侍女さん、初デート!?
ちょっと、動きます。
無事に王太子妃のお披露目が終わったその翌日、メルヴェルは強制的に休暇を取らされた。
手当てが早かったお陰で怪我はさほど痛むこともなく、貴族達を招いての晩餐会のサポートも恙無く終えることができた。
だが全て終わった後で話を聞いたレティシアは休むように彼女に命じた。
「事情はレインから聞いたわ。その後始末について殿下と相談しなくちゃならないわね。それに後任の人事も早急に決めないといけないし……だから今のうちに休養をとっておいて」
「……かしこまりました」
『だから』の前には『そのうち休んでいられないほど忙しくなるから』という言葉が隠れている。
これまでレティシアにつけられていた【一流】の名を持つ侍女達は、今回のことで全員纏めて解雇され実家に帰される。
中には今回の事件には積極的に関与していなかった者もいるようだが、他の中傷や嫌がらせに関係のある者ばかりなのは既に調べがついている。
この王宮に蔓延る様々な悪習を潰して作り変えるため、王太子レオナルドは様々な情報を集めて噂の裏づけをとってきた。
名ばかり【一流】である侍女達についても頭を痛めていたらしく、今回のことはいいきっかけになったと喜んでいるとのことだ。
メルヴェルにとっては誘拐され陵辱の危機だったのだから喜ばれても困るのだが、彼女が生かしておいた実行犯達から黒幕が語られたことは王太子の計画に有利に働いたのだし、彼女としても怪我がそれほど酷くなかったこともあって、結果的に利用された形になった事実はスルーすることにした。
結果、レティシアの役に立ったのならそれで彼女にとっては満足なのだ。
【一流】の侍女は外され、そして新しい人事が決まる。
レティシアのことだ、きっと生まれの貴賎関係なく実力のある侍女を引き抜こうとするだろう。
そうなれば、メルヴェルの周囲はめまぐるしく変化する。
そうなる前に休養をとっておくように、という主の気遣いを彼女はありがたく受けることにした。
そうと決まればこの貴重な休日を有意義に過ごさなくてはと、彼女は城下町に出ることにした。
ちょうど銃の手入れをしなければと思っていたところだったし、可能ならば弾も買っておきたい。
城門の近くを通り掛った時、普段なら訓練場から出てこない騎士達が何故かヒィヒィ言いながら城の外周を全力で駆けているのが見えた。
ランニング、という生易しいものではない。
強いて例えるなら罰ゲームのような、そんな壮絶な光景にメルも一旦足を止め絶句してしまう。
「誰かと思えば侍女殿じゃないか。おはよう。私服ということはどこかへ出かけるのか?」
騎士団の訓練場から歩いてきたのは、いつもと違いラフな格好のクロードだった。
その柔らかな薄茶の髪がシャワー後のように湿り気を帯びていること、どこかすっきりとした顔つきであることから、既に訓練を終えた帰りなのかもしれないと彼女は思った。
メルヴェルはきちんと腰を折って礼を返し、律儀にちょうど一人分の距離をあけて立ち止まった近衛騎士を見上げる。
「おはようございます、クロード様。はい、お休みをいただきましたので城下町へ出ようかと。クロード様は訓練帰りですか?」
「ああ。今日は久しぶりに団長達が帰ってきているから、手合わせを少々お付き合いいただいたところだ」
国境付近の見回りと魔獣討伐に出かけていた騎士団長四人が、どうやら王宮に帰ってきたらしい。
先程メルが目にした悪夢のような全力ランニングは、その騎士団長のトレーニングの一環であるようだ。
騎士達は普段から訓練は欠かしていないが、それでもやはり【上】が不在だと手を抜く者が出てくる。
故に、戻ってきて早々に全員連帯責任で鬼の訓練を受けさせられているのだ、とクロードは些か呆れたようにそう語った。
「団長方がいようといまいと、自己鍛錬は欠かすべきではない。あれは自業自得というものだ」
「そうは言っても、君ほどの堅物は希少価値なんですよクロード」
「……ヴァニー団長」
「良かった、まだ出かけていなかったんですね」
振り向くと、痩身の青年がいた。
クロードが『団長』と呼んだ通り、彼も曲者揃いの騎士団長の一人である。
名前は、ニコラス・ヴァニー。
柔らかに微笑むそのどこか幼さを残す顔立ちといい、筋肉などどこについているのかという程の細身の体形といい、とてもそうは見えないがこれでも騎士団ひとつを纏め上げられる実力の持ち主である。
加えて、どう見ても20代半ば……クロードと同年代にしか見えないその外見に反し、彼は今年43歳になる三人の子持ちだ。
曲者中の曲者、それがこの平民出身の第四騎士団長ニコラスを表すに相応しい表現であるだろう。
クロードに用事があるらしいニコラスからさりげなく距離を取り、メルヴェルは【侍女モード】に戻って深々と一礼した。
そして用済みですとばかりにくるりと方向転換しようとしたところを「ちょっと待ってください」と引き止められる。
