侍女さん、祝福される
最終話です。
アウディ侯爵令嬢メルヴェルとフェリシア侯爵令息クロードの結婚式は、当人達の強い希望により身内だけの質素なものとすることになった。
本来なら侯爵家同士の婚姻であるからには豪華絢爛とまではいかずとも、権威を象徴するかのようなきらびやかな式を行うのが普通である。
だがそこは当人同士の意思を尊重し、その家族達もそれに同意した。
何より、彼らが招待したい知人には貴族位にない者も含まれていたし、逆に高位すぎて公には招待できない相手もいる。
それならば吊り合いを取るために双方ともに招待せずに家族だけで済ませ、式が終わってから改めて個々に報告を兼ねて祝ってもらおう、と考えたわけだ。
それに加え、クロードのファンクラブなる非公認の集まりが何を仕掛けてくるかもわからない。
せっかくの結婚式だ、その幸せな場を壊されるのは当人のみならず身内全員も望んではいないのだから。
「メル、お祝いが届いているわよ。えーっと、これはアスコット公爵様から。これはグラディウス様、こちらはヴィルフリート様、これがニコラス様、それからアレン先生、レイン様……」
養子縁組により義母となったトレーズの妻セラスティアが、メルヴェルの目の前で次々と祝いの品を開けていく。
レティシアの生家でありメルヴェルを侍女として育ててくれたアスコット公爵、娘のようだと言ってくれたアレンやグラディウス、そしてヴィルフリートやニコラスからも届いているが、騎士団長達のものはむしろメルヴェルの義父であるトレーズの付き合い絡みだろう。
そして、張り切って式に参列してくれるレインからの贈り物の中には、恐らくサクラからだろうと思われる異国情緒溢れる包みまで同封されてある。
そして、贈り物の中には王太子妃レティシアからのものもあった。
『てっきり結婚したら辞職するものだと思って覚悟していたのだけど……続けてもらえるのは、正直嬉しいわ。でもあまり無理はしないで頂戴ね』
立場上式には出られないからと、レティシアは少し悔しそうにしながらそれでも本当に嬉しそうに祝ってくれた。
メルヴェルが生家の誰からも愛されずに育ち、【家族】というものに縁遠かったことを誰より何より知っているレティシアにとって、この結婚は我が事のように……もしかするとそれ以上に嬉しい知らせであった。
彼女自身やきもきして裏から何度手を回そうかと画策したこともあり、やっと纏まってくれたかという安堵も含めて、である。
本来、嫁入りであれば先方の家のしきたりを覚えたり【女主人】としての作法を学んだりと忙しく、とても侍女の仕事を続けるわけにはいかなくなるのだが……メルが養子入りした先は跡継ぎがなく、故に侯爵家の嫡男であったクロードが正式に弟に継承権を譲って婿入りという形で、アウディ侯爵家の跡取り教育を受けることとなっている。
とはいえ、当主であるトレーズは未だ現役。
女主人であるセラスティアも病弱なところはあるが、家の中を取り仕切ることに何の不安もない。
『侍女のお仕事は続けたらいいわ。貴方の生きがいなのだもの……子供ができるまでは続けて頂戴』
と、条件つきではあったがそう言われたことで、彼女は既婚者となってからもこれまで通りレティシア付きの侍女でいられることとなった。
【女主人】であり侯爵夫人としての教育は、養子入り先である義実家に慣れる意味合いも含めてゆっくりと、ということのようだ。
辞職はひとまずなくなったものの、幼い頃からずっと一緒に育った侍女が結婚するその祝いにと、レティシアからはドレスに合わせたヴェールを贈られた。
殆どが既製品であるものの、最後の仕上げにと数箇所だけ彼女自身が刺繍を施してくれたらしい。
王太子妃の刺繍入りヴェールというだけでも、簡素な式を盛り上げるにはうってつけだ。
その他、花嫁のブーケを作ってくれたのは後宮の庭師をしていたオル・セレスト……レティシアがまだ妃候補だった時期に、彼女にほのかな想いを抱いていた青年である。
