侍女さん、緊急事態発生
今回、女性にとっての残酷描写が入ります。
艶めいてはいないのでR15はつけませんが……ちょっと酷いです。ごめんなさい。
その翌日から、メルヴェルの日常にひとつの習慣が付け加えられた。
「ユリウス、その後同室の子達とはどうですか?」
「はい、姉さま。昨日は水くみとお掃除をやったんだ。水くみはね、失敗してこぼしちゃって怒られたけど……でももう一回くみに戻って、それでこぼしたとことかお掃除したの。そしたらね、もうお昼ごはん終わっちゃってて……でも、でもね!イオルくんがおかず取っといてくれたの!んっと、なんて言ったっけ?『ちゃんと働いたせいとうひょうか分』だって。ねぇ、どういう意味?」
「つまり、ユリウスが見習い騎士のやることを果たしたから、ご飯を避けておいてくれたということですよ」
「そっかぁ……これまでぼく、見習いのお仕事やってなかったんだもんね」
イオル君、というのはユリウスと同室の見習い騎士の名前だ。
彼はユリウスよりも6歳年上の16歳……間もなく17歳になろうとしている、見習いの中でもリーダー的存在な子なのだという。
そんな彼が、ユリウスに食事を残しておいてくれた。
これまでのように無視するのではなく、聞かれた理由をきちんと答えてくれた。
それはきっと、ユリウスの意識が変わってきていることに気づいたからだ。
そして、リーダー格であるイオルの態度が変わってきたということは、他の見習い達もそれに倣いはじめてユリウスを無視しなくなってくれるかもしれない。
メルヴェルが休憩を取れる時間というのはそう長くないが、彼女はその貴重な休憩時間を使って弟の話を聞くことにした。
あの父親に溺愛されて育った弟だからと、これまで距離を置きすぎていたのだ。
だから弟は姉に嫌われているんだと拗ねてしまい、主に痛い方向にコンプレックスを歪ませてしまったのだろう。
会話をせずに諦めるのは簡単だ、だが信じてみなければ相手も信じ返してはくれない。
勇気をくれたのはサクラだが、相手をちゃんと見るということを教えてくれたのは他ならぬ、この弟なのだ。
ならば困った弟の話を聞くくらいなら、贔屓にもならないかと彼女はそう考えた。
ユリウスも、ここ最近やっと割り振ってもらえるようになった見習いの仕事を終わらせてから来るので、時には時間が合わずに挨拶だけして帰ることもある。
そんな時はさすがに拗ねてしまうが、それでも以前のようにぐずったりわがままを言ったりはしなくなった。
(ユーリも大人になろうとしてる、ということかな……)
もし本当にそうならこれほど喜ばしいことはないのだが。
そう考えたところで、ふとメルヴェルは自分に向けられたじっとりと嫌な種の視線に気づいた。
何かを見定めようとするような、舌なめずりするような、そんな厭らしい視線だ。
「ユリウス、時間は大丈夫ですか?」
「あ、うんそうだね。それじゃそろそろ戻るよ。姉さまはこれからどうするの?」
「もう少ししたら妃殿下がお出かけになられますから、今日はそちらにお供します」
「そっかぁ……それじゃ今日は訓練で会えないね。じゃ、また明日ね!」
「はい」
足も治ったのか軽快に駆け去っていくその姿が小さくなったところで、メルヴェルは茂みに視線を向けた。
「さて……どういったご用件でしょうか?」
「っ、」
茂みから飛んできたのは、切れ味鋭いサバイバルナイフ。
視線を向けていたこともあり、メルはそれを容易く避けきった、が。
避ける一瞬の隙をついて飛び掛ってきたモノに身体ごと圧し掛かられ、勢い良く草むらに押し倒されてしまった。
声が出せないように口元を大きな手で覆われ、もう一本あったナイフを首元に突きつけられる形で、彼女は圧し掛かってくる男を見上げた。
ところどころ跳ねて癖のついた、髪。
その双眸は彼女の一挙一動を見逃すまいと大きく見開かれ、血走っている。
(色男も台無しですね…………エドワード様)
そう、彼は少し前まで見習い騎士のリーダー的な位置づけにいた、上流貴族の子息であるエドワードだった。
だが彼は何度トライしても正騎士になれないことに嫌気がさし、訓練にも身が入らなくなってしまった。
ここ最近は無断外泊が増えているとかで、今は謹慎状態であるのだとユリウスがそう教えてくれたばかりだ。
「こんな貧相な女……あの人のためじゃなきゃ、誰が好き好んで……」
ぶつぶつ言いながら、彼はナイフを首筋ギリギリの地面に突き刺し、容赦なくメルヴェルの侍女服を片手で剥ぎ取ろうとしてくる。
いちいちボタンを外すのが面倒なのか乱暴に引きちぎり、彼女が抵抗すると顎を掴んだその手で頭を地面に打ち付ける。
「お前が悪いんだ、あの人のものに手を出そうとするから」
(どういう意味……?)
