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子爵令嬢、侍女になる


 彼女 ──── メルヴェル・クレスタは、決して愛されない子供ではなかった。

 ただ、その【愛】の方向性が少々間違っていただけだ。




 彼女が生まれた時、跡継ぎの男子をと望んでいた子爵家の前当主は激しく嘆いた。

 現当主である彼女の父とその妻である母は嘆きこそしなかったものの、厳格な前当主の怒りが爆発しないかとそれを恐れた。


 では次こそは男子をと期待された現当主の妻は、一人目を産んだ後の肥立ちが悪く二人目を望めるかどうかもわからない。

 考えた挙句、前当主はこう命じた。

『この子を後継者とし、騎士とするべく育てよ』と。


 前当主は元騎士であり、常日頃から『身内から騎士を輩出したい』と強く望み続けてきた。

 彼の息子である現当主は才に恵まれず騎士にはなれなかったが、だからこそどうしても望みを繋ぎたかったのだろう。

 この国では女性の騎士は未だ認められていない、ならばせめて真似事だけでもと彼は生まれたばかりの孫に【平凡な貴族の令嬢】としての道ではなく【最低限自衛のできる子爵家次期当主】としての過酷な道を用意した。


 彼の判断は誤っていた。

 もし次代に騎士をと望むなら、メルヴェルをどこに出しても恥ずかしくないご令嬢として育て、そして将来有望な騎士を婿入りさせればよかっただけの話なのに。

 女性の騎士が認められていない現状、いかにこの女児を鍛えたところで騎士になることは叶わず、婿を受け入れるご令嬢としても奇異な目で見られてしまうということに、前当主は気づけずにいた。

 ただただ、次代に騎士をという妄想に取り憑かれてしまったが故に。



 そして、『メルヴェル』と男性名をつけられた女児はかなり歪んだ愛情を受けて育つこととなった。


 メルヴェルは、3歳から剣技を教えられた。

 子爵というのは下から2番目の爵位であり、平民レベルからすれば充分に目上の存在であるが社交界の中ではそれほど身分が高いわけではない。

 加えてクレスタ子爵家は社交界でも『変人一族』と妙な二つ名で呼ばれる家である。

 その不本意な二つ名をつけられた理由としては色々あるらしいが、そこそこ裕福であるのにその財産の使い道が貴族らしくない……例えばドレスや宝飾品などは最低限で、消費された殆どが使いもしない珍しい武器や何に役立つかわからない書物など、という点が大きいだろう。


 その所為もあって、クレスタ子爵家の人間は周囲から奇異な目で見られたり時には嫌がらせを受けることすらあったため、幼い頃から自衛の手段を学ばされていた。

 メルヴェルも例外ではなく、物心つくかどうかという年齢にして早くも幼児用のおもちゃの剣を持たされ、わけもわからず剣技を学ばされた。

 彼女の祖父曰く、考えるよりも体で覚えるにはいい年齢だ、ということらしい。


 そしてメルヴェルは、5歳にして様々な専門書を与えられた。

 同年代の子供が絵本を読んでいる頃に祖父の蔵書を手渡され、わからない部分を周囲の大人達に訊ねながら子供とは思えない程の知識を蓄えていく彼女は充分周囲を驚かせた。

 ただし、かなり偏った知識ではあったようだが。


 



 メルヴェル・クレスタは、それでも皆に愛された子供ではなかった。



 彼女が7歳の時、病弱だった母が奇跡的に二人目を出産した。

 生まれたのは、殆ど絶望的だろうと諦められていた当主候補……男子。

 その時から、彼女の運命は変わった。


『貴方は姉上なのだからおしとやかになさい』

『淑女としての礼儀作法を覚えさせなければ』

『いずれはしかるべき家に嫁がせるのだから、剣など以ての外』


 掌を返したかのような周囲の態度に、子供ながらにメルヴェルは傷ついた。

 それまでの自分を否定されたかのようだと感じた。


 幸い、邸中の者達は皆幼い男子に夢中だった。

 彼女が礼儀作法の授業を抜け出しても誰も何も言わず、彼女がいないことに気付くこともない。



(気を遣っておどおどされるより、いっそ清々する!)


 窮屈なドレスを脱ぎ捨て、彼女は近くの森へと出かけることが多くなった。

 力技ではなく素早さを生かせるようにと買い与えられた子供用の細身の剣を背に括り付け、手には祖父が東方の商人から買い求めた銃という武器を持って。


 この銃という武器はこの大陸の東方……ヴィラージュ王国より更に東の島国で作られたもので、素養がない者にも【魔術】が使えるような仕掛けになっている。

【魔術】の術式を込めた弾を発射し、対象物にあてることで術を発動させるというもので、その込められた術によって効果は様々だ、と商人は得意げに語っていた。

 メルヴェルの祖父が購入したそれは、中に詰まった火薬を術式で破裂させるというものだ。

 扱いを間違えれば危険極まりないそれをコレクションとして買うこと自体、彼が変人と呼ばれる所以であるのだろう。


 しかし彼は熱しやすく冷めやすい性格のため、この銃も愛でるだけ愛でた翌日には倉庫の隅に放り投げられてあった。

 祖父にバレれば厳しく叱られるだろうが、興味が移り変わりやすい彼自身この高い買い物の存在を覚えているかどうかも怪しい。

 第一捨ててあったのだからそれを拾って何が悪い、というのがメルヴェルの主張である。

 子供が勝手に武器を持ち出せるというセキュリティの甘さは、この子爵家全体の恥であり【変人】の名に相応しいと言える。


 



