3
次の日、日曜日、朝っぱらから、瑠璃子が清音の家へやってきた。
「さーや、今日一日、一緒に居ても良いか?」玄関口で清音の顔を見るやいなや瑠璃子はそう言った。
「は?」清音が瑠璃子の顔を見ると、全く瑠璃子らしくない顔をしている。
「ポテチとか、お菓子いっぱいもってきたからさ」瑠璃子はひきつった笑顔を浮かべてスナック菓子でパンパンになっているレジ袋を見せた。
「そういえば、昨日あの後願ったプリンは?」清音はふと思い出して確認した。
「あ、それも持ってきた」瑠璃子は袋の中からプリンを取り出した。「食べる?」
「いや、いらない」清音は代償つきのプリンはやっぱり嫌だと思った。
「そうか…」瑠璃子は沈んだ様子でプリンを袋に戻した。
なんか…仕方無いなぁ。一人じゃ不安なんだろな、きっと。「とにかく、部屋、あがる?」
瑠璃子は、ぱっと明るい表情になって言った。「あがる!」
「瑠璃子ちゃん、いらっしゃい」瑠璃子が中へ入ると清音の母親が嬉しそうに話しかけた。
「おじゃまします」瑠璃子はペコッと頭を下げた。
「ゆっくりしていってね。ここの所、清音、なんだか楽しそうで。瑠璃子ちゃんが仲良くしてくれてるからなのかしら」
「え…」仲良くっていうか…瑠璃子は返事につまった。
「るぅ、いこ」清音は母親を無視して、階段に足をかけながら瑠璃子を促した。
ああ、なんかイラつく。私が楽しそう?…けど、確かに、るぅの石の事調べたり考えたりしてるの面白いと思ってたかもしれないな。
休み明けの月曜の朝、ホームルームが終わるやいなや、瑠璃子があわてた様子で清音の席までやってきた。「さーや、本マッチョ、やっぱり…」瑠璃子は情けない顔をしていた。
清音はうなずいた。
朝のホームルームで担任の先生から、本間先生は入院されたので、しばらくお休みされますとの報告があったのだ。体育の授業は代わりの先生がやってくるらしい。
「次の事願ってもキャンセルできないって事か。ま、とりあえず、生きてるみたいだし……今日、学校終わったら、病院行ってみる?」清音はいつも通り冷静だった。
「え?」
「どういう状態か気になるでしょ?それに、何があったのかも聞いておきたいし」
「ああ…なんか悪い状態って事もあるのか…」瑠璃子は益々情けない顔になった。
「星和台病院って、どうやって行くのか知ってる?」清音はさっき担任の話の最中にとっさに机に走り書きした病院の名前を見ながら言った。
「知らない」瑠璃子は首を横に振った。
「僕、知ってるけど」
二人が声のした方を見ると、すぐそこに正人が立っていた。
「去年、おじいちゃんが入院してたから、良く見舞いに行ってた」
「遠い?」清音が尋ねた。
「いや、そんなに。バス乗って十分くらいだったかな……本マッチョの見舞い?」
「うん」
「僕も一緒に行く」
清音と瑠璃子は少し驚いた目を正人に向けた。
正人か…ちょっとうっとうしいなぁ…けど、行く方法調べる手間はぶけるし、なるだけ無視しとけば良っか。「じゃ、道案内よろしく」清音は、目を合わせずに言った。
学校が終わるとすぐに、清音、瑠璃子、正人の3人は病院へ向かった。
星和台病院前でバスを降り、正人を先頭にして病院の入り口へ向かって歩いていると、すぐそこの救急の入り口前にサイレンを鳴らした救急車が入って来て止まった。後ろの扉から台車が降ろされた。が、台車は病院の中へ運ばれず、その場で救急のスタッフが心臓マッサージを始めた。付き添っていた女性が激しく泣きだし、「すずちゃん、がんばって!」と叫びだした。二十代かせいぜい三十代、家から慌てて飛び出してきたんだろう、つっかけにエプロン姿だ。
今、この女性の小さな娘が心肺蘇生を受けている、今、生きるか死ぬかの瀬戸際にいる。それは誰にでも簡単に想像がついた。
その様子を見ていた瑠璃子が立ち止まり、自分の左手を見て、また視線を救急車の方へ戻した。
あたしが、石に願えば、あの人の子、助かるかも……。
清音は瑠璃子が何を考えているのか察した。瑠璃子の腕を握って厳しい顔つきで首を横に振った。「るぅ、ダメ」
清音の声に、正人は振り向いて2人を見た。
瑠璃子は清音を見た。清音も瑠璃子を見つめ返した。
「そんなの願ったら、どんな代償払うことになるか…」瑠璃子の腕を握っている手に力が込もった。
