侍女さん、自覚する
ここから、前作とはがらりと変わります。
「急な予定変更ですみません。……お願いします、もう一度あのお店に……キサラギさんのお店に連れて行ってください。この国を出る前に、どうしても直接お詫びがしたいんです」
落ち人サクラのレグザフォード滞在4日目。
滞在3日目から最終日までは王都近隣の村を回る予定だったのだが、最初に立ち寄った村で魔獣の群れを見つけたことにより、一行は急遽王都に戻ることになった。
隣国の重要人物であるサクラを危険に晒すわけにはいかないという国としての判断と、これを機にひとまず王都周辺の村や街にある自警組織を、騎士団が監査して回るという決定のためである。
最初の2日は、王都の城下街を軽く見て回っただけである。
なので残りの2日で、まだ見ていない孤児院や修道院、治療院といった国が運営する施設を見学する予定だったのだが、その前にサクラがもう一度キサラギの店に行きたいと言い出した。
迷惑をかけてしまったお詫びをしたいのだ、と。
その必要はないでしょうとやんわり周囲が止めたのだが、彼女は頑として聞き入れない。
一言でいいんです、すぐ終わりますからと粘りに粘るサクラに、わかりましたと早々に折れたのは意外なことにメルヴェルだった。
(キサラギさんの場合、もしどうしても嫌ならそもそも店を閉めてるだろうし)
奇妙なことにいつ訪れても開いているあの店はしかし、冷やかし半分に訪れた騎士の話では決して扉を開いてはくれなかったのだという。
いつもは常時『商い中』になっている看板も、その騎士が訪れた時は『準備中』になっていたというから、やはり何かマジナイを施してよくない輩を近づけないようにしているのだろう。
キサラギがもし本気でサクラに怒りを覚えているなら、その騎士同様店は閉められているはずなのだ。
開いていなければ、サクラも渋々だが諦めてくれるに違いない。
そんなことを考えつつ、急遽予定に組み込む形で訪れた城下街の外れ。
術具店キサラギは、いつものように『商い中』の札を掲げていた。
ああやっぱり、とキサラギの気まぐれに小さくため息をつきつつ、メルはサクラを促して店内へと足を踏み入れる。
そこには、常連客が来た時だけ顔を見せてくれるはずの銀色を纏った麗人……と呼ぶには些か表情が剣呑すぎる、仏頂面の店主が待っていた。
「あのっ、先日は店内で喧しく騒いでしまい、誠に申し訳ありませんでした!」
と、開口一番丁寧に謝罪して几帳面に45度のお辞儀をするサクラに、キサラギも視線をやや斜め方向に俯けて
「こちらこそ、厳しく当たってしまい申し訳なかった」
と、こちらは軽く30度に腰を折った。
何はともあれ一件落着、ということだろう。
その後すぐに店を辞そうとしたサクラだったが、キサラギがそうはさせまいと「良かったら店を見ていけ」と促したため、結局予定をまたしても先送りにして今度こそ店内をじっくり見て回ることになった。
レインという気を取られる相手がいない今、彼女もようやく己の興味を満たすべく意識を店内に向け、時折あれはなんですか、これはどういうものですかと忌憚なくキサラギに質問をぶつけている。
「それじゃ、倭国っていうのは東の国々……東方諸国のひとつなんですね」
「あぁ。こちらでは馴染みのない国名だ、皆まとめて『東国』と呼んではいるが。ほら、これは読めるか?」
「えぇっと……以前勉強した古語に近いとは思うんですが……この文字は確か旧字体の、『恋』?」
「旧字体、というのが何なのかはさて置き。これは遠く離れる恋人に贈る、まじない札という御守りだ。昔は戦などに出向く前に贈ったと聞いている。必ず無事でまた逢おう、その約束の証であるらしい」
「あ、それじゃこれをひとつ……いえ、ふたつください!」
「承知した。ひとつは贈り物用に袋を別にしておこう」
(恋愛ものまで置いているとは、さすがに思わなかったけど…………随分と商売上手になられたものだ)
不器用で、究極の人嫌い。
そんなキサラギが店内にまで顔を出し、なおかつ恋愛関係のアイテムを妙齢の女性に勧めるという光景は、以前であったら決して見られなかったものだ。
しかもしっかりお客様のニーズを見抜き、購買意欲をそそるような言い方までしている。
もしここに倭国の一の姫がいたなら、これは愉快と腹を抱えて大笑いしていたことだろう。
「うーん……微妙な結果でしたね……」
サクラはこの国を出た後、いくつかの国を経由して倭国へ向かう。
そう聞いたキサラギは旅の無事を祈ると言いながらいくつかの護符を割り引いてくれ、更に纏め買いのお礼として『おみくじ』という占い札をサービスで勧めてくれた。
サクラの祖国にもおみくじは存在したらしく、彼女は懐かしいから是非にとそれを引き、流れのままにローウェルからついてきた護衛も合わせて全員が『おみくじ』を引くことになった。
単なる運試しだからとキサラギはそう言っていたが……お得意様であるメルには、この占い札にも簡単な呪がかかっているのだとわかっている。
それほど正確なものではないだろうが、ある程度は対象者の身に起こることを予測し、それを回避できるような文言が書かれてあるのだろう、と。
そんな彼女の引いたくじには、『凶』と意味がわからずともなんとも不気味な文字が浮かんでおり、その意味をサクラに聞くと彼女は表情を曇らせて「下から二番目、ですね」とそれでもはっきりと教えてくれた。
中身はさすがにこの国の人でも読めるような文字で書いてあったが、その内容を簡単に要約すると
『苦難の道行き。今後強大なライバルが現れるが、諦めればその身は傷つき、信じれば道が開ける。何があっても自分を、相手を信じなさい』
という、確かにサクラの言う通りなんとも微妙な結果であった。
(強大なライバル……なんのことだろう?)
