのに茨木の鬼は角の一本も見せない。
でも、この幽霊探索という活動の最中に姿を見せる可能性は高い。
それは、前も鬼の調査とかいう似たような理由の時に茨木の鬼は出てきた。
一応、私の式神である狐に見張らせている。
もし、茨木の鬼が出てきた時は……その時はすぐに行く。
「……芦屋さんですよね」
「ん、うん」
川畑君の妹、川畑光ちゃんの二歩前を歩ていると、後ろから話しかけられた。
歩みを止めて振り返る。
「芦屋さんはお兄ちゃんの事が好きなんですか?」
彼女は屈託した表情で聞いてきた。
何故、いきなりとは思ったけど彼の妹だし彼女と距離を縮めておいて損はない。
普段なら、無視をしてわざと突き放すところだけど、私は答える事にした。
「好きか嫌いかで言えば……好き――」
嫌いでないのは確実だ。
命を懸けても守りたいと思っている。
彼を守るのが私の義務だと確信している。
「やっぱり……!」
だけど、それが好きや愛しているの感情かどうかと聞かれれば、それは違うと言いたくなる。
私と彼は親しいわけでもない。
確かに、私は彼の隣に居たいと思っている。
でも、それは彼を保護下に置いておきたいからで、彼を好いているからという訳ではない。
「――だと思う……けど、分からない。この感情を上手く表現できない」
私が人を避けるようになって十年くらい……家族以外とはほとんど口も利かなかった私が、彼という人と話すようになって、まだ数週間くらい。
私には人に対する感情という物が分からなくなっているのかもしれない。
十年といういう月日は感情を忘れてしまうほどに長い。
だから、分からない――と答えた。
「……お、お兄ちゃんは私のですから!」
「えっ?」
「お兄ちゃんは私のお兄ちゃんですからね!」
「そんなの当たり前……あなたは川畑君の妹」
「そ、そうだけどそうじゃなくてぇー!」
彼女は何を言いたいのだろうか。
確かに兄妹にしては似ていないけど、光ちゃんが川畑君の妹なのは当たり前の事。
なんで、そんなに取り乱して腕をぶんぶんと振っているの。
「――そこは『生命は私の物!』って反論する所だぜェアハハッ」
光ちゃんに気を取られていた、私の後ろから聞き覚えのある声がした。
その声を聞いただけで何者か、一瞬で分かる。
私が振り向こうとすると、その剛力からは想像できない細腕で、私の肩を掴み一言「動いたら殺す」と言ってきた。
(茨木の鬼……何故ここにッ!)
「ご主人様の妹に気づかれる訳にはいかないねェんだ。静かにオレの話だけ聞いておきなァ」
私はこの時の為に、いくつか茨木の鬼の為の対策をしてきた。
だが、肩を一掴みされただけで分かる。
次元が違う。霊力が腕力が迫力が……なにもかもが次元違い。
肩を掴まれているだけなのに、動く事すらできなくなる。
対策なんて無駄だった。
少し工夫したくらいで倒せる相手じゃない。
「あれ、ど、どうしたんですか? 急に固まって……」
光ちゃんは「お、怒らせてしまいましたか?」と心配した顔でこちらを見ている。
「っと、とりあえずご主人様の妹と会話してくれ、黙ったままじゃ怪しいからなァ」
「なんでもない。怒ってないから大丈夫」
「そうですか……」
今は茨木の鬼に従っておこう。
もし、戦う事になった場合、光ちゃんまで巻き込んでしまう。
それは駄目。誰かを巻き込んで戦うのは私が一番嫌いな事。
「さァて、透香だったか? 話しっつうのは一つだ」
(鬼が私の名前を呼ぶな)
「オメェ、相当な鬼嫌いだなァオイ。名前呼んだだけでそんなに睨むんじゃねェよ」
私は鬼に名前を呼ばれるというあまりの不快感に茨木の鬼を睨みつけていた。
「まァ嫌われるのはなれてらァ。話を続けるぜェ。オメェ――ご主人様を探るのはやめときな」
どういう事、ご主人様というのは川畑君の事、何故彼を探ってはいけない。
「テメェの身の為だぜェ」
いや違う……探ってはいけないんじゃない。
探られたら困るんだ。
