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侍女さん、弟を見守る

 

 それは、実力試験の数日前……あのおぞましくも不愉快極まりない事件が起こる前のこと。



「やあ、朝早くに呼び出して悪かったね」

「……いえ、どうぞお気になさらずに」


 いつもなら朝の支度を始める前に、軽くウォーミングアップをしていた時間帯。

 彼女がその時間に既に起床していることを把握していた第二騎士団長トレーズは、これまで直接的にはさほど繋がりのなかった王太子妃専属侍女、メルヴェルを自分の執務室に呼び出した。


「時間がないので手早く話を済ませよう。君の弟のことだ」

「はい」

「……貴族の息子の中には、甘やかされて育った者も多い。ここへ来て初めて叱られたと泣く者もいる。……実はね、私もそうだったんだ」


 トレーズは、アウディ侯爵家の長男として生まれた。

 クレスタ家と同様に当主の妻が病がちで、正直子は望めないだろうと言われた中で生まれた嫡子とあって、何をするにも使用人がついてくる、学校は危険だからと家庭教師がつき、自分自身のことも殆ど他人任せ、など過保護に甘やかされ、大事にされて育ってきた。

 それが普通だと思ってはいなかったが、それでも行儀見習いの一環として騎士団に入団した時は、あまりの自分の世間知らずな面に何度涙したかわからない。


 そんな中で彼は、周囲の反感を買わないように常に笑顔でいることを覚えた。

 素直に、人当たり良く、そう心がけた彼は次第に同輩にも先輩にも好かれるようになった。

 勿論、要領よくできなかった雑用に率先して取り組むという姿勢が評価されたのは言うまでもない。


「入団当初、見習いとしての雑務を全くしないばかりか、そのどこがいけないんだという態度の彼に、他の見習い達から苦情が相次いだ。その時点でニコラスは見切りをつけるべきだと言っていたんだが、私はユリウスと同室の者に彼の目付け役として動いてもらい、本当に見込みがないのならその時は仕方がないと最後のチャンスを与えることにしたんだ」


 トレーズがある程度信頼して目付け役を任せただけあって、その少年イオルは見習いとしては優秀な方なのだろう。

 実際、エドワードが脱落した時点でイオルが次のリーダーだと暗黙の了解で決まったとユリウスからも聞いていたし、それならトレーズの信頼だけでなくある程度見習い騎士達からも認められている、ということだ。

 そんな彼がどう判断を下すか、それによってユリウスの進退について再考するつもりだった、とトレーズは言う。



「正直、私も無理だと思った。だがイオルが、ある日を境にユリウスに対する評価を変えてきたんだ。これまで嫌がって適当にサボっていたランニングを全てこなし、その上ではっきりと自分に何が足りないのか、どうして皆が自分を嫌うのか、その理由を教えて欲しいと真っ直ぐ向かってこられて驚いた、とね。そして初めて、彼を気遣っていた。纏わりつかれて面倒だったので思わず突き飛ばしてしまった、怪我をさせてしまったようだが大丈夫だろうか、と」


 その時のことを思い出したのか、トレーズが不意に苦笑を浮かべた。


「そのすぐ後だ、医務室に行っていたはずのユリウスが足を引きずりながら駆け戻ってきて、『姉さまはぼくが守るんだ』だから強くなりたいんだと誰彼ともなく宣言して、真面目に雑用をこなすようになったと報告を受けたのは。……一体彼に何があったんだと、さすがにニコルも唖然としていてね」

「……そう、ですか」

「あぁ、すまない。時間がないと言いながら本題が後回しになってしまったな。……そのユリウスのことも含めて、君に二つばかり提案があるんだ」


 まずひとつめ、と彼は指を折る。


「かろうじて雑用をこなせるだけの体力はついてきただろうし、ユリウスにも実力試験を受けさせようと思っているんだ。ああ勿論、他の見習い達も同様にね。そこに立ち会ってみる気はないかな?」