父や弟のことかとも思ったが、彼女にとって強大というわけではないので除外する。
レティシアを狙う誰かのことか……それならばライバルという表現はどうにもおかしい。
ふと視線をサクラに戻すと、彼女は真剣に自分のくじの内容を読み返しては、あらぬ方向を見て頬を染めている。
ということは、相応にいいことが書いてあったのだろう。
サクラとレインが想いを交し合った、というのはこの日の朝、出発前にクロードから聞かされた。
夜のうちに事情を聞きに来たレインが、今は遠く離れてしまうけどと思いのたけをサクラに告げ、彼女もそれに応えたらしいのだ、と。
それは、本当に短い時間だった。
クロードが見回りと称して外に出ている間だけ、その部屋を借りて言葉を交わしただけだ。
軽く触れるくらいはしたかもしれないが、それこそクロードやメルの知るところではない。
それを聞いた彼女は、ああなるほどと店先でのサクラとレインの二人の様子を思い出し、そうですかと答えただけで話を終わらせた。
これから離れ離れになる二人に対し『良かったですね』と軽々しく言うのも憚られたし、かといって『それはどうなんですか』と否定する気はさらさらない。
晴れて二人が結ばれる日が来たら、改めてお祝いを言おうと心に決めたくらいだ。
ところでクロードはと視線を隣に向けると、彼はメルの視線から逃れるように自分の引いたくじをポケットにしまいこんでしまった。
余程見られたくないことが書いてあったらしい。
「あぁ、メル……その、」
「はい」
「……足元には充分気をつけるように」
「…………はい?」
なんですか?と首を傾げてみるが、クロードはとにかく足元注意だと言って譲らない。
これから行く孤児院は小高い丘の上にあるが、特に足元が不安定だとか土がぬかるんでいるとかそういったことはなかったはずだ。
もしそういう事実があるにせよ、それなら注意すべきはメルではなく護衛対象のサクラであるはずなのだが。
『想い叶う。ただし、落とし穴に注意せよ』
そんなことが、クロードのくじに書かれてあったなど、メルには知る由もなかった。
最初の訪問先である孤児院を出た後で、サクラは俯き加減に「ここはいいですね」と告げた。
「国が運営してるという背景がしっかりしてる、それに王都の中でも立地条件がいい場所にあるから、子供達ものびのびと暮らせてる。王族の方々もたびたび視察に来られてるようですし……恵まれてます。だけど、ここ以外の孤児院はどうなんでしょうか?国からの補助金を横領する経営者はいませんか?子供達を虐待する職員はいませんか?幼い頃から働かされて、不当に賃金を奪われて泣いている子はいませんか?」
「……いないとは言い切れないでしょう。国が睨みをきかせていても領主が、領主が人格者でも経営者が、経営者がしっかりしていても職員が、そして街の者が、子供達を差別するかも知れません。孤児院出身というだけで、雇う側も不当な扱いをするかもしれない。特に差別意識の塊のような貴族もいます、全てを平等に、差別のない社会というのは理想郷でしかないのかもしれませんね」
現実を憂うサクラに対し、理想は理想でしかないのだと告げるのは、その貴族の現実を目の当たりにしてきたメルヴェルだ。
彼女の両親も、特権階級であるということに胡坐をかいて、下位の者を差別するという卑しい意識の持ち主だ。
彼女自身そんな差別をよしとはしないものの、王太子妃の専属侍女という立場にある以上、公にああだこうだと批判をするわけにもいかない。
今は特に大事な時期なのだ、レティシアの足元をすくわれるような不用意な発言は避けたいところだ。
かといって、貴族の選民意識を積極的に肯定するわけではないのだが。
「そうですよね。……わかってます、みんながみんな理想を掲げて仕事に前向きに取り組んでるなんてこと、あるわけないんだって。いくら上が良くても、下が不正するかもしれない。その逆もあるかもしれない。王政であろうと民主制であろうと、それは同じなんですね」
「そうかもしれません。ですが、だからこそ上に立つ方々は理想を持っておられるのでしょう。そうでなければ、下はついては来ないでしょうから」
上というのは王族、下というのは彼らの下で働く者達のことだ。
全てを良くしよう、悪を根絶しよう、そんな風に驕っている者に下はついてこない。
だから彼らは、まずは身近に改変できるものからと地道に取り組んでいき、その変わろうとする姿を他の者に示すことで自主的に変わっていって欲しい、と願っている。