人の命を救った代償……「あたしの命が、代償?」瑠璃子は心肺蘇生が続けられ、そばで女性が泣き叫んでいる光景に目を戻し、じっと見つめた。
「そう思う。だからダメ。かわいそうだけど……」清音も救急車の方を気の毒そうに見た。
瑠璃子は目を伏せ、小さくうなずいた。
きっと、さーやの言う通りだ。
「行こ」清音は瑠璃子の腕をひっぱり、病院の入り口の方へ促した。
正人は、こいつら何の話をしてるんだろう?と言いたげな顔つきをしていたが、何も言わずに、歩きだした。
3人が病室へ入ると、本間先生はベットの上で半分体を起こし、お菓子を食べながらテレビを見ていた。先生は3人に気づいて驚き、そして喜んだ。入院しているとは思えないほど元気そうに見え、瑠璃子は目に見えてホッとした顔をした。
「お前らが見舞いに来てくれるなんて、先生、感激だ!」
先生は3人分の椅子をベットのまわりに用意してくれ、お菓子とジュースを出してくれた。
「るぅと清音が何であんなわけのわかならい事言い出したのか…ずっと考えてた。お前たちに何かしたんだろうかとか。。けど、見当もつかないし……ほんと言うとな、教師なんて向いてないんじゃないかって前からずっと悩んでた。今の時代、熱血教師なんて無理があるのかもなぁ…って。他の先生にも生徒はさん付けで呼びなさいって注意されるし、こないだは、親からも呼び捨てるなって電話がかかってきたし」
いつも明るく元気が売りの本間先生は珍しく神妙な雰囲気になっていた。
「生徒も半数はうっとうしそうに白い眼で見てるだろ?…陰で本マッチョって呼ばれてバカにされてる事も知ってる」
本マッチョは別にバカにしてる訳じゃないよね?と、清音は思い、瑠璃子と正人と軽く目を合わせた。2人とも同じ様に思っている風だ。が、誰も何も言わなかった。
「実を言うと、清音のその冷たい目が一番痛い」先生は清音をチラッと見た。
清音は名指しされてギクリとした。冷たい目と言われ少なからず傷ついたが、表情一つ変えなかった。と言うか、変えられなかった。
「先生、気にしなくて良いよ。さーやは変わってるからさ」フォローのつもりなんだろう、瑠璃子がひきつった愛想笑いをしながら言った。
「いや、その清音が見舞いに来てくれたなんて、本当にもう嬉しくて…」そう言って、うつむいた先生の目尻に何かが光っている。
清音はどう反応すれば良いのかわからなかった。何か知らないけど、先生は自分が見舞いに来た事で感動して泣いているらしい。と言う事はわかった。が、急に笑顔を作るような器用さは持ち合わせていないし、結局いつもの対先生用の冷めた表情のままだった。
「オレは間違ってなかった。うん、間違ってなかった」本間先生は自分に言い聞かせるようにそうつぶやきながら、手で涙を拭うと、勢いよく顔を上げた。「ありがとうな!清音。るぅも正人も」先生は元気な声でそう言うと、手の届く場所に座っていた瑠璃子と正人の肩を強く叩いた。
「うわっ」正人はその勢いであやうく椅子から落ちそうになり、声をあげた。
一人で感極まってまた涙を拭っている先生を前に、3人ともチラチラと目を交わした。
「先生、何があったんですか?入院なんて」しばらくして、清音が話を振った。
「いや、何も無いけどな、昨日突然なっちまった。気胸っつってな。肺に穴があいて空気が漏れる病気だ。ちょっと空気吸いにくいってだけで元気なんだけどな、もう一個の肺まで穴開いたらまずいから、肺がもとに戻るまで入院しとかなくちゃならないんだよ」
という事は、るぅの願った『居なくなれ』は、『学校から居なくなれ』で叶ったって事かな。それも『ずっと』じゃなく、『一時的に』で。
「なんだかなぁ、ここの所ついてない。色々へこんでたからかなぁ。土曜の夜には信号無視の車に轢かれかけたし。間一髪避けられたけど、おまえらも気をつけろよ」
清音と瑠璃子はお互い目を合わせた。
偶然?違う。石の願いを叶えるスピードはかなり即効性がある。土曜の午後に願った事が日曜に…というのは遅い気がする。あの日、るぅが居なくなれと願ってしまった日、土曜日にもあったんだ。…本マッチョが避けたから、もう一度日曜日に実行された?…うん、きっとそうだ。そういう事だ。
先生としばらく病室で過ごした後、3人は部屋を出た。
「先生、一度は避けたんだね。けど、また実行されたって事っぽい」通路を歩きながら、清音は瑠璃子に話しかけた。正人は2人の後ろを歩いている。
