第八話 木曜②
座って一分もしないうちに、勝は戻ってきた。
俺と倒れている椅子を交互に見て、悟ったかのような優しい笑みを送ってきた。
「荒れてんなあ······どうした?」
「······意味が分かんねえんだよ」
「俺はお前の話している意味が分かんないな。少しは俺に分かるように詳しく話せよ」
「杏奈がよ······俺に死ねって言ってきたんだよ」
「死ね、ね。俺なんて二日に一度は彩ちゃんに死んでよって言われてるけど、そんな堪えるもんか?」
「······お前は強いな」
二日に一度死ねと言う女と付き合い続けるメンタルなんて俺にはないな。
「強いって、力だけなら貴之もなかなかのもんだろ。ほら、入学して直ぐ殴り合いの喧嘩したけど、俺四発も貰ったじゃん」
「その強いじゃねえよ」
入学したばかりの頃、同じ中学のやつもいなく、性格的な問題か俺は友達もできずにクラスで孤立していた。
そんな俺を心配したのか、勝と彩ちゃんと杏奈の三人が話しかけてきた。あいつら三人は同じ中学出身で、杏奈と彩ちゃんは中学時代からの親友だったからか、いつも三人で楽しそうに話をしていた。
俺はあいつらが羨ましかったのか、妬ましかったのか、若気の至りだったのか、話しかけてきた彩ちゃんに向かい、『馴れ馴れしく話しかけるんじゃねえよ』と、言い返してしまった。
その一言で勝はぶち切れた。
俺の胸ぐらを掴み、彩ちゃんに謝れと言って来た。俺はあの時、女の前でかっこつけようとしている軟弱な男だと思い、勝を殴った。
けれど、勝は計四発の俺の拳を受けきり、返しのハイキック一発で俺を床に沈めた。
その後色々あったが、彩ちゃんと杏奈に仲の良さそうな三人が羨ましかったと謝り、それを期に四人で行動するようになった。
勝はその時を境に喧嘩で暴力を奮わないと彩ちゃんに誓っていた。
その結果生まれたのが、言葉で人をマットに沈めると言う言葉の暴力だ。
俺としてはより悲惨な手段をとるようになった気もするが、喧嘩の原因を作った人間だから何も言えずにいた。
「四発はわざと殴らせただろ。たっぱだって勝の方が俺より五センチはでかいし、喧嘩した数だってお前の方がずっと上だろ。俺はお前より弱いよ」
俺の背は百七十五センチで、クラスでは比較的高い方だが、勝は百八十センチはある。
「まあ、喧嘩は俺の方が強いかもしれないけど、心はそうでもないだろ? お前だって強いよ。それなのに······なんで死ねって一言で、こんなに荒れてるんだよ」
「······死ねって言われたのは、俺がもう二度と連絡とかして来るなって言ったからなんだよ」
「······杏奈ちゃん、連絡してきているのか?」
「······いや、別れてからは電話もメールも一度も来てない」
「じゃあ······ああ、そうか、予知夢で何かあったんだな?」
勝の察しはやはり良かった。
ゆっくりと歩いてくると、俺の蹴り倒した机と椅子を起こし、隣に腰を下ろした。
「言えよ。何があったのか」
俺は見た夢を話した。俺の話が終わるまで勝は口を閉じ、拙い説明をしっかりと理解しようとしているのか、時折上を見上げ考え込んでいた。
「······連絡してくるなってのはさ、桃原と喧嘩しないためにって事だったんだな。お前はお前なりに未来の危機を回避しようとしたからそう言った。けれどさ、言葉のチョイスが悪いな」
「悪いか?」
「ああ、お前は自分の事しか考えていなかった。だってさ、杏奈ちゃんがもしなにか話したい事があるんだったら、俺と彩ちゃんがいつ戻ってくるか分からない教室ですると思うか?」
「······いいや」
「そもそも、メールでお前を呼び出そうとしたって事は、二人きりで話したい事があるって事だろ? 別れて一ヶ月以上ろくに会話もしてない相手を呼び出そうとしているんだぜ、心の準備だって必要だろ。つまり、結論から言うと、杏奈ちゃんはお前に話があったけれど、なんて切り出そうか困った所にもう連絡とかするなと言われ、悲しくなって死ねと言った。まっ、こんな所だろうな」
