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侍女さん、町に出る

 


「はじめまして、サクラ・ヒイラギです。こちらの方には苗字が発音しにくいみたいですから、サクラと呼んでください」


 立ち上がって出迎えてくれたその人は、肩先より少し長い黒髪と同色の双眸という倭国の民によくある色彩を持った、20代前半くらいの女性だった。

 一国の賓客だからと偉ぶった様子もなく、きちんと頭を下げられる礼儀正しさはさすがヴィルフリートが気に入っただけはあるといったところか。


 メルヴェルは深々と一礼し、腰を落として貴族の礼をとった。


「はじめまして。ヴィルフリート様の命によりこちらにご滞在の間お世話をすることになりました、メルヴェルと申します。メルとお呼びください」

「クロードと申します。護衛につかせていただくことになりました。よろしくお願いいたします」

「はい。お二人とも、よろしくお願いしますね」


 メルヴェルの淡々とした自己紹介に反し、クロードは言葉少なではあるがいつもより愛想倍増でにこやかに挨拶し、騎士らしく跪いて頭を下げる。

 足して割ったらちょうどいいんじゃないか、とグラドあたりならそう言いそうだ。

 サクラはそんなデコボコぶりを気にした様子もなく、にこやかに笑って受け止めてくれている。



 ローウェルからついてきた護衛組も簡単に自己紹介を済ませたところで、サクラはこの城下町に5日ほど滞在してから次の国へ向かうのだと告げた。

 本当なら辺境の町や国境付近も見て回りたかったらしいが、時間が限られていること、最低限必要な路銀しか用意していないこと、治安が良くないところもあるからとヴィルフリートに止められたことなどあって、城下町とその周辺の日帰りできそうな町や森などに出かけるだけにしたようだ。


「正直、ローウェル以外の国を見て回りたいって気持ちがあったので少し楽しみなんです。勿論、参考になりそうな文化とかお土産物とか暮らし方とか、そういった知識が欲しいって気持ちもありますけどね」

「それでは、貴族街は避けて下町を回った方が良さそうですね。極力、そういった方向でお勧めスポットをご紹介します」

「そうしてもらえると助かります。よろしくお願いしますね、メルさん。クロードさん」

「了解致しました」

「…………承知致しました」


 やりにくい、と感じた本音は顔には出さない。

 これまで彼女はずっとレティシアの侍女として過ごしてきて、名前を呼び捨てられるのが普通だと思ってきた。

 社交界デビューもしていない所為か、『様』付けされた経験もない。

 精々、騎士達の間で『メル殿』『侍女殿』と呼ばれるくらいだ。

 今初めて呼ばれ慣れない『さん』付けをされたこともあり、どう反応していいか彼女は一瞬迷いを見せた。


 サクラは倭国のお嬢様という【設定】である。

 普通、お嬢様は使用人をさん付けなどしないし、それが他人の使用人であっても敬語を使うこともないはずだ。

 だがその【主】に尊敬の念を抱いている場合、間接的に敬意を払うという意味合いで丁寧な言葉遣いになるというのは不自然ではないかもしれない。

 お嬢様と言っても、そこかしこのプライドだけ高い貴族の令嬢とは違う、周囲がそう思ってくれれば偽装成功だろう。


(とはいえ、さん付けは直していただかなくては)


「サクラ様、どうぞ我々のことは呼び捨ててくださいませ。丁寧語まではカバーできますが、お嬢様が使用人身分の者に対し敬称をつけるのは不自然です」

「……わかり、ました。そうですね。私の故郷では例え部下であろうと呼び捨てるっていうのは失礼にあたるので、どうにも慣れなくて。こっちの身分制度についてはわかっていたつもりだったんですけど」