思考を纏めようとしても、上手く纏まってくれない。
ただただ、男の汚れた手に服を破られ、剥ぎ取られ、肌を撫で回される不快感に耐えるしかできない。
気持ち悪い、と彼女は歯を食いしばった。
以前も、あの【一流】の侍女達の策略で数人の男に拉致され、襲われかけたことがある。
あの時は男達もメルのことを知らず油断しきっており、なおかつさほど手練れでもなかったため返り討ちにすることができた。
だが今彼女を力いっぱい組み敷いているエドワードは、腐っても見習い騎士。
相手を組み伏せる術を心得ており、易々と彼女の抵抗を封じてしまう。
大丈夫、機会はある。まだ諦めるのは早い。
この男の目的は、彼女を辱めること。
それならどこかで隙が生まれる、それを待てばいい。
触られるくらいなんだ、舐められるくらいなんだ、そんなの虫に集られたと思えばなんてことない。
顔を歪めて不快感に耐えている彼女の反応など全く気にせず、エドワードはその太腿へと手を滑らせる。
そして気づいた、そこにある違和感に。
「ん?これは……」
彼女が銃を扱うことを知るのは、騎士団の中でもごく一部の者だけだ。
一般の騎士の前で使ったことはないし、エドワードも見たことがないはずだ。
案の定彼は不審げな顔でそれをホルスターから抜き出し、「なんだ、これ」と言いながらまじまじと眺めまわした。
と、そこで彼女は攻勢に出た。
彼の肩を押し退けようとしていた手で彼の横っ面を張り飛ばし、取り落としそうになった銃を奪って彼の額に突きつける。
相変わらずそれが何かはわからなかったが、メルヴェルの表情から武器なのだと気づいたのだろう、エドワードが歪に嗤った。
「殺すか?」
「…………」
「なぁ、お前に俺が殺せるのか?正義面して自分が何でも正しいと思ってやがる、穢れを知らねぇ侍女さん?」
無理だろ?と彼は断言した。
確かにこれは強姦だ、メルは被害者でエドワードは加害者……だがだからと言って殺していいはずもない。
ここでエドワードを殺せば、彼女は罪に問われる。
(もしかして、エドワード様の目的は……!)
彼女が大人しくされるがままになる女だとは、彼も思っていないだろう。
だがそれでもいい、彼女の矜持を傷つけ、少しでも辱め、そして王宮にいられなくする、それが目的なら。
「いいぜ、殺せよ?」
彼が嗤った瞬間、一発の銃声が辺りに響き渡った。
当然の如く、城内は騒然となった。
エドワードと同じく城内にいる殆どが銃声というものを聞いたことがなかった、だがそのズドンという太く低く響く大きな音は畏怖を与えるのに充分であったし、何より王太子妃であるレティシアが王太子との昼食中であるというのに慌てて立ち上がり、廊下に出て声を張り上げたのだ。
「緊急事態よ!メルを……私の侍女、メルヴェル・クレスタを探しなさい!!」
「クロード。許す、行け!」
「はっ!」
真っ先にと駆け出したのはちょうど昼休憩から戻ったばかりのポール。
その後を、主に許可を貰ったクロードが追う。
彼はこの時間、メルがどこで休憩を取っているか知っていた。
恐らく今もそこにいる、いなくてもその近くにはいるはずだ。
そうあたりをつけて騎士団の建物と城の中間点にある草地へと向かう彼に、今度はポールが離されないようについていく。
草地といっても広い。
茂みをかき分けるように、クロードは先を急いだ。
遠くを見ると、あの銃声に気づいて何事かと騎士団の方からも何人か出てきているのが見える。
彼らが見つけるのが早いか、クロードの方が先か。
(どうかメル、無事で……!)
