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侍女さん、叱られる

 

「お、」

「え?」

「あっ」

「ん?」


 翌日

 キサラギの店に入った瞬間、出会った四人が四通りの反応を示した。


 兄に次いでそろそろ常連客になろうとしているレインが、意外な人に会ったとでも言うように。

 危うくその痩身にぶつかりかけたメルヴェルが、一歩身を引いて。

 その背後から顔を出したサクラが、どこか呆然とするように。

 最後、周囲を警戒しつつ店に入ってきたクロードが怪訝そうに。


「レイン様でしたか。今日はお仕事の方はお休みですか?」

「いや、交代で休憩を取ってるとこ。俺は団長の命令でね、護符を買い足しに来たんだ。ところで……そっちも仕事中だと思ったんだけど」

「はい。お嬢様がこちらに寄ってみたいと仰せでしたのでお連れしました」


 そう広くない店内で器用に脇に避けたメルヴェルの背後から、サクラがおずおずと進み出る。

 彼女の目は、あれほど興味を持っていた護符の棚ではなく正面の近衛騎士に釘付けだ。


「あ、あの……おはようございます。先日はどうもありがとうございました」

「あぁ、あの時の!その、俺の方こそなんかごめんね?急に呼び出されてエスコートしろなんて言われたものだから、何にも準備してなくて。()()()と違って、どうにもああいう場は慣れてなくてさ」


『兄さん』と殊更強調して発音されたのがわかったのか、クロードの表情が僅かに『近衛騎士筆頭』の顔に戻りかける。

 が、幸いサクラがすぐに「そんなことありません」と応じてくれたため、任務中だと再確認した彼はまた無表情を装った。

 ここでのクロードはあくまで下っ端騎士であり、近衛であるレインとは身分差があるという設定なのだ。

 サクラはそこまで細かいことには気づかないだろうが、ボロを出さないためにも演技は徹底する必要がある。



「本当はさ、エスコートするのも兄さんがいいんじゃないかって言われてたんだよね。けどうちの兄さん、結構な堅物でね。とある人に誤解されたくないから自分は護衛に徹する、とか言い出しちゃって」


 ぴく、と無表情の下でクロードの頬が軽く引きつる。


「わあ、そうなんですか。確かレイン様のお兄様って王太子殿下の護衛としてついてらした、あの紫色の目の綺麗な方ですよね?チラッとしか拝見してないんですけど、なんだか凄くモテそうなお顔ですし……なのに意外に一途なんですね」

「そうそう。でも誤解も何もねぇ、相手に伝わってなきゃ意味ないと思うんだけど」

「え、もしかして片思いなんですか?」


 彼女らが話題にしているのは、サクラが到着した後ひっそりと行われた国王への謁見の時のことだろう。

 付き添ってきたヴィルフリートが本来エスコートすべきだったのだが、彼は元々国境付近の視察に出向いていたこともあり、謁見に相応しい格好ではないからとそれを断った。

 かといって他の騎士団長にはそれぞれ与えられた役目があるため代わることもできず、あれこれと揉めている間に王太子レオナルドが「じゃあお前」とクロードを指名しようとした。


 と、そこで口を挟んだのが王太子殿下が目下溺愛中の妻、レティシアだ。

 彼女は以前、クロードが隣国の王女の求婚を断った時のことを挙げ、もし他の方のエスコートをしたらお相手の方は誤解するかもしれませんわね、とちくりと釘を刺した。

 そこでクロードの意向を確認したところ、それは困ると本音を漏らしたところで、では社交的で初対面でも緊張させないレインを、と弟にお鉢が回ってきたというわけだ。


 余談だが、レティシアがあまりにもクロードを気にかけるため、少々贔屓が過ぎないかと些か拗ねたようにつっこんだ王太子に、彼女は『あら、公の場で貴方ばかりを贔屓できないでしょう?』と微笑んだというのだから、まだまだ新婚気分の抜けない微笑ましい夫婦であることに変わりはない。


 その時の経緯はメルヴェルも知っている。

 の、だが……そのエスコートの話題が、どうしてクロードの恋愛話に変化しているのか。

 レインが絶賛他人に偽装中の兄をからかっているというのはわかる、わかるのだがこの状況でさすがにここまでの話題脱線はどうなんだろうとメルヴェルはそっと放置中の店主、キサラギに視線を移した。


 そう、珍しいことは重なるもので、人嫌いなキサラギが今日は何故か店のカウンターにまで出向いてきていた。

 いつもは常連客であっても奥の作業所に呼びつけるくらいなのだが、どうやら社交スキルに長けたレインは彼のお眼鏡に適っただけではなく、引きこもり癖を和らげてくれていたらしい。


