侍女さんの主、襲われる
『後宮はこれをもって解散とし、アスコット公爵令嬢レティシアには百合の間への移動を命じる』
ふざけた選抜試験の3日後、王太子名で出されたこの命令は後宮を震撼させた。
皆、試験ではあの偽りの笑みを浮かべた【王太子】にべた褒めされ、尚且つ盛大に媚を売っておいたのだから、選ばれるのは自分だと密かに自負していたらしい。
しかし、選ばれたのは以前から筆頭候補として名を馳せていたレティシア。
何故なのと突っ伏して嘆く者、家の力を使ったんだろうと恨みをつのらせる者、中には『あんたさえいなければ』と逆上し掴みかかろうとした愚か者もいたが、脇に控えていたメルヴェルがレティシアの身を庇ったため事なきを得た。
ちなみに【百合の間】とは、王太子妃に与えられる居室の異名である。
王妃の居室は【薔薇の間】という。
もし他に王子がいた場合は爵位を与えられて外に出ることになっているため、妃のための部屋はこの二種類だけだ。
いずれの部屋も【夫】である国王・王太子の居室の隣に用意されてある。
そこへ移動せよという通達は即ち、レティシアを王太子妃にするという宣言であると思って間違いない。
「王太子殿下は罪なことをなさいますね」
「恋するご令嬢方には確かに厳しい試験内容だったものね。王太子殿下のお姿でべた褒めされれば、誰でも『選ばれたのね』と勘違いしてしまうわ。私の場合、後回しにされたというのが幸いしたわね」
レティシアは確かに公爵令嬢として、真実を見誤らないための教育を受けている。
とはいえ、この後宮の仮の主でありあの美貌の王太子から甘く微笑みかけられれば、彼女とてその目を曇らせていた可能性は否定できない。
レティシア本人が認めるように、彼女が警戒心を持っていられたのはフリージアの態度を見たからである。
クロードが触れた手の感触というのは決め手になった、だがそれを除けば決定的な証拠はつきつけられなかっただろう。
結果論とはいえ、演技に熱が入ったクロードに感謝しなければならない。
解散を言い渡されたとはいえ、後宮内が【男子禁制】であるのは変わりない。
レティシアはメルヴェルを伴って後宮の入り口に向かい、そこで護衛の騎士と合流して百合の間へと向かうことになっていた。
レティシアの荷物は後で他の侍女が運んでくれることになっている。
メルヴェルは元々使用人棟に住んでいるため、荷物の移動は必要がない。
「行きましょうか、メル」
「はい」
頷く侍女の顔に迷いはない。
レティシアが王太子妃になることで、彼女は持っていた武器を手放すようにと指示された。
指示を与えにやってきた使者にその場でナイフを手渡し、もうこれで手持ちはありませんとご丁寧にスカートをたくし上げて見せた時は、いくら使者が年配の女性であってもどうなの、とレティシアも軽く頭痛を覚えたものだ。
後で聞いたところによると、お守り代わりに大事にしていた銃は、城下にある職人に預けてあるらしい。
完全に手放すことはできなかったらしく、ひとまず無期限でと預けたのだそうだ。
そうまでして、彼女はレティシアに付き従うことを選んでくれた。
彼女は国にではなくレティシア個人に忠誠を誓っている。
それは今後も変わらないだろう。
王宮に行けば一流の名を持つ侍女達がつくのはわかっていたが、それでもレティシアにとってメルヴェルは己が最初に選んだ【腹心の侍女】なのだ。
少なくとも彼女自身が嫌だと言い出すか、どこか嫁ぎ先が決まるまでは手放す気はなかった。
閑散とした後宮の廊下を歩いていると、少し前までここに他9名のご令嬢が集い競い合っていたのが夢のようにも思えてくる。
彼女達は【好敵手】ではあったけれど【敵】ではなかった。
そう思えるのはレティシアが最終的に選ばれた存在だから、という甘えだろうか。
「お嬢様、おめでとうございますっ!」
庭で作業中だった青年が、ぴょこんと頭を下げて見送ってくれる。
レティシアもやんわり微笑んでそれに応えた。
「庭師さん、レティシア様はもう『お嬢様』ではないのですよ」
と背後でやんわりとメルヴェルが説明しているのが少しおかしい。
レティシアに関しては、彼女はどうにも生真面目すぎるのだ。
と、メルが一瞬立ち止まったことで僅かな隙が生まれた。
バタン、と誰もいないはずの広間の扉が開かれ
中から飛び出してきたやや大柄な人影がレティシアめがけて飛び掛った。
「レティシア様!」
反射的に、メルヴェルは主の体を抱きかかえ、転がるように床に倒れた。
