侍女さん、嫌がらせをされる
王太子への『アピールタイム』当日。
各々の持ち時間は15分、その間に己の得意分野を好きにアピールせよ、というのが王太子の命である。
分野は何であっても構わないらしく、刺繍や編み物のように形にして見せられるものから、ダンスや歌のように一発勝負の見せ物まで、ジャンルは令嬢サイドに選択を任されている。
尤も、王太子やその護衛に協力を依頼する類のものは当然禁止だ。
披露の順番は家柄が【下】の者から……つまり男爵令嬢の中で最も歴史の浅い家からと決まった。
公爵令嬢であるレティシアの順番は最後となる。
そういえば、とレティシアは朝食の時間を過ぎても戻ってこない腹心の侍女を思った。
この日は早くから準備が必要だと知っているはずなのだから、己の食事が済み次第即座に戻ってきてもおかしくないのだが。
(まぁ今日だから、かしら。メルに嫌がらせするなんて随分命知らずだこと)
これまで様々な嫌がらせを受けてきたが、その殆どはメルヴェルによって排除されるか阻止されるか丁重にお返しされるか、いずれの場合もターゲットであるレティシアに害は及んでいない。
彼女達はそれなら侍女をまず排してしまえと考えたようだ。
レティシアに言わせればその大前提がまず大間違いなのである。
地味に嫌がらせを続ける程度なら『危うきに近寄らず』とばかりにスルーできたものを、わざわざ寝た子を起こすかのように陰湿さを増してしまったため、令嬢達は揃って『蝶の襲撃』という思わぬ反撃を食らってしまった。
さすがにその時は凄まじい騒ぎになり、一時は後宮の入り口を護る騎士達が総出動し慌てふためく姫君達に困惑しきりだったという。
それもそうだろう、空から降り注いだ花に次いで現れた蝶が纏わりついて離れない、と言われても困惑するだけだ。
無理に払い落とそうとすれば羽や足がもげたりしてしまい、それにまた令嬢達は悲鳴を上げて逃げ惑う。
漸く令嬢全てを建物内に避難させ終わった頃には、令嬢はもとより騎士達すらも精神的に疲労困憊といった状態であったようだ。
何故花が降ってきたのかについては、令嬢の一人が言っていた『照れ屋の術士』という意見は当然却下され、風で花びらが舞い上がったのだろうと結論付けられて、この奇妙な事件はひっそり葬られた。
そんなことを思い出していると、「遅くなりました」とメルヴェルが入室してきた。
「さあ、遅れた言い訳をしてちょうだい。さぞや面白いお話を聞かせてくれるのでしょうね?」
「ご期待に沿えず申し訳御座いません。今日はドブネズミのスープを出され、腐りかけのフルーツで椅子を汚され、ワックス塗り立ての廊下を歩かされ、『ごめんあそばせ』と長い足を差し出され、零れた下水で靴を濡らされた程度です。レティシア様を楽しませて差し上げられる真新しい嫌がらせは御座いませんでした」
「あらそう。残念ね」
「はい、大変残念です」
この『残念』は、この程度の嫌がらせしか思いつかない令嬢付きの使用人達を指す。
異物入りのスープは食べなければ済む、おなかは満たされないが異物を食べるよりマシだ。
食べないのだから異臭を放つ椅子に座る必要もない。
転ぶのを想定された廊下の一角は不自然なほどに光っていて丸わかりだったのでそこを避けて通り、不意に伸ばされた足に気付いた時点でメルはさりげなく方向転換し、逆に軽くその足を引っ掛けてやった。
その下女が転んだ反動で床に零れ落ちた下水で靴が僅かに汚れた、というのが被害らしい被害だろうか。
後宮内で働く下女は2年前に急遽募集されたらしいので、恐らくどこかの家から派遣されたのだろうと予測できる。
では早速準備を、とメルに手伝わせ着替えを終えた頃、部屋の扉が慇懃にコンコンとノックされた。
扉の前に立っていたのは、これまで『王太子殿下の名代』として何度か後宮に使いに来たことのある白髪交じりの男性 ──── 王太子がまだ王子だった頃教育係を務めた前宰相だった。
メルが身体を横にずらし、部屋が見えるようにして目上の者に対する45度の礼をとると、彼は満足げにうむと頷く。
(侍女は合格点、ってところかしら?)