「あ、そういう事?ああ、そっか。…まぁ、けど、良かった…本マッチョ元気で。ホッとした」瑠璃子は心底安堵したようだった。
「うん。『しばらく学校から居なくなる』で叶ったみたいだね。それに、なんか知らないけど、先生的にも良かったんじゃない?感動して、また頑張るぞーって感じになってたっぽいし……冷たい目の私がお見舞いに行った事で」清音は皮肉っぽく最後に一言付け加えた。
「なんだよ、気にしてんのか?」
「別に」清音は少し口を尖らせた。
「けど、先生と話してる時のさーやは、なんかロボットっぽくて確かにある意味結構怖い……あれ?」
瑠璃子は突然立ち止まり、自分のポケットの中を探り始めた。
「どうしたの?」清音も立ち止まって聞いた。
正人も止まった。
「いや、無くて」瑠璃子は自分の体を見まわしていた。
「何が?」そう聞きながら、清音は何気なく自分のポケットに手を入れた。左手が何かをつかんだ。外に出してみる。清音は自分の手のひらを見て固まった。あのインターネットで見た石、ラピスラズリそっくりな石が自分の手のひらに乗っかっている。
まさか……これ…
清音は左の手のひらを真下に向けてみた。
落ちない…嘘……
「るぅ」清音は真顔で石の乗っかった左手を瑠璃子の目の前へ差し出した。
「へ?何だよ?」瑠璃子は差し出された手を見て、怪訝な顔を清音に向けた。
るぅ、見えないんだ。
「石、乗ってる、ここに」そう言いながら、清音は左手を更に突き出した。
「へっ?」瑠璃子はもう一度清音の左手を見て、清音を見て、目を見開いて叫んだ。
「ええっ!?」
あまりの大声に、近くに居た人たちが一斉に瑠璃子の方に視線を向けた。
清音は無表情で左手を差し出したままだった。
「うそだろ?」
「ほんと」清音は無表情なままだ。
瑠璃子は清音の左手に自分の手を重ねた。「ほんとになんも感じないや…どう?」そう言って清音の様子をうかがう。
清音は目の前の不思議な光景に目が釘付けになった。「手と石、重なってる…ね。るぅの言った通り」
「だろ?…あたしのが、さーやんとこ行ったって事?だよな?」瑠璃子は嬉しそうに聞いた。
「…増えたんじゃないなら」清音は淡々と言った。
「へっ」瑠璃子はもう一度自分のポケットを全部確認し、体中をはたいて、頭も叩いて、最後にもう一度自分の手を確認した。「うん。やっぱり無い!やった!」瑠璃子は本当に嬉しそうに両手を上げた。
近くに居た人たちが、また瑠璃子をちらっと見た。
冗談でしょ?まさか私の所に来るなんて…。
瑠璃子は、石から解放されたとわかり、目に見えて浮かれ出した。「それ、上手く使えば使えるって。きっと、さーやなら出来るよ」瑠璃子は満面の笑みを浮かべた。
それ、私がるぅに言った言葉だ。けど、何かムカつく。こんなの関わるんじゃなかった。代償付きで願いが叶う石なんて…要らない。
「お前ら、さっきから一体何の話してるんだよ?」2人の様子を辛抱強くずっと黙ってみていた正人が、たまりかねて不満顔で聞いた。
清音が正人に見えない石を見せ(と言っても見えないが)、一通り説明し終わると、案の定、正人はそんな話、信じられないと言う反応をした。
「ここにるぅが願ったこととか、まとめてあるから、読んでみて」清音は例のノートを正人に差し出した。
正人は不審な顔つきでノートを受け取ると開いて読み始めた。「あー!おまえ」正人は突然、瑠璃子に向かって叫んだ。「これ、おまえ……」
「へ?」瑠璃子は何の事だろう?と、答えを求めるように清音に目をやった。清音は知らんぷりしている。
「おまえのせいだったのか!?あのテスト」正人は非難するような顔つきになっていた。
瑠璃子はそこまで言われて、しまったと言う顔をして、誤魔化すように口の端をあげた。
やばっ、テストの事すっかり忘れてた。
瑠璃子はチラッと清音に目をやった。
さーやのやつ、きっと、わかっててノート渡したに違いない。
「信じる」正人は突然そう断言した。「大体、あんなの、有り得ないんだ。あんなミスするわけないんだ。おまえのせいだったのか、くそっ……これ、先生に言うからな!」
「……いいけど、信じないと思うけどな。とりあえず本マッチョは信じなかった」怒っている正人をしり目に瑠璃子はケロッとしていた。
「るぅの頭がおかしいか、私と2人でからかってるって思ったみたい」清音が補足するように付け加えた。
