侍女さん、警戒する
王太子妃レティシアの懐妊が発表された。
王宮内は元より城下町は湧き返り、辺境の地にまで口伝い、手紙、報告などでどんどんと広まっていったその情報は、当然のように他国にも届いた。
「倭国の姫君がお祝いに、ですか……」
「浮かない顔だな」
「懐妊自体は大変おめでたいことですし姫君のご訪問も喜ばしいことなのでしょうが、現在のローウェルとの睨み合いを考えると少し不安が残ります」
いつものように銃のメンテナンスに立ち寄ったメルヴェルに、奥で作業中だったキサラギは開口一番『倭国の一の姫が懐妊祝いに来られるようだ』と口にした。
彼は決して雄弁な性質ではないが、時折気になる情報を得た時は贔屓の礼にと内容を明かしてくれることがある。
彼自身情報を売り買いしているわけではなく、ただ馴染みの客が『落としていった』情報を拾い集めて雑談代わりに話しているに過ぎないのだという。
とはいえ、その殆どが今回のように役立つ情報であったりする。
「ああ、ついでだ。北の小国ローウェルについてひとつ話すか。ローウェルはこの大陸の北に位置し、この国と国境を接する小国。あの辺の小国連中の中では裕福だと言われているが、実際貧富の差は相当のものらしい。富める者は湯水の如く金を使い、貧しき者は泥水を啜るが如き生活をおくっている。下級に位置する民の不満は爆発寸前で、密かに反逆を企む組織がいくつもできていると聞く」
「……だから戦争を、ですか?」
「…………だろうな」
戦争となれば、当然国を挙げて臨まねばならない。
それこそ、貧乏だから、国王が気に入らないから、などと言っている場合ではなく働ける者は全て何らかの形で駆り出され、国全体が【戦争】一色に染まる。
【上】にとって、そうして駆り出した国民は言わば【捨て駒】だ。
貧しさを理由に反抗心を持っていた者、国に訴えかけてきた者、彼らが国のために戦おうという意識は限りなく低く、ただ己の生存本能において戦うのみ。
彼らを前線に送り込めば、『反逆』など考えている余裕すらないだろう。
あわよくば、国にとって【邪魔な駒】を減らすこともできる。
貧しき駒達が命を落としても、国からすれば正規の兵士達が勝てばそれでいいのだ。
もし死者も殆どなく大勝という形で終わったなら、相手方……この場合レグザフォード国の領地や富は全てローウェルのものになるのだから、それを貧しき者達にほんの僅か分けてやればいい。
特にローウェルは天然の水場が少ない土地柄であるため、レグザフォードの豊かな水源を得られれば国民の生活水準は多少なりとも向上するはずだ。とはいえ、国力の差を考えてもローウェル側の不利は明らかなのだが。それほど切羽詰まっているということか。
とにかく、国を、国民を助けるというのは後付の理由に過ぎない。
実際、現国王になるまでのローウェルは他国に対して友好的だった。
水が足りなければ地下水源を利用する術を倭国から学び、かわりに自国の特産物を輸出する。
レグザフォードとも一定の距離を置いた状態で、長く付かず離れずの関係を続けてきたのだ。
その均衡を、現国王が崩した。
『現在の国王は狂ってる。後宮を開いたかと思えばそこに集めた姫君達を突然粛清したり。明らかに国力の違うこの国に対して真正面から戦争を仕掛けようとしていたり、な』
ローウェルから亡命してきたアレン……アレクサンドル・シェリアスは、以前そうキサラギに語ったことがある。
彼は王宮勤めの医師だった、だからこそ王が辿った血塗られた年月を誰よりもよく知っているのだろう。
そんな不安定な情勢のローウェルを警戒しつつも、倭国は友好の証にと一の姫自らを女王の名代として来訪させるのだという。
実際、祝うだけなら手紙や贈り物だけで充分であるところをわざわざ王族が出向いてくるのだから、祝い以外の理由があるとみて間違いない。
そしてローウェルもまた、そんな倭国の動きに過敏に反応するだろう。
メルヴェルが言う『不安』はそこにある。
レティシアは今が一番大事な時期だ、そんな中で東方の島国から重要人物が来訪し、更に睨み合っている隣国とは一触即発。
警護はこれまで以上に万全の配慮をもって行われるだろうが、『何から』護っていいのか絞り込めないのでは、どこかにきっと隙ができる。
(誰が敵かもわからない……だけど、私が護るのはレティシア様とお子様のみ)
主とその胎児を優先して護る、それだけ決まっていればメルヴェルには充分だ。
誰がどこから仕掛けてくるかわからない不安は持ったまま、それを不安ではなく緊張感にすり替えてしまえばいい。
安定期に入るまではと外出を控えている間に、国内の貴族からは続々と贈り物が届き、ローウェルをはじめとする他国からも懐妊を祝う内容の手紙が届いた。