 見習いと一言に言ってもいくつか段階がある。

 最初は完全な下働きとして基礎体力をつけ、徐々に正騎士の従者や剣を持った訓練に参加するなどレベルアップしていくのが常だ。

 あのエドワードなどはこの最終段階をうろうろした状態であったし、入ったばかりのユリウスは初期の下働きのレベルである。

 このレベルアップの手段として、定期的に全員参加の実力試験が行われる。

 そこで上に認められてはじめて、次の段階に進めるといった方式を採用しているのだと、トレーズは簡単にそう説明してくれた。

 その上で、その実力試験の場にメルヴェルも同席してはどうかと提案してきたのだ。


「君も特例扱いではあるが一応【見習い】の列に名を連ねていることだし、参加は強制しないが立ち会うだけでもどうだろうと思ってね。詳細は明かせないのだが、君にとって損にはならないはずだよ」


 どうだろうかと訊ねられ、彼女は素直に了承の意を示した。


「では、準備の都合もあるから数日後。その日がきたら事前に妃殿下の許可はいただいておくよ」


 それじゃふたつめ、と提示されたのが『アウディ家との養子縁組』の話だった。

 メルヴェルはその場ではひとまず時間をくださいと答えたものの、自分にも相手にもメリットのある話であったため、では前向きにと話が進められることとなった、というわけだ。




「では、これより実力試験を行う」


 よく通る声でそう告げたのは第三騎士団長のヴィルフリート。

 立会い兼審査役としてトレーズもその傍にいる。

 第一騎士団長のグラディウスは外回り、先ほどまで訓練場の前にいた調整役のニコラスは、ここで起こったひと騒動についての事情説明のために、現在謁見の間で国王夫妻と会談中である。


 警護役としてここにいる正騎士は4人。

 一人は見習い達の傍、一人は訓練場の反対端、残る二人はそれぞれの騎士団長の傍に控えている。

 これまでの実力試験がどんなものだったかメルヴェルは知らない、だがこの物々しい雰囲気から今回はやや危険度が高いのではないかと予測を立てた。


 なにしろ、今回は恐らく普段なら絶対に許可されないだろう見学者ギャラリーがいた。

 既に身を乗り出すようにして訓練場を見ているクレスタ子爵は、視界の端に()()()()()の姿を認めるとわかりやすく顔をしかめ、溺愛する息子の姿を見つけてようやく安堵したように表情を緩めている。

 本来見学など認めないはずの騎士団長二人がそれを容認した、ということが既にこの試験が普通の実力試験ではないということを意味しているのだ。


「ルールは簡単だ。これから呼ぶ対戦相手を倒すか、もしくはある程度ダメージを与えられれば合格とする。相手が戦闘不能になるか、こちらが危険だと判断した段階で終了だ。危険な場合は正騎士が止めに入る。使う武器は訓練用の剣、それ以外は認めない。合格と判断されれば文句なく一段階上がるが、あとは戦い方や普段の行いなどを総合的に評価して決める。当然、試合棄権は一段階下がるということを忘れるな」


 厳しいようだが、これが【実力主義】の世界なのだ。

 メルヴェルにもそれは理解できる。

 そして、これを聞いた入ったばかりの見習い達が途端に不安そうな表情になった、その理由も。



「ではそろそろ対戦相手を紹介しよう。……トレーズ」

「ああ」


 ひとつ頷くと、何を思ったかトレーズはいきなり短剣を取り出し、左の掌をざっくりと傷つけた。

 ざわざわと周囲がざわめく中、ぽたりぽたりと真紅の血液が地に滴る。

 途端、場を包む眩い光。


(あれは……確か、ヒトガタ!?トレーズ様は術士の素養も持っておられたのか……)