 いつものように剣を振るべく森に入ろうとした彼女は、ただならぬ殺気に反射的に身構えた。


(この気配……森の獣じゃない……魔獣?)


 森に住む獣は基本的に大人しい。

 子供を守るために人を襲うこともあると聞くが、まだ繁殖期ではないはずだ。

 となれば、これは魔獣……【魔】に堕ち理性を亡くした獣という可能性が高い。

 魔獣がこれだけ殺気を露にしているということは、


「まずいっ」


 メルヴェルは駆け出した。

 銃を腰のポケットに捻じ込み、背の剣に手を回して剣を引き抜く。

 魔獣相手にこのおもちゃのような剣でどこまで対処できるか不安はあったが、もし誰かが襲われているなら見過ごすことなどできるはずもない。



「あ、あぁ……っ」


 小柄な熊くらいの大きさの魔獣は、華奢な少女に今にも襲い掛からんとしているところだった。

 迷い込んだのだろうか、少女の着ている服は明らかに身分が高く裕福な家柄であると主張している。

 そんな高価そうなドレスを泥で汚し、魔獣を見据えながらも必死で周囲に何かないかと手で探っている少女を、メルヴェルは助けたいと思った。

 普通は気絶してしまうか、怯えて泣き出すか、それなのにこの少女は果敢に抵抗しようと悪あがきしている。

 例えそれが生存本能故の無意識下の行動でも、メルヴェルには充分だった。


「離れろ、下種がっ!!」


 この場合、少女との間に割って入るのはメルヴェルにとっても不利だ。

 まずは少女と魔獣を離す、そう決めた彼女がとった行動は『跳び蹴り』だった。

 勿論この程度で魔獣が倒れるとは彼女も思っていない。

 ただ、一瞬でも隙が生まれればそれで良かった。


 突然割り込んできた自分より小さな体格の子供に、少女は目を見開いて固まったが

 すぐにハッとしたようにじりじり後退を始めた。

 もしこの時メルヴェルに多少の余裕があれば、その聡い行動に感心したかもしれない。




「さて……残念ながらここから【チェンジ】だ」


 魔獣はさすがに子供の跳び蹴り程度では倒れず、しかし不意をつかれたのか警戒したように数歩後ずさった。

 メルヴェルは距離を測りながら剣を構え、真っ直ぐに魔獣を見据える。


 魔獣には弱点というものがあり、そこをつけば彼女のような子供であっても倒すことは不可能ではない。

 しかしそれは個体ごとに違うため、残念ながらあれこれ攻撃して見極めるしかできない。


(魔獣を相手にするなんて初めてだけど……でも、やるしかないんだ)