ほんの僅かな差で刺客の剣は空を切り、ぎょろりと血走った目が主従を睨みつける。
慌てて駆け寄ってきた騎士がレティシアを支えるように後退し、させるかとまた剣を振りかざした男に別の騎士が挑みかかる。
刺客などに不覚をとる騎士ではないから大丈夫、そう息をついたメルヴェルはしかし殺気を感じて素早く立ち上がった。
「っ、!」
「……伏兵を忍ばせておいてその隙に本命に斬りかかる、随分と見え透いた手を使われますね。ジギタリス様……いえ、トリカブト様?」
いずれも有名な毒草の名で呼ばれ、男爵令嬢マーガレットはギリギリと歯噛みした。
その可憐な手が握っていたナイフは、締め上げられる手首の痛みに耐えかねて床に落ち、彼女が何をしようとしていたのか……その罪をその場にいる皆に知らしめる。
間一髪、レティシアに届く前に身を滑り込ませたメルヴェルの腕を掠った程度だったとしても、殺意があったことは否定できない。
メルヴェルの言うように、彼女は金で雇ったならず者を広間に忍び込ませておき、侍女なり騎士なりにそれを阻まれるのを予測した上で、自分が本命を狙おうと考えていた。
勿論、刺客が首尾よく【獲物】をしとめることができればそれで彼女の出番はなくなる。
王太子の非情な通達を聞く前から、マーガレットは己が選ばれないだろうと半ば諦めていた。
というのも、彼女の特技披露は王太子の前で己の育てた草花の図鑑を見せることだったのだが、それを感心したように眺めるその青の瞳に、どこか冷めた色があることに気づいたからだ。
いつも、そうだった。
彼女は薬草や珍しい植物に囲まれていることが好きなのに、貴族の子女としては異端扱いされてしまう。
我こそはと奢り高ぶった令嬢達を他所に、マーガレットは密かに侍女を城下に放ちならず者を雇わせた。
その代償に侍女の身柄を要求されたが、それすらも非情に受け入れた。
家から付き従ってくれた侍女をも売り、彼女はレティシアを害し己も破滅するという共倒れの道を選んだのだ。
そうまでして家に帰されたくなかったのは、貧乏男爵である父から金持ちの平民の後妻になる話を聞かされていたから。
大好きな草花に囲まれるどころか年の離れた平民に囲われるという未来を拒絶したかったのだろう。
彼女は侮っていた。
レティシアがメルヴェルを片時も離さず傍に置くのは、実家から連れてきた気の許せる侍女だというからだけではない。
彼女にとって害ある者を近づけないための盾であり、最強の護衛であるということを知らなかった。
メルヴェルは足元に落ちたナイフをつま先で蹴り、騒ぎを聞きつけて駆け寄った騎士達がそれを拾うより早く
「毒が塗ってありますので、むやみに素手で触らぬよう忠告致します」
そう静かに告げた。
騎士も心得たもので、懐からハンカチを取り出すとそれで包むようにナイフを包む。
さすが陰謀あふれる王宮の騎士だけあって、中々手際はいい。
マーガレットに視線を戻すと、彼女は不気味なものを見るような目をメルヴェルに向けていた。
どうして毒が塗ってあるとわかったのか、そう聞きたいのだろう。
まだわからないのか、と彼女は内心溜息をつく。
「男爵様の敷地内には薬草の群生地があるそうですね。薬は度を過ぎると毒になる、というのは常識です。幼い頃からそういった植物を見慣れて育った貴方なら、この庭にある綺麗な花もどれが毒を持つかおわかりになるでしょう?花なら部屋に持ち込むこともできますし、何分力の足りない女性が他者を殺めようと考えた時、刃の部分に毒を塗っておけば殺傷率は高まります」
「……そうよ。そしてそれは貴方の腕を掠めたわ。毒が体内に回るには充分な時間よね、侍女さん?」
嘲るようなマーガレットの言葉、そして狂気に満ちた笑い声。
レティシアを殺めることはできなかったが、その侍女を傷つけられたということで『してやったり』という気分になっているのかもしれない。
しかし、メルヴェルは僅かに眉根を寄せただけでそれに応え、あくまで淡々とした口調で「罪を認められましたね」と溜息まじりに言葉を継いだ。
「貴方は今、ご自分の罪を認められた。それはここにおられる騎士の方々の耳にも入っております。先程の刺客も捕らえられたようですし、逃げ道はありませんよ?」
「…………っ、!」
「させません」
観念したように項垂れたマーガレットは次の瞬間、大きく開いた口の中に突っ込まれた手によって自殺を阻止された。