そしてそろそろ外出するのもいいだろうと医師から許可の下りたある日
倭国から、一の姫が国境へ向けて旅立った。
倭国は東の島国であり、そこからまずは大陸の東に位置する魔術大国ヴィラージュ王国を通り、そこから陸続きのここレグザフォードへと移動することになる。
ヴィラージュ国に入るまでは倭国の兵のみで、ヴィラージュ国内は彼の国の騎士も含めて護衛を務めてもらい、国境を越えた後はレグザフォードの騎士に交代して王宮まで抜かりなく護衛。
王宮に入ってからは国王夫妻への謁見、王太子との面談を経て、王太子妃レティシアの待つ別邸へと入ることになっており、滞在中はこの別邸が姫君の宿となる。
「ようこそ、一の姫君。わが妃を祝うためにわざわざお越しいただき感謝致します」
「これはレオナルド殿、お久しゅうございます。なに、妾も早う妃殿下にお会いしたくてのぅ、無理を言うて申し訳ござりませぬ」
「とんでもない、こちらこそ妃の体調が整うまではと無理を言って時期を延期していただき恐縮です」
「なに、母御となられたお体を優先なさるのは当然のこと。この国のためにも、良きお子を産んでいただかねばの」
扇で口元を覆い隠しころころと笑う一の姫は、まるで子供のように幼くも見え、また妖艶な大人の女性にも思える。
倭国では王家の娘は他人に名を明かさないというのがしきたりとなっており、身内以外は側付きであろうと『一の姫様』『二の姫様』と呼ぶのが常だ。
【姫】は婚姻を結べば【妃】と名を変えるため、一の姫はまだ未婚であることがわかる。
だが、わかるのはそれだけだ。
倭国の者は顔立ちが全体的に幼く、外見だけでその年齢を判断するのは非常に難しい。
別邸と名は付いても王城の敷地内にある建物であるため、移動は短時間で済んだ。
入り口にはレティシア…………予定では姫が王城に到着した際に出迎えるはずだったのだが、姫自らが『御身大切に』とやんわりそれを断ったという経緯がある。
護衛がついているとはいえ、いつどこから狙われるかわからないというのが理由だろう。
「ようこそおいでくださいました、一の姫様」
「お会いできて光栄じゃ、レティシア殿。お子の具合はいかがかな?」
「はい、先日漸く仕事をする許可が下りました。まださすがにお腹に変化はありませんが、順調のようですわ。お気遣いいただきまして嬉しく思います」
「ふむ、仕事とな。確かに妊婦に適度な運動は必須と聞く、こちらの医師はわきまえておるようじゃ」
顔合わせは概ね和やかに終えられたようだ。
この日は顔合わせだけでお開きとなり、翌日改めて対談という形をとる。
長旅で一の姫が疲れているだろうこと、そしてレティシアの体調を考慮したが故だ。
「ねぇ、メル」
「はい」
自室にて翌日のもてなしについて考えていたレティシアは、倭国産の『リョクチャ』を淹れる腹心の侍女にふと視線を向けた。
「仕掛けてくるかしら?」
『誰が』と言わずとも通じる、そう確信した若葉色の瞳を蒼の双眸が気遣うように見つめ返す。
「まるで仕掛けられるのを待っておられるように聞こえますが」
「そうね。私と一の姫様という大きな【囮】を前に、本性を曝け出してくれれば少なくとも敵の一端は掴めるわ。姫様だってそのおつもりで、ガーデンパーティなんて提案されたんでしょうしね」
翌日の対談は王宮の庭を使い、ガーデンパーティという形をとる。
これはレティシアも言うように、一の姫たっての希望である。
建前上はこの王宮自慢の庭を見ながら茶会がしたいというものだったが、それが『わざと狙われやすい場所に行くことで敵が仕掛けてくるのを待つ』という堂々とした囮宣言だったのは皆承知の上だ。
身重なのだからと反対する声も多かったが、倭国の姫が自ら囮役を買って出たことで『妃殿下は欠席』と言い出せなくなってしまった。
(キサラギさんにもらった守護符を配置しておかなければ)
一の姫の来訪という情報をもらったその日、メルヴェルは強力な守護符を買い求めた。
ひとつひとつは普通の守護符と変わらないが、護るべき対象を取り囲むように一定の距離をおいて等間隔に据え置いたそれは、上手くいけば一度だけ攻撃を跳ね返す【結界】になるのだという。
キサラギに距離の測り方は聞いた、あとはそれを薄暗闇に紛れて実行するだけだ。
メルヴェルはそっと中庭に出た。
朝になってからでは人目につく上に、もし監視されていたなら警戒されてしまう。
夜でも監視している可能性はあるが、目立つ昼間よりはましだろう。
薄暗い中庭を、テーブルの配置を考えながらゆっくりと歩き回る。
テーブルがここ、椅子がここ、護衛がこの辺り、侍女がこの辺り、と確認しつつそれを等間隔にぐるりと取り囲める形に配置しなければならないのだ。
距離を測る道具は己の歩幅のみ、そちらに神経を傾けていた所為で彼女は人の気配に気づくのが遅れた。
