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侍女さん、過去と向き合う

 

【落ち人】の滞在三日目。

 この日は城下町を抜け、近くの小さな村を訪れることになっていた。

 倭国のお嬢様という設定上本当なら馬車を用意したかったのだが、それでは村人を警戒させてしまうからとサクラは首を縦に振らなかった。


「…………」

「…………」


 急遽用意された馬三頭。

 一人で乗れないサクラはやむなくクロードの前に横座りし、レティシアと共に乗馬を習った経験のあるメルヴェルがその斜め後方を追う。

 さすがにこっそり後をつけることができないと判断した護衛の一人が、もう一頭に乗って最後尾を務めた。


 本来なら村までの道行きも楽しいはずなのに、城下の町を出た四人に会話はない。

 漂うのはどこかぎくしゃくした空気のみ。

 その根源は、昨日思わぬ失態をやらかして反省真っ最中のサクラだ。

 といっても、夕飯時にメルヴェルとクロードがこっそり刺客を撃退したことを聞かされたわけではない。


 彼女は、己がレインへの想いを止められず彼にばかり目を向けていた所為で、せっかく案内してくれたメルヴェルの顔を潰してしまったことに今更ながらに気落ちしているのだ。

 彼女自身、己の故郷と似たような文化を持つ倭国への興味は確かにある。

 その類似性を確かめるために店に行ったというのに、そこで逢ったレインに舞い上がってしまった。

 その所為でメルヴェルが店主に怒られた、というのはその場にいたから知っているが、そのことでごめんなさいと謝罪はしたものの、もしメルが今後あの店に行きづらくなったらどうしようと気に病んでしまっている。


