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「まぁ、瑠璃子ちゃん?久しぶりね。小学校の時以来?背、伸びたのねー。清音より頭一つ分くらい大きいんじゃない?」
日曜日の午後、自分の部屋でベットに寝転んで雑誌をみていた清音に、階下から母親の嬉しそうな大きな通る声が聞こえて来た。
瑠璃子ちゃん?って、るぅ?るぅが来たの?なんで?
清音は雑誌を手にしたまま頭をひねった。
「何か運動してるの?」「まぁ、そうなの、バレー部。」「アタッカー?背が高いもんねぇ。活発で良いわねー。清音とは大違いね。」
瑠璃子と話をしているらしいが、母親の声だけが聞こえてくる。
「清音は学校面白くないとか言っててね、瑠璃子ちゃんみたいに、ちゃんと部活でもすれば良いのにねぇ」
だって学校大して面白くないし。成績さえ良ければ文句ないくせに、こーゆー事言うんだから、むかつく。
清音は心の中で悪態をついた。
清音と瑠璃子は中学二年生。家が近くて、小学校までは学校の行き帰りも一緒で良く遊んだりもしたが、中学へ入ると喧嘩したわけでもないが、タイプが違うのもあって、自然と離れていった。今は同じクラスだが、とりわけ仲が良い事もなく、ただのクラスメートという感じだった。
「清音?居るわよ。どうぞあがって。清音−!瑠璃子ちゃん来てるわよー!」
大声出さなくても充分聞こえてるっての。
と、清音は心の中で悪態をつきながら「はーい」とそれなりの返事をし、雑誌を脇に置いてベットから体を起こした。
るぅが私の家までわざわざ?毎日学校で顔合わせてるのに。明日も学校で会うに違いないのに。急ぎの用事?なんだろう?全く見当がつかないけど。
瑠璃子は清音の部屋に入ると、全く瑠璃子らしくない神妙な顔つきで、手に持っていた袋を差し出した。「これ、あげる」
清音は袋を受取り、中を見て嬉しそうな声をあげた。「招福堂のプリンじゃない!久しぶりだー。貰って良いの?」
招福堂のプリンは、この界隈ではちょっと有名な素朴な味が魅力の手作りプリン。一日数量限定で少し手に入り難いのもあって、この辺りでは、手土産にするとほぼ間違いなく喜ばれる品だ。清音も瑠璃子も小さい頃から大好物だった。
「うん。食べて。さーや、それ好きだろ」『さーや』は小さい頃の清音の愛称で、瑠璃子は未だに清音の事をそう呼んでいる。
「好きだけど……」清音は袋の中にぽつんと一つだけ入っているプリンをみつめた。「るぅの分は?」清音は探るような目で瑠璃子を見た。
「あたしは、ちょっと……今はいい」瑠璃子は目を逸らして歯切れの悪い返事をした。
ん?何なんだろう?突然やってきて、なんか様子もるぅらしくない。明らかに暗いし…このプリンは?招福堂のプリンは嬉しいけど……なんか賄賂っぽくない?ここのプリンはるぅも大好きなはず。今はいいって、どういう事?
清音はなんだかプリンを食べるのがためらわれ、袋ごと机の上に置いた。
清音はベットに、瑠璃子は勉強机の椅子に、向き合う形で腰掛けると清音が切り出した。「で、何?」何かあるからプリン持ってやって来たのは明らかだ。
「さーや……話、聞いてくれるか?」瑠璃子は顔を清音の方へ突き出して、真剣な目で訴えた。
「へ……話……くらいは聞く……けど」清音は瑠璃子のなんだかわけのわからない迫力に少し引き気味で返事をした。
何なんだろう……なんか深刻な話?ちょっとイヤだけど…な。
「願いが叶う石?」清音は少し首をかしげ、怪訝そうに聞き返した。
「そ」瑠璃子は手のひらを上にして左手を清音の方へ突き出した。
清音は差し出された手を見て、瑠璃子を見つめて、みけんに皺を寄せながら聞いた。「何?」
「やっぱ見えないのかー」瑠璃子は大きく溜め息をついた。
「見えない?もう一回見せて」清音は瑠璃子の左手をぐいっと引っ張り寄せてまじまじと見た。「手は見えるけど。手しか見えない。」清音は見えるままを実況した。
