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侍女さん、お茶会を彩る

 

 侍女の朝は早い。

 ついている主にもよるが、少なくとも主が起きる前には起床し準備を済ませ終わっているのが普通だ。

 この後宮の住人のように普段外に出ない主の場合、その評価は侍女次第である。

 故にダラダラしていれば主がそれだけだらしないと見下され、ツンケンしていれば主の気位も高いと遠巻きにされてしまう。


 メルヴェル自身は己の家族に受けた仕打ちもあって人間不信の傾向があるが、お嬢様に恥をかかせまいと最低限必要な愛想と最上級の礼儀作法は身につけている。

 勿論、後宮住まいの誰よりも朝は早く、散歩と称して周囲を警戒する余裕すらあった。




「あ、公爵令嬢様の侍女さん。おはようございます」

「おはようございます、庭師さん」


 麦藁帽子をとってペコリとお辞儀する庭師の青年に、メルも立ち止まり15度の会釈を返す。

 これは彼が使用人だからであり、同じ侍女なら立ち止まらずに会釈のみ、侍女長なら立ち止まって30度の礼、騎士や他の後宮の姫君相手なら深々と45度の礼、万が一王族に会ってしまった場合は跪いて頭を垂れるというのが一般的である。


(セレスト村出身のオル・セレスト、24歳。両親は農民、趣味は薔薇の品種改良。特記事項、レティシア様に片思い中、と)


 どうでもいい相手のことは全く気にしないが、ちらりとでもレティシアが絡むとメルは徹底的にその相手のことを調べつくす。

 この庭師の青年はまだレティシアが後宮に来た当初、庭を散歩中に出会って以来

『今日は綺麗な薔薇が咲きました』だの

『今の時期はカーネーションが美しいんですよ』だの

 メルの姿を見るたびに、お嬢様へと花を託してくる。

 別に求愛しているわけではなし、部屋に花があるのはいいことだとレティシアも笑うので、メルはありがたく貰って花瓶に生けている。


 他の令嬢の場合、庭師如きがとまるで虫けらを見るように蔑むかもしれない。

 しかし、メルに言わせれば『うちのお嬢様は愛されて当然』なのだ。

 ここに来た以上王太子殿下に愛されるのが目的だが、他の男性がレティシアに惹かれるのは花の蜜に虫が集うのと原理は同じだと思っている。

 要は、それが『遠くから愛でる』で済んでいれば何ら問題はないわけだ。



 この庭師もそうだが、そんな彼らからすると金の髪の麗しい令嬢の忠実な侍女である黒髪碧眼のメルヴェルは、愛しい令嬢に通じる橋である。

 故に、彼らは彼女を『公爵令嬢の侍女さん』と呼ぶ。

 それに習い、彼女もまた彼らのことを名前では決して呼ばない。


「今日は百合が綺麗ですよ」

「百合ですか……先日いただいた品種は少々香りが強かったのですが、もう少し優しい香りのものはありますか?」

「それは気が付かずすみません。でしたらこちらの白百合はどうでしょうか?」

「ありがとうございます、いただいてよろしいですか?」


 勿論です!と意気込んでいい状態のものを選り分けている庭師を廊下から眺め、恋というのは麻薬なのかなとメルはぼんやりとそんなことを思った。

 彼女自身、恋の経験はない。

 公爵家で行儀見習いしている頃にレティシアお勧めの恋愛小説を読まされたことがあったが、最初数ページで挫折してしまったほどだ。



『メルの場合、まずその人間不信をどうにかしないとね』



 レティシアはそう言って無理はしないようにとフォローしてくれた。


(恋なんて、しなくても生きていける。私はレティシア様がお幸せならそれでいい)