 すみません、と素直に謝るサクラに、メルヴェルもいいえとだけ答えた。

 謝ってもらう必要などなかったが、ここでそれを言い出してはいつまでも話が終わらない気がしたのだ。

 だが少なくとも、偉ぶって【主】のように振舞われるよりは、今のサクラの態度は好感が持てる。



 滞在日数が限られているとあって、この日からすぐに町を見て回ることになった。

 二日かけて城下の町を見て歩き、残り三日で周辺の町や森などを散策することになり、表立ってはメルヴェルとクロードの二人がサクラにつくことになった。

 他の護衛はつかず離れず尾行する者、宿に残って荷物などを守る者、など分担が決まっているらしい。


 まずは定番の市場へと出向いたサクラは、あまりの人の多さに「うわぁ」と口を開けたまま暫し固まった。

 ローウェルにも市場はあるが、情勢が情勢だっただけにこれほどの賑わいはなかったのだという。

 行き交う人に何度かぶつかりながらも、彼女は物珍しそうにあちこちの出店を覗いて回った。

 傍から見れば田舎者丸出しである。


「あれ、なんだかいい匂いがしますね」

「ああ……あちらの店の串焼きではないでしょうか。買って参りますか?」

「あ、いえ。自分で買ってきま…………あれ?」


 財布を出そうとしたその手が空振り、サクラは首を傾げつつポーチの中をごぞごそと探った。

 だがどこをどう探っても、そこに入れておいたはずの財布が出てこない。

 おかしいなという表情になるサクラに、メルヴェルはすまなさそうな表情になり、恐らくスリでしょうと語った。


「申し訳ありません。人ごみに紛れる時はスリに気をつけるというのは、常識だったのですが……迂闊でした」

「そっか……治安がいいと思ってても、どこにでもいるんですね。用心しておいて良かったです」

「用心?」


 今は大分落ち着いたローウェルも、以前はかなり治安が荒れていた。

 窃盗や強盗傷害などは当たり前になっており、酷い時には金をめぐって殺人を犯す者までいたという。

 いくら窃盗犯を捕まえても、犯罪は後を絶たない。

 そのためか、自衛の手段としてある程度金銭を持っている者達は、自分の持ち歩く財布には最低限の金銭しか入れず、スリにあっても被害が少ないようにしよう、と考えた。


「理解できません。例え最低限しか入っていなくても盗られてしまえば充分な痛手ではないのですか?」

「うーん、そこなんですよね。空の財布を持ち歩いたとして、それだとスった瞬間に気づかれるでしょうし。もし空の財布だった場合、プライドの高いスリなら馬鹿にされたと逆ギレ……逆恨みする可能性もあるらしいですよ。だから寄付のつもりでほんの僅かなお金を入れておくみたいです」


