26話:蛇龍と取引
目の前の蛇龍は、私たちを凝視している。
いつでも毒を噴射できるよう、身構えているのかもしれないし、逃げる機会を窺っているのかもしれない。
こういうときには相手を刺激してはダメだ。
どこから見ても、弱っている蛇龍の方が不利で、私たちは狩る方。下手に刺激して、相手に逃げられては困る。
私は後ろの仲間たちが蛇龍を刺激しないよう、手で制した。
「ジャラララララ……」
そして、私が手を背後に向けた時、蛇龍は舌を震わせ、威嚇の音を発した。
どうやら攻撃を選んだようだ。よかった。
私は背後に手を向けたまま、一歩を踏み出した。
「キジャア!!」
すると蛇龍の細い牙から放たれた毒液。
私はそれを避けることなく、浴びる。
「「キリシャ!?」」
「キリシャ君!!」
三人が叫び、一歩を踏み出す。
「来るな!」
さらにそれを制す。
……これが毒液か。魔力がぐんぐんと吸い取られていく。だが、これでいい。
蛇龍は物凄い勢いで私の魔力を吸った。
水を飲むことに例えるなら、10秒間に1リットルといったところだろう。
この例えでいけば、あまりに濃く集約された私の魔力はもはや液体の域を超えており、まだまだ余裕はあるのだが、それでも魔力が減ってゆくのを体感することができた。
このままだといずれ尽きると、そう思うほどに。
だがそうなることはなかった。
蛇龍の身体が少し大きくなった頃、彼は私があまりに多くの魔力を保有していること、それに、攻撃してこないことに驚き、吸収を止めた。
そして、ようやく理解できる言語を使った。意思疎通を図ってくれたのだ。
「お前は、キリジャと言っダか?」
「あぁ」
ところどころに無駄な濁点が付いて聞こえる、随分と乾いた声だった。喉の構造が人の言語に不向きなのかもしれない。
「なゼこのオレを狩ろうとジない?」
「貴方が竜で、私の尊敬する種族だからだ」
「オレはお前に尊敬されるようなゴドはジていないガ?」
「そんなことは関係ない。竜である時点で尊敬の対象だ」
暴論だが、事実だ。彼は多くの人間を屠っているのだろうが、それも気にならない。
人間を何人餌にしていようが関係なく、彼らは人間よりも上位の存在で、私もそうなりたいのだから。
「奇妙な男だ。それだけでオレの餌になりに来ダのか?」
「いや、黙って餌になるつもりはない。貴方の毒液を少し分けて欲しい」
私は白衣のポケットから二本の瓶を、左右一つずつ、人差し指と親指で摘むようにして取り出した。
「そんなことをしてどうするつもりダ?お前が吸収した魔力を使えるわけジャないんだぞ?」
「あぁ。知っている」
有名な話だ。
ディライン渓谷でヨルムンガンドに襲われながらも、なんとか脱出した冒険者たちは、体内に進入した毒の解毒が終わるまで、何日も魔力を抜かれ続けたという。
どうやら、魔力毒は毒の主と何らかのラインでつながっているようなのだ。
今回は、それを利用した、そう――
「これは取引と言えるだろう」
「取引、ダと?」
「そうだ」
すると、蛇龍は赤い眼を鋭く細めた。
当たり前だが、人間と取引をするなんて初めてなんだろう。だが、この取引の利点を話せば、受け入れてくれるだろう。
「貴方は私に毒を渡す。私はその毒を武器に仕込み、戦闘で利用する。そうすれば貴方に魔力が渡され、私は戦闘で有利になる。相互利益のいい取引だろう?」
これから私は戦闘に向けての準備を進めなければならない。クロエ・ワズナを私に押し付けたあの男がいる限り、戦闘は避けられないだろうから。
少し俯いて、毒を交えた戦闘について考えた後、皮算用を止めて前を向く。
……目の前の蛇龍は考えている。
魔力吸収は止めているので、少なくとも何かしらは考えている。
そして何かしらの考えをまとめたのだろう。頷くと、裂けた口を開いた。
「お前の魔力をもっと吸わゼろ。そうすれバやろう」
蛇龍が選んだのはなかなか欲深い考えだった。