「くぅ……他の先生に言うからな!うちの親にも」正人の顔は怒りで紅潮していた。
清音は小さく溜め息をついて、冷ややかに言った。「どうぞ、ご自由に。ま、多分、そんなに点数欲しいのかって思われるか、頭おかしくなったと思われるのがオチだと思うけど。親に精神内科とか連れていかれないように気をつけた方が良いかもよ」
正人は清音に何も返す言葉が出ない様子で、ただノートを握りしめる手に力を込めた。
「何点だった……」正人は唐突にそうつぶやくと瑠璃子を睨んだ。
「へ?」瑠璃子は何のことだ?とでも言いたげな顔をした。
「おまえ、理科のテスト、何点だったんだよ?」正人は瑠璃子に詰め寄った。
「あ、ああ、91点」瑠璃子は正人の迫力に押されぎみで答えた。
正人は自分の点数…つまり本来瑠璃子がとるはすだった点数とのあまりの差に言葉を失ったようだった。力なく肩を落としてうつむいてしまった。
「ごめん……な」瑠璃子は、正人の様子に思わず謝り、誤魔化すように頭をポリポリかきながら引きつった愛想笑いをした。
正人はチラッと瑠璃子に目をやっただけで、何も言わずにまたうつむいた。
あたしが体育でCをとったようなもんなんだろうな…きっと。…ホントに悪い事したかもしれない…。「ほんと、ごめん。先生に言っても良いからさ…」言っても信じないとさっき自分で言ったくせに、これしか言葉が出てこなかった。
正人は何も答えず、重たい空気が流れていたが、しばらくして、清音が口を開いた。
「とりあえず、信じたんなら、協力してくれないかな」
「協力?」正人は顔をあげて清音を見た。
「この石、なんとかしたくて色々考えてたんだけど…まさか私にうつってくるなんて思わなかった。何とかする方法考えて欲しい。」清音は正人を真っ直ぐに見た。正人は珍しく清音に直視されて、目を離せずにいるようだった。
「誰に話しても別に構わないから…信じないとは思うけど」
「……わかった。今日これ借りて良いか?考えてみるからさ」正人は力なくノートを掲げた。
清音はうなずいた。
次の日の朝、3人は通学路の川の土手の道で一緒になった。
「さーや、何か願ってみたか?」瑠璃子は今朝も目に見えて浮かれていた。軽やかな足取りで、笑顔でたずねた。
「願ってないけど」清音は瑠璃子の浮かれた様子に内心イラッとしていたが、普段の受け答えとそう変化があるわけでもなく、瑠璃子は全く気付いていなかった。
「ノート、じっくり見たけど」正人が口を挟んだ。「るぅ、おまえ、くだらない事ばっか願ってるよなぁ。世界平和でも願ってみろっての」
「うっせ、チビ」
「誰がチビだ!」
「だって、あたしより身長低いだろ」瑠璃子は自分の方が高いのをみせつけるように、わざと正人の横に並んだ。
「清音よりは高い!」正人は出来る限り背筋を伸ばした。
「私は、女子でも低い方だし」清音はどうでも良いと思いつつ、つい口を挟んでしまった。
「おぃ、そっちダメだろ?」河原の方へ降りる道へそれて行く2人に、正人が言った。
2人は振り返った。
「こっちの方が近いし」瑠璃子が答えた。
「だって、そっちは危ないって言われてるだろ?」正人は咎め口調だった。
清音は無視して歩いて行った。
「ゴルフボールが飛んでくるってやつ?あんなの信じてんのか?さすが、『正しい人と書いて正人君』だ」瑠璃子が茶化すように言って、清音に続いて歩いて行った。
「おい」正人は一瞬躊躇したが、2人に続いた。「おまえら、いつもこっち歩いてんのか?どうすんだよ、ボール飛んで来たら」正人は対岸方向の空を気にしつつ歩いていた。カバンを頭の上にでも持って行きたいのか、カバンを持つ手が不自然にピクピクと上下に動いている。
ここは、河原も川幅もだだっ広く、対岸の河原でゴルフの練習をする人が居て、ボールが飛んできて危険だから、土手の上の道を歩くようにと学校からは言われていた。ゴルフボールが飛んできて危険だと書いた警告の看板も立っている。ただ、ほんの数分の事だが、学校へは河原の道を通った方が近道で、実際こちらを通る生徒も多かった。
「飛んでくるかよ」瑠璃子がバカらしいという風な顔をした。
「けど、小学校の時から言われてたじゃないか。ここは危ないから絶対入っちゃダメだって」決められたことは守る。それが『正しい人と書いて正人君』なのだろう。
