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異世界トリッパー、現状に立ち向かう



【異世界トリップ】という言葉がある。

 否、物語のジャンルと言ってもいいかもしれない。

 生まれ育った世界からある日突然異なる世界へと召還される……その目的は『魔王から世界を救ってください』だとか『王と結婚してください』だとか、はたまた『召還術の失敗です、ごめんねー』という拍子抜けな理由のものもある。

 だがしかし、それはあくまで【物語の中の出来事】だ。

 まさか20代も半ばに差し掛かった自分が体験するとは思ってもいなかった、とサクラ……本名【ひいらぎさくら】は1年前を振り返って溜息をついた。

 

 



 その日、彼女が普段通り仕事場から家路につこうとドアを開けた瞬間、豪華絢爛な室内が目の前に広がっていた。

 ヴェルサイユ宮殿ですか、バッキンガム宮殿ですか、そう混乱する頭で思考をめぐらせていた彼女は、己の背後にあったはずの金属製のドアが跡形もなく消えていることで、更に混乱した。

 どこぞの宮殿らしき建物内、テレビドラマの中だけで見る中世風の服を身に纏った人々。


「……人、か?」

「え、っと……人、ですが。貴方は人です、よね?」

「ああ」

 

 顔は日本人とはかけ離れているが、言葉は通じる。

 不思議なもので、それだけでもなんとかなるような気がしてきた。

 やはりコミュニケーションの第一歩は言葉が通じなくては、と桜は意外と冷静な思考でそんなことを思った。

 


 この国はローウェルという名前らしい。

 その時点で、桜はここが元の世界とは違う次元にあるのだと悟った。

 幸いなことに言葉は通じたため事情を聞くと、現在この国は未曾有の危機に瀕しており、豪華絢爛贅沢三昧なようでいて実は、その内部は腐りきった果実のような状態なのだという。

 いつ溶けて朽ち果ててもおかしくない、という意味だろう。

 

 国民達は己でできることが何かあるはずだと、反国王を掲げる組織を水面下で作った。

 しかし、誰も国王に直接働きかけられる者はいない。

 国の現状に頭を悩ませている宰相でさえ、やんわり忠告しただけで数日牢に放り込まれたというのだから、腐っても国王ということなのだろうと話を聞いた桜はそう理解した。

 

 とにかく、国王の恐怖政治に対抗するには何か異分子きっかけが必要だ。

 そう考えた宰相は、魔術の知識の高い者を反国王組織の仲間に組み入れ、役立ちそうな魔術をあれこれと試していた。

 この日も使われていない離宮を整備するという名目でこっそり集まり、ああでもないこうでもないと試行錯誤していたのだが。

 その矢先に現れたのが桜だったのだという。

 


「君はこの世界では【落ち人】と呼ばれる存在だ。【落ち人】は、ある日突然この世界へと落ちてくるという。君は少なくとも落ちてきたわけではないが、我々が試していた魔術と何らかの関わりを持って喚ばれてしまったのではないか、と私はそう考えている。……【落ち人】が元の世界に戻ったという例は、ない」

 

 元の世界には戻れないと聞いた桜は失望した、そして開き直った。

 元々あの世界には執着もしていなかったし、拠り所となる家族も幼い頃に死に別れて今はいない。

 せっかく希望した仕事に就けたのにと残念な気持ちはあるが、戻れないと言われてそれ以上駄々をこねる気持ちにはならなかった。

 開き直った彼女は、情報収集から始めた。

 彼らから与えられる情報だけでは偏ってしまう、そう考えたからだ。

 

 幸いにしてこの世界では『黒髪黒瞳』が珍しいということもなく、それどころかここから遥か遠い東の島国ではむしろその色を持つ者が多いと聞き、彼女は対外的にはその島国からの旅行者ということにして町を歩いた。

 そして彼女がどうにか納得できる程度にこの国の、そしてこの世界のことを受け入れ始めた頃

 桜をサクラと片言のように呼ばれることに慣れ始めて漸く、彼女はこの国の内情について宰相から話を聞くに至ったのである。

 

 



 そこから先はあっという間だった、とサクラは反芻して俯いた。

 

 自分が迷い込んだこの国は国王の悪政の煽りを受けて今にも倒れそうだ。

 それに上乗せするように、国王は着実に力をつけてきている隣国レグザフォードを取り込もうと、何か戦争のきっかけになるような材料を探しているらしい。

 サクラは戦争を知らない世代だが、その恐ろしさは学校やニュースなどで学習して知っている。

 彼女は自分の世界の知識を宰相や仲間達に語って聞かせた。

 