「お久しぶりです、キサラギさん」

「ああ。……手入れが必要か?」

「いえ。今日はあちらのお嬢様をお連れしただけですから、また日を改めます」


 ちらり、とキサラギの眼差しが同じ色を宿すサクラを捉える。

 彼女は先程から楽しそうにレインとの会話に花を咲かせている。

 黒髪に同色の瞳……知る人ぞ知る存在の【落ち人】だと言われるより、確かに倭国からの旅行者だと言われた方がしっくりくるかもしれない外見。

 自分が得たくても得られなかった【黒髪】の異邦人に、彼はふんと高飛車に鼻を鳴らして視線を逸らした。


「帰れ」

「……なにかご不快になられるようなことでも?」

「…………ここは茶店ちゃみせではない。戯れたければ他所へ行け」

「失礼致しました。出直して参ります」


 突然キサラギが不機嫌になった理由はわからないものの、確かに店先でいつまでも立ち話していたのでは例え他の客が来ても入り難いはずだ。

 護符の文字に興味津々だったサクラも、今はどうやらレインにその興味が移ってしまっているらしい。

 第一、店主であるキサラギに『帰れ』と宣言されてしまったのでは、このまま居座るわけにもいかない。


 お嬢様、と声をかけようとメルヴェルが息を吸ったところで、とうとうネタにされるのに耐えかねたらしいクロードが、「お二人とも」と口を開いた。

 その顔はやはりどこにでもある平々凡々な容姿であったが、かもし出す雰囲気は正に氷……彼本来の研ぎ澄まされた鋭さが隠しきれていない。


「ここにいつまでも居座っていては、店側のご迷惑になります。レイン()も、どうぞもうお帰りを」

「…………ごめんなさい」

「…………はい」





「なんか本当、すみませんでした……」


 とサクラが改めてそう謝罪したのは、その日の夕食の席でのこと。

 彼女に悪気がなかったのはわかっている、あれはただ単にレインが兄をからかおうと話題をあらぬ方向へ広げたからで、そこで居座り続けたものだから店主の機嫌が悪化したというだけだ。

 確かに、あの店に行きたいと熱心に頼み込んできたのはサクラだ、それを店の中を見るでもなくレインと話し込んでしまった、というのは謝罪に値するかもしれないが。


「付き添っていただいたあの時、本当にホッとしたんです。凄く緊張していたのもあって、震えて立っていられないほどだったし……そういうのもわかってもらえて、大丈夫だよって笑ってもらえたことが嬉しくて。ああ、この人なら信じても大丈夫だってそう思えたんですよね」

「そうでしたか」

「もう会えないって思ってたので、だからあそこで会えたのが嬉しくて。だからその、ええと」


 あぁ、そういうことか。

 クロードには何故かこの時、サクラがレインに向けている気持ちが理解できてしまった。


 彼女は本当に嬉しかったのだ、もう二度と会えないだろうと諦めかけていた人ともう一度会えて。

 だから夢中になって話をした。

 これで本当に最後になるかもしれない、だからせめてもの思い出にと。


(彼女は……レインのことを、好き、なのだな)


 時間なんて関係ない、きっと彼の見せた一瞬の気遣いが彼女を捕らえてしまった。

 でも彼女は隣国ローウェルの重要人物で、レインはここレグザフォードの近衛騎士で。

 例えどんなに想いを寄せても、ここで別れてしまったら恐らくしばらくは……数年は会えなくなる。

 想っても無駄だと、諦めようとしたのだろう。

 これでいいんだと納得しようとしていたのだろう。

 なのに、出会ってしまった。言葉を交わしてしまった。その気持ちを思い出してしまった。


 今が護衛任務中でなければ、レインの元へ行ってサクラへの気持ちを確かめてくるところだが、現在置かれた立場上それもできない。

 可哀想だが、恋愛ごとよりも己が身を優先してもらわなければならないのだ。




「おっと……すまねぇな、お嬢さん」

「あ、いえ。お気になさらず」


 ふらついて、サクラ達のテーブルにぶつかってきた男がいる。

 そのツレであるらしい男がサクラに軽く詫び、テーブルから落ちかけていたスープ皿をささっと元の位置に戻すと、酔った男を支えながらそのまま外へ出て行った。

 が、メルは何かが気になったらしく立ち上がり、クロードに目配せしてから店を出て行く。


「あれ?もしかしてお知り合いでした?」

「えぇ、多分そうなんでしょう。支えていた彼も少し酔っていたようでしたし、途中まで送っていくのかもしれませんね。それより」

「え?」


 クロードはサクラが手をつけかけていたスープ皿を手に取り、足早にカウンターへ向かうと接客係の女性にそれを差し出した。


「すみません。先ほど酔っ払いの客とぶつかった際に埃が入ってしまったようで。料金は上乗せしますので、取り替えてもらえませんか?」


 料金上乗せ、と聞いては断れなかったのか、その女性はわかりましたと応じて素直に厨房におかわりを注文してくれた。

 クロードがちらりと見せた金貨で、金持ちの上客だと判断してくれたのだろう。


(やれやれ。…………さて、メルも上手くやってくれているといいが)