 理論は理解できたが、それだと『施しを受けている』と余計にプライドを傷つけてしまわないだろうか。

 そうは思ったものの、大体スリのプライドというのもおかしな話である。

 もしかすると国王の悪政の所為で治安が悪かったということもあり、平民や下級貴族の間では知らぬ間に助け合いの気持ちが生まれていたのかもしれない。


 そういった経緯もあり、サクラは念のためにと手持ちの財布に串焼きを10本くらい買えるだけの小銭しか入れてこなかったようだ。

 スリにあったのはいいことではないが、被害がその程度なら諦めもつくからと彼女は苦笑して言った。



 暢気すぎると呆れるべきか、犯罪を見逃したことを責めるべきか、だがそもそも自分がスリに気づいて未然に防げていれば済んだ話だから。

 メルヴェルが考え込んでいると、不意に腕を軽く引かれて「移動しよう」と小声で囁かれた。

 見るとクロードが、周囲を警戒しつつ開けた方を視線で指している。


 確かにこのまま人ごみに紛れていたのでは、いつまた何か被害に合わないとも限らない。

 先ほどはスリだったからまだ良かったようなものの、サクラは他国の重要人物なのだから命を狙われないとも言い切れないのだ。


「お嬢様、あちらの広場で少し休みませんか?私は串焼きを買って参りますので」

「待った、メル。買いに行くのは私が行こう。お嬢様を頼む」


 言うが早いか、クロードの背がぐんぐんと遠のいていく。

 串焼きを買うくらい誰でもできると彼女はそう判断したのだが、クロードの意見は違っていたらしい。

 どういう意味だろう、と考えるのは後回しにしてメルはサクラを連れて、クロードに指定された広場の方へと足を向けた。



 そこは一種の休憩所のようになっており、何人ものカップルや家族連れなどがベンチに座ってゆったり寛いでいる。


「なんか、メルとクロードって兄妹みたいですね」


 不意にそう告げられたサクラの言葉に、メルは2,3度瞬く。


「……似ていますか?」

「いえ、そうじゃなくて。さっきの、なんだか心配性のお兄ちゃんみたいだなって思って。あの人ごみで、あの行列でしょう?きっとメルをそこに並ばせたくなかったんですよ」


 ああ、そういうことか。と彼女はそこでようやくクロードの意図がわかった。

 あの串焼き屋はかなり人気店らしく、かなりの行列ができている。

 人ごみだけでも凄いのに、その行列に並ばせるということが彼には抵抗があったのだろう。

 騎士のお手本と言われるだけはある、と妙なところでメルは感心してみせる。


「兄妹みたい」と言われたことに関しては、どうにも引っかかりを覚えていたが。



「遅くなりました。全員分買えましたので、どうぞ」

「うわ、ありがとうございます!」


 サクラは素直に一本受け取って頬張り、美味しい!と顔を緩めている。

 だがメルヴェルは気づいていた。

 クロードが「全員分」と言いながらも、一本多く買って先に毒見を済ませていたことに。

 証拠は何もなかったが、彼ならそうするだろうとわかっていた。

 だから彼女も、ありがとうございますと二重の意味で礼を述べて、小さくかじりつく。


「ごちそうさまでした」

「……早いな」

「仕事上、ゆっくり食べてもいられませんから。あ、お嬢様はどうぞゆっくりと味わって召し上がってください」

「はぁ……使用人っていうのも大変なんですね。なんとなく、わかりますけど」


 以前は仕事をしていたから、とは彼女は賢明にも口に出さなかった。

 倭国のお嬢様が仕事をしていた、などと口にするのは違和感があるからだ。

 どこで誰が聞いているのかわからない、それがわかっているからだという彼女の態度に、メルヴェルは改めてほんの少し好感を覚えた。




 それからあちこちの店を見て回り、そろそろ夕飯時で更に混雑するとメルヴェルが告げると、それじゃ戻りましょうかとサクラは一日目の散策を切り上げることを宣言した。

 宿に戻って夕飯を食べてしまえば、彼ら二人の役目はひとまず終わりだ。

 ただ何があるかわからないので、これから情報交換をするというサクラの部屋に探知用の護符を置いておくことにした。


 メルヴェルが取り出したその護符に驚いたのはサクラである。


「それ……!もっとよく見せてください」


 あまりの勢いに戸惑いながらも差し出されたそれを、サクラは食い入るように見つめている。

 触れてもいいかと視線で問いかけ、頷かれたのを確認してからそっと指先で表面をなぞる。


「これ、なんだか日本語に似てる……それに紙も和紙みたいだし、すごく懐かしい」

「にほんご、というのがサクラ様の故郷の言語なのですか?」

「ええ、そうです。日本という国の言葉だから日本語。和紙というのはその日本独特の技術で作られた紙のことで、こちらでも流通している普通の紙よりも強くて柔らかいのが特徴なんですよ」

「『にほんご』に『わし』ですか。どうやら本格的にサクラ様の故郷と倭国の文化は似通っているようですね」


 メルヴェルは簡単に、この護符が倭国の術士の作品であること、その術士が【キサラギ】という独特の響きを持つ男であることを告げた。

 サクラの姓である【ヒイラギ】と【キサラギ】はどこか似通った響きがある。

 それならもしかしたらあの人嫌いの術具店主も逢う気になるかもしれない、そう思ったのだ。


 案の定、サクラは【キサラギ】という姓に興味を示した。

 彼女のいた【日本】という国にも、数は少ないが同じ響きの姓を持つ者がいたらしい。

 もしかすると、彼女にはローウェルよりも倭国の方が合っているかもしれない……そんな思いがふと脳裏を掠めたが、それはサクラの判断することであってメルヴェルの関知することではないと切り捨てる。


「行ってみたいです。もしよかったら明日、連れて行ってもらえませんか?」

「承知致しました。では、今日はこれで失礼致します」



 与えられた部屋に下がって、メルヴェルは考えた。

 レティシアの命とはいえ、どうしていきなり自分がここに寄越されたのか。

【落ち人】の案内役なら、何も自分でなくてもいいはずだ。

 既に彼女には数人の護衛がいて、例えそこにこの国の騎士が混ざったとしても、世話役という名目で侍女が来る必要はなかったのではないだろうか。


 だが、と彼女は考えを改める。

 サクラは妙齢の女性だ、となればもし万が一怪我をした際や不意の出来事が会った時でも、同じ女性であればすぐに対応することができる。

 そういった意味でも女性の護衛……この国に女性の騎士はいないため、実力や信頼度などを考えてメルが選ばれた、というのはわかる気がする。


(そこまでして護衛を強化する必要があるということは……)


 それはつまり、サクラがそれだけ危険な立ち位置にいるということだ。

 いくら隣国の政変が落ち着いたとはいえ、残党がいないとは言い切れないのだから。



(とにかく明日以降も気を引き締めなくては。クロード様ばかりに頼ってもいられない)


 そのクロードに、いつだったか婚約話が持ち上がったことがある。

 相手は東方の国ヴィラージュの第二王女で、いつだったか外交で訪れたレオナルドの護衛として付き従ったクロードに一目惚れし、是非にと婚姻を申し込んできたらしい。

 外交上ヴィラージュとは円満な関係を築いていたし、彼は嫡男とはいえレインが跡を継ぐのだとほぼ決まっていたこともあり、婿入りも可能ではないかと話が進みかけたのだが。


『申し訳ありませんが、想う相手が他におりますのでお断りさせてください』


 クロード本人が、国王の前でそう宣言したのだという。


 ……と宣言した兄さんがすごくカッコよかった、とまるでのろけのような口調で力説してくれたのはレイン。

 だがメルヴェルは、そうですかと淡白に返しただけでそれ以上の反応を示さなかった。

 自分には関係ないことだ、とそう割り切っているからだ。


 しかしそう思う半面、


(クロード様に想う相手、ですか…………)


 それは誰なんだろうか、と気になる気持ちも否定はできなかった。



さあ皆さんご一緒に。

「お前だよ!!」



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