「出来ました!……あれ、侍女さんどうかしましたか?」

「……なんでもありません。確かにお預かりいたします。何かお伝えすることはありますか?」

「え、その、でしたら、お嬢様に『応援しています』とお伝えいただけますか?」


『応援』というのは、間近に迫った王太子殿下へのアピールタイムのことだろう。

 もし選ばれてしまえば彼の恋は終わってしまうのに、彼は応援すると笑顔でそう言った。

 それが彼の恋の形なら、それはそれでありなのかもしれない。

 身分違いを気にして鬱鬱うつうつとしていられるより余程前向きだ。


 メルは束ねた百合を腕に抱え、


「承知致しました」


 と、優雅に一礼して見せた。





「おはようございます、レティシア様。今日は百合をいただいて参りました」

「おはよう、メル。うん、今日は強すぎない優しい香りね。生けてちょうだい」

「畏まりました」


 と花瓶を持って行こうとしたその時、コンコンと控えめにノックの音が響いた。


 朝食は既に済んでいるし、お茶の担当者は先日『自己都合により』後宮を辞している。

 誰かが訪問するという前触れもなく、このノックの主に心当たりは全くない。

 警戒しつつもメルヴェルは一旦花瓶と百合の花を棚の上に置き、扉の横に控えた。

 それを待って、レティシアは誰何すいかの声をかける。


「朝早くに失礼致します。ウィード侯爵令嬢フリージア様の使いで参りました」


 ウィード侯爵令嬢フリージアは、この後宮にいる妃候補の一人のことである。

 家柄は公爵家令嬢であるレティシアに次いで良く、先代国王の妹が降嫁したこともあり王宮内での発言力もある家だ。

 その令嬢フリージアは今年20歳になる。

 彼女の父は前々から目の上のこぶであるアスコット公爵家を疎ましく思っており、その娘であるフリージアもまた二歳違いのレティシアに勝手にライバル心を抱いていた。



 そんな因縁の相手が何故わざわざ使者をたててきたか、それはこの日行われる『お茶会』にレティシアが欠席の返事を出したからだろうと彼女は予想している。


 いくら付き合いたくない相手だとはいえ、公式に茶会の誘いがあれば参加しないのは失礼にあたる。

 レティシアもそれは充分にわかっているし、これまでは事前に知らされた茶会には必ず参加していたのだが、今回は久しぶりに姉が訪ねてきてくれることになっており、残念だが参加できないと先日返答したばかりだ。




 ともかく、侯爵令嬢の使いだというなら開けないわけにはいかない。

 ゆっくりと開かれた扉の前に立っていたのは、大事そうに小箱を抱えた小柄な侍女だった。

 メルヴェルの記憶にも、その侍女がフリージア付きであることは刻まれている。


「フリージア様より、公爵令嬢レティシア様へお渡しするように申し付かって参りました」

「ご苦労様。でもいったいどうしたのかしら……フリージア様から私へ贈り物だなんて」

「本日のお茶会をご欠席されるレティシア様に、せめて雰囲気だけでも楽しんでいただきたいと主は申しておりましたが」

「……そう。お気遣いありがたくちょうだい致しますわ、と伝えて。どうもありがとう」


 侍女の手前『気遣い』という言葉を使ったが、これが嫌味であることは明白である。

 フリージアはレティシアの面会の予定を知った上で茶会を同じ日にぶつけ、レティシアが欠席するのを見越してこの『贈り物』を用意したのだ。


 差出人不明の贈り物なら以前にもゴミの詰め合わせ、生きた虫を忍ばせたお菓子、悪臭を放つ草花など、子供レベルの嫌がらせの品が届けられている。

 しかし名前を名乗ったとなると話は違う。

 誰か他の候補者が騙るには、侯爵令嬢の肩書きはあまりに大きくリスクが高い。

 侍女の単独行動だとも考えられるが、ここは素直にフリージアからの嫌味であると考える方がすんなり納得がいく。




「それで?箱の中身はなにかしら。蛇のオモチャ、こけおどしの音花火、食べ終わった後のゴミの詰め合わせ?」

「フリージア様はもう小さなお子様ではありませんので、きちんと大人の贈り物をご用意されたようですね。中身は色とりどりの花の詰め合わせです」

「あらあら……庭園から集めたのかしら。今頃庭師の青年は泣いているわね」

「レティシア様への贈り物として集められたのなら、あの庭師さんも本望でしょう」


 それが好意による贈り物であるなら、と注釈はつくが。


 メルヴェルは箱を慎重に開け、ふわりと香る不思議な匂いに記憶を探るように眉根を寄せた。

 日課として毎日庭の横を通り過ぎているが、こんな香りの花は果たしてあっただろうかと考えてみるがどうにも思い出せない。

 だがいつかどこかでこの香りを嗅いだことがある。

 今朝、昨日、一昨日、と記憶を遡ってみて漸く、彼女はその香りの何がそこまで引っかかったのか思い出した。


(そうだ、これはアイシス男爵令嬢付きの侍女が纏っていた『アレ』だ)


 もしそうなら、これは何と手の込んだ嫌がらせであることか。

 あえてこの日にこの贈り物をぶつけてくる、それが意味するものはレティシア個人に対する嫉妬だけでは到底済まない。

 これはアスコット公爵家へ喧嘩を売ったと取られかねない危険な行為であるが、もし引き起こされるだろう事態について責任を追及しても、贈った当人及び侯爵家は『知らなかった』『言いがかりだ』と言い逃れすることもできる。

 その稚拙な罠を用意したもう一人の立役者であるアイシス男爵令嬢も同様に、『何かの間違いでは?』と否定されればそれ以上は追求することもできない。

 なにしろこれには因果関係を証明することもできなければ、明確な証拠もないのだ。




「いかがいたしますか?」

「そうねぇ……」


 メルヴェルの表情から、この小箱の中身が単なる【綺麗な花】ではないことに気づいたのだろう。

 レティシアは、いなくなったお茶係の代わりに彼女が満足できるレベルのお茶を淹れた腹心の侍女に意味深な眼差しを向けた。

 察してちょうだい、と言いたげなそれに一礼し、メルは箱を手に部屋を出る。


 足を向けたのは、現在進行形でお茶会準備中の庭園。

 準備に忙しいのは厳選された数人の侍女のみで、既に集まっている令嬢達は持ち寄った菓子をつまみながら談笑している。

 おおかた、相手の腹を探りながらアピールタイムで何をするつもりか聞き出そうという目的があるのだろう。


(あの贈り物は侯爵令嬢の名で贈られた。でも中身を用意したのは恐らく男爵令嬢……ということは)