「言いつけたきゃ、言いつけてよいよ。石の話と一緒にすれば?」清音が冷たく言った。清音は不機嫌だった。瑠璃子が浮かれているのも気に食わなかったが、自分の手にある石を見るたび、溜め息が出る思いがした。
ゴルフボールの事なんて、今、どうでも良いし。
「そういう問題じゃなくて…危ないだろ」正人はやっぱり対岸方向の空を気にしている。
「ずっとこっち通ってるけど、ボール飛んできたことなんて無いけどな」瑠璃子が悪びれることなく言った。
「そりゃ、たまたまだろ」正人はひかなかった。
清音が鬱陶しいという風に、大きな溜め息をついた。「あのね、確かにボールが飛んできたって通報があったらしい。けど、通報あったのは一回きりで、ほんとかどうかもわからないって。大体、こんなとこで打ちっぱなしにしたらゴルフボールが勿体ない。普通に考えてやらないでしょ。警告の看板立ててるのは、万が一なんかあった時に役所の人が言い逃れするため。学校だってそう。ちゃんと通らないように指導してましたって言い訳したいだけ。それに通学時間帯にはあっち側見回ってるらしいし。」
「へー、知らなかった」瑠璃子が感心したように言った。
ま、父親が言ってたのの受け売りだけどね。「私は、るぅみたいに、大丈夫だろーって適当に思って通ってるわけじゃない」清音の言い方には明らかにとげがあった。
瑠璃子は肩をすくめた。
「じゃあ、どうしてまだ危険だって言われてるんだよ。危ないからだろ?」正人はそれでもひかなかった。
「もぅ、頭固いなぁ…だったら、上の土手の道だってそんなに広くもないのに、車が通って危険だと思うけど?見回りしてるってこと考えたら、こっちの方が安全なくらいじゃない?正しい人と書いて正人君」清音が皮肉っぽく言った。
正人は口をつぐんだ。清音の言う事も一理あるとでも思えたのか、さっきからピクピクと不自然に動いていたカバンを持つ手が止まった。
清音は手にひっついてる石に目をやった。
だから、今はゴルフボールなんてどうでも良いんだっての。
「で、先生に言うの?」清音は溜め息交じりに聞いた。
「へ、え、イヤ…僕も通ってるし…」正人は口籠った。
「は?…石の事だけど」清音は呆れたように言った。
「あ、いや…言わない」正人は暗い顔をして黙った。
清音はそんな正人の様子を横目でチラッと見て言った。「どうしたの?」
「……昨日、母さんに石の話したんだけど…」正人は清音の方を見るでもなくボソボソと話しだした。
「信じて貰えなかったんでしょ?」清音はほらみてごらんとでも言いたげな口調だ。
「…その時は信じてくれた…と思ったんだけど…」正人は益々暗い顔をした。
「何?」清音は少し首をかしげた。
「遅くに帰ってきた父さんに、疲れてるんじゃないか、あんまり勉強勉強って言わない方が良いんじゃないかって話してるの…聞いた…」正人は背中を丸めてうなだれた様子になっていた。
「だから言ったでしょ」
正人は不明瞭にうなずいた。「だよな…僕も理科のテストのことが無かったら信じなかったもんな…先生が信じてくれるわけがない…」正人はつぶやくように言った。
「私もそう思う。話しするだけ時間の無駄」清音はぴしゃりと断言した。
「昨日、考えたんだけど」正人は気持ちを切りかえるように姿勢を正して清音の方を見た。
「石、無くなれって願ってみるってのは?」少し得意気な顔つきで、清音が思いついたのと同じことを提案した。
「それ、ダメだった。もう、るぅが試し済み」
「そうか…」正人は残念そうな顔をした。
「あ、ノートに書いてなかったっけ。ごめん」清音はさらりと言った。
「いや、他、思いつかなくて。けど、うつるんだよな?」
清音はうなずいた。
そう、少なくとも、石をうつす事はできるはず。方法がわからないだけで。
「どうして、石、うつったと思う?」清音はずっと黙って歩いていた瑠璃子に話しかけた。
瑠璃子は無言で首を横に振った。
「いつ、うつったんだろう?るぅ、最後に石見たの、いつ?」
「え……」瑠璃子は頭をひねって少し考えている様子だった。「あの時だ。あの救急車の……さーやがとめた時」
「ああ、あの時…その後、絶対見てない?」
「見た覚えない。あの時、ポケットに入れたつもりだったんだけど…はっきり覚えてない」
あの後は、病院の中に入って、先生と話しただけ。先生は泣いてたけど、特に変わったことって無かった…はず。
るぅを止めた時…?