「ここに…あたしの手のひらの上に石があるんだけど…青い石」瑠璃子は力なく説明した。
それを聞いて、清音は瑠璃子の左手のひらに自分の手を重ねた。「見えないし…何の存在も感じない」と、そう言って、瑠璃子を見た。
「これ…私の手が重なってる状態……るぅ的にはどう見えるわけ?手のひらに何か石が見えるんでしょ?」
清音はこういう話を頭から否定するタイプではなかった。瑠璃子はそれを知っていたからこそ、今はあまり仲良くしていないにもかかわらず清音に話しに来たのだ。
「さーやの手と重なってる」
「重なる?」
「石が、さーやの手に半分入り込んでる感じ。母親に見せた時もそうだった。何ふざけてんのって手のひらバシッって叩かれた時、今みたいに重なってた」
清音は重ねた手を見て少し考えて言った。「るぅが触ると石の…実感、あるの?重ならないの?」
「ある。しっかりあるし、重ならない」
清音は瑠璃子の左手に重ねた手を一度離して、もう一度重ね、首をかしげた。そして手を離して尋ねた。「るぅって、幽霊とか見える人?」
「は?そんなの見えないけど。なぁ、さーや。信じてくれるか?」瑠璃子は不安と期待の入り混じったような顔で清音を見つめた。
「んーどうだろ」
清音が渋い表情でそう言うと、瑠璃子は小さく溜め息をついて肩を落とした。
瑠璃子は背中を丸めて、自分の左手をみつめた。
「でも…信じる証拠も無いけど、信じない証拠もないよね」
清音のその言葉を聞いて、瑠璃子は顔を上げた。目に光が差したように見える。
「もう少し話聞かせて」清音は冷静な口調で言った。
「聞いてくれんの?いくらでも話す!」瑠璃子は、生気を取り戻したかのように話し始めた。
「親に言っても信じて貰えなかったし…誰にも見えないみたいだし、あたしがおかしくなったのかとも思ったけど…けど、実際願いは叶うし…」
「願い叶うんだったらそれで良いじゃない。別に他人に見えなくたって」清音は何故、瑠璃子はこんなに必死で訴えてるんだろう?と、ふと思った。
「あたしも最初はそう思った。なんか良くわかんないけどラッキー♪って。でも…違った…」瑠璃子はまた少し沈んだ様子になった。
清音は少し首をかしげた。「そもそも。その…石?どうしたの?拾ったの?」
「いや、知らない間に持ってた。最初、自分の部屋で『久しぶりに招福堂のプリン食べたいなー』って独り言言ったら、ポケットの中がブーンって震えて、ほら、あの、携帯のバイブみたいな感じ。プラス、ちょっとなんか光ったみたいに感じたんだよね。なんだ?って思って、ポケットに手つっこんだら、見た事もない青い石が入ってた。なんだこれ?だよ。ほんとに。拾った覚えなんて無いしさ。で、しばらくしたら、親戚のおばさんがうち来て、招福堂のプリン持って来てくれた。そん時は、何も思わなかったんだけど、この石普通じゃなくてさ…」
「ま、私、それ見えないし。普通じゃないね」
「そう。親戚のおばさんにも母親にも見えなくて、あたしがいつもみたいにバカな事言ってふざけてると思われてさ。それに、どっかに置こうとしても、こいつ、離れない」瑠璃子は、恨めしそうに左手を見た。
「へ?」
「例えば、こうやっても落ちない」瑠璃子はそう言いながら、左手をパーの形に大きく広げて手のひらを真下に向けた。
「落ちない?そこにひっついてるってわけ?見えないけど」
瑠璃子はうなずいた。「引っ張っても取れないし、こんな事しても離れない」瑠璃子は、ボールを投げるように左腕を大きく振ったり、左手首をぶんぶん振ってみせた。「で、唯一ポケットに入れるのはOKっぽい」
瑠璃子は石をポケットに入れた。と言っても、清音には石がどこにあるのか全くわからなかったが。
「なんだ、だったら、ポケットに入れたまま服脱いだら?」清音は簡単に離れるんじゃないの?と思いつつ提案した。
「やったさ。けど、勝手に左手に戻ってるんだよね。マジシャンもびっくり」瑠璃子は自虐的に言った。
