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侍女さん、父親に遭遇する

「メル、隠しておいてもいずれわかるから単刀直入に言うわね。ユリウス・クレスタが明日、騎士見習いの手続きのために来ることになったわ。初日だから、と挨拶も兼ねて保護者同伴だそうよ」

「……そう、ですか……」



 メルヴェルが実家、クレスタ子爵家を出たのは10歳のこと。

 その時、子爵家の『天使』は3歳だった。

 彼の傍には常に誰ががいた。

 いつも誰かに守られ、愛され、優しくされて育った子供。

 邸中、彼を中心に笑い声が広がっていた。


(……けど、私は一度も弟の笑顔を見たことがない)


 メルヴェルと弟が会うことすら稀だった。

 家族の団欒の中にメルの居場所はなく、彼女はずっと一人で過ごしていたから。

 だが時々、偶然姉弟が顔を合わせることがあっても……弟が姉に向ける顔はいつも不機嫌そうなものだった。

 大方使用人などにあれこれ聞かされているからだろう、とメルはさして気にも留めていなかったが。


 そんな、顔も満足に覚えていないような7歳違いの弟が騎士見習いとして城に来るという。


「ユリウスは騎士になるべく育てられた子です。9歳で見習いというのはさして早すぎるわけでもありませんし、来るべき時が来たということでしょうか」

「確かメルのお祖父様が騎士だったのよね?」

「はい。といっても名もなき一騎士に過ぎませんでしたが、祖父は騎士であったことを誇りに思っているようでした。ですからその祖父を見て育った父は騎士になれなかった自分のかわりに息子を、と考えているのでしょう」


 愚かね、とレティシアが呟き、メルヴェルも無言で頷く。


 確かに騎士であることは名誉なことだ、それを生涯誇りに思うのはおかしくはない。

 ただ、だからといってそれを子や孫に押し付けるというのは間違っている。

 子が親の背中を見て育ち、自分もあんな騎士になるんだと決めるのであれば別だが、親が子に騎士になれと命じるのはその子の人権を全く無視した愚かな行為である。

 騎士であろうと商人であろうと農民であろうと、犯罪者でもない限りその職業は他者の役に立つ。

 生家の懐具合や名前の売れ具合によって選べる職業に限りはあるが、それでも『騎士』の一択しか用意されていないのは親の傲慢というものだろう。


「そのユリウス……弟君は納得しているのかしら?」

「彼が生まれてからそれ以外の選択肢が用意されていませんでしたし、なって当然という考えなのかもしれません」

「まぁ、聞いた限りではそのようね。本人がクロードに憧れているから、是非下につかせてやって欲しいと子爵からの手紙にあったそうですもの」

「………それはそれは。クロード様はさぞや胃を痛めておいででしょう」


 ここにクロードが同席していたなら、わかってくれるかとメルの肩をぽんと叩いたかもしれない。



 休暇をもらったあの日、キサラギの店まで同行してくれたクロードは終始紳士的だった。

 メルヴェルを女性としてエスコートしてくれたという意味ではない、むしろ下手に気を遣わず一定の距離を置いて礼儀正しく接してくれた。

 元々あまり他人を信用しない性質のメルヴェルが、道案内役とはいえ他人を連れてきたという事実は、彼女以上に筋金入りの人嫌いであるキサラギをも驚かせた。

 そして彼はどうやら、クロードを【信頼の置ける人物】と認識することにしたらしい。


『……まけておく。表の騎士にも何か勧めてやれ』


 ひとしきり銃を弄り回した後、帰ろうとするメルヴェルを呼び止めて彼はそうぽつりと呟いた。

 そこで『無料にする』と言わない辺りが商売人根性というものなのかもしれない。

 勿論、そんな裏話があったことを知らないクロードは、ふらりと戻ってきたメルヴェルに御守りを勧められ、『お得意様特価ですよ』と店番の老女にも後押しされた結果、弟の分と二つの勾玉……綺麗に磨かれた石に護りの術式を込めた装身具を色違いで買い求めた。