ドレスは、メルヴェルの強い希望によりセラスティアの着たものを手直しして着る事になった。
トレーズは仕立て直したらどうかと提案したのだが、母から譲られたドレスを着るというのが家族の証のような気がするから、と少々照れながら言った義理の娘に不覚にもノックアウトされてしまい、何も言えなくなってしまった。
当然セラスティアは大喜びである。
大体の箱を開け終わった頃、トレーズはパンパンと手を叩いて使用人を呼び、山積みだった箱を全て片付けさせた。
「さあ奥さん、明日も早いんだからそろそろお休み。よりにもよって娘の結婚式当日に熱を出しては大変だ」
「あら、そんなことを仰って実は貴方が娘を独占したいだけじゃないのかしら?」
「昼間はずっと君が独占していただろう?夜、このひと時だけでも譲ってはくれないか」
この会話だけなら愛娘を取り合いしている夫婦と取れなくもないが、実際この夫婦の間にはにわか家族であるメルヴェルが割り込む隙などないほどだ。
トレーズはメルヴェルに話がある、そこにセラスティアはいない方がいいと考えた……その程度のことは、既にこの妻はお見通しだということだ。
セラスティアが病弱であるのは事実であるから、半分は本気で心配しているのだろうが。
妻を部屋に送り届けた後、トレーズは居間に戻ってきてメルヴェルの正面に座った。
その顔は漸く慣れてきた親のそれではなく、厳しさを孕んだ騎士団長のそれだ。
「……君は明日、フェリシア家の子息と婚姻を結ぶ。そうすれば【メルヴェル・C・アウディ】ではなく【メルヴェル・F・アウディ】だ。この意味がわかるね?」
「クレスタ家とは完全に縁が切れるということでしょうか」
「その通り。これまでの君はクレスタ家に有事の際は少なからず影響を受ける立場だった。だが今後はアウディ家の娘であり、フェリシア家には嫁にあたるという関係性だけが残り、生家のクレスタ子爵家とは関わりがなくなる」
メルヴェルは元々ミドルネームを持たない家の出だ。
それ故、養子入りしたとはいえ彼女はミドルネームに生家の姓を持ち、薄いながらも繋がりを残してきた。
彼女自身は婿取りでこれ以上苗字が変わることはないが、それでも婿側の姓を妻のミドルネームとするのが一般的であるからか、明日をもって彼女のミドルネームは生家の【クレスタ】から夫の旧姓【フェリシア】へと変わる。
そこで漸く、メルヴェルとクレスタ家の縁は切れる。
いくら血の繋がりがあるとはいえ、いずれ侯爵夫人になるだろう彼女に格下の子爵家から連絡をしたり、何かを働きかけることができなくなるのだ。
口悪く言うなら、もし日々を暮らす金銭に困っても【元娘】にせびることはできない、ということだ。
(クレスタとの関わりがなくなる……私がずっと捨てられなかったものが、こんなに簡単に)
喜ばしいのか、それとも僅かでも寂しいのかわからない。
ただ彼女を占めるのは、やっと開放されるのかという安堵にも似た思いだけだ。
それでも彼女は知りたかった。
「トレーズ様」
「ん、なんだい?」
「あの試験が行われた時、クレスタ子爵が騒動を起こしました。そのことについて、何かお咎めがあったのでしょうか?」
「気になるかい?」
静かな問いかけに、彼女も静かに頷いた。
いくら阻害されて育ったとはいえ、生家のことが気にならないわけがない。
あれだけ貶され憎まれた父に引導を渡す際でも哀しくて涙してしまったのだ、いくら縁が切れることに安堵していたとしても今後どうなるか気にならないと言えば嘘になる。
そんな見え透いた嘘はつきたくはなかった。
それに、わざわざトレーズが彼女だけを残し、クレスタと縁が切れると強調したのは意味があるはずだ。
彼は相変わらずの凪いだ表情で、「やはり聡いね」とひとつ頷いた。
「根っこにあったのが娘との確執という個人的なものであったとしても、彼は王城の敷地内で罵声を浴びせ、暴力を振るった。そしてそれを何人もの騎士が目撃している。しかも……既に自分の娘ではない者を相手に、だ。それは決して、許されることではない」