「大方舌を噛み切ろうとされたのでしょうが、残念でしたね。そう簡単に人の舌は噛み切れるものではないのですよ、マーガレット様。このように躊躇いのある噛み方では、下手に痛い思いをされるのが精々でしょう」
それにね、とメルヴェルは続ける。
「……まさか、ここまでのことをしておいてご自分だけ楽になろうとお考えなのですか?恐れ多くも公爵令嬢、しかも次期王太子妃に決定された高貴な方の命を狙い、更に男子禁制の後宮に男を忍び込ませた。その罪は貴方だけに止まらず、男爵家ひいてはその一族全てにかかってくる……それをまさか全くわからずにこんな愚かなことを計画された、と?」
今回のことで、マーガレットの両親はもとより一族全てに『殺人未遂』の罪は及ぶだろう。
家は取り潰し、場合によっては国外追放、直系の肉親は処刑もありえる。
その可能性を全く考えず、令嬢はただ己の小さなプライドのために取り返しのつかない罪を犯した。
レティシアに怪我はなかったが、未遂というだけでも充分処罰に値する行為なのだ。
言われて漸く気付いたらしく、マーガレットは真っ青になって蹲った。
その体を支えるように立たせ、ご丁寧に口の中にハンカチを銜え込ませた状態で、騎士のひとりが引きずるように連れていく。
「そうそう……マーガレット様、先日は素敵なプレゼントをありがとうございました。ですが残念なことにわが主は香りの強い花が苦手なのです。ですので、ほんの少しの遊び心と共にお返しさせていただきましたこと、お詫び申し上げます」
背に向かってかけられた儀礼的な詫びの言葉に、マーガレットはギリッとハンカチを噛み締めた。
ずるずるとその場にメルヴェルの細い身体がへたりこんだのは、そのすぐ後。
護るべき【主】もそれを害そうとした【敵】もいない、それで漸く身体の緊張が取れたのだろう。
騎士の殆どはこの事態の報告と収拾のために王宮へ向かったが、それでも数人は残って有事に備えてくれていた。
そのうちの一人がへたりこんだ彼女に手を差し伸べる。
「まさか身体をはって主を護るなんてな。もし騎士団が女子禁制じゃなかったらスカウトしてるところだよ」
「それはどうも、恐れ入ります」
「彼女の言ってた毒はどうなんだ?……って、怪我人に聞くのは酷かな?」
「いいえ。幸い護りの術式を組み込んだピアスをつけておりましたから、この程度で済みました。致死量には達していないはずですが、少し痺れます」
メルヴェルは銃を預けに行った際、それを好き放題弄り回してもいいという許可の代償に、護りの術式を組み込んだピアスを貰った。
それはたった一回、命の危険が迫った時に護ってくれるというものだ。
解毒効果まではないかもしれないが、毒が体内に回らないように薄める効果くらいは発してくれているのだろう。
「痺れる程度って表現もすごいよな。……おーい、ポール!手を貸してくれ」
「なんだよ。侍女さん一人を担ぐんならお前だけで充分だろ、レイン」
「俺一人じゃ誤解されるだろうが。お前は既婚者だし、ついでに愛妻家なのは知れ渡ってるから適任なんだよ。いいから手伝え」
「へいへい」
失礼しますね、とポールと呼ばれた男はメルヴェルを子供のようにひょいと抱えて立たせる。
レインと呼ばれた男も体格は悪くないが、ポールはそれ以上にがっちりとしていて見上げるほどに大きい。
メルヴェルと並べば、既婚者であるという情報を差し引いても大人と子供……父親と娘くらいにしか見えない。
彼自身まだ若いのだろうが、どっしりと貫禄のある雰囲気は【男】というよりはやはり【父】のそれだ。
とはいえ、メルヴェル自身は貫禄のある父親像を知らないため、あくまで一般的なという注釈がつくのだが。
両脇を体格の違う騎士に支えられ、どうにかメルヴェルは騎士団常駐の医師のもとへ連れて行かれた。
王宮内にも医務室はあるが、彼らのよく知った場所へ案内する方が早いと判断したためだろう。
「アレン先生、患者ですよ」
「そんなことは見ればわかる。診察するからお前らは出てけ」
騎士二人をあっさり追い返し、アレンと呼ばれた30代半ばほどの医師はメルヴェルの腕についた傷を手際よく診察した。
毒が塗ってあったと説明すると少し驚かれたが、溜息まじりに解毒剤を手渡され飲むようにと指示される。
診察に礼を言って帰ろうとしたメルヴェルはしかし
「嬢ちゃんは忠義に厚いんだか無謀なんだかわからんな。まぁ無理すんなよ」
ぽんと頭を軽く叩かれ、『他人の温かさ』に泣きそうになるのをぐっと堪えた。
レインやポール、そしてアレンから受けた優しさは、レティシアからの信頼を差し引けば初めてのことだった。