 そして帰り際……少々お待ちをと彼を呼び止めた老女に何事か耳打ちされ、彼らしくもなく動揺した様子を見せたクロードはしかし、すぐに持ち直して老女から受け取った包みを手にメルの後を追ってきた。


『…………これを。()()から、おまけにと貰ったものだ。誰かいい人にと言われたのだが、生憎とそういった相手に心当たりはない。……見たところ、メル殿に似合いそうな色合いだったのだが、貰ってはもらえないだろうか?』


 キサラギがおまけを渡す、など普通なら考えられない。

 だがクロードがこの店を贔屓にしてくれるなら、きっとその繋がりで儲けさせてもらえるだろうと利益のことも考えたのだとすれば、お得意様特典の先渡しという形でおまけしてくれたとも考えられる。

 とはいえ、『誰かいい人に』という指定は一体何を狙ったものか。


 果たして、差し出されたそれを受け取っていいものかどうか、迷ったもののメルは結局それを受け取ることにした。

 キサラギの商品はどれも信頼のおけるものだし、クロードが本気で困り果てている雰囲気が伝わってきたからだ。



 あの事件以降、メルヴェルの周囲は少しだけ色を変えた。

 事件に関わった【一流】の名を持つ侍女達は総じて処分の対象になり、代わりに同僚・上司から評判のいい侍女ばかりで王太子妃レティシアの周囲が固められた。

 彼女達は皆下流貴族か平民出身であったため、登用にあたっては反対意見もあったらしい。

 それを黙らせてくれたのが王太子レオナルドだった。

 今回の事件でいかに【一流】の選定基準が誤っていたかが明るみに出た、これを機に身分・出自に囚われることのない評価制度を導入したい、と。


 レティシアの周囲から、大きな危険要因はひとまず取り除かれた。

 とはいえ王宮の侍女・侍従・下働きらが一新されたわけではなく、また改革を進める王太子やその妃に反感を持つ者もいる。

 レティシアが危険と隣り合わせであることは変わらず、故にメルヴェルが警戒の目を緩めることもなかった。


 そんなメルヴェルを生意気だと相変わらず批判する者は多い。

 その中には兄のように気遣いを見せてくれるレインやポール、クロードの熱烈な信奉者も混ざっているのだから、彼女にとっては迷惑極まりない。

 尤も、そんな関係ではありませんと説明したところで、恋する女性達の反感を高めるのは目に見えているのだが。





 図書室に本を返してきてもらえない?

 これから王妃とのお茶会があるという時に、あえてレティシアはそう言ってメルヴェルを部屋から出した。

 王妃自身は人格的にも出来た人物なのだが、如何せんその侍女がメルヴェルに対抗心を持っているらしくいつも仕事の邪魔をしたり失敗するよう仕向けたりする。

 メル自身はそれを毎回回避してみせるのだが、そういう水面下の諍いを予め避けるのが上の者の務めだとレティシアは以前笑って言っていた。


 王宮の端に位置する図書室は急いで向かってもかなりの時間を要する場所である。

 レティシアの意図するものを知らされている以上、急ぐ必要もないかと彼女は普段通りのスピードで向かっていた。


「やあ、偶然ですね。クレスタ嬢」

「これはヴァニー様……失礼致しました」

「いいえ。こちらが急に扉を開けたのですから、君が謝る必要はありませんよ」


 途中、客間らしい部屋から出てきたニコラスとぶつかりかけ、立ち止まって一礼する。


(……客間?)