彼は焦っていた、とにかく早く見つけ出そうと必死だった。
だから、気づくのが遅れた。
「きゃっ、」
ドン、と茂みの方から飛び出してきたドレス姿の女性に、身体ごとぶつかられる。
普段の彼なら避けられただろうが、あまりに焦っていた所為で反射的に受け止めてしまってから、彼は内心舌打ちする。
綺麗に手入れされてくるくると丁寧に巻かれたブルネットのその女性は……彼のかつての恋人、ナディアだった。
慌てて引き離す前に、彼女の方から「怖かったですわ」と抱きつかれてしまう。
「なんですの?先ほどの怖い音……わたくし、怖くて怖くて……。守って、くださいますわよね?クロード様」
「ナ、……セルシア嬢、今は緊急事態だ。そこを退」
「いやです!わたくしを置いてどこへ行こうと仰るの!?わたくしをもう、一人にしないで!」
どうして城勤めでもない彼女がここにいるのか、冷静に考えれば不審に思えただろう。
だが彼の頭の中は今、メルのことで一杯だった。
とにかく早く向かいたい、取り返しがつかないことになってしまったら、何より自分が許せなくなる。
「ポール、任せた」
「へいへい」
「ちょっ、無礼者!なにをなさるの!?」
素早くナディアの背後に回りこんだポールは、やんわりと、だが抜け出せない程度の力加減でナディアをクロードから引き剥がし、拘束する。
彼の方は比較的冷静だった所為か、このタイミングで現れた『噂のご令嬢』が無関係なはずはないと察して、彼女を保護するという名目でずるずると城の方へと引きずっていった。
「ちょうど良かった。妃殿下があんたに興味を持っておられるみたいでな、会うことがあったら是非連れてきてくれと頼まれてたんだ。このまま妃殿下のところに行くから…………いい加減、キィキィわめくのはやめろや、お嬢サマ?」
気を取り直して、クロードは再び駆け出した。
この時間帯は見習い達も午後の仕事に取り掛かっており、休憩する者の姿は見えない。
だがふと、銀色にキラリと光る何かに気づいた彼はそちらへ駆け寄り……目にした光景に己の中の何かがプツンと切れるのを感じた。
半裸に近い格好のまま、銃を構えて微動だにしない少女。
そんな彼女から少し離れた場所に、ベルトを緩めズボンを膝まで下ろしたみっともない格好で蹲る、見習い騎士の制服を着た男。
彼女が、隙をついて反撃したのだろうということは、見れば大体わかる。
だが今はそんなこと、どうでもよかった。
頭に血が上る、というのはこういうことだったかと、後の彼はそう振り返った。
とにかくこの時は何が何だか自分でもわからぬうちに蹲ったエドワードに飛び掛り、殴り、蹴り倒し、踏みつけ、…………気がつくと、両脇を同僚の騎士二人に抑えられてふーふーと肩で息をしていた。
エドワードはぐったりと地に伸びたまま、動かない。
恐らく気絶しただけで済んでいるはずだが、ズボンだけだらしなく下げた状態で誰もそれを正そうとしないため、哀れというより笑いをそそる。
襲われていた少女……メルヴェルは駆けつけた他の騎士の上着を借りてどうにか服を取り繕い、銃を両手に持ったまま膝に下ろして、ぼんやりとエドワードを見ている。
否、見えているのかどうかもわからない。
普段凛々しい彼女の姿しか見ていなかった騎士団員達も、今改めて彼女がまだ17歳……もうすぐ18歳になろうとする少女だと認識した、そんな顔をしている。
いかに腕が立とうとも、いかに男勝りであろうとも、彼女は穢れを知らぬ女の子なのだ。
男に力任せに襲われれば怖くもなるし、呆然と意識を飛ばすのも当然だ。
「ひとまずアレン先生のところに……」
「いや、さすがに男に診察させるのはまずいだろ。いくらアレン先生とはいえ」
「……だな。連れて帰って妃殿下に相談するか」
