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侍女さん、思い悩む

「…………」


 メルヴェルが届けた手紙を一瞥すると、店の主はふんと鼻を鳴らしてその高級そうな紙の束を屑篭に放り入れた。

 きょとんとする客の目の前で彼は一度奥に戻り、ややあって手に小さな包みを携えて戻ってくる。


「悪いが、一の姫宛の返事に同封してやってくれ」

「それは構いませんが、中のものが何か伺っても?」

「……婚姻祝いを寄越せと書いてあったからそうしたまでだ」

「ああ……」


 倭国の一の姫が婿を取るという話はレティシアから聞いている。

 どうやら姫は、己が優秀と認めた術士である彼に『祝いの品を』と強請ったようだ。

 この国では術士はあくまでその名の通り『術を使う者』としての存在価値しかないが、倭国では神に近い者、選ばれし者としてそのまじないを縁起担ぎに利用したりするらしい。

 国を左右するだろう婚姻に際し、力の強い術士であるキサラギの祝福が欲しい、と一の姫は考えたのかもしれない。

 しかしキサラギには直接繋ぎを取れない、そこでレティシア宛の手紙に同封する形でキサラギ宛のメッセージを託したのだろう。



 大事そうにそれを鞄にしまいこむメルヴェル。

 それではと帰りかけた彼女を、珍しく彼の掠れた声が呼び止めた。


「待て。先日の異国の娘はどうした?」

「サクラ様のことでしょうか?でしたら2日前に倭国に向けて旅立たれて、今はこちらにはおられませんが」

「そうか、無事旅立ったか。……もう少し話をしたかったが、まぁいい」


 私的なことだが、と彼はどうしてサクラにあれだけ過剰反応してしまったのか、ぽつりぽつりと語った。

 彼の髪が倭国の民にはありえない銀色なのは、母がとある小国の男に無理やり手篭めにされた、その結果なのだと。

 人嫌いなのも他人を容易に信用しないのも、その生い立ちがトラウマになっているからなのだと。

 黒髪の客はメルヴェルも含めて何人かいるが、サクラのような艶やかな濡れ羽のような黒髪を持つ者はなく、だからあの時かなり苛立ってしまったのだ、と。


(欲しくても手に入らなかったもの、だからキサラギさんはあれほどまでに動揺されたのか)


 その気持ちはメルヴェルにも少しわかる。

 彼女が欲しくても手に入らなかったものを、弟は易々と手に入れ、それが当然であるかのように振舞っている。

 そこに悪意がないからこそ、尚更それは彼女を苦しめるのだ。

 彼女が弟にだけは平静でいられないのは、その幼い頃からの鬱屈された欲求が尾を引いているのかもしれない。



 だけど、と彼女はここへ来る前の弟を思い出す。

 ちゃんと理解していないかもしれない、その場しのぎだったかもしれない、だけどあの時弟はきちんと真っ直ぐ『姉』を見てくれた。

 罰ランニングを消化しなさいと告げた言葉にも、頷いてくれた。

 コンプレックスは、いずれきっと昇華できる。それはキサラギとて例外ではないはずだ。


「キサラギさんは、その銀色が本当はお好きなのではないですか?」

「……なに?」

「一の姫様から教えていただきました。私の銃が銀色をしているのは、キサラギさんの作品である証だと。そうやって作品に銀の色を載せる……嫌いだとしたら矛盾致します」


 トラウマではあるが、心の底では好きなのだ。

 メルヴェルが弟を見放せないように、彼もきっと銀色という己の持つその特殊な色を嫌いにはなれないのだろう。

 己の作品だと示す意味合いなら、銘を入れるなり付属品をつけるなり方法は他にいくらでもある。

 わざわざ色を変えるということが、彼の本心を表しているように彼女には思えた。


 難しい顔をして考え込んでいたキサラギは、ふと大きく息をついて顔を上げた。


「そう、かもしれないな……少なくとも、染めたいとまでは思わん」

「そうですか」

「……思わぬ発見をさせてくれた礼だ。君の嫁入りの際は、最高の祝福をこめた品を贈ろう。予定が決まったら教えてくれ」

「…………はぁ。現状、その予定はありませんが……」


(嫁入り、ね……予定がないどころか、その気もないのだけど)