 王宮内の客間にはそれぞれランクがつけられており、他国の来訪者をもてなす目的のものから城の上層部が相談室代わりに使うものまで様々だ。

 今ニコラスが出てきたのは、主に国内の貴族が待ち時間を過ごすためのもの。

 ニコラスは平民出身ではあるが今は騎士団長という名誉ある立場にあるため、位置づけ的には中位の貴族とそう変わらない。

 とはいえもし休憩や時間潰しであれば騎士団長専用の部屋を使うだろう。

 となれば、誰かの接待もしくは案内役と考える方が自然だ。


 まずい、と反射的に彼女は思った。

 第四騎士団長が自ら案内役を務める相手ということは、彼の知人か騎士団の関係者の可能性が高い。

 そしてレティシアは昨日こう言っていなかったか。

『明日、ユリウス・クレスタが騎士見習いの手続きに保護者同伴で来る』と。


 もし中にいるのが父と弟であるなら、顔を合わせるのは避けたい。


 



 どうやってニコラスの前を去ろうか、そんなことを考えているうちに恐れていたことが起こってしまった。

 ガチャリと開いた扉から顔を出したのは、白いものが混ざり始めた栗色の髪をぴっちりと撫で付けた壮年の男性……ウィンザー・クレスタ子爵。

 彼はニコラスがまだそこにいたことで表情を笑みの形に崩し、しかしその向こうに黒髪の侍女の姿を認めたことで表情筋を強張らせた。

 10歳の頃から顔を合わせていないはずだが、メルヴェルの顔は幸い奥方によく似ているらしく、多少キツさは目立つがそれなりに整っているためすぐに娘だと判別できたのだろう。


 笑ったり不機嫌になったりと忙しいな、とメルヴェルが人事のように感じたのもほんの一瞬のこと。


「ニコラス殿、その不肖の娘が何か失礼を致しましたかな?何分それは礼儀作法も知らぬ粗忽者そこつものでしてな、私も妻も手を焼いておるのですよ」


 そうきたか、とメルヴェルは呆れるしかできない。

 10歳で手放した、しかも幼い頃から殆ど目をかけていない娘を『礼儀作法を知らない粗忽者』とは良く言えたものだ。

 それは即ち、彼女を侍女として雇い入れ重用したアスコット公爵家に対する侮辱にもあたるというのに。


「……それはそれは、随分とご苦労なさっておられるご様子。では不肖このニコラス・ヴァニー、王太子妃殿下に即刻この者を解雇くださいと申し上げて参りましょう」

「な、っ……!」


 この言葉に焦ったのは子爵一人。

 メルヴェルは静かに凪いだ瞳でじっとニコラスを見つめている。

 ちらりと一瞬彼女の上を掠めたその瞳は、まるで『大丈夫ですよ』と語りかけているように思えたからだ。


「何を驚く必要があるのですか?聞けば彼女は10の頃から公爵家で侍女としての教育を受け、妃殿下の強いご希望に応じて王宮にあがったとのこと。そのような教育を受けておきながら実の親に『粗忽者』と言われる程度の侍女を妃殿下の傍に置くなど許し難い。なに、妃殿下も公爵様もこの話をお聞きになれば考えを改めてくださいますよ」


 これは同意の形を取った非難である、とここで漸く子爵は己の失言に気づいた。

 彼はあくまで遜った意味合いで、そして意のままに動かぬ娘への苛立ちを含めてああ言ったのだが、それを見透かした上でニコラスは正にメルヴェルが感じていたのと同じ『公爵家への侮辱である』という遠回しな批判を投げ返してきた。



 子爵は顔色を赤から青へと瞬時に変化させ、目に見えてうろたえた。

 彼が何気なく娘を嘲ったその言葉は、公爵家の教育がいかに至らないかという指摘をしたと同義なのだ。

 それを当の公爵、そして何よりメルヴェルを信頼して重用しているレティシアの耳に入れられてしまえば、辺境領地のいち子爵など簡単に首が飛んでしまう。


「もっ、申し訳ございません!私はそのようなつもりで申したのでは!」

「そのようなつもり、とは?貴方はこの者が妃殿下の側付きたるに相応しくないと進言してくださったのでしょう?」

「いいえ、いいえ、そのような!娘は確かに粗忽な田舎者でございますが、幸いアスコット公爵様の教えを守り、立派に妃殿下の侍女を努めている様子。子の成長は早いものでございます故、親にとってはまだ雛鳥に見えてしまいまして。大変失礼なことを申しました、お忘れくだされ」