そう話が纏まったところで、彼らはさてどうやって彼女を連れ帰るかと考えた。
男に襲われた後だ、きっと男に触れられるのも嫌だろう。
もしトラウマなどを抱えてしまっていたら、それだけでダメージを与えかねない。
考えている間に、ようやく落ち着いたクロードが動いた。
彼は同僚が止めるのも聞かずにメルの前に跪き、だが決して触れない距離で視線を合わせる。
「メル」
「……」
「メル、私がわかるか?」
「…………」
ぼんやりと焦点を結んでいなかった蒼の瞳が、ゆっくりクロードを捉える。
パチパチと2,3度瞬いて、そしてぽろりと零れる大粒の涙。
「……ク、ロード、さま」
「あぁ」
「お、とに、おどろいた、あのひとを、ひっしでけとばして。けど、うてません、でした」
「撃たなくていい。あいつは撃つ価値もない。君は音で知らせてくれた……それだけで充分だ」
遅くなってすまなかった。
そう囁いて、彼はたまらず彼女を抱き寄せた。
びくりと強張った身体はしかし、抵抗することもなく腕の中におさまる。
身を委ねるでも、抗うでもなく、じっと身を強張らせるしかできない彼女の髪を、彼は辛抱強く撫でてやりながら、すまないと何度も謝った。
「貴方が、ナディア・M・セルシア?……うちの可愛い侍女に色々忠告してくれたそうで、ご親切にどうもありがとう。おまけに頼みもしないのに【お相手】まで紹介してくれたそうね?」
「な、なんのことだかわたくしには、わかりませんわ……妃殿下」
「あら、そう?ならいいわ、時間はたっぷりあるのですもの。そのうち理解できる日もくるでしょう」
ただこれだけは言っておくわね、とレティシアは迫力ある笑顔のままで付け足す。
「あの子は私が自ら望んでここに連れてきたの。だからあの子を貶すのは私を貶めるということ。私を貶めるということがどういうことか……さすがにわかりませんとは言わないわね?」
このレティシアの一言で、ナディアは簡単に落ちた。
自分はクロードのことをずっと想い続けてきた、そしてようやく実家に戻ってきたというのに彼の傍には当然のような顔をして、子爵令嬢が立っていた。
周囲の評判もよろしくない上に、騎士団で見習い達に混ざって剣を振り回すほどの男勝り、そんな野蛮な女なんだと幼馴染のエドワードに愚痴られ、だったらと彼女はこう囁いた。
男勝りだといっても所詮は女、ならその悦びを教えてあげればいいじゃない、と。
どうにか落ち着いたメルヴェルから事情を聞くと、彼女は彼の額に向けていた銃を寸前で空に向けて撃ち、あまりの大きな音に驚いて耳を押さえた隙に局部を蹴り上げ、ついでに同じ場所を踏みつけるように蹴り倒して、どうにか未遂で難を逃れたらしい。
さすがにこの話を聞いた騎士らは揃って痛々しい顔になったものの、エドワードの自業自得だと彼女の正当防衛を認めた。
この2日後、見習い騎士エドワードは騎士団を追放された。
更に子爵令嬢にいわれのない暴力を振るったとして罪に問われ、実家である侯爵家からも籍を抜かれた上で北の鉱山で終身労働の刑に処された。
彼はそこで生かさず殺さず、かろうじて平民という扱いを受けて生涯働くことになる。
そしてナディアは、実家である伯爵家もろとも爵位返上の上永久国外追放を言い渡された。
王族に手を出したのなら即刻処刑だが、相手が格下の子爵令嬢だったということ、かろうじて未遂だったということから、どうにか処刑は免れたらしい。
とはいえ、あの気位の高いナディアが平民としての暮らしに甘んじていられるはずなどない、それは彼女にとって何よりも辛いことだろう。
そうして、事件は終わりを告げ、これまで通りの日常が戻ってきた、かに思えた。
さすがに連絡しないわけにもいかないだろう、と事件のあらましだけを聞かされたクレスタ子爵が息巻いて王宮に乗り込んでくるまでは。