「るぅ、私、あの時、どうしたっけ?」と言いつつ、清音は瑠璃子の腕を握った。「確か、こうやって…ダメって言った…よね?」
「んー、たぶん、そんな感じ?」瑠璃子は自信無さ気に同意した。
触るとうつる?ううん、そんな事でうつるんだったら、もっと前に誰かにうつってる。じゃあ、願おうとするのを止めたってのがポイント?
「るぅ、やってみて」
「へ?」瑠璃子は、何を?と言う顔をしている。
「私の腕、強く持って『ダメ』って」そう言いつつ、清音はプリン願おうかなと心の中で思ってみた。
「ああ……」瑠璃子は言われた通り、清音の腕を強く握って言った。「ダメ」
清音は石を確認して「だめか…」とつぶやいた。
「え?…あっ」瑠璃子は、今、何を試したのかわかってヒヤッとしたようだ。やっとのがれたのに、今のが成功していたら石が戻ってきていたという事に気づいたんだろう。
前の持ち主には戻らないとか…あるかも?
そう考えつつ、清音は正人に目をやった。
こいつら、何やってんだ?と言う顔つきで2人を見ていた正人は、突然の清音の視線にひるんだ。
「な、なんだよ……」
「正人、やってみて」
「な、何を?」
「私の腕、強く持って、『ダメ』って」
「へっ?…なんで?」正人は何をしようとしているのか、わかっていないようだった。
「なんでも良いから」
正人は不安気な顔つきをしていたが、言われるまま、清音の腕をつかんだ。
「もっと強く」
正人は手に力を込めた。
「言ってみて」そう言いつつ、清音はさっきと同じ様に、プリン願おうかなと心の中で思った。
「ダメ」
清音は自分の手を見て、やっぱり石があるのを確認すると、小さく溜め息をついた。
プリンじゃだめなのか、念じ方が悪いのか、別に理由があるのか…。後で整理してみよう。「もう良いよ」
「へ?」
「腕、手」
「あ、ゴメン」正人は慌てて清音の腕を離した。
2人の様子を見ていた瑠璃子は、何か考えている風に小首をかしげて頭をポリポリかいた。
「何やったんだよ?今の」正人が清音に尋ねた。
「石、うつす実験」清音は淡々と答えた。
「え?」
「プリン願おうとしてみて、それを止められたら、うつらないかなーって」
正人はしばらく考えていたが、突然あきらかにギョッとした顔をした。
もし、今のが成功していたら、石が自分にうつっていたという事に気づいたらいし。
放課後になると、瑠璃子は鈍った体を鍛えなおさなくちゃならないとか何とか言って、浮かれて部活に行ってしまった。
「で、どうする?」正人は、清音の隣の席に座りながら言った。
「協力してくれるの?」
「そう言ってるだろ」正人は少し口を尖らせた。
「もしかしたら、石、うつるかもしれないよ?るぅから私にうつったみたいに」清音は試すように聞いた。
正人は一瞬無言になった。が、心を決めたようにハッキリと言った。「だったら、何だよ。困ってんだろ?だったら助けるのが当然じゃないか」
『正しい人と書いて正人君』らしいな…バカじゃないのって思うけど、今はありがたい。るぅは当てにならないし…正人、頭固いけど、昨日もちゃんと考えてくれてたみたいだし、とりあえず私と同じことは思いついた。るぅより頭良いのは確か。正人の方が頼りになるかもしれない。何より、この石の事を一人で抱え込むのはさすがにキツい気がする。
清音は、今までうっとうしいと思っていた正人が急に良いヤツに思えた。
理科のテスト、酷い点数とったの、陰で笑って悪かったな…。
「ありがと。助かる」清音はボソリとそう言った。
「ぇ、いや」正人は少し照れて、はにかんだような顔をした。
るぅが相談してこなければ、きっと私の所に石が来ることなんてなかった。そう、だから、石から解放されて浮かれてるるぅをみるとイライライするんだ。けど、るぅは最初これを一人で抱え込んでたわけで、プリン手土産に神妙な顔つきで私の所へ来た気持ちも今はよくわかる…。この石が先生を入院させてしまったのも事実だし、こんな取扱い注意!な石、無い…下手なこと願わないよう四六時中意識してなきゃならない。上手く使えば使えるなんて言ったのは間違いだった。他人事だから言えたんだ。私はたった一日でもう嫌気がさしてる。るぅはこんな石を何週間も持ってたのは事実。石から解放されて浮かれるのも当然かもしれない。