「…………」


 無理やり取り繕ってはいるが、要約すると『娘に逢ったのは数年ぶりだから知らなかった』と己の管理不行き届き及び娘に対する愛情の欠如を自ら露呈しているに過ぎない。

 ニコラスはつくばる子爵を冷ややかに見下ろし、それを無表情で見つめるメルヴェルに視線を移した。


「ところでクレスタ嬢、どこかへ行くところだったのではありませんか?」

「はい、妃殿下よりこの本を図書室にと仰せつかっております」

「それは急ぎですか?」


 どうしてそんなことを聞くんだろうと疑問に感じたメルだったが、そもそも図書室に本を返すという用事はただの建前で、実際は王妃の侍女の嫌がらせから庇おうとしてくれているとわかっていたため、素直にいいえと答えた。

 レティシアからも去り際に「こちらは人手が足りているから急がなくていいわ」と言われており、それはつまり『時間内には戻ってこないように』という指示だと彼女はそう理解している。


 ニコラスはその返事を待ってましたといわんばかりに、ひとつ頷く。


「そうですか。では……ナット」

「はい、団長」


 どこかで控えていたのだろう、瞬時に姿を現した補佐役の少年に、ニコラスはメルヴェルが持っていた本をいとも容易く取り上げ、差し出した。


「これを図書室へ。ああ、妃殿下のお申し付けのようですから、丁寧に扱ってくださいね」

「了解致しました!」


 しっかりと本を抱えた少年は、一礼して廊下の向こうへと早足で歩き去ってしまった。

 後に残されたメルヴェルはニコラスが自分を引きとめたがっているのは理解したものの、どうすべきかわからず小さく首を傾げる。

 そんな彼女の戸惑った雰囲気に、第四騎士団長はふわりと柔らかな笑みを浮かべ大きな爆弾を投下した。


「怪我は完治したんでしたね。では君にはこのまま一緒に騎士団の訓練場へ来てもらいます。先日言ったことは勿論覚えていますね?」


『その噂の実力についてはその怪我が治った後でじっくり調べてみたいものです』


 初めて対面したあの日、彼はメルヴェルにそう告げた。

 そして、その計画は彼女が王宮内で武器を携帯するにあたって騎士団長達が王太子へとつけた条件である、と。

 であれば、何をどう言い繕っても逃れられないということだ。


(父上とユーリが来たこのタイミングで?まさかこれすらこの方の計算なのか?)


 メルヴェルとニコラスがぶつかりかけたのは偶然だ。

 彼女がレティシアから用事を言い付かり、この廊下を通ったのは予め決まっていた行動ではない。

 そんなことを彼が予測できたはずがないのだ。

 だがもし、彼女の父と弟が来たこの日に実力試しの機会をぶつけることを狙っていたなら、ニコラスならあれこれと働きかけて【偶然】すれ違う、そんな状況を作り出すくらいはするかもしれない。



「ああ、勿論……君に()()を頼まれた妃殿下には、こちらから使者を出しましょう。とはいえ、事前に君が手の空いている時なら借り受けても構わない、と許可はいただいてありますが」


 ゾクリ、とメルヴェルの背に悪寒が走る。

 滅多に恐怖という感情を抱かない彼女はしかし、にこにこと穏やかな微笑を崩さない父ほどの年齢のこの騎士団長を怖いと感じた。


「クレスタ子爵もご子息と一緒にどうぞ。6年の間に『成長の早いご令嬢』がどれだけの実力を持ったか、その目で確かめてみたいでしょう?」


 ニコラス・ヴァニーが【曲者】と呼ばれる理由の一端が、メルヴェルにも理解できたような気がした。



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