 これが偶々散歩中に魔獣と出くわしたという状況なら、何も倒す必要などない。

 二人一緒に必死で逃げて邸に飛び込み魔獣が出たと訴えるか、町に行って助けを求めれば腕自慢の誰かが退治してくれるだろう。

 しかしそれはあくまでも『二人揃って全力疾走できる場合』に限られる。

 メルヴェルだけなら問題ないが、泥の上にへたりこんでいるこの少女がまともに走れるとは思えない。

 最悪の場合足に怪我を負っているか、そうでなくても腰が抜けて立てない可能性は高い。

 つまり、無謀だろうが危険度が高かろうが、倒すか撃退するかしか方法が見つからないのだ。




 彼女は考えた、弱点であれば本能的に庇うのではないかと。

 そして賭けに出た。

 間違って殺されてしまってもそれは仕方がない、どうせ自分はあの家でいらない人間なんだから、そう自棄になった気持ちもあったのだろう。

 反撃しなければ自分が死んで少女だけが逃げ延びるか、もしくは二人そろって殺されるかの違いしかないのだから。


「たぁっ!」


 まずは頭部を狙ってみる。

 鋭い爪が彼女の身体を薙ごうとブン、と勢い良く右から左へと太い腕が振られる。

 その腕をスレスレでどうにかかわし、これはハズレかと思考を切り替えた。


 トン、と魔獣の背後に下り立ったメルヴェルは振り向きざま、今度は膝をつき身を低くして脛の辺りを狙ってみる。

 ぐわぁぉ、と先程までとは違う呻き声を上げ足を庇うように抱えた魔獣を見て、賭けに勝ったことを確信した。


 剣を横に構え、彼女としては渾身の力で人間であればアキレス腱にあたる部分を斬り付ける。

 大人の力であれば足を断ち切っていたのだろうが、子供の力では筋を傷つけるのがやっとだ。

 しかし、それが彼女の狙いだった。


 足を抱えたままの魔獣から少し距離を置き、メルヴェルは剣を一振りして背に仕舞った。


「……当たりますように」


 まだその重さに慣れない銃を両手で構え、見よう見まねで覚えた仕草で安全装置をはずし、トリガーを引く。

 ガゥゥン、という発砲音が、森の空気にこだまして耳を打った。



 急所を撃ち抜かれた魔獣はその場に崩れ落ち、ピクリとも動かない。

 発砲の反動で後ろにひっくり返ったまま、メルヴェルはホッと安堵の息を吐いた。


(当たってくれて良かった……もっとちゃんと練習したいな)


 銃という武器自体が珍しいからか、その弾も入手は難しい。

 買えても彼女の小遣い程度では到底手が出ず、現段階では銃と一緒に購入された弾を使うしかないため、射撃の練習は必要最低限しかできていなかった。

 今当たったのは、幸運以外の何物でもない。


 



「ねぇ」

「!」

「……どうして泣いてるの?」

「泣いて、なんか……」


 泣いてるじゃない、と少女はハンカチを差し出した。


 怖かったのね、とそう言う彼女こそ怖かったはずだ。

 いくらメルヴェルより年上に見えるとはいえ、まだ彼女も幼いと言っていい年齢のはずなのだから。

 そっと肩を抱き寄せたその腕はやはり震えている。

 彼女も怖かった、しかしその感情を表に出すまいと必死なのかもしれない。


 生まれてからこれまで与えられなかった温もりの中、メルヴェルは泣いた。

 彼女を抱きしめながら、少女もようやく涙を流した。


 



「とにかく助けてくれてありがとう。私はレティシア・ローザ・アスコットよ」

「アスコット……ではアスコット公爵様のご令嬢ですか?」


 アスコット公爵というのは、数代前の王弟が継承権を放棄した際に王より賜った家名及び爵位である。

 爵位は最上位にあたるが、貴族と言うよりは王族に近い血を持っている。


 メルヴェルは慌ててその場に膝をつき、深々と頭を垂れた。


「大変失礼致しました。私はクレスタ子爵家の長女、メルヴェルと申します」

「やめてちょうだい、お願いだから立って。頭を下げなければならないのは命を助けられた私の方だわ」


 未だ片膝をつき騎士の礼をとるメルヴェルの腕を掴み、レティシアは己より少し低い目線の彼女ににっこりと微笑みかけた。


「男装して剣を振るう子爵令嬢ね……面白いわ。貴方、お友達……いえ、護衛になってくれない?」

「失礼ですが、公爵家より遥かに劣るとはいえ我が家も爵位を持つ貴族です。それを護衛になどと、どういうおつもりですか?」

「護衛がダメなら侍女でもいいわ。公爵家の侍女となると貴族の子女がいいらしい、と以前お父様に聞いたの。どうかしら?」

「…………」


 一般的な貴族であるならそこに仕える使用人は礼儀をわきまえてさえいれば平民でも問題はない。

 が、王族の血筋にあたる公爵家の場合はさすがに平民ばかりというわけにはいかないらしい。

 護衛であれば身元のしっかりした騎士クラス、身の回りの世話をする侍従や侍女は男爵家か子爵家縁の者が妥当だとされる。

 つまり、レティシアの言い分は公爵令嬢としてはなんら問題はない。

 ただ、あまりに一方的で我侭だというだけだ。


 そこでメルヴェルは考えた。

 もしこの誘いに乗ったとしよう、子爵家の面々はこの令嬢の処遇に困っていたのだから喜んでその申し出に飛びつくに違いない。

 しかも相手は公爵家だ、恩を売っておいて損はない。

 彼女にとってはあの窮屈な家から抜け出せて、しかも公爵家に仕える侍女として徹底的に礼儀作法を教えられるというメリットが得られる。


 それなら、お嬢様の気まぐれであろうと我侭だろうと、そんなことはどうでも良かった。

 メルの家を出たいという我侭とレティシアの我侭が同じ方向性なら、乗ってみるのもアリだと彼女は幼いながらに打算的なことを考えた。





 そうして、あれよあれよという間にメルヴェルはアスコット公爵夫妻の前に連れて行かれ

 命の恩人だ、その辺の護衛より強いし頼りになる、と主張するレティシアの願いもあり、公爵家で令嬢の侍女という名の護衛を務めることに決まってしまった。


 人生における二度目の転機を迎えたメルヴェル・クレスタ、当時10歳

 彼女を拾い上げてくれたレティシア・ローザ・アスコット公爵令嬢はこの時12歳


 その美貌と公爵令嬢という地位をかわれ成人したばかりの王太子妃候補として登城するのは、その4年後のことである。



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