 王のいる国は珍しくはないが、彼女の住んでいた国は民主国家であったこと。

 それを聞いた宰相は、では国王を倒すのではなく王政の廃止を求めて動こう、と方針を定めた。

 現在の国王は一時期後宮を持っていたこともあったが、どういう理由からかそこに集った者達を惨殺。

 現在は年の離れた王妃を溺愛しているようだが、子には恵まれていないのだとか。

 血縁者もなく、王を継げそうな血の濃い後継者もいない、それなら民主制に踏み切ってしまおうという、これは賭けのようなものだった。

 勿論、そうやって動くにあたり、誤解を避けるように周辺諸国にはひそかに使者を立て、事情を説明済みである。

 間違っても『王政に嫌気が差したから民主制を支持した』などと、王政の国々に喧嘩を売っているととられないようにと先手を打ったわけだが、幸い他国からは現在の悪政が知れ渡っている所為かむしろ同情的な意見すら出たらしい。

 



 彼らの掲げた目標は上手くいった、かに思えた。

 実際、あれよあれよと組織の仲間達は増えていき、これまで贅沢三昧だったごく一握りの大物貴族を除いては貴族達の協力も得られた。

 そしていざ無血開城……と城に乗り込み、国王の『王政を廃止し、国王を退く』という言質もとれた翌日


 国王が、王妃と共に血の海の中で倒れている姿を側付きの侍従が発見した。 



「サクラさん、そろそろ準備は終わりましたか?」

「ああ、ごめんなさい。今出ますね」

「……まだ気に病んでおられるのですね。確かに国王陛下の死は我々が開城を迫ったことに原因があるのかもしれません。ですが、あの方のやってこられたことを考えると、宰相閣下の『無血開城』はどのみち無理がありました。あの方は……あまり私も良くは知りませんが、心の弱い方だったと聞いております。ですから、貴方がそこまで気に病まれる必要はないんです」

 

 むしろ貴方は己を誇るべきだ、と護衛についた兵士は心の中だけでそう主張した。

 

 そう、サクラは本当に良く働いてくれた。

 彼女はこの国とは全く関係なく生まれ育った【落ち人】であるのに、最低限の保護を求めた以外は何も主張せず彼らの計画に参加してくれた。

 時にやんわりと、時に厳しく、彼女はこことは異なる世界のことを語り、この世界のことを知りたいと欲した。

 彼女の協力なしには、『無血開城』を目指すことなどできなかったはずだ。

 国王の自決という残念な結末を迎えはしたが、それでも被害を最低限に抑えられたのは彼女の協力あってのことだと皆そう思っている。

 彼女自身が気に病むことはないのだ……少なくとも、自業自得ともいえる国王の死については。

 



 元宰相と仲間達、そして功労者サクラの力もあってこのローウェルは革命からほぼ半年でどうにか民主国家として形を成してきた。

 そこには理解を示してくれた周辺諸国の協力とひそかな支援もあったのだから、御礼に出向きたいという気持ちはサクラもあった。

 だがいざ出かけるとなると、この国の旗印がいなくてどうするという声やこの大事な時期に遊びに出るのかという非難の声が聞かれるようになった。

 これは遊びではなく外交なのだといくら説明しても、それなら使節団を組むべきだとか、何も『救世主』自らがいくことはないと反対する者などが多い。

 結局押し問答の末、サクラは正式な外交担当としてではなくあくまで旅行者としての扱いで出向き、その国に着いてからこっそり国家元首のしたためたお礼の手紙を渡す、という回りくどい方法を取ることに決まった。

 とはいえ、通行証や国家元首からの手紙にははっきりと『ローウェルの賓客である』と示してあるため、事実上の外交活動とあまり変わりはないのだが。

 そこはそれ、国を出てしまえばいくらでも誤魔化しはきく。

 

(まぁ……正式な使者ではないから間違ってはいないんだけど……)

 

 旅行者という扱いではあるが、観光名所を見て回ってさようならというわけには当然いかない。

 こうして【旅行】に出るにも国民が死ぬような思いをして納めた税金を使っているのだから、いくら正式な使節団ではないにせよある程度その国の内情を見て、知って、そしてこの国のことを伝えてこなくてはならない。

 反対する者達の言い分もわからないではないが、国に縛られず動ける者が少ない現状では【落ち人】であるサクラが動くのが一番いいと決まったのだ。

 それに、彼女なら国の思惑に縛られることなく各国を見て回ることができる、そういう彼女自身の資質も含めての決定だった。

 



 

 かくして【旅行者】サクラと数名の護衛は、ローウェルを旅立った。

 