この鬼は、川畑君に憑りついている。
理由は分からないが、本来強者である鬼がただの人間に憑りつくなんてありえない事……そこには理由があるはず……それがこの鬼の――探られたくない秘密。
鬼が隠したい秘密なんて一つ――弱点だ。
「断る」
光ちゃんに聞こえない様に、私は小さい声で返した。
すると、茨木の鬼は眉の間に指を当てて、溜息を吐いた。
「おいおい、これはよォ――忠告じゃなくて警告なんだぜェ?」
茨木の鬼は私を睨んだ。
赤い瞳はまるで人の血液の様で、長いまつ毛が妖艶さを感じさせる。
威圧感。私の足は自然とその場で固まった。
先程、肩を掴まれた時以上の霊力の中……私は自分の霊力を振り絞り抗う。
鬼の霊力は濁流の様な物だ。
濁流の中、裸で出されていては誰も身動きなんて取れない。
でも、霊力という鎧を纏う事で、濁流の威力を軽減できる。
「おォ、動けるのかよ。だがなァ言っておくぞ。テメェは弱い。脆弱で繊弱で非力で貧弱だァ。現に俺の七割程度の霊力で歩くのがやっとだろォ。オレはなァテメェらに死なれたら困るんだ。いいからご主人様から手を引けよ死ぬ前によォ」
確かに、私は弱いのかもしれない。
一族でも一番の才能と言われて調子に乗っていた。
今の私なら鬼に勝てると慢心していた。
でも、だからって守りたいという、彼を守るという意志まで無くしてしまったら――
こんな威圧感程度に負けてしまったら――
――本当に弱くなってしまう。
「はぁ……はぁ………………それはできない」
「そうかよォ……」
渾身の力で、かすれた声で、私は拒否した。
茨木の鬼は、私の目を一度見て引き下がった。
息がしづらい……鍛えてきたはずの足がすくんで歩くのもキツイ。
「芦屋さん!? 凄い息切れてますよ。汗もかいてるし具合悪いんですか!?」
立ち止まった私を見て、光ちゃんが駆け寄ってきた。
優しい子、兄妹だけど似てない。なんて思っていたけど、こういう所は似ている。
「だいじょう――」
私が「大丈夫」と口に出そうとしたその時、先程の茨木の鬼ほどではないが、巨大な霊力を感じだ。
それも、京で何度か遭遇した"邪"な気配。
私は咄嗟に光ちゃんを弾き飛ばした。
光ちゃんは後ろのある、アクセサリーショップのシャッターに激突する。
「おいおい、手荒だなァ……だが、良くやったぜェ」
もちろん、光ちゃんが怪我をしない様に霊力を纏わせた。
もし、今の"邪"な人を狂わせる霊力を生身に受けていたら、光ちゃんは狂っていた。
光ちゃんを弾き飛ばした時、催眠の札を貼っておいた。
「アハハッ、すげェ早業だなァ。今の一瞬で札まで貼って寝かせるたァよォ」
「そんな事、どうでもいい……」
そう、今はそんな事より"私達の目の前に居る女の子"を何とかしなければいけない。
いつの間にか、私達の前に一人の女の子が立っていた。
先程の"邪"な霊力を飛ばしてきたのは間違いなくあの子だ。
「ふふ、一人は持っていけると思ったのになァ」
「おいおい小娘ェ、オメェ何もんだァ?」
「ふふふ、お初にお目にかかります――茨木様」
女の子はスカートをたくし上げて挨拶をする。
茨木の鬼の名前を知っている……何者なの。
「アハハッ、テメェみてェな礼儀がわりィ小娘なんかしらねェんだがよ……なんでオレの名前を知ってやがるんだァ?」
「ふふ、それは酒呑様に聞いたからですよ……」
酒呑……!
私達、陰陽師に名を連ねる物で、その名前を知らない者はいない。
陰陽師と鬼の戦争を引き起こした犯人にして、鬼の総大将……最強の鬼。
「ほォ……アハハッ、つまりテメェは酒呑の手下かァ?」
「はい、わたくしは"暴食の鬼"……ふふふ、酒呑様の四天王を務めております。しかし、最初に貴女に会えるなんて光栄です」
暴食の鬼……初めて聞く名前。
それに、酒呑の鬼に四天王だなんて……それも茨木の鬼と同じ人型。
茨木の鬼だけが特別で人型なのだと思っていたけど……人型と鬼の力には何か因果関係がある?
