校長先生のお話
僕らは体育館に集められた。
夏休み前の終業式だ。
外では「じーじーじーじじじじじじじー」と蝉がやかましく鳴いている。
体育館にはクーラーなんかなく、額から、胸から、腕からと、身体中から汗が吹き出してくる。
もうシャツはびしょびしょで、腰のあたりに汗がたまって、汗疹がちくちくする。
さっさとこんなところから抜け出して、シャワーを浴びたい。
それで、夏休みを満喫するんだ。
中学最初の夏休み。新しい友達もできたし。
特に、僕の隣に立っている西崎くんとは趣味がよく合う。
コミケに行く約束もしている。
壇上に、グレーのスーツを着た人が上った。
小太りで、背が小さく、禿げ上がった頭がきらきらと光っている。
「私は、新しくこの海山中学に赴任した校長の古川といいます。前の校長はといいますと、大病を患ったとかで、退職されたんですね。私は校長職は初めてで、そこにいる一年生のみなさんとおんなじですね」
その新しく来た校長先生が僕ら一年生のほうを見る。
思わず目が合った。
校長先生は、にやにやと笑いかけてきた。
「こんなふうに自己紹介しても、夏休み前ですからね、皆さん忘れてしまうかもしれないですけどね。まあまあ、生徒さんは校長なんてあんまり気にしなくていいんですよね。私も中学校の頃の校長の名前なんて覚えてないですしね。だから、忘れてしまってもかまわないんですよね。私の名前なんてみなさんにとって意味のないことですからね。それよりも方程式のひとつでも覚えたほうがいいですからね。まあ、勉強を覚えるっていうのも、意味があるとは限らないかもしれないですけどね」
その新しく来た校長先生は、相当な早口でわーっとしゃべった。
暑さのせいもあるかもしれないけど、新しい校長先生の話を聞いていると頭がくらくらしてきた。
「みなさん夏休みにこれから入るということで、最後にちょっとだけお話させていただこうかな、と。ええとですね、みなさんは玉石混淆とか言われますかね? 言われたことある? 前の校長に? ひどいですねえ。まあ、病気になった人をあんまり悪く言うのはよくないですね。私はですね。みなさんが『玉』だと思いますね。不必要な人間なんていない、そう思いますよ。『玉』といっても、卵焼きのことじゃありませんよ。え? 何のことかって? お寿司屋さんでは、卵焼きのことをそういうんです。まあ、こんなのも覚えてたって意味はないんですけどね。ええと、何の話してましたっけ? ああ、玉石混淆ね。そう、みなさんは石みたいな食えないような連中じゃあありません。みなさんひとりひとりが大事な存在だってことです。今、世界は大変ですよね。アメリカではトランプさんが大統領になったりして。これから世界は変わるかもしれないですね。ええ、もっと、もーっと変わるかもしれない。その世界にとって、みなさんは必要なんですね」
ばたっ。
前に立っていた須藤さんが倒れた。
「えっ、あっ」
僕はおろおろするばかりで何もできない。
すぐに担任の伊藤先生が飛んできて、須藤さんを運び出した。
大丈夫かな? 入学式でも須藤さんは貧血で倒れてたけど。
僕はでもちょっと思う。こんな暑いところから抜け出して、校長先生の長い話を聞かずに済んだんだから、むしろお得なんじゃないかって。ううん、お得って言葉はちょっと変かな。でも、そんな感じ。
隣の西崎くんもうんざりした様子だ。早く終わってほしいよ。
「おやおや、大丈夫でしょうか。でも、運がいいかもしれませんね。私の話を聞かないで済んだわけですから。あんまり話が長くなると、また倒れちゃう人も出てくるかもしれませんね。それに教頭先生にも怒られちゃいますから。本題を端的にお話しましょう」
校長先生はぐるりと僕ら体育館の生徒たちを見渡した。
「いいですか、世界の始めには神がいました。私には髪がないですけれどね。って、そんなことはどうでもいいって? ええ、失礼いたしました。それでですね、その神様ユヨンゴ・ゲラゲラ様は、性格のわるーい神様に封印されてしまったわけです。でもですね、時は来ました。ユヨンゴ・ゲラゲラ様の復活です。私が今から言う呪文を聞いた人には、ユヨンゴ・ゲラゲラ様が見えるってわけです。ちょっと見た目はビビっちゃうかもしれないですけれどね」
校長先生は何を話しているんだろう。
みんなざわざわし始めた。
教頭先生もおろおろしている。
「あんら・よんごご・ふらぬぬんわんわ・のるのるりるの・ほうせんがるいん・ほんほん・てる・あふらもお・ざほんがらわよ・よよらのん・すらがばほん・ほわんたてらん・よにみみひひ・ほたれぽほほあ・ありばむお・じふがんざせんが・いわあれ・ぞ・ほお・ほお・わわいれがんてらんみ・おいがわんざ・ざす・おい・ほお・せん・ら・れらん・ごご・みらぐゆ・んごんご・ざわがんれ・いんらふれぽい・あんらふれぽい・ざが・がざ・ざす・おい・ほお・せん・ら・ら・あう・あ・ざーれ」
校長先生は満足そうな顔をしている。
「以上です」
「きゃああああああああああ!」
そこかしこから悲鳴が上がった。
校長先生の背後から巨大な何かが現れた。
黒くて、ぐにゃぐにゃしてて、わけがわからない。
でも……「歯」があるみたいだった。一本一本が数メートルもある、巨大な歯だ。
その巨大な歯に生徒たちが……みんな……教頭先生も噛み砕かれていく。
血が……ばらばらの手足が……内臓が……首が飛んで……
「田中くん、逃げよう」
西崎くんがぼおっとしている僕の手を取った。
西崎くんと逃げようとしたけれど、僕は血まみれの床のせいで滑って転ぶ。
僕の間近に巨大な何かと巨大な歯が迫る。
「た、助けて……」
ああ、もう駄目だ……。
そのとき、校長先生の声が聞こえてきた。
「校長というのはいいものですね。みなさん黙って私の話を聞いてくれるのですから」