 荒事は本来なら騎士の仕事なのだかな、と彼は小さくため息をついた。




 店を出たメルヴェルは、酔っ払いであろう二人の男を尾行していた。

 尾行、と言ってもこそこそと物陰に隠れてつけているわけではなく、むしろ堂々と『後ろを歩いているだけですがなにか?』と言いたげな様子で、一定の距離を置いて同じ方向に歩いているだけである。


 男達はそれを気に留めた様子もなく時々ふらつきながら先を歩き、そしてとある路地で細い裏道に入った。

 当然、メルも後を追う。

 少し進むとそこは寂れた下町風の町並みに変わり、男はそこで立ち止まってようやく振り返った。


「なんだいなんだい、さっきからずーっと後ろをついてきてるから誰かと思えば。さっきあの店にいたお嬢さんのツレじゃねぇか。俺達に何か用か?」

「御用があるのはあなた方の方でしょう?」

「あん?何の話だ?おいジャック、お前のオンナ関係か?」

「知らねぇなぁ。さっきの上品そうな嬢ちゃんならともかく、ガキにゃ興味ねぇし」


 と、いやらしい目つきでメルヴェルの全身を舐めるように見ながら、ツレの男も歪に笑う。

 普通の女性ならここで気分を害するところだが、幸か不幸か彼女はこのような下品な手合いには慣れている。

 表情一つ変えず、メルはもう一度「御用がおありだったでしょう?」と繰り返した。


「だって先ほど、あのお嬢様のスープに毒を盛られておいででしたから。当然、後をつけられる覚悟もおありだったのではありませんか?」


 そう、クロードが料金を上乗せしてまでスープを取り替えてもらったのは、彼らが酔っ払ったフリをしながらサクラの皿に毒を入れた、そのことに気づいてしまったからだ。

 クロードは、その持ち前の動体視力のよさで男の指が一瞬スープ皿の内側に触れるのを見咎め、そしてメルはサクラに持たせてあったとあるアイテムのお陰で、毒の気配に気がついた。


「これが何だか、おわかりですか?」

「…………しらねぇなぁ。なんだい、そりゃ?」

「これは手首に巻く護符のようなもので、アミュレットと言います。この内側についている石に特殊な術がかけられていまして、持ち主に害を与えるものを警告してくれるのです。例えば刃物なら赤、毒なら黒、というように」


 男が元の位置に戻したスープ皿、その瞬間サクラが持っていたアミュレットの護符が黒く染まった。

 つまり、毒が入れられたと警告してくれたわけだ。


 男達は黙して答えない、つまりはそれが答えだった。





 メルヴェルが宿に戻ったのは、夜も更けてサクラがとうに休んだ頃。

 心配して起きて待っていたクロードを促して部屋に入り、彼女はまず開口一番「こちらはその後問題ありませんか」と問いかけた。


「あの後は特に何もなかった。念のために他の護衛とも情報は共有したので、彼らも警戒は続けてくれるだろう。それより…………怪我を?」

「二人連れでしたから、少しだけ攻撃を受けましたがかすり傷です。裏があるのかどうかまだわかりませんが、気絶してしまったので騎士団の詰め所に預けてきました」

「………………」


 大の男二人を気絶させてしまった、というあたりやはり普通の侍女とは実力も度胸も違う。

 相手はどんな組織に所属しているか知れない、毒を扱う敵だというのに。

 彼女は躊躇いもなく立ち向かい、そして顔に負った怪我をかすり傷だと言って誤魔化そうとしている。


 そのことに、クロードは腹が立った。

 自分を大事にしろと常々言っているのに。

 この任務が始まる前に『何かあれば相談して欲しい』と言っておいたのに。


 彼はついっと指を伸ばし、彼女の頬の傷を指先でなぞった。

 一瞬走るピリッとした痛みに思わず顔をしかめた彼女にその顔を近づけ、頬に滲んだ血を舌で舐め取る。


「く、っ……」

「痛いか?」

「…………」

「メル?」


 誤魔化しは許さない、そんな威圧感のこもった声音で名を呼ばれ、彼女はとうとう「痛いです」と認めてしまう。

 本当に痛いのは傷口か、高鳴りすぎて壊れそうな心臓か、そのことだけは必死に押し隠して。


 そうか、と彼は答えて顔を離す。

 じっと彼女の蒼の瞳を覗き込んでくるのは、他人からの借り物であるこげ茶色の双眸。

 彼女もそれほど覚えていない、さほど特徴のない顔立ちであるのに、今はどうにも目が離せない。


(これは……これは一体……なに?)


 わからなかった。

 自分の感情が、そしてどうしてだか怒っているクロードのことが。


「これに懲りたら、もう二度と無茶はしないように。いいね?」


 ただ、頷くしかできなかった。




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