「ほォほォ、つまりよォ。テメェの目的ってのはオレかァ?」
「ふふ、そうです。そして、貴方が何故か憑りついている男も一緒にと、酒呑様より承っております」
「オレだけじゃねェのか」
「はい、出来れば他の三人と貴女を迎えて、雑魚の鬼に男の方を連れて来させたかったのですが……」
川畑君は普通の人間……鬼に勝てるわけがない……。
もし、他の三体が居るのだとしたら、早く助けに行かないと……。
私の式も、鬼相手に勝てるほど強くない。
「なァテメェ、一ついいかァ?」
「はい、なんでしょ――」
終始笑顔の鬼の顔に茨木の鬼の拳が当たった。
バキッ。という生々しい音が誰もいない商店街に響いた。
そして、その軽そうな鬼の体は宙を舞う。
「――酒呑に言っとけやァ! オレを呼ぶときくらいテメェが来やがれってよォ!!」
茨木の鬼の顔は今までで一番激昂していた。
あの時、私に発した怒りなんて子供を叱る程度の怒りだった事がわかる。
「もう一発殴って――」
茨木の鬼が一歩進む。
それ以上殴ったら死んでしまうのでは、と思ったけど鬼が死んでも別にいいから引き留めなかった。
茨木の鬼は一歩進むたびに少しずつ、小さくなっていく――えっ?
十数メートル吹き飛ばした、暴食の鬼の前に行く時にはすでに"幼体"と呼べるほど小さく弱々しくなっていた。
「しねェ! えいッ! ……あれッ?」
ぽかっ、と先程のヘビー級ボクサーのアッパーの様な迫力はなく、ただ小さい女の子がパンチをしたという微笑ましい光景だけが私には見えている。
「ふふ、ふふふふ、フフフフフフッ、酒呑様の言っていた事は本当だったんですねェ。茨木の鬼は力をほとんど失っているという話は――!!」
鼻を押さえながら立ち上がる暴食の鬼。
私から見たら、幼女VS幼女……でも、力の差は歴然。
暴食の鬼は幼女に見えて力は鬼、茨木の鬼は幼女に見えて力も幼女だった。
まさか、茨木の鬼が力を失っているだなんて……だから、川畑君に憑りついている。
「しまったァ! 最近力を使い過ぎたかァ!」
「良くもやってくれましたね……この体、結構気に入ってるんですよ……」
この体……? まるで、他にも体があるような言い回しだ。
「ん、腹いせにあそこの陰陽師の女と気絶している女を食べて、体を入れ替えるとしましょう……ふふ」
……まさか、この鬼の能力は……この鬼の"奪う物"は……。
「ふふ、私は暴食の鬼――食し殺した人間の姿を奪う鬼……さて、美味しく頂いて――」
「――何人、食べたの……」
「ん、まだわたくしが話しているのですが……。まぁ、しかし質問には答えてあげましょう……それは――」
私は足に霊力を溜める。
あの戦いで私は自分の"遅さ"を実感した。
どれだけ強い一撃でも当たらなければ、意味がない……。
だから、私はあの日からずっと、速さだけを鍛えた。
「数えてませんよそんな物ッ!! いただ――」
「――だと、思った」
私は詰め寄って大口を開けてきた鬼の頬に蹴りを入れた。
鬼は非道で残虐、殺した人間の数なんて覚えている訳がない。
その体の女の子を殺した事だけ分かれば十分……この鬼を始末するのに少しの躊躇もない。
「ンガッ!?」
「アハハッ、やるなァ。オメェそんな速かったのかァ? なんで、前あんな鬼にやられかけてたんだよォ?」
「もう、やられない」
でも、今のは不意打ちだった。
正直、前に見た茨木の鬼の蹴りの方が速いし、強かった。
私が蹴り飛ばした暴食の鬼は、ふらふらになりながらも立ち上がった。
「やってくれましたねェ……。体がボロボロですよォふふふ」
「さて、どうするんだテメェ。見てて気づいたが、テメェの耐久力は鬼には程遠い。その暴食の力ってのはよォ。食った人間の姿になれる代わりに力もその人間と同じになるんじゃねェのか?」
「察しがいいですねェ……ふふ、そうですよ。霊力で誤魔化していますが、今の私では彼女にすら勝てないのが確信できました……」
暴食の鬼が一歩後ずさる。
まさか、逃げるつもり!?
「なァ、逃げるのは止めねェが聞かせてくれよ。なんでテメェは自分より弱い奴の姿になってるんだァ……?」
そんな質問をしている場合ではない。
あいつを止めないと――。
「――そんなの……興奮するからに決まっているでしょふふふふ」
私があと一歩で捕まえられると思った時、暴食の鬼は気持ちの悪い笑みを浮かべながら消えた。
消えた後、残響の様な声が聞こえた。
『私は引きますが、残りの四天王三人がいます……今のあなた方では絶対に倒せないでしょう……ふふ、また後で会いましょうね茨木様』
残響は消え、その場は静寂に包まれた――。