「君はもしかして妃殿下付き侍女のメルヴェル・クレスタ嬢ではありませんか?」
「はい。お初にお目にかかります、ヴァニー騎士団長」
「礼儀正しいのは大変結構。君の事はレインやポールから話は聞いています。その噂の実力についてはその怪我が治った後でじっくり調べてみたいものですが……」
「団長、それはさすがに問題がありませんか?」
「何を言うんです、クロード。相手の実力を知らずして、どうして共に主を護ろうと誓えるのですか」
本来、侍女は侍女としての職制を越えてはならない。
主を護るのは騎士の役目であり、その主の世話をするのは侍女の役目なのだ。
だがその職制を越え、メルヴェルは武器を携えて騎士と共に主を護っている。
それなら、その実力を正確に把握しておくべきだとニコラスは主張した。
(団長の言われることもわかるが……他の者の目もあるからな)
ニコラスの言う『じっくり調べる』というのは、何らかの試験をするという意味だろう。
それをすれば、嫌でも彼女は騎士達の注目を浴びる。
ただでさえ後宮内での襲撃や今回の誘拐事件においてちらほらと噂が立っているというのに、この上騎士団長監修のもとの実力試験など受けさせられれば、プライドの高い一部の者に妬まれたり嫌悪をぶつけられたりする恐れがある。
「何か思い悩んでいるようですが、これは彼女が武器を携帯するにあたって我々騎士団長サイドからつけた条件のひとつなんですよ。日常的に武器を携帯するのに相応しいか否か、きちんと見極めさせてもらうように王太子殿下にも妃殿下にも話は通っています」
「そうでしたか。それは思い至らず失礼致しました」
「いえ、君達は仲がいいと聞いていますから、心配になる気持ちもよくわかります」
「いえ、仲がいいなどと……そのようなことは。どこからの噂かはわかりませんが、事実無根であります」
おや、とニコラスはわずかに表情を変えた。
常に冷静沈着で聡明、騎士のお手本とまで言われるほどのクロードが、どこか慌てたように早口になりながら必死で否定の言を紡ぐ。
浮いた噂ひとつない品行方正なクロードにも、誰か余程誤解されたくない相手がいるのかとニコラスは瞬間素に戻り、一挙一動見逃すまいとじっと視線を固定した。
その視線が居心地悪く感じるのだろう、クロードはなおも「誤解しないでいただきたい」と言葉を重ねる。
「……そこまで否定すると、さすがにクレスタ嬢に失礼ですよ。ねぇ?」
「いえ、あの」
「そ、そんなつもりではなかったのだ、侍女殿。傷つけてしまったならすまない……私はただ、貴方の評判を心配しただけだ。貴方もお年頃なのだから、下手に気のない相手と噂になってしまったら迷惑だろうと思ってな」
(おやおや、なるほど。そういうことですか)
ニコラスの見たところ、クロードはメルヴェルのことを特別意識しているようだ。
彼の弟であるレインや既婚者のポールなどは、見るからに家族の目線……兄のように目をかけたり言葉を交わしたりしているし、弾四騎士団所属の医師であるアレンはその年齢からもまるで父親のように、時に口煩く注意したりするのだという。
クロードはその派手な外見に反して骨の髄まで几帳面な男であるから、彼もまた他の者と同じように保護者的な感覚で目をかけているのだろうと思っていたのだが。
むしろそういう意味合いで『仲がいい』と言っただけなのだが。
この反応を見る限り、どうやらそれだけではないらしい。
メルヴェルの方は表情を崩さず我関せずといった様子であることから、現時点では双方向の想いではないのだろうが……これはこれで面白そうだ、とニコラスは内心ほくそ笑んだ。
「それはそうと、ちょうど良かった。クロード、それからクレスタ嬢にもお聞きしたい。二人とも、【キサラギ】というお店を知りませんか?」
話の途中で思い出した、とばかりにニコラスは急に話題を変えた。
途端、纏っていた空気が『騎士団長』の厳かなものから、恐らく彼個人のものだろう柔らかなものになる。
「……キサラギ?……名の響きからして倭国関連の店のようですが……私は初耳です」
「そうですか。では君はどうですか?クレスタ嬢」
【キサラギ】……それは正に、メルヴェルが行こうと思っていた東の島国【倭国】出身の術士が営む店だった。
術士といっても公に名乗っているわけではなく、ただ店の中には術を組み込んだ装身具や守護符などが並べて置いてあることから、店主が術士であると推察できる程度だ。
メルヴェルはレティシアについて公爵家に勤めるようになってからの常連であるため、市場では骨董扱いの銃を使い勝手がいいようにカスタマイズしてもらったり、顔パスで常連割引をしてもらったりと色々恩恵にあずかっている。
しかし半面、気難しく人嫌いである店主は滅多に表に出ようとはしない。
彼が倭国出身の術士であるという出自にも関係しているようだが、何故この国にきてひっそりと術具店を営んでいるかまでは誰にもわからない。