【ヒトガタ】を縛るのは、血の契約であるらしい。

 キサラギほどの術士になると言葉ひとつで自在に操れるのだが、そこまで力のない術士は己の血をもって【ヒトガタ】を縛る。

 万が一にも暴走しないように、魔術の心得のあるトレーズは己の血をもって【契約】を結んだのだろう。


 光が収まった後、そこにいたのは一体の魔獣。

 メルヴェルには既に馴染みと言っていいほどの、小熊サイズの獰猛な魔獣だ。

 正騎士ほどの実力ならば余裕、メルヴェルであっても恐らく油断しなければ問題ない相手。

 しかし見習い達は突如現れた魔獣に慌てふためき、中には逃げ出そうとして正騎士に止められた者までいる。

 出入り口に立っていた一人は、逃亡防止用であったらしい。


「静かに!」


 ヴィルフリートの一喝で、パニックに陥っていた一部の見習い達は不安そうに動きを止める。


「見ての通り、対戦相手はこの魔獣だ。だがこれは【本物】ではない。反撃はするが、無闇に攻撃を仕掛けてくることはない」

「ひとつだけ忠告しておこう。この魔獣はここを動けない。だから危険だと思ったら距離を置くことだ」

「お前ら、トレーズの温情に感謝しておけ。……では始める。名を呼ばれた者から前に出ろ」


 こうして、問答無用の腕試しが幕を開けた。



 まず最初に名前を呼ばれたのは、まだ年若いものの既に見習い達のリーダー的存在と認められ始めたイオル。

 彼もさすがに対戦相手が魔獣だと思ってはいなかったらしく、訓練用に刃先を潰した剣を構えてどう攻めようかと考えあぐねているように見えた。

 だがさすが見習いの中でもトップクラスだからか、冷静さは失っていないようだ。


「はぁっ!」


 刃先で突いては離れ、一歩踏み込んで切りつけては離れ、ヒットアンドアウェイを繰り返しながら確実にダメージを与えていく。

 そんな彼の戦い方を、他の見習い達は参考にしようとじっと見守っている。


(最初にレベルの高い者から行うのは、考える時間を与えるため、か)


 いきなり最下級レベルの者に挑ませたのでは、パニックに陥り怪我だけでは済まない可能性もある。

 だが今のように上のレベルから順に試験していけば、下の者は待っている間に先輩達の戦い方を参考にして、自分はどうしようかと攻略法を考えることができる。

 むしろ、そうやって他者の戦術を盗むだけのやる気があるかないか、それすら試験の対象として審査されていると言ってもいいだろう。


 そしてそれはユリウスも同じであったらしく、ちらりと視線を向けると彼は食い入るようにイオルの動きを目で追いながら、時折小さく腕を動かしてシミュレートしているようだった。

 もしここにいるのが以前の甘ったれのままのユリウスであったなら、今頃きっとキラキラと瞳を輝かせて『すごいなー』とまるで他人事のような顔で観戦していただろう。





「次、ユリウス・クレスタ。前へ」

「はいっ!」


 意気揚々と返事をして前に進み出たものの、ユリウスの表情は緊張もあってかかなり硬い。

 この状況下で緊張するなという方が無理な話だ、しかも唯一の観客である父がかぶりつくように見入っているのだから尚更だろう。


 ここまで、見習いとしては最下級にあたるユリウスが指名されるまでに、何十人もの騎士見習いが魔獣に挑んでいった。

 幸いそこそこ力をつけていたイオルのようなトップクラスの者であれば多少苦戦した程度で勝利していたが、見よう見まねで先輩達の戦い方を真似た程度の見習い達は早々に動けなくなってリタイアするか、危険だと判断した正騎士によりその場を離れさせられて終了、という散々な状況である。