清音は少し眉を上げた。「いつも身についてる状態ってわけ?」
「そうらしい」瑠璃子はうんざりしたように小さく溜め息をついた。
「確かにふつうじゃないね」るぅの言ってる事が本当ならば。だけど。
瑠璃子はうなずいた。「でさ、次の日、また招福堂のプリン食べたいなーって思ったら、またブーンって震えて光った。なんだろう?って思ってたら、お母さんが、昨日久々に食べたらまた食べたくなったって買って来て。そこで初めて、これ、もしかして?って思ってさ、その後3日連続で毎日プリン食べたいって思ってみた。案の定そのたびにブーンって光って…」
「は?あんた、バカでしょ」清音は呆れたように言った。
「いや、けど、すごいんだ」瑠璃子の口調に熱がこもった。「最初は、孫が来るはずが来れなくなったからってお隣のおばあちゃんがくれて、その次は、えーと、お母さんの知り合いの人がうち来て、手土産に持ってきた。で、最後は、卒業した先輩達が部活に来てさ、珍しく売れ残ってたって差し入れにプリン持って来てくれたんだ」瑠璃子は、な、すごいだろ?と言わんばかりの顔で清音をみつめた。言われなれているせいか、バカと言われた事は全く気にもしていないようだ。
「んー。確かにそれは偶然超えてるね」清音はあくまで冷静だった。
「で、ふと気が付いたんだけど、プリンのかわりに何かが無くなる」
「へ?……代償って事?」
「あー、多分、そんな感じ。あたしが食べるはずだったケーキは親戚のおばちゃんが食べちゃったし。大好物のコロッケが夕食のはずだったのに、売り切れてて無しになったとか。後で食べようと思ってたポテチ横取りされたりとか。みたいな」
「ふーん。でも、ま、それっくらい良いじゃない。プリン食べられたんだし」
「まぁ、プリンの場合は良いんだけどさ…最初はプリンだけだと思ってたんだけど、そうじゃなくて……」瑠璃子は口ごもった。
「他に何願ったの?」
「んー、願ったっていうか…色々あるんだけど……ほら、こないださ、学校閉鎖あったろ?」
清音は軽くうなずいた。
「あれとか」
「は?るぅ、学校閉鎖になれって願ったの?」
「いや、『明日のテストやだなぁ、学校なくなりゃ良いのに』って…かるーく口にしただけ。そんな強く願ったつもりなかったんだけど、石光ったから焦った。どんなにドキドキしたかわかるか?学校なくなるってどうなるんだよ?飛行機落ちるとか、地震で校舎倒れるとかだったらどうしようってさ」瑠璃子はその時の焦った気持ちを思い出したのか、頭を抱えた。
「で、学校閉鎖だったんだ」瑠璃子とは対照的に清音は淡々とした口調だ。
瑠璃子は大きく首を縦に振った。
るぅの石のせいで学校閉鎖?でも、確かに、あの学校閉鎖は妙だった。突然みんなが風邪で休んで何かの集団感染の疑いもあるから学校閉鎖っていう…。で、結局みんなただの風邪っておちで。石のせいって方が納得できるかも。
「学校閉鎖で良かったね」清音はそっけなく言った。
「うん、まじ良かった」
「で、その代償はなんだったの?」
「え。ああ、母親に一日、問題集やれって部屋にこもらせられた」瑠璃子は思い出したかのようにうんざりした顔になった。
「1時間毎に見に来るんだから…。テストあっても学校の方がマシだったよ。あんなの。とにかく、この石、なんとかして手放したいんだ。さーや、知恵貸してくれよ。あたしと違って頭良いだろ?」瑠璃子はすがるように清音を見た。
「へっ、確かに成績は良いけど……。それ、上手く使えばそんなに悪く無いんじゃないの?」清音はまだ瑠璃子の話を完全に信じたわけではなかったが、そう提案してみた。
「え?悪い!上手くも使えない!」瑠璃子は必至に訴えた。「一番まずいのは部活。バレー。どうやったって、アタックする時、決まれって思っちまう。試合中、石ブーンって光りまくり」瑠璃子は少し沈んだように見えた。
「アタック決まるんでしょ?なら良いじゃない」仮にるぅの話が本当だとして、どうしてこんなに手放したがるんだろ?
