フェリシア兄弟、恋を語る
番外編です。
「あれ、メルは?」
「少し前に休ませた。急用でなければ起こさないでやれ」
「あぁ、うん。特に急用とかじゃないけど」
そんなに神経質にならなくても、とレインは苦笑する。
今のクロードはまるで、子供を守ろうとする父親のようだ。
(兄さんは一体、メルの何になりたいのさ?)
保護者希望、というわけでは多分ないはずだ。
あの試験以来急激に増えた彼女の保護者希望という輩に対し、元々兄枠であったレインやポール、父親枠であったアレンなどは生温かくその光景を見守っているのに対し、クロードだけはどこか神経質にピリピリとした様子で、彼女に近づこうとする野郎どもを牽制しているように見える。
ニコラスも、どうやら特別視しているようですねと言っていたし、レインの目にもそう映った。
だからこそ、この任務で二人の仲が縮まればいいなと淡い期待を抱いていたのだが。
……何があったのかはわからないが、やけに過保護度がアップしてしまったクロードに、呆れるやら微笑ましいやら。
(ま、少しは妃殿下の思惑通り進んでるみたいでなにより、かな?)
メルヴェルが自分の傍を離れるのは寂しいけれどと前置きしながらも、レティシアは彼女に人並みの幸せを掴んで欲しいのだと以前そう洩らしていた。
必ずしも恋愛や結婚が人並みの幸せとは限らない。
ただ、彼女が自ら選択肢を切り捨ててしまうのなら、周囲がある程度お膳立てしてあげてもいいのではないか、と。
『あの子爵のことですもの、黙っていたら押し付けるように結婚話を持ってくるに違いないわ。それもきっと家の利益のことしか考えないお相手でしょうね』
それではだめなのだ、その流れではメルヴェルは一生クレスタ子爵家の思惑に囚われ通しになってしまう。
レティシアが表立って守ることは可能だが、そうなるといつまでたっても彼女は『主離れ』できずにその生涯を当然のようにレティシアとその家族に捧げてしまう。
自由意志で選んだというなら何も言わない、せめてその選択肢の中に結婚という項目も入れてあげたい、これは10歳だった彼女を最初に選んだ己の我侭なのだと、そうレティシアは自嘲していた。
レインは、この村の自警団から魔物が現れたと連絡を受け、こうして宿まで事情を聞きにやってきた。
付近の町や村は定期的に騎士が巡回しているのだが、今回のように突然大量発生してしまった魔獣の群れにいち早く対処できなかったというのは、明らかな警備体制の落ち度だ。
偶々クロードとメルヴェルがいてくれたお陰で、村に被害がなかったばかりか村人も魔獣の存在に怯えることなくやり過ごせたのだから良かったようなものの。
今後警備体制を見直すためにも、騎士ではない者の意見も聞きたかったのだが、侍女としては規格外だと言っても魔獣との戦闘で疲労困憊だというなら無理もさせられない。
クロードがメルヴェルを休ませるに至った経緯を知らないレインはそう納得し、さあ兄さん話してもらいますよと些か詰問口調で兄を促した。
「……というわけで、ひとまず全滅はさせたが……どうにも危機感が足りていないように思えるな。騎士の訓練を受けた者ではないとはいえ、村を守る自警団が少々暢気すぎる気がする」
「そうだね。それは俺も感じたよ」
結果論だけ言えば魔獣は退治されたが、それでも村の近くまで迫っていたという危機感を覚えてしかるべきだ。
しかし彼らは自警団とは言っても大体が喧嘩の仲裁に入ったり、家出人を保護したり、野菜泥棒を捕まえたりという仕事しかしたことがなく、魔獣の討伐経験を持つ者もいない。
だから今回も、魔獣が現れたと聞かされて慌てて騎士団本部へ向かったものの、たまたま訪れていた腕の立つ騎士達がそれを撃退してくれたと聞くと、なぁんだたいしたことなかったのかと一瞬で気を抜いてしまったのだ。
日々平和なのはいいことだが、平和呆けするのはいいことではない。
騎士の巡回ルートを再度考え直すこと、そして村の自警団にある程度教育を施すこと、村の隅々まで見渡せるような見張り台を設置させること、その程度は最低限やっておかなければとクロードはレインにそう語り、戻ったら団長達にそう報告を頼むと締めくくって深く息をついた。
ここからは【騎士】としてではなく、【兄弟】としての時間だと線引きをするように。
「ところでレイン、あの落ち人のことだが……お前自身、どう思っている?」
「……どうって?」
「まさか気づいていないのか?」
「だからなんの…………っと、誤魔化すのはやめとくか。兄さんも気づいたわけだしね。うん、気づいてるよ。彼女が俺を、そういう意味合いで好きでいてくれるってことは」
だけどね、と彼は視線を俯ける。
サクラが、エスコートしたレインに好意以上の感情を抱いたのは、彼にもはっきりとわかった。
彼も彼女のことは嫌いではないし、僅かな時間隣でエスコートしただけだがいい子だなと好感を持ったし、そんな彼女に好かれていると知って素直に嬉しいという気持ちもある。
