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侍女さん、罵倒される

 


「この恥さらしがっ!!」

「っ、」


 娘が謂れのない暴力の被害にあったと連絡を受けて、父クレスタ子爵があたふたと王宮に駆け付けた。

 彼はちょうど見習いの訓練のために訓練場に顔を出した娘を見つけると足早に駆け寄り、力任せにその頬をひっぱたいた。

 慌てて止めに入ろうとする他の騎士を手で制して、メルヴェルは真っ直ぐ父を見返す。


「お前は何をやったのか自覚しておるのか!!よりにもよって侯爵家のご子息に恥をかかせるとは!」


 そこにいた誰もが『え、そこ?』と内心突っ込んだ。

 子爵家の娘が侯爵家の息子に襲われかけた、その事実を聞いて最初に気になるのがその点なのか、この父親はどこまで俗物なんだ、と。

 最もショックを受けたのは、見習い達の列に並んでいたユリウスである。


(父さまは……姉さまが酷い目にあったことなんて、なんとも思わないんだ……姉さまのことなんて、どうでもいいんだね……)


 元々、ユリウスが家にいた頃から両親は長女のことを殆どいないものとして扱っていた。

 彼女もそれがわかっているのか滅多に家族の集まりの場には顔を出さなかったし、たまに顔を合わせると『もっと淑女らしく』『剣をふるうなんて野蛮な』と窘める言葉しか出てこない。


 その割にはメルヴェルがアスコット公爵家に侍女として仕えるようになると、時折漏れ聞こえる彼女の功績を持ち出しては『ユリウスはもっと強くなれる』だの『もっといい家に御縁ができるよう頑張りなさい』だのと、ことあるごとに姉と比べられプレッシャーをかけられる。


 だから彼は、ずっと姉にコンプレックスを抱いてきた。

 公爵家のご令嬢に認められた、強いと評判の姉。

 勝たなきゃいけない、でも勝てそうにない、だけど家族の期待に応えなきゃいけない、だけど実際に見知った姉は……高潔で、厳しくて、でも辛抱強く何度も彼に忠告をしてくれて。

 苦手な反面、彼はずっと姉を慕ってきた。

 あんな風になりたい、ぼくも強くなりたい、力だけじゃなく心も強くなりたい。



「しかも未婚でありながらその身を穢してしまうとは……ふしだら極まりない。やはりお前は自由にさせておくべきではなかった。今からでも遅くない、仕事を辞めて家に戻れ。身持ちの悪い娘でも構わないと言ってくださる奇特なお方が、お前を貰ってくださるそうだ。もう話も纏めてある。さあ、荷物をまとめて来い!!」


 それはつまり、何らかの悪癖を持っているか単なる女好きかとんでもない年寄か、そういった普通では選択肢に入らないような物件の男性に、娘を売り渡すという意味だろう。

 周囲の目が、益々下劣なものを見るようなものになっていく。


 しかし『売り飛ばす』と宣言されたに等しい当の娘は、毅然とした態度でそれを否定する。


「それはできません」

「なんだと!?親の言うことが聞けないというのか!」

「今の私の進退について決定権を持っておられるのは、主である王太子妃殿下です。妃殿下のお言葉なくして、仕事を辞めることなどできません」

「っ、貴様、誰に向かって口をきいている!!」


 またも振りかぶられたぶよぶよと肉付きのいい手を、今度は止めた者がいる。


「……困りますね、クレスタ子爵。さぞやご令嬢が心配だろうと立ち入りを特別に許可しましたが、まさかもめ事を起こされるとは」

「…………ヴァニー団長殿、これは娘と私の問題ですぞ。口出ししないでいただきたい」

「ええ、通常であればどうぞご自由にと申し上げるのですが、ここは訓練場とはいえ王城の敷地内です。そこで暴力行為が行われた場合、()に報告する義務が我々にはありましてね」