「まぁ、それでいいだろう」
「キリシャ、大丈夫なの?」
アイーシャは帰りの支えを心配しているのだろう。そこはルルがどうにかしてくれるはずだ。
「大丈夫だ」
「ルルさんにも魔力をあげてましたよね? キリシャ君。本当に大丈夫なんですか?」
リーフが心配しているのは私の魔力残量か。帰りに必要魔力は最低限残してもらえればそれも大丈夫だ。
「本当に大丈夫だ」
私はそう断言する。眉をハの字にしているが、リーフはわかってくれたようだ。
だが、そうはいかないヤツが一名。
白い光と共に、風が巻き起こったときはヒヤリとした。
「キリシャは大丈夫だって言うけど、ボクはそう思わないから」
そう言って光の中から竜が現れる。
チラリと蛇龍を伺えば、血のような目で睨み付けているものの、なにか行動を起こすようでもなかった。
私は一先ず息を吐く。一応、彼にも頼んでおいた方がいいだろう。
「すまないな。仲間たちがあぁ言っているからな。帰りに必要な分の魔力は残しておきたい」
「ジャラ……。いいダろう」
「よし。取引成立だ」
そう言って乾燥した灰色の地面の上に座ると、私の魔力がまた吸い取られていった。
後ろで、ルルがゴクリと喉を鳴らすのが聞こえた。それを諌めるように、アイーシャとリーフが寄り添う。
私は振り向いて、こちらには近付いてこないことを確認し、また蛇龍の方を向いた。
しばらくすると、太いといっても綱のようでしかなかった蛇龍の身体が、太く、長く変化した。
「ジャララ……。瓶を一ヅ寄越ゼ」
私は言われた通り、一つ投げた。
すると、蛇龍は口を使って器用に蓋を開け、牙から分泌する液体を中に満たした。
そして蓋が閉められ、返される。
どうやら、一定の魔力と交換にするつもりのようだ。
私は受け取った瓶をポケットに入れ、もう片方をいつでも渡せるようにしておく。
また蛇龍が大きくなった。
大きさは目分量で、長さ5〜6メートル、太さ40〜50センチ。蛇の魔物でも、このくらいが最大だろう。
そして、今居た場所が狭くなったのか、木を薙ぎ倒してスペースを作った。
それそろ次の瓶の出番か。
そう思ってしばらく。
また一回り蛇龍が大きくなった。もう、龍と言って憚られないほどの大きさだ。
「おい。もう片方はまだなのか?」
さすがにもういいだろう。
私は立ち上がって瓶を渡しに行こうとした。
――バキバキバキバキ!!
瞬間、薙ぎ倒された木々。私は何事かと振り向く。
その時私の身体を浮遊感が襲った。
「「キリシャ!!」」
「キリシャ君!!」
三人が悲鳴に近い声を上げた。
私には、何が起こったのかわからない。
「……どういうことだ?」
彼はどうして私を掴み上げた?
「ジャラ? 決まっているダろう? お前を持っデ帰るンダ」
言っていることがよくわからない。
一先ず周りを見渡す。
私を掴み上げている彼の尾は、私から見て左手の木を薙ぎ倒して伸びていた。
「お前!! よくもキリシャを!!」
ルルが激昂する。
「ジャララララッ! この馬鹿は魔力ダけは達者ダガらな! オレの餌に決めた!」
なに、を……? なにが、おこってる?
「この野郎!!」
アイーシャが火を放った。
「ギャア!!」
蛇龍のウロコが黒く焦げる。
「今だ!!」
ルルが宙を駆け、蛇龍の尾を食い千切った。
「グジャャャャァァァァァ!?」
支えを失った私は、乾いた地面に打ち付けられた。ガーンという衝撃が頭に走る。
「アイーシャ!リーフ!ボクに捕まって!」
「はい!」
「わかったわ!」
ズキズキと頭が痛む。
「うぅ……」
私が呻いているその間に、ぬらりとした感触と、ふわりとした浮遊感が。
「ニガスカァァァァ!!」
目を開けば、離れいく地面。伸びてくる鋭い牙。
牙は、私の眼下1メートルほどで停止し、離れていった。
ズーン!!
「クソガァァァァァ!!」
ディライン渓谷と、私の頭に、その声が木霊した。