「…………」
「クレスタ子爵は、爵位を取り上げた上で強制的に隠遁を命じられた。使用人は全て解雇、今後は王宮から派遣された見届け人が領地を管理することになり、恐らくそのまま表舞台に戻ってくることはもうないだろう」
それは、あの贅沢に慣れた子爵には最悪の罰だと言って良かった。
まだ国外追放というだけなら、見知らぬ土地で苦労を強いられつつも好き放題できる、という未来があったかもしれないのだが、よりにもよって厳しい監視つきで隠遁生活を送らされることになるとは。
彼は今後、贅沢ができない。
好き放題我侭が言えない。
気分のままに暴力も振るえない。
誰かに当り散らすこともできない。
このクズが、平民の分際で、と見下すこともできない。
何しろ自分自身が爵位を取り上げられ、尚且つ逐一管理されるという平民以下の生活を強いられるのだから。
そうして彼は、このままなら立派に成長するだろう息子が爵位を継ぐのを、指をくわえて眺めているしかできない。
その爵位の恩恵にあずかることなどできないのだと、思い知らされながら。
「まぁ、あの『ゲスの極み親父』には相応しい処分だと、私はそう思うがね」
晴れ晴れとしたいい笑顔で「内緒だよ」と付け加える、そんな義父のお茶目な一面に義娘になったばかりでまだ日が浅いメルヴェルは、困ったように笑うしか出来なかった。
翌日、気持ちいいほどに晴れ渡った空の下、メルヴェルとクロード二人の結婚式が執り行われた。
義母セラスティアのお古とは思えないほど清楚で流行に囚われない純白のドレス、レティシアからの心が篭ったレースのヴェール、アスコット公爵から贈られた靴、レインから贈られた瞳の色と同色のピアス、薄い青のレースで編まれたサクラから贈られたリボン、そして心づくしのブーケ。
祝福の品を身につけた花嫁は、近衛騎士の正装に身を包んだ花婿の腕に寄り添いゆっくりと赤絨毯の上を歩いていく。
その姿は、騎士見習いの格好をして剣を振り回している彼女からは想像がつかないほどにたおやかで、女性らしい。
特定の神を信仰しているわけではないこの国では、神父のかわりに立会い人が式を執り行う。
今回の場合、王太子専属近衛騎士と王太子妃専属侍女の結婚とあって、立会いは騎士団長であるヴィルフリートが買って出てくれた。
居並ぶ面々もほぼ身内ばかりとあって、式は和やかに進んでいく。
誓いの言葉を述べ、結婚誓約書に二人揃ってサインを済ませれば婚姻成立だ。
「ではここに、クロード・L・アウディ並びにメルヴェル・F・アウディの婚姻成立を認める」
ヴィルフリートが高らかに宣言し、場はわぁっと湧きかえった。
「と、ここで誓いの口付けを……と言うところだが。そういうのは後でやれ。独り身の前でいちゃつくな。以上」
「ヴィル、それはちょっと大人気ないんじゃないか?」
「うるさい。俺が立会い人である以上、ルールには従ってもらう。以上と言ったら以上だ。解散」
「……解散って……」
うちの娘の結婚でそれはないだろうと仏頂面になるトレーズを、まぁまぁとニコラスが宥める。
グラディウスは終始ニヤニヤと新郎新婦を見比べており、あえて口を挟もうとはしない。
と、多少の行き違いはあったものの式は無事終わり、後は式場の外に出てお披露目をするだけとなった。
式自体は身内だけで行ったが、外にはメルヴェルの侍女仲間達やクロードやレインの同僚達などが揃って今か今かと待っている。
彼らの前で晒し者になるのが本日最後の羞恥イベントである。
先に列席していた面々が外に出て、主役二人は最後に揃って出ることになっている。
ぽつんとその場に残された二人は、ふと顔を見合わせた。
「あれは持ってきているのか?」
「ええ、一応。キサラギさんの意図がどこにあるか、まだわからないんですが……約束ですから」
「そうだな、最高の術士の祝福だ。悪いものであるはずがない」
