1話:竜の医師
火竜のウロコを模して作った赤い木の扉を開け、朝の爽やかな空気を吸い込む。
「すぅぅ」
胸いっぱいに広がる、草と朝露の香り。
「よし、今日もいい天気だな」
これほど澄み渡った空なら、客がやって来た時にもすぐに見つけられるだろう。
とはいえ、アイツが宣伝しに行くと出て行ったのはつい最近のことだ。
さすがにまだ客はこないだろうな。
と思いながらも、期待せずにはいられず、青い空を見渡してしまう。
ん? 何か赤い生き物が……。
よく見れば翼があるようにも見える。竜かもしれない。
魔力を目に集めて視力を強化すると、遠くにいたのはやはり竜だとわかった。
あの、立派な翼は……成竜か?
背中には、まだ小さな子竜を背負っている。子竜がぐったりとしているから……患者か?
アイツの集客能力は私の予想以上に素晴らしいものだったようだ。感謝せねばな。
火竜は、あの速さなら恐らく、あと二分もすればここに到着するだろう。
このまま出迎えるか。
竜が近づくにつれ、大きくなる羽音。やはり、この魂を揺さぶられるような轟音は、世界のどの楽器よりも素晴らしい。
そして、地を握りしめる、その二本の足も力強さを追求した彫刻のようだ……。
「おい貴様、そのような顔で我を見つめるな」
あぁ、その猛々しい姿からは想像もできない美しい笛のような声。
……やはり竜は素晴らしい。
「……おい、聞いているのか?」
私を見つめる竜の視線には警戒心と疑心が伺える。
いかん、少し我を抑えなければ。私は長く、息を吐いた。よし。
「あぁ、大丈夫だ」
大丈夫だと言ったはずだが、火竜は青い瞳を欠けた月のように尖らせた。
「……まぁいい。そんなことよりも、この子だ。貴様は竜の医者をしているそうだな」
彼女は背中の子竜を優しく咥え、ゆっくりと地に下ろした。
「あぁ」
草原に力なく横たわる赤い竜の子は、親の体色を受け継いだのだろう。一部を除いて赤いウロコに覆われている。
そしてそれを見た瞬間、私には全てがわかった。
「なるほど。逆鱗が生えてこないと」
これでは力が出ないはずだ。
「ほう、逆鱗かまでわかるのか?」
「当たり前だ。だてに竜の医者を名乗っていない」
「ほう……。わかるのはそれだけか?」
「いや、体内の魔力が相当乱れている、というくらいまでは一目でわかった」
特に、小さな翼の先端などは、魔力が行き届いておらず、このままだと真っ先に朽ちそうだ。
「うむ……。そのせいか、エレンは常にこんな状態なんだ」
「当たり前だ。逆鱗は竜の体内を巡る膨大な魔力が体外にもれ出ないように蓋の役割を果たしているからな。それが無ければ、竜の生命の源とも言える魔力が常に流れ出てしまう」
人間でいえば常に血液が外に漏れ出ている状態だ。
これは、生まれたばかりの子にはキツイだろうな。人間に比べると遥かに丈夫だが、いつまでもつか。
「……貴様は我々のことを本当に良くしっているようだな」
「ん? 逆鱗のことぐらい常識だろうが」
「竜にとってはな? 普通の人間はその限りではない。……で、どうすればいい?」
この竜は私を試したのか。だが、人間の外見をしている以上、信用が薄いのは仕方がないか。
まぁ、とりあえずは認めてもらえたようだ。人間に頼みに来るなど、相当に切羽詰まっているのだろうし、覚悟も必要だったろう。
――よし、この母竜の覚悟に応えねば。
「竜の身体は、特有なカタチを持った魔力の集合体のようなものだ。だから竜の身体を形成しているものと同じ魔力で逆鱗を生成し、蓋をする」
「……そんなこと、我にはできぬが、貴様に出来るのか?」
「私ができなければその子は死ぬ」
「………」
「そんな怖い顔をするな。できないとは言っていない。私ならできる」
「本当か?」
その顔つきを見るとまだ疑っているようだが、私に任せる気は十分にあるようだ。よし、間に合わなかったということになりたくはない。さっさと始めるか。
「あぁ、準備をしてくる」
私は一度自室に戻り、机の上にある紙の束から、一枚の、魔法陣が描かれた紙を取って子竜の許についた。
「………」
……暗い。母竜の影が邪魔で魔法陣が細部まで良く見えない。
「おい、そんなに心配しなくとも、必ずどうにかしてやるから。なんなら、失敗した時は私の命をやる」
「貴様の命などいらんわ。我が望むのはエレンの回復だけだ」
「ふっ、なら見てろ。すぐ治す」