勿論目に余ることがあれば指導する、時には厳しく取り締まる、だが王族が直接手を出せる範囲には限界がある。
サクラが憂えていた孤児院に関しても、王族が直接回れる範囲も限られているため、代わりに騎士団が、領主が、目を光らせる。
そうやって、まずは上がお手本を示すことで下もそれに倣う……そして何より、倣うことを誉れとするような上にならなければ下はついてこない、王族たるもの誰よりも意識は厳しく身を引き締めて、というのがこの国の王族のあり方である。
メルの言葉に何を感じたか、その後修道院、治療院と回る間もサクラは粛々と経営者の話に耳を傾けていた。
そしてその日の全ての予定が終わり、宿に戻ったところで彼女はメルと話がしたいのだと言い出した。
ならば食事は二人でどうぞ、とクロードが気を利かせて部屋に運んでくれたため、二人は向き合って食事をしながら話すことになった。
「……メルとクロードは、貴族なんですね?」
確信がありますといった口調のサクラに、メルも頷く。
ああいった話をした以上、ただの平民ですと言って通じるはずもないことは彼女自身理解している。
それに、特に隠す必要はないと感じたからだ。
「私、ローウェルで下の人達ばかりが虐げられている姿を見て、これじゃいけないって思ったんです。同じように、宰相閣下をはじめとしてあの国を憂えていた人がいる……だから、下が虐げられないためにはどうしたらいいのか、どうして国がああも荒れてしまったのか、考えました。結果、王政が倒れて民主制が始まった……だけどやっぱり、見えないところで虐げられてる人はいなくならない。どうしたらいいんだろう、ってずっと思ってました」
だがこの国は、王がいて貴族がいて平民がいて、身分制度が確立されているのに国民は皆明るい。
中には不当な扱いを受けている者もいるだろうに、それでも荒んだ印象は受けない。
郊外では違うのかもしれない、全部を見て歩くことは出来ないけれど。
「全部を変えたいって思う前に、まず上が態度をきちんと示さないといけないんですね。そうじゃないと、下はついてこない……王政でも民主制でも、同じことなんですね」
「民主制がどんなものなのかわかりかねますが……恐らく」
「機会があったら是非、見に来てください。その日が来るまでに、私も微力ながら尽力してみますから」
ええ、いつか。と答えながら、メルはほんの少し浮かんだ悪戯心を言葉に乗せた。
「レイン様とのご婚礼の際には、直接御祝いを申し上げたいですから。是非お呼びください」
「えっ、あの、え!?」
参ったなぁ、とサクラは耳まで赤く染めながら小さく笑う。
レインとは確かに想いを交し合った、この視察の旅が終わったらまたここに立ち寄って、その時はじっくりと話をしようと約束したのだそうだ。
サクラはローウェルの救世主とまで言われた存在、レインはこの国の近衛騎士で侯爵家の跡継ぎ候補。
二人が結ばれるためには乗り越えなければならない様々なものがある。
サクラがこの国に移住するのか、はたまたレインが隣国へ渡るのか。
二人の気持ちだけではどうしようもない背景も含めて、時間を設けてじっくりと話をするのだと。
「困難だから、って諦めたくないんです。もしレインの気持ちが変わってしまったら、と不安になることもあると思いますけど。でも、後ろ向きにはなりたくない。後悔したくないんです」
眩しいな、とメルは目を細める。
彼女の主も堂々と前を向いて進んでいるが、タイプは違えどサクラも同種であるようだ。
ひたむきに、前を向いて進んでいく。
簡単そうに思えて、これが何より難しいということはメルも思い知っている。
「それじゃ、メルが結婚する時は呼んでくださいね。どこからでも、駆けつけますから」
「えっ?」
「えっ、ってあの……」
「…………今のところ予定はありませんが。もし、そんなことがあれば是非」
どうして『そんなことがあれば』と付け加えてしまったのか。
どうして『結婚』と聞いた瞬間クロードの顔が思い浮かんだのか。
どうしておみくじの結果を読んで、急にクロードが気になったのか。
わからない、とはもう言わない。
本当はとうに気づいてしまっていたから。
気づいた上で、それを隠そうとしていたから。
(あぁ、苦難の道というのはこういうことか……)
彼に恋をしている、そう気づくことが苦難の道行きの第一歩であったのだと、自覚してしまったから。