「けどさ、彼女はローウェルの重要人物だよ?もっと言えば救世主様だ。これから他の国に外交にも行くわけだし、戻ってきたところでそう簡単にローウェルが彼女を手放すとは思えない。だったら……これ以上その気持ちが深くならないうちに、忘れた方がいいと思わない?」
俺は嫌なんだよ、彼女を縛るのが。
低く呟かれたその言葉で、クロードはレインが彼が言葉にする以上の気持ちをサクラに持っているのだと、気づいてしまった。
あの短い時間に、彼も彼女に好意以上の感情を抱いた……だからこそ、彼女をこれ以上縛り付けてしまわないように、諦めようとしている。
「ところで、兄さんの方こそどうなの?」
「私はあの落ち人の女性に、護衛対象者以外の感情は抱いていないが」
「そうじゃなくて、メルのことだよ。丸三日一緒だったんだから、少しは進展あった?」
ぐ、と息を呑んで表情を引き締めた兄の様子に、これはやはり何かあったなとレインはにこやかに「で?」と先を促す。
自分だけ真面目に語って終わるのは許さない、とその双眸が告げている。
「あー……進展、というわけではないんだが……少し彼女の過去にまつわる話を聞いた」
「へぇ、自分のことはわりとどうでもよさげなメルが珍しい。それだけ、兄さんのこと信頼してるってことかな」
「まぁ、その場の流れもあったのだろうが」
「うん」
「…………」
「…………え?それだけ?」
「あぁ」
(な、なんなんだその晩生ぶり。今時の5歳児の方がまだ積極的だろうに)
その派手な外見に反して、クロードの恋愛経験値は低い。
小さい頃から綺麗ね、将来が楽しみねと容姿ばかりを褒められた所為か、彼は上っ面だけを見て近づいてくる女性を嫌う。
まだ正騎士になりたての頃に、彼の騎士としてのあり方を認めてくれたという女性とお付き合いしたこともあるが、一度訓練で顔に酷い怪我を負ったことがあり、その顔のまま会いに行ったら半狂乱でキレられたということがあって以来、自分に寄ってくる女性は信用しないのだと女性不信のような状態にまでなってしまったらしい。
だから彼は、後宮に集まった美姫達の中に密かに彼を慕っている者がいるのだと聞いた時、酷く失望した。
ある程度地位があって顔がよければ誰でもいいのか、その程度の想いでこの後宮にいるのかと。
だったら、王太子殿下の顔で迫って全員落としてやろう、と意地の悪いことも考えていた。
試験に合格しないなら、全員脱落しても構わない……レオナルドからそう言われていたからだ。
だけど王太子は、最後の最後でレティシアに出会った。
そしてクロードも、実際に手に触れ間近で接したレティシア以外にあの入れ替わりになんとなく気づいていたという、不思議な洞察力を持った彼女の侍女に出会ってしまった。
主のことならその能力を最大限発揮するというのに、自分のこととなると途端に無頓着になるという、危なっかしくて目が離せない、己の手で守ってやりたいと初めて思えた存在に。
「あー、まぁメルの場合、そう焦らない方がいいとは思うけどさ。でも、そうは見えなくても彼女は適齢期なんだよ?しかも、今はあのある意味面倒な弟クンが騎士団にいるわけだし。ここはある程度足場固めしとかないと、突然どこかのやもめ親父の後妻にやられちゃうかもしれないよ」
ユリウスの実力は保証する、と父子爵が自信を持って送り込んだ自慢の息子。
その息子は未だ実力が認められずに最下層の見習いの地位におり、その見習いの中でも評価は恐らく下の方。
対して姉は侍女という立場にありながら騎士団長に実力を認められ、見習い騎士と一緒に訓練に参加させてもらっている。
このままユリウスがいつまでも見習いでくすぶっていたなら、子爵はこう考えるだろう。
きっと姉が弟の邪魔になっているのだ、ならば適齢期であるのだから適当に嫁に出せばいい、と。
その場合、レティシアも危惧していたように嫁入り先は子爵家の利益最優先で考えられ、メルヴェル個人の幸せなど全く欠片すらも考慮してもらえないに違いない。
そんな可能性を示唆されたクロードは、途端に視線を鋭くして軽く殺気を放った。
「…………そんな話があるのか」
「ないよ!ないけどさ……妃殿下が前に仰ってたんだよ。メルを邪魔者だと思ってるあの子爵なら、それくらいやりかねないって話!」
(ったく。俺相手に殺気立つくらい好きなんだったら、告白でもなんでもすりゃいいのに)
とはいえ今は任務中だ、生真面目で騎士のお手本とまで言われたクロードにはそれは無理だろう。
やれやれ、とレインが先行き不安な兄の恋にため息をつきかけたその時
「……告白を、しようと思ったんだ。彼女の過去の話を聞いて、その気持ちがいっそう強くなったから。だが……できなかった。この顔は、借り物だからな」
「え、じゃあ何?もし素顔だったらその時告白してたって?」
「あぁ。していただろう」
「あ、そう……」