清音はそう考えると、石から解放されて一人浮かれてバレーしに行ってしまった瑠璃子の事を許してやっても良いかもしれないとすら思えた。
「なんでうつったかなんだけど…」清音が切り出した。
「石、うつれって願ってみるってのは?」正人はふいに思いついたことを口にした。その言葉に、2人は顔を見合わせた。
「やってみる」清音は石を握りしめて願った。「石、うつれ」清音はそう言って石をみつめた。
何も起こってない?よね?「石、誰かにうつれ」清音は石を確認した。「石、正人にうつれ」隣で正人があからさまにギョッとした顔をした。
「変化なし。ダメだ。少なくとも、るぅがうつれって願ったんじゃないのだけはハッキリした」そう言いつつ、清音はふと、一度願いが叶うときの石がどんな風になるのか見ておいた方が良いと思い、声に出さずにプリンを願ってみた。
「うわっ」清音は思わず声をあげた。
「な、何だよ?」正人が不安顔で聞いた。
清音はうっとりした表情で手のひらをみつめていた。「招福堂のプリン願ってみた。石が…るぅの言った通り…と言うかそれ以上」
「石が何?どうかなるのか?」
「願った時、携帯のバイブみたいにブーンって振動して光るって、るぅが言ってたけど…こんなにきれいに光るなんて思ってなかった」そう語る清音の目は、生気に溢れてキラキラとしていた。
「どんな?」
「え、と…青い光がフワッって広がって、その中で金色の光の粒がキラキラ、散りばめられたみたいに輝いてて…この石自体もきれいだけど、それが光り輝いて広がったみたいな感じ。すごくきれい」清音は手のひらを見つめ続けていた。
正人は、手の上にあるに違いない石をみつめる清音の顔をじっと見ていた。
清音が、石がうつってきたと思われる時の状況を正人に詳しく説明し、2人で、石がうつった理由を色々と考え、試していると、瑠璃子がブスッとした表情で教室に入って来た。
「るぅ。部活は?まだ終わってないよね?」清音は時計をチラッと見て、瑠璃子に尋ねた。
「本マッチのかわりに来た先生、最低なヤツでさ。本マッチョがどんなに良いヤツだったかわかったよ」瑠璃子は2人のそばの席にドカッと座ると、愚痴りだした。
「どんな先生?」清音はなんとなく聞いた。
「なんていうか、きどってて、嫌味なヤツ?って感じ。明日の体育になったらわかるよ。部活までかわりしなくて良いのにさ…」
「ま、石に願った代償の先生だしね。仕方ないんじゃない。で、先生が嫌で抜けて来たんだ?」
「いや…今日は出来ないから。…左手、手首痛めた」瑠璃子は左手を見ながら悔しそうに唇をかみしめた。
「へ?…人に石押しつけて、一人浮かれてたから、バチあたったんだ」清音は許してやって良いと思ったのに、つい皮肉を言ってしまった。
「石……まさか、願ってないよな?」瑠璃子が厳しい顔で清音に詰め寄った。
「へ?何を?」
「あたしがバレーできないように…とか」瑠璃子は疑るような目を清音に向けた。
「は?そんなくだらないこと願わないけど?」清音は呆れたように言った。
瑠璃子は唇を噛みしめて清音を見ていた。
「あ、そうか。この石って、もしかしたら最強だ。バレーできないようにとか、願えちゃうんだ」清音はそういうと、フッと笑った。
「やめろよ」瑠璃子は必死な顔をしていた。
正人はハラハラしながら2人のやりとりを聞いていた。
「しないけどね。そういう事も出来るんだって、るぅのお蔭で気がついた。言う事きかなきゃ願うぞって、脅しに使えるね」清音は冷たく言った。
私何言ってるんだろう…これってすごく酷い。清音は内心そう思いつつ素直になれなかった。
「清音、やめろよ、そんなこと良くない」正人がいかにも『正しい人と書いて正人君』らしい言葉を口にした。
清音は正人を睨んだ。
「…それに、そんなのの代償って…」正人は不安気な顔をしている。
「帰る」瑠璃子はそう言い捨てると、教室を出ていった。
バシッ
荒々しく閉められた扉の音が響いた。
「なんであんなこと言ったんだよ」正人は清音の様子をうかがった。
「さあ。一人浮かれてたるぅにイラついてたのは確かだけど」
…違う。そうじゃない、なんであんなこと言ってしまったんだろう…。
なんで?