いくら最終判断が王太子に委ねられているとしても、こうして引退したはずの前宰相が各部屋を回っているということは、彼の見た令嬢及びその侍女という評価も当然王太子に報告されるのだろう。
王太子にだけ媚び諂えばそれでいいというわけではない……当たり前だが。
7歳まで男同然に育てられたメルヴェルは、公爵家に侍女として奉公し始めた頃から徹底的に礼儀作法を叩き込まれた。
それこそ、いかに具合が悪かろうと寝起きだろうとリラックス中だろうと、『他人』の気配を感じたら脊髄反射で【侍女モード】が発動するレベルである。
元々剣技を中心に鍛えられていたこともあり、身のこなしもスマートで歩く姿も隙がない。
欠点があるとすれば、女性らしさが殆ど見当たらないことだろうか。
こればかりは本人の意識次第かもしれない。
「アスコット公爵令嬢レティシア殿、王太子殿下へのお目通りの準備はお済みですかな?」
「はい、終わっております」
「結構。では後宮の入り口にある大広間へおいでください。先のご令嬢の番が終わるまでは決して中に入られぬよう。見届け役は殿下と近衛騎士一人、評価は殿下ご自身が下されます。宜しいですか?」
「承知致しました」
『アピールタイム』と軽く呼ばれていても、これは王太子妃を決めるための【試験】である。
『得意なものの披露』というお題をいかにこなすか、それを王太子殿下によって審査される。
そして、他の候補者が何を披露したかは明かされず、居並ぶ令嬢達は結果を待つのみ。
結果がもたらされるまで後宮内にはさぞかし疑心暗鬼の思いがぐるぐると渦巻いているに違いない。
いよいよ、とレティシアは小さく呟いた。
前宰相は退出した後であり、その声を拾えたのはメルヴェルただ一人。
有能な侍女は「はい」と小さくそれに応えた。
「聞いた話ですと、フリージア様は独唱をされるそうですよ」
「そうね、彼女の声なら舞台に立てるほどだと以前専門家に絶賛されたらしいし……いくら勝ち負けの問題ではないとしても、気は抜けないということかしら」
「はい。全力で挑まれるがよろしいかと存じます」
そうねと応じて、レティシアは手を差し出した。
今彼女が着ている服は普段のドレス以上に動き難く、さすがに誰かの手を借りなければ立ったり座ったりは難しい。
東方の島国に伝わる伝統的衣装の【キモノ】という服は、コルセットのかわりに帯を締めヒールのかわりに【ゲタ】という履物を履く。
メルの手を借りて立ち上がった彼女は、背筋を伸ばし前を向いて「行きましょうか」と軽く微笑んだ。
【キモノ】に合わせて結い上げた金の髪は白い首筋を艶っぽく見せ、ちらりと覗く鎖骨が凛とした雰囲気の中において真逆に色めいて見える。
カタカタと大理石の床を鳴らして歩くレティシアの視界に、どうやら持ち時間を終えたらしいドレス姿の女性が映った。
同時にその女性もレティシアを視界に入れたらしく、その口の端がきゅっと笑みの形につり上がる。
それは微笑みと呼ぶには敵意を多く含みすぎており、しかしその堂々たる態度や派手目の顔立ちに似合っていて、それはそれで充分に彼女の美しさを引き立てている。
「レティシア様、ごきげんよう。同じ後宮内におりますのに、随分とお久しぶりな気がいたしますわね」
「ごきげんよう、フリージア様。先日はせっかくのお誘いを欠席してしまって申し訳なかったと反省しておりますの。『次回』があれば是非参加させていただきたいわ。また誘ってくださいませね」
『次回があれば』というのは、当然嫌味である。
王太子が全員に不合格の評価を下すなら話は別だが、順当にいくならこの【試験】において王太子妃が決まる。
それに伴い後宮が解散するか否かの判断は王太子次第としても、どんな形になるにしろこれまでのように令嬢達を集めてのんびりお茶会という機会はそうそう巡ってこないだろう。
あるとすれば、王太子妃主催のお茶会という形で、貴族の夫人達や令嬢達を誘うという形になるだろうか。