 正式に社交界デビューもしていない上に、親からそういった貴族の令嬢としての嗜み云々の教育を受けていないこともあり、メルヴェルは自分が『お年頃』だとは知っていても、結婚に対する焦りなどは全くない。

 基本、社交界では20歳を過ぎれば『嫁き遅れ』だと嘲笑われる。

 レティシアがまだ妃候補だった頃、同じ後宮内において妃の座を争っていたフリージア嬢などがいい例だ。

 彼女は国外から熱心な求婚者がいたとかで、間を置かずに嫁いでいったらしいが……それは特殊な例であると言える。

 大体は、売り時を過ぎた令嬢は修道院に入って尼になるか、貴族の爵位が目当ての平民に嫁がされるか。


 あのナディア嬢にしても、現在20代前半だというから逆算しても嫁いだ時期はちょうど適齢期真っ盛りな頃。

 実家の都合だということだが、それにしても相手が同年代の貴族ということなら、傍目にはいい条件の相手であったのだろうと思われる。

 本人の気持ちを差し引けば、の話だが。




「お使いありがとう。それがお返事かしら?」

「はい。一の姫様へお渡しいただきたい、と。……婚姻のお祝いに祝福の術式を込めた品であると聞いております」

「わかったわ。私は行けないけれど、殿下がお式に参列される予定だからお願いしておくわね」


 それはそうと、とレティシアは悪戯っぽい笑みを浮かべる。


「ここ最近、随分と表情が豊かになったのねメル」

「左様でございますか?」

「ええ。いい傾向だと思うわ。でも少し気になる話を聞いてね。……なんでも今朝、どこかのご令嬢に絡まれたのですって?」


 知られていた、とメルヴェルは身体を硬くする。

 やましいことは何一つない、しいて言うならユリウスが罰ランニングをサボっていたくらいだ。

 とはいえ、あそこであったことを主に知られたとなると、当然ながらその令嬢の素性やメルに話しかけた目的なども明かさなければならなくなる。

 彼女の大事な主は、専属侍女の悩みをそのままにしておくような薄情者ではないからだ。


「私では話せないようなことかしら?」

「いえ、決してそのような。ですがこれは個人的な……」

「個人的な?だからなに?」


 話せないようなことではないなら、話して欲しい。

 そう促され、メルヴェルは躊躇いながらも今朝の出来事を話し始めた。

 罰ランニングの途中であったユリウスに呼び止められたこと、その弟を諌めたところでセルシア伯爵令嬢が現れたこと。

 メルヴェルが【一流】の侍女達を追い出したこと、クロードに付きまとっていること、弟を虐げていること、それらをあげつらって『王宮から辞しなさい』と忠告されたこと。そして


「クロード様と結婚するはずだった。今でも想いあっているのだからお呼びではない、と」

「なるほどね……」


 全て聞き終えたレティシアは、ふぅっと悩ましげな溜息をついた。



(面倒なご令嬢が現れたものね……恋愛ごとはメルにとっては未知の世界だっていうのに)


 メルヴェルとの付き合いでは、家族よりも誰よりもレティシアが一番長い。

 だからその性格や趣向もよく知っているし、主従という以上に姉のような感情で自分のことにはとことん不器用な彼女を見守ってきたつもりだ。

 表情が変わらないため、淡々としているため、主第一主義であるため、彼女はとても誤解されやすい。

 最近になってようやく他の侍女からも認められるようになり、頼もしい同僚だと頼られるようにもなった。

 騎士達からも好意的な目を向けられ、中には本気で『保護者になりたい』『守ってやりたい』と言い出す勇者もいるのだと、レオナルドから聞かされたこともある。


 その中に、殊更人気の高いフェリシア兄弟がいる。

 弟のレインは人当たりが良く要領もいいため、自分に寄ってくるお嬢様方を軽くかわすことができるし、何より数日前『心に決めた人がいるんだ』とはっきり宣言して、ファンクラブの面々をやんわり説得して回ったという手回しのよさも兼ね備えている。