…るぅに、そんなことすると疑われたのが、悲しかったんだ…。
「清音?」黙ってしまった清音に正人が声をかけた。
清音は唇を噛みしめて立ち上がった。「帰る」
正人はスタスタと無言で帰っていく清音の後ろを歩いていた。土手の道を歩いていると、下の河原の方から声がして、反射的に2人とも声のする方へ目を向けた。河原で川に向かって石を投げながら、何かわめいている瑠璃子の姿があった。そばに投げ出していたカバンを拾おうとして、痛めた左手が痛んだらしく、激しく悪態をついていた。
清音は冷静な顔でじっと瑠璃子を眺めていた。そして、自分の左手に目をやった。
「清音、やめろよ」そんな清音を不安そうに見ていた正人が、たまりかねて声をかけた。
「へ?」清音は何で?と言いたげな顔で正人を見た。
「バレーできないように願おうとか、思ってないよな?」正人は心配そうに聞いた。
清音は口を尖らせた。「思ってない」
「だったら良いけど」そう言いつつも、正人はまだ不安そうだった。
正人も疑うんだ…。
清音は唇をかみしめ、もう一度自分の左手に目をやった。ついさっきまで手のひらにあった石がない。
「えっ?」清音はポケットをさぐり、自分の周りの地面を見まわした。
いや、あの石、落ちないんだった。じゃあ、どこいった?
清音は自分の頭に手をやった。
「何やってんだよ?」正人が不審そうに聞いた。
「無い。石が無い」
「へっ?」正人は地面に目をやった。「あ、見えないんだった」
なんか、これと似たようなことあったよね…あの時だ。るぅから私に石がうつった時。
清音は正人を見た。「正人、ポケット、入ってない?」
「え?」正人は反射的に自分の両ポケットにそれぞれ手をつっこんだ。正人はうわっと叫んで、あわてて両手を外に出した。じっと正人を見ている清音と目が合った。正人はもう一度、恐る恐る左手を左ポケットに入れ、ビクついた様子で外に出した。「は……石…僕にも見えた…」正人は左手を見て力なくそう言うと、泣き笑いのようなおかしな顔で引きつったようにハハ…と笑った。
「うつった…なんで?」清音は自問するようにつぶやいた。
正人は自分の手のひらをみつめていた。正確には、そこにあるに違いない青い石を。相当ショックを受けているんだろう、魂が抜けたような顔をしている。
「ほんとに…見えない…んだよな?」正人は情けない顔で、左手を清音の方へ差し出した。
「見えない」清音は正人の左手に自分の手を重ねた。「私の手と石、重なってるでしょ」
正人は口をぽかんと開けて、左手を凝視した。
「こんなの…ありえない…」正人はつぶやいた。
「見えないどころか感じもしない」清音はそっけなくそう言い手を離した。
なんだろう…石がうつったのに、手放せたのに、すっきりしない。
瑠璃子が土手を駆け上がってきて、2人に気づいた。明らかに清音と目が合ったが、あからさまに顔をそむけて無視して走って行ってしまった。
清音は、すっきりしない理由がわかった。
るぅに酷い事言ったから、喧嘩したからだ…。
「とにかく…帰ろ…なんか疲れた」清音はボソリと言った。
正人は清音を見た。正人は情けない、弱りきった顔をしていた。何か言いた気な様子だったが、何も言わなかった。
2人は無言で肩を落としてトボトボと歩いていった。
家へ帰った清音はすぐに2階の自分の部屋へあがった。夕食も不機嫌そうに無言で適当に済ませると、とっとと部屋にこもった。瑠璃子に酷い事を言って、喧嘩してしまったことが頭から離れなかった。が、それを忘れようとするかのように、石が移った理由を必死に考えた。瑠璃子から自分に石がうつった時と、正人へうつった時の共通点は何か。それが答えのはずだ。
清音の行きついた結論は、『誰かを助けようと願おうとするのをとめると、とめた人に石がうつる』だった。