「っ、!」
「…………お、っと」
カチャリ、と振り向きざま銃口をつきつけた先には、明らかに女性のものではありえない分厚い胸板。
薄暗く色合いまではっきりとは判別できないが、騎士団の制服に似たデザイン。
そろそろと警戒しつつ視線を上にやると、不意をつかれて驚いたように目を見張る美形の男……クロードの姿があった。
よくよく目を凝らして見ると、夜間巡回当番者用のたすきを肩から掛けている。
この場合、こっそり中庭に忍んで出たメルヴェルに全面的に非がある。
溜息をつきつつ銃を下ろし、申し訳ありませんでしたと素直に頭を下げると、一拍置いて今度はクロードが頭上で溜息をついたのがわかった。
「誰かと待ち合わせ……というようにも見えなかったが。まさか本当に逢引か?」
侍女が私服で夜出歩く理由としての最有力候補に『逢引』というものがあるが、しかしメルヴェルにとっては最も可能性の低い選択肢である。
いいえと頭を振って否定してから、彼女は事情を話すべきか戻るべきかを思案した。
確かにクロードに対する信頼度はそこそこ高いし、彼が王太子殿下を第一に考えて行動している生真面目な性質だというのもわかっている。
だがここで目的を明かすかどうかはまた別問題、クロードが誰かに漏らすとは考えられないものの、どこで誰が聞いているのかわからないからだ。
(多少目立ったとしても朝早くに出直した方がいいか……)
心が決まれば行動も迅速に、とメルヴェルは一礼してその場を立ち去ろうとしたのだが。
「待ってくれ」と二の腕をぐいっと掴まれ、その拍子に手の中からひとつ守護符が零れ落ちた。
リィンと澄んだ音が鳴るそれを摘み上げたクロードは瞳を細め、まじまじとそれを眺めてからメルヴェルに視線を移す。
ああなるほど、とその瞳が納得の色を帯びる。
「……彼の店で話を聞いたことがある。確かにこれなら、御守り代わりにはなりそうだ」
「あの方が、クロード様に?」
「あぁ。最近よく足を運ぶんだが、贔屓の礼だと言ってな。さすがに店主があの老女じゃなかったのには驚いたが」
「そうでしたか」
人嫌いのキサラギが姿を見せた、ということは即ちクロードは彼のお眼鏡にかなったということだろう。
そうでなければいくら贔屓してくれているとはいえ、彼自ら姿を見せることは絶対にしないからだ。
それならば隠すだけ無駄だろう、と彼女は小声で事情を説明した。
『倭国の一の姫、そしてこの国の身重の王太子妃を狙う者から護るための手段として、守護符による結界……守護の陣を張るつもりだ』と。
クロードは「わかった」と一言告げると、手にした守護符を差し出してきた。
だが彼女がそれを受け取っても、その場を動く気配はない。
「私だと歩幅が変わってしまうから手伝えないが、せめて見張り役をさせてもらおう。集中している隙に攻撃されては大変だ」
「……わかりました。お願いします」
メルが慎重に歩を進めて守護符を置くと、巡回のたすきを外したクロードも数歩遅れてついてくる。
そして一定の距離を保ちつつ、彼女だけを見ているフリを装いながら周囲を警戒して、また先に進む。
彼はどうやら『侍女と騎士の秘めやかな夜のお散歩』を演出してくれるつもりらしく、決して触れるほど近づくわけではないが、遠く離れることもない。
ぐるりと一周し、最後のひとつとなったところで何を思ったか、クロードは足早に近づいてきてその手を取った。
名残を惜しむかのように握った手を口元へと運び、キスをするように見せかけて手の中の守護符を奪って、大事そうに握り締める。
「これは明日にしよう。何かあってからでは遅い」
「…………そ、うですね。わかりました」
さすがの『有能侍女』も動揺してしまったらしく、声が上ずってしまったことに残念ながらクロードは気づかない。
メルからすれば、気づかれなくて良かったと安堵すべきなのだが。
(この人は……時々、本当に心臓に悪いことをする)
ルイセが言っていた、クロードの人気の秘密が少しだけわかった気がする。
とは、絶対に口外する気はないが。
ころん、と手の内に戻ってきた守護符が小さくリィンと音を立てる。
クロードはこれを明日にしようとそう言った、それはつまり夜のうちに仕掛けてしまってはクロード以外の巡回の騎士や本当に逢引目当ての侍女などが陣を乱すかもしれないし、そうなっては台無しだからということだ。
それよりも、お茶会が始まる直前に仕掛けた方が誰にも邪魔されずに済む。
「クロード様、ありがとうございました」
そのアドバイスと、言われなくてもわかる気遣いに対して礼を述べたメルを見下ろして、巡回のたすきをかけ直したクロードは「どういたしまして」とアメジストの双眸を柔らかく細めて笑いかけた。