それを踏まえた上での『次回があれば』という言葉に、フリージアの笑みが益々濃くなった。
まるで勝利を確信した者のそれである。
「ええ。『次回』は是非いらっしゃって。もしかすると素敵な贈り物があるかもしれませんわよ?」
「あら、それは楽しみですわ」
侯爵令嬢、フリージア・S・ウィード。
赤味かかった金色の髪という自慢の髪をくるりと緩く巻いて背に垂らし、その髪のイメージに違わない明るい色のドレスをいつも身に纏っているフリージアは、凛とした印象のレティシアと比べると大人の色気と言う点において大変魅力的だ。
そんな彼女は今年20歳。
社交界における適齢期が16歳であることからしても、そろそろ売れ残りと呼ばれ始める年齢である。
彼女はこの後宮に来る前に何人もの求婚者を退け、自ら進んで名乗りを上げたのだと聞く。
そういった背景や年齢的なもの、彼女自身の想いや意地などもあって、ここは何としても帰らされるわけにはいかない、と意気込んでいるようだ。
彼女は言わずもがな、前回あの悪夢のような茶会を主催した……そして妃候補筆頭であるレティシアに『花の詰め合わせ』を手配した張本人の一人である。
ああいった形で反撃されたことを内心悔しく思っていたのだろう、せめて一言と放った嫌味はやんわりとした同種の笑みに受け止められた。
豪奢な真紅のドレスの端を侍女に持たせ、レティシアが歩く分フリージアもゆっくりと近づいてくる。
「あら、そのお召し物は確か東の島国……倭国の姫君が身につける民族衣装でしたわね?ドレスとはまた違った意味で体の線が出るもののようですけれど……レティシア様は着こなしがお上手ね」
言い回しは多少もったいぶっているが、上手く体形を隠したわねと嘲っているに過ぎない。
断じてレティシアの体形が貧弱なわけではない、ただフリージアがその上を行く『出るところは出てくびれるところは完璧』な体形であるだけだ。
「艶っぽく髪を結い上げて、殿下を誘惑なさるおつもりかしら?」
「フリージア様は『箱入り娘』ですもの、ご存じないのも無理はありませんわね。【キモノ】を着る際にはこうして結い上げるのが一般的なようですわ。それを誘惑だなんて……ふふっ、面白い冗談ですのね」
言葉遣いは丁寧だが言ってることはかなりえげつない。
そんなことも知らないの、と嘲られているのだ。
普段の感情的な彼女なら怒り出していても不思議ではないほどの嫌味だったが、先程のアピールで余程自信をつけたのかどうにか笑みを崩さない程度に理性を保てたようだ。
形のいい顎をツンと逸らし、精々足掻いてらっしゃいなと言わんばかりの態度で彼女は再び歩き出した。
その背が完全に見えなくなってから、レティシアも前を向いて広間へと再び歩き出す。
「珍しいわね。フリージア様があれ程理性的な方だとは思っていなかったわ。余程首尾よくアピールできたのでしょうね」
「……もしくは、アピールできたと思い込んでおられるのかもしれません」
「そうね。油断せずに行きましょう」
「かしこまりました」
フリージアは元々自信家な面はあるが、彼女とていち候補者に過ぎない。
揺るぎのない自信があるならレティシア相手にも嫌がらせなどという手段に出ることもなく、他の令嬢が焦り騒ぐのを傍観していただろう。
だが彼女も嫌がらせに加わっていた、更に先程自信をうかがわせながらも嫌味をぶつけてきたことからすると、彼女とて王太子妃になれるという確固たる自信はきっとない。
(なのにあの余裕の態度……半分は虚勢だとしても、もう半分は……怪しいわ)
怪しいのはフリージアではない。
この後待ち受けている王太子の【試験】は、ただ特技をアピールするだけでは終わらないような気がする。
嫌な予感に警戒心を抱きつつ、レティシアは眼前に迫った大きな扉の前で深く息を吸い、静かに吐き出すことで気持ちを落ち着けた。