どうやら、レインが思っていた以上にクロードは生真面目で、そして大事な任務の最中であるのに例えひとときでもその任務を忘れるほど、この恋に対して真剣であるらしい。
(……どこまで行っても、兄さんには敵わない、か。俺ももうちょっと真面目だったら、ユリウスみたいに捻くれたかもしれないな)
騎士としては勿論真面目にやっているが、いち個人としては結構大雑把でおおらかな性格のレインは、兄と比べられようが見下されようが、自分は自分だからとマイペースにやってきた。
多少やさぐれた時期もあるにはあったが、兄には兄の弱点があると気づいてからはそれほど兄を意識しなくなっていった。
恋愛経験だけ言えば、レインの方が多い。
それなりに恋もしたしお付き合いもした、女性の気持ちも一般的なそれは大体わかるし、愛想もいいので好かれやすい。
だが、初めてなのだ……サクラのように、しがらみが多い女性に恋をするのは。
だから逃げようとしていた。
本気になる前に、今ならまだ忘れられるから、と。
なのにクロードは、面倒ごともしがらみも、ある意味最強の主や過保護な保護者代理、ついでにはた迷惑な血縁者までついてくる、そんな相手に本気で挑もうとしている。
不器用に、遠回りしながらも、彼女を守ろうとしている。
そんな兄の姿を見せられて、彼はこのまま己の恋を諦めてしまうのが恥ずかしくなった。
「悪いんだけど、兄さん。しばらく……ちょっとの時間でいいから、この部屋借りていい?」
その言葉だけで、兄は気づいた。
弟が、諦めようとしていた想いに向き合おうとしていることに。
「わかった。……眠っているかもしれないが」
「もしそうなら、残念だけど出直すよ。じゃ、行ってくる」
「あぁ。私は外に出ていよう」
健闘を祈る、と冗談めかして軽く肩を叩いてから、クロードはレインに続いて部屋を出た。
階段の手前まで来たところで「レイン様!?」と驚くような声が聞こえたので、今頃はきっとあの部屋で話し合いが始まっているんだろうと予想しながら、静かに外に出る。
外はすっかり静まり返っており、あんなことがあったばかりだというのに自警団が見回りをしている気配もない。
やはり教育をつける必要があるな、とクロードは痛むコメカミをぐりぐりと揉みこみ、顔をしかめる。
「あら?貴方は……ええっと、確か……昼間、魔獣を退治してくださった方、でしたか?」
「……ええ。私一人の力ではありませんが」
「あぁ、良かった。正直、その、動揺していたものであまりはっきり覚えていなかったんです。その節は、ありがとうございました」
「…………いいえ」
『私一人じゃない』という後半部分は全く無視して話しかけてくるその女性は、確か村長の娘だと紹介されていたはずだ。
クロードも彼女の顔をはっきり覚えていたわけではなかったが、その鼻につくほどたくさん振りかけられた香水の匂いが記憶に引っかかっていた。
(……わかりやすい人だ。好みではないから、記憶に残していなかったのだろう)
この青年の顔を借りていて良かった、と彼は当の青年に聞かれたらさぞやショックを与えてしまうだろう失礼なことを考え、すぐそれに気づいて心の中だけですまないと詫びておく。
しかし幼い頃から容姿ばかりを褒められることにうんざりしていた彼にとって、顔を気に留められないというのは本当に新鮮で、だからこそこの平凡な容姿が欲しかったとまで思ってしまうのは仕方のないことなのだ。
ないものねだり、ということだろう。
女性は、すっかり己の本音が見抜かれているとも知らず、ふわりと微笑んで小さく首を傾げた。
「あの、騎士団の方だと伺いましたが、他の騎士の方もそんなにお強いんですか?」
「そんなに、というのがどの程度かはわかりませんが。魔獣を倒せるほどにと問われておられるなら、そうだと思います。騎士たるもの、中型の魔獣くらい倒せなければ一人前とは言えませんから」
「まあ、素敵!」
掌をパチンと合わせ、彼女は嬉しそうに笑う。
その微笑みが、夜会で彼を取り囲んで離れない肉食系のお嬢様方に重なって見え、クロードの背中にひやりとしたものが伝った。
「じゃあきっと、王族の皆様を御守りする近衛の方々はもっとお強いんでしょうね!例えばほら、」
(頼む、それ以上言ってくれるな)
「王太子殿下の専属の、クロード様とか!お綺麗で、次期侯爵様で、更にお強いなんてとっても素敵!」
(…………あぁ)
わかってはいたが、この女性もまた彼の表の顔だけを見て……否、直接見てすらいないのかもしれないが、その上っ面だけに憧れて、勝手な想いを抱いてしまっている。
その『素敵なクロード様』は、今彼女の目の前にいるというのに。
彼は、失望こそしなかったが多大に呆れた。
虚しさを抱えつつ適当に女性と別れて宿の裏手へ回り、自分の部屋にまだ人影が見えることを確認すると、その隣の部屋に視線を移した。
ぐっすりと眠っているのか、部屋の明かりは消えたままだ。
どうしてだか、無性に彼女に会いたかった。
勿論、実行はしなかったけれど。