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涙の後に、朝焼けを超えて  作者: お茶
序文
1/2

一人の為の英雄譚

 あたしは何も知らなかったし、知ろうともしていなかった。


 綺麗な物の綺麗な部分を見ているだけで満足していただけだった。確証バイアスに囚われた白痴的蒙昧さ。


 それはいわゆる上澄みだけを掬い取る行為に等しく、下層に眠る汚泥の如き澱みに見向きもしない。


 不誠実と言えば不誠実だろう。


 人間は万能じゃないし、知らないことや教えられてもいないことを慮れるほど敏感でもない。


 けれど、それを言い訳にして責任逃れをしようとするのも、不誠実だと思う。


 知ってしまったなら、後戻りはできない。


 助けたいと思うなら、後戻りだけはしない。


 地獄の底でキミが待っているなら。声を上げられず、手を伸ばせず、何かしらの罪業に身を焼かれること(まこと)の意味で受け入れているのなら。


 地獄の底でも引っ張り上げよう。硬い殻に包まれていれば、その殻を破壊しよう。


 そしていつか、キミがキミの力で歩けるように。


 自由になったキミが、自らの翼で羽ばたくその日まで。


 あたしはそのための宿り木だ。彼女が羽ばたけば用済みになる。戻ってくる必要はないし、戻ってくるべきでもない。


 勘違いしてほしくないのは、これは何も知らなかったが故の義務感から生じた感情ではないということだ。


 好きな気持ちに嘘はない。ただ、ちょっとばかり後ろ向きというか、偏っているだけのこと。


 理由を弄するのはやめておく。月並みだけど、好きなことに理由はないと。こんな言葉で誤魔化しておきたい。


 好きだから助けたいと思うし、好きだから寄り添いたいと思うのだ。


 だからきっと見つけ出す。


 目も届かず手も届かない地獄の涯てに居たとしても。


     ◇


 救われたいと思ってなんていませんでした。


 中学生のあの日を境に、助けてもらう価値のある人格は亡くなってしまったのです。


 力なくうなだれる(かいな)を抱いたその日から。


 それに、誰があの醜悪極まる地獄の底から連れ出せるというのでしょうか。


 現実世界に英雄はいない。泣いて叫べば颯爽と駆け付けてくれる無敵の戦士は存在しない。


 ですから私は手を伸ばすことをやめました。


 決別の日が訪れるまで、私はどこかで助けてほしいと叫んでいたと思います。


 何も知らない子供の私は、それがどれだけ険しい道かを理解していませんでした。子供の理想と子供の無知が、有り得ざる万能の救い手を心の中に作っていただけ。


 いつか、いつか、いつかきっと。こんなに苦しい日々から抜け出せる。


 そんな夢想を(いだ)いて生きて。恋してくれたから、恋をして。


 総てが芥と燃え尽きて、理想は無情に砕け散る。


 その時ようやく悟ったのでした。


 私の家は、私の人生は普通じゃなくて。手を伸ばすことは許されなくて。夢を見ぬそのために、盲目であり続けねばならないのだと。


 納得と諦観をはんぶんこ。


 朝日が昇らなくなって久しい世界。明けない夜に星はなく。分厚い雲が頭上を覆う。


 それで良かったのです。それが正しい在り方だから。


 ――それなのに。


 その瞬間、閉じた瞼を眩い光が貫いたのです。


 胸を締め付ける閃光でした。膚が粟立つ衝撃でした。


 彼女の立ち居振る舞いは、私の眼にはあまりに熾烈で、廉潔で、冠絶を極めしモノで。


 所詮、体育祭のリレーと思うでしょう。


 こけて擦り剝いて、順位を最下位にまで落としたクラスメイトを責めるでもなく。バトンを受け取ってごぼう抜きしたその姿はまさしく光の戦士、歴史に名を残すべき英傑の風格。おそらくは、無謬の光を人の形にすると彼女のようになるのだろう。


 ケガをしたことよりも、足を引っ張ってしまったことに負い目を感じて涙を流すクラスメイトに対し、彼女は汗もかかず息も切らさず、何かを呟いて頭を撫でていました。


 あの人は、こけてしまった人にとっての救いだったでしょう。颯爽と駆け付けてくれた風光明媚なヒーローだったのでしょう。


 私はその日、初めて恋をするという感情を知りました。恋をしてくれたから返したのではない。心が奪われたのは、初めてのことで。


 それ故に、私は私の境遇を呪いました。


 熾烈で、苛烈で、鮮烈である彼女だからこそ。


 愚劣で、穢身で、不浄である私はつり合わない。


 つまり、見ているだけで十分だった。私に近づくことで、彼女はきっと辛い思いをする。苛烈極まる閃光を、私の手で穢してしまう。


 いくらあの人が素晴らしくても、それは当たり前の常識の中での話。どれほど鍛えた女性でも、同じように鍛えた男性には敵わないのと同じ。そもそも土俵が違うのだから、較べることもできはしない。


 常識の中で優れた人は、非常識の中では無力なのですから。


 見ているだけで構いません。手を伸ばしませんし、伸ばして欲しくもありません。


 ですが、これだけは本当です。私は地獄の中に一輪の花を見つけられて、倖せでした。


 私の目には眩しすぎるほどの太陽。誰かのために頑張れる無類の英雄。


 あなたの横に居られたら、あなたの傍に居ても恥ずかしくない私で居られたら。


 ――蝋細工の翼は、いずれはきっと溶け落ちる。


 だから、そんな日が来ないことを知っているから、そう想うことだけは赦して欲しい。


 翳らず煌めく人。輝く太陽の現身。夜を照らす無窮の光。


 あなたに恋をしました。


 今も、そしてこれからも。


 私はあなたに恋をしています。

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