 メルヴェルの性格をある程度知る者なら、そういった場合素直に己の心情を明かして謝ればいいと知っている。

 彼女は礼儀云々に厳しいが、決してわからずやではないのだ。

 それに今回の場合、メルヴェルは呆れてはいるが怒ってはいない。

 キサラギが突然機嫌を損ねることはよくあるので、その原因にいちいち腹を立ててもいられないのだろう。

 当然、異国からの来訪者であるサクラにメルヴェルのこの性格を知る術はない。



 気まずい道行きは、森の向こうに広がる集落が見えたことで途切れた。

 馬を下りて歩きたいと言い出したサクラに馬を引いたクロードが従い、その後を護衛が追う。

 今度はメルヴェルが最後尾を務めながら、彼女は馬をひととき預かってもらえるところを探そうと、馬上で首をめぐらせた。


「…………?」


 ふと、今抜けてきたのとは反対にある森の向こう側に黒い影を見つけ、目を留める。

 獣や家畜の類であれば問題ないのだが、大量に寄り集まってざわざわと蠢いているその姿はメルヴェルの嫌な予感を刺激してやまない。


 視線をついっと村の中に戻すと、村人は誰一人そのざわめく影に気づくことなく。

 先を行くサクラは漸く見せた笑顔で村人に接しており、その護衛も何事か話しながら付き従っている。

 クロードはと視線を向けて、そこで彼も違和感を覚えているらしいことに彼女は気づいた。

 しきりに首を捻り、周囲を見渡しては『おかしいな?』と言いたげに時折メルへと視線を向けては、また周囲を気にしている。


 ふと彼女は、このまま何事もなかったかのように装って、こっそり一人で偵察に行こうかとそんな懲りないことを考えた。

 今ならまだ、クロードも何かおかしいと感じた程度であるようだし、誤魔化しきれないこともないだろう。

 そうしてサクラの護衛に集中してもらっている間に、もう一人のローウェルからの護衛に声をかけてその場を離れる、そんなことも可能だろう、と。


 だが同時に思い出した。

 無茶をするな、相談して欲しい、そう言って怒りを垣間見せたクロードが、その『他人の色を纏った』瞳が、あの時傷ついたように揺れていたのを。

 彼は、相棒として共に任務を任されたメルヴェルに相談してもらえなかった、頼ってもらえなかった、そのことを存外気に病んでいるのかもしれない。

 だとするなら、今また同じように一人で行動しようとしたら……彼は今度こそ、彼女を見限ってしまうだろうか。

 彼からの信頼を、あの笑顔を、失ってしまうのだろうか。



「クロード、ちょっとよろしいですか?」

「あぁ」


 迷った挙句、彼女はクロードを呼び止めた。

 もう一人の護衛はサクラにしっかりと付き従っているため、少しだけならその場を離れても問題ないだろう、それがわかったため二人は道の端に移動する。


「実は先ほど、あの森の奥に不審な黒い影を見ました。まだ遠いようでしたが、あれがもし良くないものなら、ここの村人だけでは対抗する手段はないに等しいかと」

「この嫌な気配はそれが原因か。……避難させるにしても、パニックを引き起こしては逆効果だな。ひとまず正体を探るのが先決、そして村の自警団に言って王都の騎士団本部まで早馬を出してもらおう」


 行けるか?と問いかけられ、メルは即座に頷く。


(最優先は村人の避難。だがその前に食い止められればパニックは防げる)


 ここで村人達に危険を知らせても、危機感の足りない現状を見ている限りでは容易に『余所者』の言葉を信じて逃げ出したりはしないだろう。

 何を言ってるんだと笑い飛ばされ、その間にあの魔獣らしきもの達に侵入を許してしまうかもしれない。

 そうなってからでは遅い。

 村が襲われてから動くのではなく、危険を察知した現段階で動く方がいいに決まっている。


 動けそうなのはクロードとメルヴェル、この二人だけだ。

 サクラの護衛についてきた男も戦えるだろうが、この場合彼がサクラの傍から離れてしまうと彼女の護衛がいなくなってしまい、緊急時に対応できないという不具合が生じる。

 ここはやはり二人で動くしかないだろう。


 もしその影がよくないモノだった場合は、すぐさま引き返して騎士団本部まで知らせる早馬を出してもらえばいい。

 王都からここまで、ゆっくり来た彼らでも1時間かからずに着いた。

 ならば早馬を飛ばせば数十分で着くだろうし、騎士団が準備を整えてここまで馬を飛ばしても恐らく村が壊滅するまでにはどうにか間に合う、はずだ。


 最悪の事態も考え、二人はそう決めてすぐさま行動に移した。



 メルヴェルは二人分の馬を宿屋の主に預け、相場より少し高い程度の対価を握らせてからクロードと共に森に入った。

 レティシアの婚姻の日に攫われ怪我を負って以降、メルヴェルは短剣を持ち歩かなくなった。

 あるのは襲撃に備えて消音効果を付加済みの実弾を込めた銃のみ。

 メルヴェルはそれを手に後ろから、クロードは使い慣れた片手剣を手にして前を進む。

 鬱蒼と木が生い茂った森の中、少し視界が開けた場所に黒い影が固まってざわざわと蠢いていた。


「……やはり魔獣でしたか」


 大きさはそうたいしたことはない。

 遠目で見ても、獣がいるのかという程度にしか思わないだろう。

 だがその赤く光る眼、瘴気を孕む息、シューシューと地面に滴り落ちては土を溶かす酸の涎、それら全てが【魔獣】であると主張していた。


「自警団のところへ行ってくる。すぐに戻るから待っていてくれ」


 とクロードが足早に村へと戻っている間に、メルヴェルは息を潜めて応戦の準備を整えていた。

 小熊程度の大きさの魔獣を前に、彼女はふと表情を翳らせる。


(これは……この魔獣は……あの時の)


 固まったようにその場を動かない彼女を見てどう思ったか、息を弾ませて戻ってきたクロードは魔獣から視線を外さないままに手だけを伸ばして、ポンと彼女の黒髪に手を置いて、優しく一度だけくしゃりと撫でた。