(キサラギさんのお店は知ってる。だけど……この方にそれを教えてもいいものかどうか)
店主が人嫌いであること、決して権力に媚びない性格であることはメルヴェルも知っている。
だからこそ、今ここで答えるべきかどうか彼女は逡巡した。
だが、この考える『間』から既に彼はメルヴェルがその店についてなんらかの情報を持っていると気づいたはずだ。
そうであるなら下手に隠し立てするわけにはいかない。
「【術具店キサラギ】であれば、今から向かうところです」
「ああ、そうでしたか。でしたら君にお願いします。病除けになる守護符を一枚買ってきてもらえませんか?相場がよくわからないので、できれば立て替えておいていただけると助かります」
そういうことなら、とメルヴェルは素直に頷いた。
キサラギの店に並ぶ守護符は、効果の差はあれどそれほど高価なものはない。
何十枚もというなら話は別だが、一枚くらいなら立て替えることもできるだろう。
わかりましたとその話を受け、城下町に出ようとしたメルヴェルにクロードが同行を願い出た。
曰く、自分が同行して代金を立て替えた上で商品を持ち帰れば、団長とのやりとりもスムーズに行く上、メルヴェルがわざわざ騎士団に来る必要もなくなる、と。
元々彼もこの日は非番で、町に出るつもりだったとまで言われればメルヴェルに断る理由はなくなる。
ただ、目立つからちょっと困るな、という程度である。
そう、クロードは目立つ。
ニコラスほど極端ではないが充分に痩身と呼べる体格は、鎧を着せても礼服を着せても似合いそうだ。
涼やかなアメジストの瞳はこの国の住人にしては珍しく、その双眸に己を映して欲しいと切望する女性は年齢身分問わず多いに違いない。
加えて性格は几帳面であり堅物と呼ばれるほどに真面目、とくれば『恋人』としても『夫』としても優良物件である。
「侍女殿……っと、さすがに城の外で『侍女殿』というのは目立つか。……その、名を呼んでも構わないだろうか?」
「え?……ああ、はい」
「ではメル殿と呼ばせてもらおう」
王宮での地位も実家の爵位も上なのだから呼び捨てでも問題はないのだが、そこで律儀に『殿』をつけるあたりが生真面目なクロードらしい。
貴族の中でも、ミドルネームを持つのは伯爵家以上。
クロードとレインの実家であるフェリシア家は侯爵の位を持っている。
本来侯爵ほどの地位にあるなら、騎士というある意味危険な職につかずとも大臣や王族の側近といった手堅い役目を労せずして得られる立場にあるのだが、長男であるクロードも二男であるレインもあえて騎士の道を選んだ。
二人とも騎士の素質があったこと、そして現当主である父親が未だ現役であるというのがその理由らしい。
「では、いずれは騎士をお辞めになるのですか?」
「いや……爵位を継ぐのはレインに任せて、私は騎士を続けたいと思っている。あいつの方が社交面でも貴族の駆け引きという点においても上手だ。まぁまだ先の話だが」
そんなことを話している間に二人は路地裏の小さな店の前にいた。
看板には倭国特有の文字とその下に小さくこの国の文字で【術具店キサラギ】と書いてある。
扉を引くと、チリン、と涼やかな鈴の音が鳴った。
店内はさぞや雑然としているかと思いきや、ケースに入った守護符が数点と装身具のようなものが並んでいる程度で、すっきりと片付いている。
その他の品は基本的に奥の倉庫にしまってあり、その都度出してくるらしいですよ、とメルは不思議そうなクロードにそう補足した。
「これはこれはクレスタ様、いつもご贔屓いただきありがとうございます」
「ごきげんよう。今日は新規のお客様をお連れしました」
「はいはい、気づいておりましたよ。ようこそ、フェリシア様」
恭しげに頭を下げる白髪の老女に、クロードは一瞬驚いたように瞳を見張り
そのままメルヴェルに視線を向けて小さく首を傾げて見せる。
『信用できるのか?』という警戒心と『何故私のことがわかったんだ?』という疑念とが入り混じったその眼差しに、メルは『大丈夫です』と頷く。
「恐れながら、フェリシア様はご自分がいかにご婦人方に人気かおわかりになっておられぬ様子。否、ご婦人に限られた話ではありません。騎士に憧れる男の子とて同じこと。貴方様の絵姿は催し物のたびに飛ぶように売れておりますよ」
「そ、そうなのか……」
老女の言葉に戸惑いを見せるクロード。
そんな二人の姿を暫く眺めていたメルヴェルは、クロードが頼まれものの商品を選んでいる間にそっとその場を離れた。
カウンターの奥……常連だけに教えられた通路を通り、店の奥へ。
古めかしい扉をコンコンとノックすると、「はい」と掠れた声がそれに応えた。
切れ長の瞳は刃のように鋭く、
全体的に整った容姿であるのに、貼り付いた無表情の所為で『美しい』というより『怖い』という印象を強く前面に押し出している。
座ったままメルヴェルを見上げる瞳は漆黒。
「……君か」
さらりと揺れたその髪は、倭国の者では持ち得ない銀の色を放っていた。