 しかし、最後の砦として残されたクロードは自分のことにはとことん無頓着……そのあたりはメルヴェルと似ているのかもしれないが、とにかくファンクラブの存在になど思い至ることもなく、適齢期である自分に女性が群がってくるのも煩わしいくらいにしか思わず、なおかつ陛下の前ではっきりと『想う人がいる』と宣言したにもかかわらず、その想い人に未だ気持ちを告げていないという。


 その間に、彼がかつて交際していたという自称恋人のナディアが、こともあろうにメルヴェルに宣戦布告してきたというのだから、彼女の主としては笑うに笑えない。


 今の話での唯一の救いは、あの甘ったれの弟であるユリウスにほんの僅かでも希望が見出せた、それだけである。



「そうねぇ……そこできっぱりとした態度を取ったのは褒められるけれど……そのご令嬢には逆効果だったかもしれないわね。ねぇ、メル」

「はい」

「クロードに相談してみなさいな」

「…………お忙しいクロード様に、ですか?」

「あら、何を遠慮しているの。元はと言えば、クロードの撒いた種でしょう?なら、彼自身に回収してもらうのは当然ではないかしら」


 言いがかりをつけてきたナディアは、クロードと以前付き合いがあり今もまだ想い合っている関係だと言っていた。

 ならば、付きまとっているだのといった不名誉な噂をクロード自身に否定してもらえばいい。

 実際、メルがクロードにつきまとっているなどと言われたところで、彼女ら二人をある程度知る者なら笑って否定するレベルの妄言であるのだから。


(とはいえ、メルが実際に動くことはなさそうね。……本当、自分のことには無頓着だもの)


『相談してみなさい』と言われて、『そうですかそれでは』と行動に移す性格ではないことくらい、レティシアにもわかっている。

 だから彼女は、ほんの少し後押ししてやった。


「ねぇレイン、セルシア伯爵令嬢を知っていて?」

「セルシア伯爵令嬢、でございますか?…………いえ、心当たりはございませんが」

「あらそうなの?彼女、クロードと結婚の約束をした仲だと言っていたようだから、どんな方か気になったのだけど」

「は!?兄と、結婚の約束を!?」

「えぇ。()()()()()相手にわざわざそう教えてくださったと聞いているわ。でも……レインも知らなかったということは、クロードにも何か考えがあったのかもしれないわね。ごめんなさいね、余計なことを言ってしまったようで」

「…………いえ、妃殿下。めっそうもございません」


 これで、レインがクロードを問い詰めるだろうことはほぼ確実となった。

 後は、クロード本人がその『事実』を聞かされてどう動くか、それだけである。

 逆に言うと、ここまでして動かないようなら可愛い侍女に相応しくないということだ。




 が、実際はレインが直接クロードを問い詰めるという修羅場にはならなかった。

 レインがまずポールに相談し、ポールは「俺が代わってやりたいが、生憎と夜勤なんだ」と残念そうに答え、だが自分ひとりでは兄弟喧嘩で終わりそうな気がすると考えたレインが、今度は騎士団専属医師であるアレンに声をかけた。

 メルの父親くらいの年齢であるアレンなら、冷静に話を聞いてもらえそうだと判断したからだ。

 そしてアレンも、仕事が終わってからでいいならとそれを引き受けた。


「さて、とクロード……俺も暇じゃない。はっきり聞くが、あの侍女殿のことを女として意識してるってのは間違いないな?」

「間違いありません」

「よし、いい返事だ。なら話してやる。お前の弟レインが、妃殿下から聞かされたっつう、まぁちょっと遠いとこからの情報だが」


 そうして彼は、『妃殿下の侍女がクロードの恋人だと名乗る女性に絡まれ、牽制された』という話をじっくり、言い含めるように話して聞かせた。


「そのご令嬢は、それなりの情報源を持っているらしいな。なにせ、【一流】の侍女達があのお嬢ちゃんがきっかけで追放されたことや、お前さんと一緒の任務に出たことも知ってるってんだから。当の元侍女達やファンクラブだけじゃない……多分騎士団の中にも繋がりがあるヤツがいるはずだ」