 令嬢全てが敵とは言い切れないまでも、少なくとも二人は【黒】である。

 そしてその他の名もなき嫌がらせの品の数々は、他の令嬢達が行ったと考えてほぼ間違いない。

【黒】とは断定できないが、彼女達は【黒】に近い【灰色】だろう。



 メルヴェルは茶会が開かれる薔薇園の付近に庭師の青年や罪のない使用人がいないことをまず確認した。

 いても令嬢達が来る時点で遠ざけられているはずなのだが、念のためだ。

 後宮を外から警護している騎士の姿は見た限りない。

 彼らは無論この茶会のことは聞いているだろうし、遠巻きに監視はついているはずだが近くにはいないようなので『被害』にあうこともないだろう。



『加害者』以外いないことを確認すると、彼女はスカートの内側に仕舞ってある銃を取り出した。

 6年前は両手で包んでやっとの大きさだったその銃は、今では片手の大きさに少し余るかなという程度である。


 彼女はまず手にした小箱を弧を描くように庭の中央へ向けて高く放り投げると、

 次いで、トリガーを引いた。


 とある職人によってかけられた消音の魔術のお陰で音もなく弾が発射される。

 弾丸は宙に浮かんでいた箱に命中、箱は空中で無残に弾け跳んだ。


 


「あら?」

「まぁ……」

「空から花びらが降ってくるわ。なんて美しいの……どなたか風の魔術の使い手でもいらっしゃるのかしら?」

「見たところ術士の姿はないようですわね。でもそうですわ、どなたかに懸想された照れ屋さんな殿方が贈り物をしてくださったのではなくて?」


 空から花が降ってくるという異常事態に対し、頭が陽気なお嬢様達はキャッキャウフフと楽しそうだ。

 しかし『照れ屋な術士からの贈り物』とはさすがに妄想甚だしい。


 事態がここで終わっていたなら、ああよくわからないけど綺麗だなで済んでいたはずだ。

 だが、嬉しそうにはしゃぐ令嬢達の中で一人顔色の優れない茶髪の少女が不安そうに空の向こうを見やったそのタイミングで、次なる『異変』は訪れた。


「まぁ皆さん、あちらをご覧になって。綺麗な蝶がこちらへ飛んでくるようですわよ」

「それにしても随分と多いこと。あの蝶、群れを成す性質だったかしら?」

「ひっ、」

「どうなさったの?ええと……確かマーガレット様、でしたわね?」


 ガタンと耐え切れなくなったかのように椅子から立ち上がるマーガレットに、令嬢達のきょとんとした視線が集まる。

 が、そんなことなど目に入っていないかのようにくるりと方向転換し、建物内に駆け込もうとしたマーガレットはしかし、ひらりと目の前に飛んできた色鮮やかな蝶に怯えたように足を止めた。



 蝶は次々と飛来し、最初こそひらひらと令嬢達の周囲を飛ぶだけだったが、次第に何かに引き寄せられるかのようにそのドレスや肩先、綺麗に結い上げた髪の上、腕や頬にまで止まり始めた。

 ここまでくると令嬢達も『綺麗』と暢気なことを言っていられず、大声で侍女を呼んだり遠巻きにする騎士に助けを求めたり、と徐々に騒ぎは大きくなっていった。

 とても『アピールタイム対策』として他者の傾向を聞き出すどころではないだろう。




 実はあの花の香りは極めて特殊である。

 花自体はそう珍しくもないのだが、何故かこの時期にだけ見られる特定の種類の蝶がその満開の花の香りに引き付けられるのだ。

 メルヴェルは偶然すれ違った侍女がその香りを纏っていたこと、庭先を通り掛ったその侍女が何羽もの蝶に纏わりつかれて半泣きになっていたことを覚えており、それと今回の小箱の中から漂う香りを結びつけるに至った。

 かの男爵令嬢の実家では多数の薬草や草花を育てている、となればこの花に蝶が引き付けられることも知っていてもおかしくはない。


 ここからは推測にすぎないが、この花を侯爵令嬢を通してレティシアに贈ったということは、レティシアが姉と共に庭に出たタイミングで蝶が寄ってくるように、確実さを増すためになんらかの仕掛けをしていたと考えられる。

 大方、この小箱のような……外に香りが漏れるように細工した仕掛けを庭の片隅に置いておき、そこに蝶が集まるようにしておいた、というものだろう。

 レティシアとその姉が蝶にたかられて迷惑すればよし、もし不発であっても花を選別して侯爵令嬢にアドバイスしただけなら間違っても罪に問われることはない。




 綺麗ねと妄想を膨らませていた花、そしてその花の香りに寄ってきた綺麗な蝶に纏わりつかれ、泣き出す者やらキレて怒り出す者、件の男爵令嬢らしき茶髪の少女は特にその香りが強いらしく体中に蝶が張り付いて動けなくなっている。


 その光景を遠目で確認し、メルヴェルは元通り銃をスカートの下に仕舞ってから小さく微笑んだ。



「蝶よ花よと育てられた皆様には、大変お似合いでございます」



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