「頼りにしている。後ろを頼んだぞ、メル」


『護る』でも『下がっていろ』でもなく、共に戦おうという意味合いの言葉に、メルヴェルは顔を上げた。

 はい、と答えると彼女も油断なく銃を構え直す。

 背中を預けてもらったのだと、そう自覚するとこんな状況だというのに少し心が温かくなる。



 そこから先、殆どメルヴェルの出番はなかった。

 剣を握れば鬼神の如く、と囁かれた噂通り、剣を握ったクロードは襲い来る魔獣を片っ端から斬って捨て、時にはその懐に飛び込んで剣を突き刺し、動けなくなったものには見向きもせずに次々と倒していった。


(凄い……っ)


 実力試験の時、彼がどれだけ己の力をセーブしていたかが良くわかる。

 森の中という動きを制限される場において、上へ、下へ、右へ、左へ、と彼はその長身を自在に操って一定以上は踏み込ませないように跳び回っている。

 普段の穏やかさは欠片も見当たらない、鬼気迫る戦いぶりにメルヴェルはただただ圧倒されるだけだ。


「メル!」

「!」


 斬り捨てられた魔獣の腕が飛んできたのと、クロードが鋭い声を上げたのがほぼ同時。

 咄嗟に彼女は、手にした銃の引き金を引いていた。

 破裂の術式がかけられた銃弾を受け、腕は空中でバチンと弾け飛ぶ。


(そうだ、呆けてなんかいられない)


 メルヴェルは再び魔獣の群れに向き直ったクロードの背後から、手負いの個体にターゲットを絞り続けざまに引き金を引く。

 待っていてもクロードが止めを刺してくれるが、その前に彼女が止めを刺すことで彼は次の獲物に集中することができる。

 後ろを任されるとは、単に背中を護ればいいというだけじゃない……そう理解した彼女は、積極的に攻勢に出始めた。



 クロードが斬り、メルヴェルが撃つ。

 途中彼女が銃弾を補充するという手間はかかったものの、そのコンビネーションを続けるうちに魔獣の数は格段に減っていった。

 そして最後の一頭となったその時、当然のように剣を振りかぶったクロードをメルは「待ってください」と止めた。


「クロード様、剣を貸してください」

「メル?」

「最後は……私にやらせていただけませんか」


 何かを決意したようなメルヴェルの瞳を、クロードは黙って見下ろす。

 真っ直ぐに見つめ返してくる蒼の瞳は、初めて剣を合わせたあの日と同じ強い決意を湛えている。

 いい目だ、と彼はもう一度改めてそう思った。


 そして無言のまま一度剣を振って血を払い、ご丁寧にグリップ部分を服の裾で拭ってからそれを差し出した。


「その剣は私が見習いの頃から愛用しているものだ。だから今だけ貸す。必ず返してくれ」

「はい。ありがとうございます」


 それは、信頼の証だった。

 そして、怪我をするな、必ず自分の手で返しに来いという約束でもある。

 彼女はそれがわかったからこそ、かわりに自分の銃を差し出して「預かってください」と頼み、一頭だけ残った魔獣に向き直った。



『助けてくれてありがとう。私はレティシア・ローザ・アスコットよ』


 あの時、この銃を持って森に入らなければ。

 近くに遊びに来た公爵令嬢が、気まぐれに森に来なければ。

 魔の力に侵された獣が、彼女を襲わなければ。


 偶然に偶然が重なって、今のメルヴェル・クレスタがある。

 逆に言うと、あの時これと同じ種類の魔獣がレティシアを襲っている場に居合わせなければ、今の彼女はない。

 そしてもしかすると、王太子妃は別の令嬢がなっていたかもしれないし、今の平穏はなかったかもしれない。


 彼女はぎゅっと剣の柄を握り締め、7年前は殆ど歯が立たなかった魔獣相手に真っ直ぐ斬り込んだ。

 全力でもってしても筋を傷つけるのが精一杯だった子供の頃……今の彼女はすっぱりと魔獣の足を切断できるまでに成長している。

 勿論剣の威力もあるだろうが、それに振り回されることなく御しきれるのは彼女の実力が上がったからだ。


 転げまわる魔獣を前に、彼女の操る剣は正確にその首を跳ね飛ばした。

 剣を引く反動でびしゃりと頬に血が飛んだが、彼女はそれを拭おうともせずに立ち尽くしている。


 さすがにその様子がおかしいと気づいたクロードは、剣を握ったままの手にそっと上から触れ、邪魔にならないように放り出すと、目線を合わせるようにしゃがんだ。

 どこか虚ろな蒼の瞳を、心配そうな焦げ茶の瞳が見据える。


「……私が魔獣に出会ったのは、10歳の時でした。あの時はまだ子供で……でも襲われている女の子を助けようと必死で、剣を持って立ち向かい、銃で止めを刺しました。その時から、その銃は私のお守りになりました」