 途中、野宿に慣れていないはずの彼女がアウトドアの知識を生かして火を起こしたり、携帯食料を使って簡単な料理をしたり、と護衛の兵士達を驚かせたり

 突如魔獣が襲ってきた時は、名誉回復とばかりに兵士達が我先にとそれを倒しに行き、一人ぽつんと残されたサクラが「護衛なら誰か一人は残ってくれないと」とやんわり苦情を申し立てたり

 道行きが途中の村まで一緒だった商人にサクラが口説かれ、あやうく手を出されそうになるところを捨て身で救った兵士が、実はその商人が妻帯者であると知って憤慨したり

 

 好意的に解釈して『賑やかな』旅路が漸く終わりを見せた頃には、全員どっと疲れてしまっていた。

 特にこの国に来て野宿や野営の経験などないはずのサクラのストレスは計り知れない。

 それでもキレない、愚痴らない、投げ出さない彼女に、兵士達は憧れの眼差しを注いだ。

 あくまで、彼女自身に気づかれない程度にそっとひそやかに、ではあるが。

 



 

「ようこそ、旅の方。通行証もしくは身分証の提示をお願いします」

 

 レグザフォードとの国境では、厳つい兵士によって入国審査が行われる。

 いくら通行証を持っていたとしても、それが偽物ではないか、誰かから不正に譲り受けた物ではないかと審査され、問題なしと判断されて漸く入国することが許されるのだ。

 

 兵士の一人が懐から通行証を取り出して差し出すと、訝しげな顔になっていた国境警備の兵士は『あること』に漸く気づいて青くなり、そこで待っているようにと言い置いて詰め所に駆け込んでいった。

 

(うん、あれは気づいた……よね?)

 

 表向きはローウェルからの旅行者となっているが、発行元は国家元首その人である。

 商人であれば商いの許可証、貴族であれば身分証を持って通行証と判断されているのだが、サクラはそのどちらも持っていないため、国を出る際に旅行者としての通行証を発行してもらってあった。

 ただ、彼女の立ち位置が【貴族】でも【一般市民】でもない謂わば【国の賓客】という扱いであるため、身元を証明するのも国家元首が行ったというだけだ。

 それだけなのだが、他国にしてみればいきなり【ローウェル国の賓客】がやってくれば慌てもする。

 



 

 詰め所に駆け込んだ兵士はその上司らしき男性を伴って戻り、ひとまずこちらへどうぞと彼女達一行を詰め所内へと誘った。

 賓客とはいえ正式な使者ではないことから、まずは王宮に問い合わせようというのだろう。

 上司らしき男性は、自分は王宮の騎士団に所属する者だと身分を明かし、使いの者が戻るまで待っていていただきたいと丁寧に事情を説明した。

 そこでサクラも、自分達が正式な使節団ではないこと、世界の情勢を見て回ること、そして自分達の国の状況を伝えるためにやってきたことを簡単に語った。

 

 そうこうしているうちにガラガラと馬車が到着する音が響き、詰め所内に40代と思わしき男性が入ってきた。

 

「やはり貴方だったか。報告を聞いてもしやと思い、駆けつけてみたのだが。久しぶりだな、サクラ殿」

「ヴィルフリート様……ええ、お久しぶりです。まさか騎士団長自らお出迎えいただけるなんて思っていませんでした」

「貴方を直接知っているのは私とあと部下数人くらいだからな。とはいえ、今回は偶々国境視察に来ていて召集する手間が省けた。ここから王宮までだと時間がかかってしまう」

 

 冷徹で生真面目、という言葉がしっくりくるようなこの男は、ローウェルで革命が計画されている頃に何度か接触したことのあるこの国の第三騎士団長だ。

 彼は『表立って支援は出来ないが』と国王からの『様子見宣言』を伝え、せめて物資だけでもと部下を通じてこっそり協力してくれていた。

 サクラがお礼を言いたかった相手のひとりである。

 

「貴方は今回正式な使者ではなく旅行者として滞在されると聞いたが、王宮に呼んではまずいだろうか?」

「できれば、城下町の宿に泊まって色々見て歩きたいと思っているんです。無理でしょうか?」

「……わかった。その辺りの事情をまずは聞かせていただこう」

 

 とにかく馬車に乗り込んでしまったからには、途中で降りては人目につく。

 このまま数日かけてゆっくりと馬車を走らせ、目立たないように一度王宮に入ってから外に出た方がいいだろうとヴィルフリートは判断したらしい。

 街中を馬車が走っている程度なら、さして気に留める者もいないはずだ。

 



 

 馬車の窓からちらりと外を覗き、サクラは小さく溜息をついた。

 外交の経験もない自分が失礼のないように王宮で過ごせるわけはない、どうか賓客という部分を気に留めずに自由にさせてもらえないだろうか、と。

 

 しかしそれは彼女が【落ち人】である以上、無理な相談だった。

 


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