この式の数時間前、突然控え室に現れたキサラギは人払いをした上でメルヴェルとクロードという二人の常連客に『祝いだ』と大小二つの箱を手渡した。
大きな箱には家内安全に効果があるという守り札をはじめ、侵入者避け、病避け、夫婦円満に子宝祈願という札まであって、まるで守り札の福袋かと言いたくなるような品揃えが詰め込まれてあった。
そして小さな箱の中に入っていたのは、たった一発分の銃弾。
中身は何かと訊ねても、彼は約束の品だと言うだけで結局答えは貰えなかった。
『君の嫁入りの際は、最高の祝福をこめた品を贈ろう』
彼は以前、そう言っていた。
予定が決まったら教えてくれとも言われていたので、メルヴェルは律儀に式の予定を彼に伝えた。
その結果がこれだ。
彼が最高の祝福だと言うなら、その銃弾には何らかの術式が込められているに違いない。
ただ飾りで持っていてもいいが、そういう意図なら何も銃弾にする必要はないのだ。
つまり、使えと仄めかされたのだ、と彼女はそう解釈した。
「そろそろ行こう」
「はい」
彼女は彼の腕に手を絡ませ、既に歓声で沸き返っている外に向かって歩き出した。
片手にそっと、銃を忍ばせて。
扉をそっと押すと、心得たとばかりに外側からゆっくりと開き、知った顔や知らない顔まで並んだ観客が視界一杯に飛び込んできた。
どうやら騒ぎを聞きつけた城下町の人々も足を止め、祝福の輪に加わってくれているらしい。
扉の前に立ち止まり、祝福を受ける新郎新婦。
ややあって新郎がそっと新婦に顔を近づけ、何事かを耳打ちする。
新婦は少しだけ考え込んでから頷き、手に持っていたブーケを斜め上方へ放り投げた。
(ああ、こんなことが前にもあった)
あれはレティシアがまだ妃候補で、他の候補達に陰湿な嫌がらせを受けていた頃。
その時届けられた花の詰め合わせを、メルヴェルはこうして宙に放り投げ
そして隠し持っていた銃でその箱を打ち抜き、周囲に花の雨を降らせたのだ。
今もまた、彼女は片手に隠し持っていた銃を取り出すと、青年が心を込めて作ってくれた薔薇のブーケをキサラギが『最高の祝福を』と贈ってくれた銃弾で打ち抜いた。
パァンと乾いた音と共にブーケは空中で弾け跳び、無数の薔薇の花びらが観客の、そして新郎新婦の頭の上に降り注ぐ。
そして【祝福の弾丸】からは薄っすらと霧状の気体が生まれ、そしてそれは陽の光を受けてキラキラと虹色に輝いた。
それはまるで、純白の花びらが虹色に染まったかのような夢のように美しい光景。
観客達はわぁっと沸き返り、どこか恍惚とした表情でその光景を、そして新郎新婦を見つめている。
だがメルヴェルは、そしてクロードは気づいていた。
うっとりとした表情の観客に混じって、酷く顔色の悪い何人かの妙齢の女性がそそくさと足早にその場を立ち去ったことに。
ああきっと、とメルヴェルはあのキサラギの【祝福】の本当の意味を悟り、そういえばそういう人でしたねと内心苦笑した。
彼のあの【祝福】は、その心に嘘偽りのない喜びの気持ちがあればその者をも祝福し、もし憎悪や敵意を持つ者がいたらそれを呪いに転じて悪夢を見せる、という実にキサラギらしいスパイスを効かせた術であったらしい。
恐らく彼女達はただ見届けにきたというだけではないはずだ、幸せの絶頂でそれを壊してやろうと画策していた者もいたかもしれない。
ならば、彼女達自身が傷を作ることにならなかったということも含めて、これは【最高の祝福】となったのだろう。
「メル」
「はい」
見せ付けてやろうか、と重なった唇。
偶然なのか必然だったのか、突如ふわりと風に乗って流れを変えた霧が寄り添う新郎新婦を包み込むように纏わりつき、二人の口付けを幻想的に彩った。
これにて本編は終了となります。
ここまでお付き合いくださいまして、ありがとうございました。
展開には賛否両論色々あると思われますが、二人のこれからを祝福していただけたらと思います。