やはり人間とは違って竜は素晴らしい。
母竜は私が笑う程の余裕を見せると、少しむっとした様子を見せつつも、少し離れてくれた。
よし、これで魔法陣が良く見える。
「さて。【構築】」
魔法陣を子竜のウロコがない場所に押し当て、魔力を流す。すると魔法陣が光を放ち、私の魔力を別のものへと変換してゆく。
そして、私が魔法陣を子竜から離したときには、
「治っている……!」
「当たり前だ」
あるべき場所に逆鱗が生えていた。
漏れ出る魔力に蓋をされた子竜は、体内の魔力が安定したようで、穏やかな寝息を立て始めた。
治療は完璧だ。
「……助かった」
それを見て、ゆっくりと首を垂れる母竜。
「おいおい、竜が人間なんかに頭を下げていいのか?」
我ながら、愚問だな。
「我ら竜族は人間だからといって貴様らを下に見たりはせぬ。我が子を救って貰ったのだから礼を言った。それだけだ」
ふっ、やはりな。
「と言っても、礼を言うだけではこの恩は返しきれぬな。何か望みはあるか?」
望みか。いくらでもあるな。
「ふふっ、人間の望みは底なしだが?」
「あぁ、この子の命以外ならなんでも捧げよう」
母竜は子を愛しさの籠った目で見つめながらそう言った。
「そんなことを言ってもいいのか? その『以外』には貴女自身も入っているんだぞ?」
私の言葉に母竜はバッと顔を上げる。それだけで私の髪がバタバタと暴れるほどの風が起こるのは、さすが成竜といったところか。
「……この子が独り立ちするまでは待って貰えないか?」
「まだ何も言ってないだろう。私は貴女が欲しいなどとは言っていない」
研究は進めたいが、生体実験までやろうとは思わない。美しい竜を傷つけるなどありえないからな。
「……では何を望むのだ?」
母竜の赤い瞼と宝石のような青い瞳が交互に見え隠れしている。それをずっと見つめていたかったが、顔を顰められたので仕方なく止めた。
「研究用にウロコを幾つか貰えないか? 既に剥がれ落ちているものでもいい」
私が一番望むのは、竜に転生することだが、この竜に頼んだところで、そんなのはどうにもならないだろう。だから少しでも研究が進むように、火竜のサンプルを頂くことにする。
「そんなものでいいのか?」
「そんなもの? 貴女はウロコに秘められた神秘をしらんのか!?」
そんなもの呼ばわりするなど……ありえん。その一欠片には、無限の情報が散りばめられているというのに……!
「そんなの我は知らん」
くっ、キッパリか。まぁいい。成竜のウロコが手に入るなど、滅多にないことだからな。くれるならそれでいいか。
「それで、くれるのか? くれないのか?」
「もちろんやる。後日、我らの寝床に招待することにしたから、そのときに好きなだけ回収するといい」
「本当か!?」
私が竜の寝床に招待されるなんて!! 鳥肌が……!
「……あぁ、本当だ。我は嘘は吐かん」
「……!」
――ああっ! 抱きついた時のこのゴツゴツとした感触! 素晴らしいっ!
「それは愛情表現か……? 我は子持ちだぞ?」
「ちがう、ただの感情表現だ」
「随分と熱烈なんだな。貴様の感情表現は」
母竜は翼の先に付いた爪で器用に頭を掻き、困ったようにしていた。
「……すまない。つい」
私としたことが。つい感情の昂りを抑えられなくなってしまった……。
私が離れて反省していると、母竜は急に改まった態度を取った。
「……我はグラーシアだ。この度は我が子、エレンを救ってくれてありがとう、感謝する」
そういえば自己紹介がまだだったな。お互いに。
「キリシャだ。礼には及ばん。礼は受け取るがな」
「うむ……!」
グラーシアは、初めの警戒心や疑心を解いてくれたようで、とても穏やかな表現を見せてくれた。凛々しい瞳と、整った逆三角形の面立ち。その姿には威厳が溢れていて――あぁ、とても美しい……。
が、私がそのようにうっとりとしていると、
グギュルギュルギュルギュルルルルル
と、カミナリのように豪快な音が。
私はその音の出処をじーっと見つめる。
「安心したら腹が減ったのか?」
「………」
こくりと控えめに頷く腹減りドラゴン。言うまでもなく、威厳などは空腹の許に吹き飛んだ。
「食料はそれなりにある。待ってろ」
私は赤い屋根の家へと、竜の食事を取りに向かった。
読んでくださり、ありがとうございます。
グラーシアさんは西洋の竜を想像してください。