 この実力試験はあくまで評価付けのためのテストであるため、必ずしも勝利する必要はない。

 勝てなかった者でもいかに先輩達の技を盗んだか、真剣に取り組んだか、立会い人である騎士団長二人はきちんと全員を見て、手元のボードに評価を書き込んでいるはずだ。


 ユリウスも、先輩達の動きを見ながら何度も何度も頭の中でシミュレートを繰り返していた。

 だが彼はまだ体力も少なく、毎日の水汲みも井戸から桶を運ぶだけでやっとの状態であり、とても魔獣に敵うだけの力も技術も身についてはいない。


 それでも彼は、負けるつもりなどなかった。

 少し前までの彼なら自分もできるんだと根拠のない自信を持って挑みかかり、あっさり返り討ちにされて泣き喚いていたことだろう。

 だが今は、少し違う。

 確かに怖い、近づきたくなどない、できることなら回れ右して逃げ出してしまいたい。


(でも、それじゃだめなんだ……なんのために父さまに見てもらってるんだか、わからないもの)


 ユリウスは、この訓練場に来る前にニコラスにお願いしてあった。

 もし父が乗り込んできたら、この試験を特別に見学させてはもらえませんか、と。

 そして、その目的も。

 だからニコラスは、ああもあっさりと許可を出したのだ。



「たぁっ!」


 まずは横からと斬りこんでいった彼はしかし、魔獣が薙ぎ払おうと腕を伸ばしてきたのを見て咄嗟にバックステップを踏もうとして、ずるりと足を滑らせた。

 まずい、転んだ。

 誰もがそう思い、控えていた正騎士も救助のために動こうとした、のだが。


「っと、まだまだ!」


 彼は転んだ反動のままに片足を伸ばし、スライディングするように魔獣の足元を通り抜け、背後に回った。

 これはユリウスの3人前、同じように小柄な少年がその小さな身体を生かしてとった戦法に似ている。

 そしてすかさず起き上がり、背後から一撃。

 硬い毛皮に阻まれてしまったものの、それは貴重な一撃だった。


 当然見学席にいる父子爵も大喜びで、場の空気も読まず手を叩いては傍にいるお目付け役の騎士に「お静かに」と窘められている。


(やりにくいなぁ、もう)


 と気をそらしたほんの一瞬、

 振り向いた魔獣の腕がユリウスの剣を弾き飛ばし、彼自身も挑戦が終わった見習い達の只中へ吹っ飛ばされてしまった。

 それでも立ち上がろうとするユリウスを、さすがに他の少年達も止める。


「でも、あいつはまだ生きてる……たおさなきゃ」

「そこまで!ユリウス・クレスタ、意気込みはわかったから下がれ。…………よく頑張った」

「……ありがとうございました!」


 滅多に褒めないヴィルフリートに労われ、泣きそうになりながらユリウスは元の場所に戻る。

 彼の意気込みは他の者にも伝わったのだろう、口々に「よくやった」「お前凄いな」「見直したぜ」などと声をかけているのが、メルヴェルのところにも聞こえてくる。




「では最後に、王太子妃殿下専属侍女のメルヴェル嬢。特別に試験への参加を認める」

「はい。承りました」


 この場合フルネームで呼ぶのがしきたりなのだが、メルの場合つい先ほど父親によって『もう親でも子でもない』と宣言されており、更に既に準備してあったアウディ侯爵家との養子縁組の書類を出したばかりとあって、どちらの姓で呼べばいいのかさすがのヴィルフリートも困ったのだろう。

 これには当事者であるトレーズも小さく苦笑したものの、すぐに表情を元通り引き締めて『騎士団長』の顔で静かにメルヴェルを見据える。


「姉さま」


 自分の剣を持たないメルヴェルに、ユリウスがそっと自分の剣を差し出す。

 頑張ってと言わずとも、姉はきっと結果をたたき出す。

 そう信じて疑わない、目の色だけはそっくり同じな弟の視線を受けて、彼女はひとつ頷いた。


(大丈夫。あの魔獣なら……絶対に負けない)


 かつて、レティシアを守った時に倒した魔獣。

 そしてあの任務の際、クロードと共に全滅させた大量発生していたそれ。

 個体としては、それと全く同じなのだから。



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