「…………」


 暗に、陛下に報告するぞと脅されたことがわかったのだろう、子爵は忌々しげな顔で掴まれた手を振り払った。

 そしてメルヴェルに向き直り、


「ではどこへなりとも行くがいい!もう親でも子でもない。二度と我がクレスタの姓を名乗るでないわ、この愚か者!!」


 と、ついに最後通牒を突き付けた。


 実際、本気でそう告げたわけではない。

 生意気極まりない娘も、さすがに子爵家から出されるとなれば自分の仕出かしたことに気づき、許しを乞うてくるだろうと高をくくっていたのだ。


 が、しかし



「その言葉に二言はありませんね?クレスタ子爵」


 娘の謝罪の代わりに聞こえたのは、騎士団長の中で唯一の平民出身者であるニコラス・ヴァニーの静かな問いかけ。

 子爵は表向き敬意を表しているように見せかけて、この平民出身者だけは『成り上がり者が偉そうに』と見下していた。

 そのため発言を訂正することもできず、まぁそうなったらそうなったで構わないくらいの思いもあって、無論ですと頷いて見せる。

 と、そこでニコラスは子爵のみならず周囲の者の殆どが思いもよらなかった提案を口にした。


「では、彼女を養女に貰い受けても構わないということですね」

「養女ですと!?」


 ざわり、と周囲の騎士達もざわめく。


「えぇ。長く子供ができなかったため諦めかけていたのですが、元子爵家の娘となれば基本的な礼儀作法はできているはずですし、今から育てる手間も省ける。これはいい話だと思いましてね」

「ふん、そいつは身持ちの悪いふしだらな娘ですがね。それでもよろしければ、我が家はもう無関係ですのでご自由に」

「そうですか。ではせっかく子爵がおられるのですから、ここで手続きを済ませてしまいましょう。ナット、書類を」

「はい!」


 主の一言で心得たとばかりに駆け出していった侍従の少年は、ややあって騎士団長の執務室から紙とペンを持って戻ってきた。

 まるで事前に用意されていたような周到さだと、気づいていないのは子爵のみ。

 彼は差し出されたペンを手に、ろくに書類を読みもせずにさらりとサインを書き込んだ。


 子爵家に生まれた娘が平民の養女になるなど、この不出来な娘にはお似合いだ。

 そう、顔に書いてある。



 ニコラスは書類を一度ざっと上から下まで通して読み、抜けがないことを確認してから己もサインを書き込んだ。

 そして、それを今か今かと命令を待っている侍従の少年に渡し、頼みましたよとイイ笑顔で一言添える。


 少年が駆け去って行った方向から、入れ違いに第二騎士団長のトレーズが姿を見せた。

 彼は先に訓練場で準備をして待っていたのだが、いつになっても見習い達が姿を見せないことを疑問に思い、そして入り口付近でもめ事が起きていることを聞いて、それを止めるためにやって来た。

 のだが、その騒動の中心にクレスタ子爵と第四騎士団長ニコラスの姿があるのを見つけ、なんとなく流れを察したらしい。


 自分より格上であるトレーズの登場に慌ててかしこまる子爵を完全スルーし、彼は同僚に向かって「もしかしてあの件かい?」と問いかけた。

 ニコラスも「お察しの通りですよ」とにこやかに頷く。


「では、子爵は納得してくれたわけか」

「ええ、快くサインしてくださいましたよ」

「そうか、それは妻も喜ぶ。なにせ彼女は、女の子が欲しいんだと切望していたからね。病弱なこともあって実子を持たせてはあげられなかったが、メルヴェル嬢のことは気に入っているようだし、すぐに馴染んでくれるだろう。問題があるとすれば、婿取りになってしまうことくらいか」

「な、な、な、」

「それなら問題はないでしょう?はっきりと求婚はされていないようですが、じきに家柄の釣り合う将来有望な婿が名乗りを上げてくれるはずです。なんにせよ、トラブルもなく話がまとまってよかったですね、トレーズ」



 非常にわざとらしい、うすら寒い会話を聞いてようやく、子爵は己が騙されたことに気付いたようだ。

 彼は口から泡を飛ばさん勢いで身を乗り出し、「どういうことだ!?騙したのか!」とニコラスに向かってかみついた。

 だが、それすらも予測していたかのように、ニコラスの笑みは崩れない。


「なにがでしょう?子爵は養子縁組の書類に快くサインしてくださったではありませんか」

「きっ、貴様っ、平民の分際でわしを謀ったのか!!わしはこの娘が貴様の養女になると思ったからサインしたのだ!なのにその、っ……アウディ侯爵家だったとは……っ!」

「おや。私は一言だって、我がヴァニー家の養女にとは申しておりませんよ?私は同僚であるトレーズの奥様が御子を望まれていると相談を受けていたので、これはいい縁だと話を進めたにすぎません」