「良くない!決まったって、その分相手にもアタック決められる。多分それが、…代償?なんだよ。お互いアタック決まりまくりな妙な試合になって…で、だから、アタック決まったって勝てるとは限らない。大体、そんなもんでアタック決まったって意味ないんだよ。バレーやる意味がない!」瑠璃子はスポーツマンらしく熱くそう語ると、悔しそうに唇を噛みしめた。
あ、これは本物だ。真っ直ぐでそのまんまーな性格のるぅにこんな演技は出来ない。それに確かに先週るぅが早く帰ってるのも見た。部活行ってないって事だ。学校は部活の為に行ってるってタイプなのに。
「わかった。信じる」清音はきっぱりと言い切った。
「ホントか?!」瑠璃子はパッと目を見開いて、清音に抱きつきそうな勢いで腰を浮かせた。
清音はとっさに後ろに避けながらうなずいた。「う、うん」
「さすが、さーやだ」瑠璃子は本当に嬉しそうな顔をしたが、抱きつきはしなかった。「あたし、信じてくれるとしたら、さーやしか居ないって思ったんだ。変人だしさ」
「誰が変人よ」一言多いっての。
「あ、いや、ごめん」瑠璃子はハハッと誤魔化すように笑った。「けど、さーやってUFOとか幽霊とか信じてるだろ?」瑠璃子は、さっき清音が読んでいた雑誌にチラッと目をやった。
表紙を見ただけで、明らかにそういう系の雑誌なのが見てとれる。
「そういうのって、肯定する決定的理由もないけど、否定する決定的理由もない。でしょ?そういう意味では五分五分」清音もチラッと雑誌に目をやって言った。
「まぁ、そうか」瑠璃子は適当に同意した。
「なのに、そういう話が色んな所で出てくるって事は、なんかあるからに違いないって考えた方が自然だと思うわけ。だからちょっと肯定派寄りになる。私的にはすごく合理的な考えだと思うんだけどなー。理解されないよね。大体さ…」清音は自然と背筋が伸び、少し身を乗り出し、声のトーンも一段上がった。「地球が丸いってのも発表された当時は受け入れられなかったんだよ?地球は平面だって言うのがその当時の定説だったから。つまり、今の常識が絶対に正しいなんて言えないって事。そういう歴史があるにもかかわらず、どうして、見えないから、証拠が無いからって理由だけで否定できるのか、逆に私には理解できない」
清音の声はじょじょに熱を帯びていた。清音は普段は淡々と冷静すぎるくらいの話し方をするのに、こういう話になると熱く語ってしまう癖があった。
瑠璃子は口をポカンと開けて、半分流しながら清音の話を聞いていた。
「相変わらず、何言ってるんだか良くわかんないけどさ、さーやはさ、そう言うのがなきゃ、大人しそうな普通の可愛い子って感じなのにな」瑠璃子は何気なく言った。
「あ。そ。普通に可愛い子は、見えない石の話なんて絶対信じないだろうね」清音は皮肉を込めて返した。
「え、あいやー、さーやが普通でなくて良かった!普通でないさーやが良い!」瑠璃子は焦った様子で、明らかに作り笑いとわかる笑顔を見せた。
「なによそれ」
「大丈夫。さーやの事、そんなに良く知らないヤツは、頭良いちょっとかわいい普通の子って思ってるから。知ってるヤツは、まぁ、アレだけどさ…」瑠璃子は少しひきつった笑顔を浮かべた。
「なんか、さっきからひっかかる言い方するよね」清音は瑠璃子をジロッと見た。
「いや、フォローのつもりなんだけど」瑠璃子はアハハッとわざとらしく笑った。
「けど、その石のお蔭で、ちょっとは幽霊とか信じる気になったんじゃないの?変人じゃなくても」清音は皮肉たっぷりに言った。
「へ?なんで?」瑠璃子は少し首を傾げた。
「その石だって、同じじゃない。見えないんだし。証拠もないし。言ったって誰も信じない」
瑠璃子は左手をみつめた。「同じ……かぁ?」と言いつつ、問いかけるような顔で清音を見た。
清音はうなずいた。「るぅにとってはその石が見えてるから違うだろうけど、私にとっては同じ。幽霊もその石も見えないし、あるって証拠は何もない」
瑠璃子は納得したのかしてないのか、少しうなずいたように見えた。
「……そんな事よりさ、この石どうにかする方法、なんかない?お願い、さーや様!」瑠璃子は右手を顔の前に立てて清音を拝んだ。
……拝まれてもなぁ。「あ、『石、なくなれ』って願えば?」清音はふと思いついた事を口にした。
「ぉ、それ良い!名案!さすがさーやだ!」瑠璃子は心底嬉しそうな様子だ。
瑠璃子は左手を握りしめて、ギュっと目を閉じた。「石なくなれ。石離れろ。……石、消えろ!石、どっか行け!石、飛んでけ!石、砕けろ!石……くそぉー!」最後は絶叫になっていた。
「ダメだ…きいてくれない…」瑠璃子はガックリと肩を落とした。
清音は首をかしげて尋ねた。「ダメってあるの?わかるんだ?」
「うん。『鳥みたいに飛びたい』とかダメだった。無理なもんは無理らしくて、その時はブーンもないし、光りもしない」
「へぇ、すぐにわかるって事か」
「うん。なぁ、他になんか案無い?」瑠璃子は弱りきった顔をしていた。
「ん…ちょっと本気で考えてみよっか」願いが叶う見えない石なんて、ちょっと面白そう。それに、こんな弱ってるるぅ見てるとちょっと可哀相な気もしてきた。
「あ、このプリンも、もしかして?」清音はさっき貰ったプリンの袋を見て、瑠璃子の様子をうかがった。
「いや、それは普通にお金出して買った」
「あ、そう」だったら良いや。他の人が食べるとどうなるのかわからないけど、代償払ってるプリンなんてなんかイヤだし。
あ、さっき、るぅが、プリン、今はいいって言った理由、はっきりしたな。石に願って5日連続で食べてたからか。