杏奈は俺が話とかあるかと聞いた時、驚いたような反応をしていた。もしかしたら、勝の言う通りなのかもしれないな。
「さてと、俺は外に愛しの彩ちゃんを待たせているから、そろそろ行くけれど······お前に一つ聞いてもいいか?」
そう言いながら立ち上がり、尻に付いた埃を払い落とした。
「ああ、良いよ」
「······」
勝は出だしの言葉を考えているのか、もう決まっている言葉が言いにくいのか、なかなか話し出さずに額を掻いた。
「なんだよ······」
「······杏奈ちゃんとよりを戻そうとか思わないのか?」
「はっ? いきなりなに言ってんだよ」
「俺はお前の友達だけど、お前の百の十乗分は彩ちゃんの事が大事なんだよ。そして、その親友の杏奈ちゃんの事も大事なわけ。お前と杏奈ちゃんが別れてからさ、彩ちゃんの元気がないんだよ。特にこの一週間はなんか思い詰めた感じでさ」
百の十乗って、どれだけ差がつけられてるんだよ。
友情は愛の前ではこんなにも希薄なものなのか。
別に彼女よりも大切にしろとは思わないが、少しだけショックだ。
「彩ちゃんが元気ないならお前達で何とかしろよ」
「別れてまだ一ヶ月ちょいだろ。少し位は杏奈ちゃんに愛情残ってないのかよ?」
「ある分けないだろ。俺は今くるりちゃんって可愛い彼女が出来たんだから、彼女以外に愛情を注ぐ分けないだろ」
「······俺はこんな事言いたくないが、本当に桃原はお前が愛するに値する女か?」
その言葉に俺はガバッと立ち上がり、一年前の時とは逆に勝の胸ぐらを掴み、目を見つめ言い返す。
「値するとかじゃねえだろ。いくらお前でも言って良い事と悪い事があるだろ」
睨み付ける俺を勝は表情を変えずに見つめ返した。
「お前はさ、良いやつだけど馬鹿だな。一つ言っとくけどな、桃原と俺は中学時代に一度たりとも喋った事はないぞ」
「はっ? それがどうしたって言うんだよ」
「少しは考えろ。お前は中学の同級生で、一度も話した事のないやつが歩いているのを見かけたら、呼び止めて談笑なんかするか?」
話した事のない同級生は多数いるが、外で見かけたとしても······話し掛ける事はしないだろう。
「だから、話し掛けてきた事が不自然だって事か?」
「話し掛けてきた時期が不自然だって言っているんだよ。お前が杏奈ちゃんと別れて直ぐに桃原は話し掛けてきた。そして、直ぐお前らは付き合う事になった。あいつがいなかったら、喧嘩別れしても、お前と杏奈ちゃんはよりを戻していたやんじゃないか?」
杏奈と別れたのは四月になる直前で、くるりちゃんと出会ったのは四月の頭だった。
「偶然出会ったんだから仕方ないだろ」
「偶然ね。会うタイミングが良すぎて、必然性に感じるな。そもそも、お前と杏奈ちゃんが別れたのも、桃原が裏でーー」
俺は勝の顔面を殴り、その続きの言葉を遮った。
「それ以上言ったら殺すぞ」
勝は口の端を親指で拭き、俺に笑みを見せてきた。
「お前に殴られるのは一年ぶりか。なあ、なんで殴ったんだよ? 俺の話がいつも通りの嘘っぱちだと思うんなら、笑って馬鹿とでも言えば良いだけの話だろ? お前はなんで殴ったのか自分で考えれば分かるだろ?」
そう言いうと、俺に背を向け歩き出したが、教室を出るとピタリと足を止め、振り返った。
「もし、それでも分からなくて、杏奈ちゃんを傷つけ、彩ちゃんまで悲しませるような事があったら······次はあの時みたいにぶん殴るからな」
少し悲しげな顔をして勝は立ち去った。
俺は誰も居なくなった教室で、ぼそりと呟いた。
「蹴られた記憶はあっても殴られた記憶はねえよ」
小さな呟きは直ぐに無人の教室の静寂に呑み込まれた。