「ナディアが、ですか……」

「思いっきり心当たりがあるって顔だな?」

「いえ、ただ……正騎士になりたての頃、交際していたことがあるのは事実です。半年にも満たない間でしたが、結局彼女も私の容姿や背景にしか興味がないのかと失望して別れて以来、でしょうか」


 当時クロードは20歳、ナディアは17歳。

 誰も彼も自分の侯爵令息としての地位やその怜悧な美貌に惹かれて寄ってくる虫のように思え、女性に苦手意識が芽生え始めていた頃、ナディアは彼のその生真面目なところやストイックに任務に尽くす姿勢が好ましいと、そう言ってくれた。

 単純なもので、自分を認められた気がして舞い上がったクロードは彼女と交際し始めた、が……任務で顔に酷い怪我を負い、だが約束を果たすべく彼女の元へ駆けつけた彼を出迎えたナディアは、顔に痕が残ったらどうするのか、次期侯爵として向こう傷のついた顔では怖すぎる、嫌だ嫌だと泣いて嫌がり、彼は静かにキレた。


『私はいずれ侯爵家後継の座をレインに譲るつもりだ。私は一生、騎士として生きていく。王太子殿下を御守りする以上、こういった生易しい傷だけでなく治らない傷も負うだろう。それでも貴方は、構わないと言い切れるだろうか?』




「その翌年、彼女は他国の貴族に望まれて嫁いだと聞いています。勿論その間に何かやり取りをしたこともありませんし、想い合っているなど彼女の妄言です」

「わかった。だが何と言うかなぁ…………」

「まだなにか?」

「おキレイな顔ってのも、面倒なもんだなぁ」

「…………あの時は本気で、顔の傷を残してやろうかとも思いましたよ」


 とにかく、彼が女性不信になった理由はわかった。

 その元凶たる女性が夫の死に伴って実家に戻ってきている、そしてよりにもよってまたクロードの前に立ち塞がろうとしている。

 彼がようやく見つけた、安心して傍にいられる女性を王宮から追い出そうと画策している。

 そうして、自分がその場所に居座ろうと。


(そんなことは、絶対にさせない。メルは私が……)


「姉さまはぼくがまもるんだからっ!!」

「……は?」

「おいおい、クソガキ……ついてきちまったのかよ」


 アレンの部屋の前で仁王立ちになる、痩せて小柄な身体。

 が、その表情は純粋な怒りに満ちており、妙な迫力まで感じさせる。

 彼はユリウス・クレスタ。今朝方、姉とちょっぴり和解したばかりの10歳の少年である。


「悪い。ここへ来る前に治療してやってたんだが……てっきり寝てるもんだとばかり」


 メルに宣言した通り、彼は罰ランニングを終えてから騎士団に戻り、嫌がる同期の子を捕まえて『ぼくの何がわるいの?どうしたらいいか、ぼくわかんないんだ。おしえてよ』としつこく迫って突き飛ばされ、怪我を負って医務室に運び込まれたのだという。


 彼はまだ痛むだろう左足を庇いながらひょこひょこと歩いてクロードの前に立つと、


「あんないじわるおんなにだまされた人なんかに、姉さまはわたさないからなっ!!」


 と、宣戦布告をして足を引きずりながら駆け出して行った。

 今日はここまでだと言い置いて、アレンもその後を追う。



 他人の部屋にぽつんと残されたクロードは、ユリウスのことも含めてどうしたものかと天井を仰いだ。



ユリウスが頼もしい……。

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