 助けた女の子は、公爵令嬢だった。

 彼女は男装して剣を振るうメルヴェルが気に入ったと笑顔で告げ、侍女にならないかと誘ってくれた。

 その時から、彼女の運命は変わったのだ。


 もしあのまま、レティシアに逢うことなく日々を過ごしていたとしたら、今頃彼女はまだあの子爵家の檻の中で窮屈な生活を強いられていたかもしれない。

 もしかすると、政略結婚でどこかに嫁がされていたかもしれない。

 今のように、尊敬する主に仕えることも、剣や銃を持って護衛としても振舞うこともできず、理解者にも恵まれなかったかもしれない。


「あの時から、私はレティシア様のものです。あの方のために生き、あの方のために命を捧げる……その、はずでした。なのに、最近思うんです。レティシア様にもう私は必要ないんじゃないかと」


 レティシアの周囲には、レインをはじめとする有能な近衛がいる。

 侍女も一度総入れ替えしてからは、気さくで有能な人材ばかりになった。

 何より王宮は多くの術士に護られており、彼女を溺愛する夫も、彼女が大事に護る一人息子も、未だ現役な国王夫妻もいる。

 今代の騎士団も歴代のそれに比べてレベルが高いと評判で、特に四人の騎士団長はそれぞれかなりの実力を有しているらしい。


 メルヴェルが彼女を護らずとも、彼女を護る存在は多い。



「…………」


 クロードは何も言わなかった。

「それは違う」とも、「そうじゃない」とも、「それでも君が必要だ」とも言わず、ただ黙って腕を差し伸べた。

 うつろな目をした彼女を、その腕がそっと引き寄せて庇うように抱きしめる。

 しゃがみこんだ彼に、メルヴェルは凭れ掛かるようにしながら、眼を閉じた。


 7年前のあの日、魔獣を倒した後でレティシアに抱きしめられた。

 気を張っていたが本当は怖くて怖くて仕方がなかった、堪えきれずに流した涙をレティシアは受け止め、自分も怖かったのだと一緒に泣いてくれた。


 今も、本当は怖い。

 心の支えになっていたレティシアが遠い存在になってしまったようで。

 自分はもういらないのだと、そんな恐怖心を抑えきれず。

 久しぶりに流した涙は、あの時とは違うがっしりとした肩に落ちて、消えた。


「メル」


 もういいんだ、と彼の手が黒髪を何度も撫でる。

 子供にするように、優しく。


「君は、一人じゃない。君はもっと周囲を頼っていい。甘えてもいいんだ」


 メルに頼ってもらいたいと願う者は、きっと多い。

 甘えられたら嬉しいと感じているのは、きっとクロードだけじゃない。

 今以上に構いたい、甘やかしたい、そう思っている者もいるだろう。


「君が思う以上に、君を好いている者は多い。君の世界はもう妃殿下だけじゃない」


 本人が自覚する以上に、世界は広がっている。

 彼女を認め、守ろうとしている者達が世界を広げてくれていることに、きっと彼女だけが気づいていない。


 その中の一人が彼であることにも、彼女はきっと気づいていない。

 だけど今は……仮初の姿を纏っている今は、その言葉を口にしたくはなかった。

 言うならきちんと、自分の姿に戻ってからだと彼は自制する。

 かわりに、彼は一言だけ告げた。


「メル、王都に帰ったら話がある。聞いてくれないか、とても大事な話を」



クロード、それ死亡フラグや……。


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