 曲者ニコラスの本領発揮である。

 ただ補足するなら、これは偶然の産物では勿論ありえない。


 彼らはクレスタ子爵の性格をよく知っていたため、メルヴェルが襲われかけたと連絡をすればまず間違いなく娘を責めるだろうことはわかっていた。

 そして、話の流れからいくと『家から出ていけ』と言い出すだろうことも。

 そこで、あらかじめトレーズとニコラス、そして当人であるメルヴェルの間で養子縁組について話を進め、養子縁組の書類もあとは元保護者である子爵と第三者である立会人の署名のみを残して作成しておくことにした。

 もし子爵がメルヴェルについて追放を言い出さなかった場合……その場合であっても彼は間違いなく娘を殴る、もしくは力の限り罵倒するだろうから、それを理由に上手く養女に貰い受ける話に持っていこう、というのがニコラスの役目である。


 ちなみに、トレーズの奥方が病弱のため実子を諦めたというエピソードは実話である。


『君はこのままだと、恐らく望まぬ特殊趣向を持った者に無理やり嫁がされてしまうだろう。そうなれば当然妃殿下の侍女は辞めなければならないし、せっかく和解した弟ともまた離れてしまう。それは本意ではないだろう?なら、うちに養子に来ないか?以前少し妻の相手をしてもらったことがあったと思うが、あれ以来妻は君を気に入ってしまったようでね。うちは侯爵家だから婿取りになってしまうが、それで良ければ是非』


 と熱烈に口説かれて、その熱意に押されたメルヴェルが「父が承知するようでしたら」と控えめに同意したことで、この話は半ば成立したようなものだった。

 そこにニコラスがお得意の話術でアシストした、というわけだ。



 クレスタ子爵はぱくぱくと魚のように口を開け閉めして、何かを言いかけているようだがそれが声になることはない。

 あまりの衝撃に言葉が出てこない、ということらしい。

 それもそのはず、彼は自分がいらぬと切り捨てた娘が平民の養女にと望まれたことで、晴れて自分より下の者になるのだと清々していた。

 しかし実はかなり格上の侯爵家の養女に望まれていたことを知り、更にそれがあのエドワードの実家よりも遥かに歴史のあるアウディ侯爵家だとわかったことで、受けた衝撃はまさに爆弾級であっただろう。


 しかもニコラスは、今はまだ爆発していないもののいずれそうなるだろう時限式の爆弾もチラ見せしてきた。


『じきに家柄の釣り合う将来有望な婿が名乗りを上げてくれるはずです』


 それはつまり、アウディ侯爵家に家柄の釣り合うしかるべき貴族の家から、メルヴェルに婿が取られるということ。

 子爵家が四方駆けずり回って、頼りない先代のツテまで使ってようやく了承を得た、特殊な性癖を持った自分よりも遥かに年上の成金、というお相手などとは比べ物にならない超優良物件が、こともあろうに自分がいらないと放り出した娘を望んで入り婿となる、ということだ。


 そして、ニコラスが確信ありげにそう言うということは、現在既にそんな話が水面下で動いているということに他ならない。


 騙された、謀られた、そういくらわめいても、あっという間に駆け去っていった侍従の少年は今頃、戸籍係に書類を提出していることだろう。

 そしてそれは貴族の養子縁組であることから、王太子を経由して国王陛下の決裁を受けるべく、既に書類が回されているかもしれない。




 がっくりと、膝をついて項垂れる子爵。

 それを見てこのもめ事がようやく片付いたと思ったのか、立ち止まっていた見習い達が次々と訓練場の中へと入っていく。

 が、その列を抜けてたたたと軽い足取りで子爵へと駆け寄る小柄な人影。


「父さま」

「ユリウス!あぁ、ユーリ……お前はいい子だな。お前がいれば子爵家は安泰だ」


 縋りつかんばかりに伸ばされた腕をするりと避け、父の驚きに見開かれた目を真っ直ぐ受け止めて、ユリウスは無邪気に笑った。


「ねぇ父さま、せっかくここまで来てくれたんだもん。今から始まる試験、見てってよ。ぼくも出させてもらえるんだよ?ねぇいいでしょ?」

「試験?……もしかして実力試験のことか?それに、見習いになって間もないお前が?」

「うんっ。父さまに見ててもらえるなら、ぼくもがんばれると思うんだ」


 そう言って、彼は今度は黙って見習い達の移動を見送っていたニコラスの方を向き、「団長、いいでしょう?」と受け入れられて当たり前という顔で笑いかけた。

 ニコラスが考えたのはほんの数秒。


「わかりました、特別に許可しましょう」と頷かれたことで、ユリウスは本当に嬉しそうに破顔した。


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