2話:混沌への入り口か
グラーシアは、人の姿を取り、私の後に付いて来た。腕には、小型犬サイズのエレンを抱いている。
「グラーシアはかなり高位な竜なんだな」
人の言葉を操れるだけでも十分に高位なのだが、彼女はそのさらに上らしい。身に纏う、真紅の鱗でできた衣服も、グラーシアの高貴さを引き立てている。
「我が人間にどう分類されているのか知らんが、それなりに力はあるつもりだ」
「そうか」
どうやら自覚はないようだが、間違いなく神格化されるか、邪竜認定されるかのどちらかだろう。
アイツ――ルルも多分そうなのだろうが……どうにもしっくりとこない。少し、幼すぎるのだ。性格が。人間たちはアイツを邪竜認定して攻撃したようだが……まったく、人間共め。
「おい」
「ん?どうした?」
人間に苛立ちを感じながらも、テーブルの上を食事ができるように少し片そうと思っていると、グラーシアが不満そうな声を上げた。
振り向けば、まだ、グラーシアは家の入り口から先に踏み込んでいなかった。
「……ここは混沌への入り口か?」
「何がだ?」
「まず、暗い」
人差し指を立てるグラーシア。するとその指先には、ぽう、と髪色と同じ赤色の火が灯り、グラーシアの彫りの深い、整った顔にくっきりとした影を落とした。
そして影は周りの研究資料たちにも。
「おい止めろ、周りの紙に引火したらどうする」
「我はそんなヘマなどせぬ。我が一番得意な火魔法だ。この程度の調節くらいできて当然であろう?」
「……確かに、普通はそうだな」
私の中にはルルという異端な例があったからな。つい過敏に反応してしまった。アイツは力加減が下手すぎたからな……。
「……それよりもだ。この混沌とも見紛う惨状はどうした?無事なのはそこの寝具くらいではないか」
グラーシアは入り口から部屋を見渡し、ルルのベット以外は混沌だとか言った。
「惨状?どこがだ」
見渡しても、研究資料があるばかり。
先ほど暗いと言われた通り、窓が書物に覆われ、機能していないだけで、アイツが破壊した羽根ペンたちも既に片付けている上、紙を守るために虫除けの結界も張っている。なにも悍ましいものはないはずだ。
「わからんのか……」
グラーシアは、はぁと大袈裟にため息をつく。私は首を傾げるばかりだ。
「見ろ、机の上。この机は何色だ?」
「机は木製だろう。茶色に決まっている」
なにを言いだすのだ。この竜は。まさか、この竜もアイツと同じように少しおかしい部分があるのか?
「我からは白にしか見えない。机の表面が一切見えないからな!床もそうだ!どこを見てもカミカミカミカミカミ(以下略)……!貴様がどこを通ってそこまで辿り着いたのか我にはわからぬぞ!」
「こことそことあそこだ。大股の三歩でここまで来た」
私が自分の通った道を指で示すと、グラーシアは何かを諦めたように肩を竦めて見せた。
「……貴様とは話にならんな。天才と天災は紙一重とはこのことのようだ」
「なにを言っている?」
バカと天才は紙一重ではないのか?
教えてくれなかったので、竜の世界でのことわざとして認識しておいた。
「……我は外で獲物を狩り、自分で焼いて食すことにした。その間、我が子エレンを頼む」
「ん?まぁ、いいが」
「……貴様がここまでこい」
「なぜだ?」
「早くしろ、腹が減っているんだから」
よくわからないが、グラーシアが今にもこの家を焼いてしまいそうな剣幕だったので、わからないまま入り口へと戻った。
するとグラーシアは私にエレンを預け、その背中にバサリと烈火の如く翼を顕現させた後、何処かへと飛び去って行った。
私の腕の中では、グラーシアの子、エレンがすうすうと寝息を立てている。ほんのりと暖かい。
体長は、小型犬の成犬ほどで、生後一週間ほどだろう。そして、このサイズにしては重い。すごく重い。まるで鉄の塊を抱えているようだ。
私の筋力では到底持ち上げられなかったので、受け取った時、魔力による強化を発動したほどだ。
これは……成竜と子竜でウロコの密度が違ったりするとだろうか?
親と子で、魔力の構成組織が似たりするのだが、完全に一致したりはしないので、グラーシアと比べることはできない。
これは今後の課題だな。もし許可が出たらエレンの生え変わったウロコを回収させて貰おう。
……それにしても。今の状態でエレンが目覚めたらどうなる?
私の腕の中で『今は』大人しく寝ているエレン。
目覚めたら、自分を抱き抱えているのは全く知らない男。人間の子供でも泣くだろう。いや、泣くだけなら全然構わない。子竜の泣き声など滅多に聴けるものではないからな。
問題はこの子が火竜だということだ。
癇癪など起こして炎でも撒き散らされたら……。
私は家から少し離れたところにある切り株に座り、グラーシアを待つことにした。
グラーシアが帰ってきたのは、陽が15度ほど登った頃。思っていたより早かった。
やはり、高位な竜は狩りなど朝飯前なのだろう。人の姿のままで両手に一匹ずつ獲物を持っていた。
そして、私を視界に収めるなり、次第に高度を下げるグラーシア。その羽ばたきにより、草原は波紋のように波を打つ。
私はグラーシアがゆっくりと地に着地したところで、片方の獲物が食べられないことに気づいた。グラーシアは食べるかもしれないが。
近寄って問うてみる。
「グラーシア。その右手の奴も食べるのか?」
「……貴様は食べるのか?」
「食べるわけないだろう。共喰いになってしまう」
「であろう?我も貴様に共喰いを勧めるような酷なことはせぬ。ただ、人間が落ちていたから拾ってきただけだ」
そう言ってグラーシアは右手の女と左手の、少し煙を上げている猪の魔物を横たえた。女の緑の髪が草原の中に混ざり、猪肉の焼けた匂いが私の鼻に運ばれてくる。
女は茶色い布一枚に身を包んでいて、ところどころに赤い裂傷が見られる。
生死は――胸が上下している。生きてはいるようだ。
猪の魔物、スカイボアは、絶壁山に棲む魔物の特長である羽が毟り取られていたり、血が抜かれていたりと、下処理は済んでいるようだ。こちらは言うまでもなく、死んでいる。
「それでは、エレンをこちらへ」
「あぁ」
私はすぐにエレンを返す。
そして、エレンの重みが去ったことにより、ホッと一息つく。危険物を持っているせいで緊張してしかたなかったのだ。
「うむ、では我はエレンが目覚めたら一度寝床に戻ろう。貴様はまた後で呼びに来る」
「ん?こいつは食べないのか?」
「うむ、食べてきた」
「なるほど。だがそいつは?」
どうやらグラーシアは既に食事を済ませているようだ。ならわざわざここに狩った獲物を持って来なくてもいいはずだ。
「手ぶらで帰って来るのもなんだと思ってな。土産というやつだ」
「……そうか。一応、ありがとう」
私はグラーシアの持ってきた『土産』を、片方は家のベットに寝かせ、もう片方は少し食べ、残りを乾燥させて備蓄することにした。
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