第七話 木曜①
木曜日
「くるりちゃんはデザートは何食べたい?」
「うーん。美味しそうなやついっぱいだから迷うな。えへへ」
くるりちゃんは目を輝かせメニュー表を見つめると、ミニパフェを指差した。
「これが良いなー。貴くんは何食べるー?」
聞かれたが、予算の少ない俺は、迷った振りをする。
「どうしようかな。ああ、でも帰り際に勝と菓子パン食べたから、今日はコーヒーだけでいいや」
「じゃあ、くるりのミニパフェちょっとあげるね。えへへ」
もしや、カップルの定番のあーんをしてくれるんじゃないかと思い、心踊らせる。
「じゃあ、貰っちゃおうかな」
そう言い呼び鈴を押し、やって来た店員にコーヒーとカフェオレとミニパフェを注文した。
「ちょっとトイレに行ってくるね」
学校を出る前にいざこざがあり、待ち合わせに遅刻しそうだった俺は、トイレによらずに来たので、我慢が出来ずにテーブルに携帯を置いて席を立った。
トイレで用を済ませ、鏡で髪のチェックをして、指先に水を付け乱れた髪を直し席に戻ると、さっきまで天使のような笑みを浮かべていたくるりちゃんが俯いていた。
「······どうしたの?」
恐る恐る聞くと、くるりちゃんは顔をあげ俺の携帯を指差した。
その指は震え、目には涙か溜まっていた。
「······携帯がどう·······って、えっ?」
俺の携帯にはメール用アプリが入っていて、受信すると、画面にその文面が表示するようになっていた。
そして今も、くるりちゃんを泣かせたメールが表示されていた。
差出人は佐倉杏奈。
『貴之に話したい事があるの。今日時間とって会えない?』
そう書かれていた。
「あっ、これは違うって。あいつとは同じクラスだし、きっと授業の事か何かだよ」
「違うもん。授業の話ならメールで済むもん。きっと貴くんとよりを戻したいって話だもん。やだ、やだ、くるり別れたくないよ」
くるりちゃんは泣き出した。そのせいで周りからはなんだなんだと好機の目が向けられて来た。
「ちょっ、くるりちゃん落ち着いて。俺はくるりちゃん一筋なんだから、あいつとより戻すはずないだろ」
「だって貴くん、さっきから杏奈ちゃんの事、あいつって呼んでるもん。くるり分かるんだよ。貴くんは親密な人にしかあいつなんか使わないんだから! きっとくるりの事捨てるよ。きっと今日も別れ話するつもりで来たんだ! 貴くんなんか、嫌い!」
そう言うとくるりちゃんはテーブルに出されていた水のグラスを掴み、俺に氷ごと水をぶちまけた。
セットした髪も、よれた制服もびしょ濡れになると、くるりちゃんは鞄を掴み走り出した。
俺が咄嗟の事で呆然としていると、店員が飲み物を持ちやって来る。
「······えってカフェオレは······キャンセルですかね?」
「······はい。ミニパフェもキャンセルで。それから······おしぼり一つ下さい」
そう答えると、突然視界が白くもやがかってきた。
そして恒例の、遠くからのアラーム音が聞こえてきた。
俺は勢い良く上体を起こし、悪夢から覚めた時のように、荒い息をしながら額の汗を拭った。
「······マジで悪夢だった······」
この夢が予知夢か予知夢じゃないのかはハッキリとは分からないが、心底予知夢であってくれと思った。予知夢ならくるりちゃんを怒らせる事なく、対処する事が可能であろうから。
「······取り合えず······携帯はしまっておく方が良いな」
そう呟き、未だうるさい電子音を鳴らす携帯に手を伸ばし、ストップを押す。
あくびを噛み殺しながら階段を降りると、弁当を作っていた母さんがぎょっとした顔で俺を見た。
「まだ七時よ。あんたがこんな時間に起きるなんて、雨でも降るんじゃない?」
それは言い過ぎだろと思いつつも、七時に起き出すのは久しぶりの事だった。
俺の携帯は七時から三十分まで五分おきにセットしていて、調子が良くて十五分、調子が悪い時は半になっても起きれなかったりする。
今日は悪予知夢で起きたから、調子が良いのか悪いのか分からないが、ゆっくりと準備が出来そうだった。
顔と髪を洗い、頭にタオルを巻いて部屋に戻った俺が携帯を開くと、くるりちゃんからメールが入っていた。
『おはよー。今日は貴くんとデートの日だから、朝からメイク頑張ってしているんだよ。髪も上手くセットできたからです崩れる前に会いたいよー』
『くるりちゃんおはよー。俺も今日はデートだから早く目が覚めちゃった。よーし、今から俺も髪のセットするね』
返信し制服に着替えた。ちなみに今日のシャツは昨日の夜、母さんにアイロンをかけて貰ったノットよれシャツだ。
まあ、制服は久しくクリーニングに出していないからよるよれだけどな。今日はバッチリ決めるぞと気合いを入れ、洗面所と言う名の男の戦場に向かった。
毎日やり慣れた事だというのに、いざ本番になるとなかなか出来ない事がある。
例えばけん玉が得意な人が、普段は簡単に出来るのに、試験や大会で、剣先に刺すのが出来なくなるや、サッカーのPK なんかもそうだよな。
凄いテクニックを持っていて、日本代表にまで選ばれた人が、バーを大きく外してしまう。
それは絶対に外せないといったプレッシャーが失敗させてしまうんだろうな。
何が言いたいかと言うと、今日の俺も同じ状態だった。普段は出来ている髪のセットが、今日は全然上手く行かなかった。
トップの立ち方も不自然だし、前髪のラインもなんだかずれている気がする。デートと言う名の未曾有のプレッシャーが俺の手先を鈍らせていた。
「······貴之!何分髪いじってるの! パン冷めちゃったよ!」
三十分にわたる格闘を行いやっと及第点が出た時には······遅刻の時間だった。
四日連続の遅刻。母さん、片岡ちゃん本当にすいません。
心の中で謝り、パンを口に押し込み、俺は家を飛び出した。
そして、学校に着くと、ホームルーム中の片岡ちゃんにため息を十回ほど吐かさせてしまった。
「なあ······今日から俺の事、勝先輩って呼んでいいぞ」
留年する事を見越したかのように勝は言ってきたが、うるさいよと、その提案を一蹴し、授業を受けた。
今日の予知夢の話を勝にしようか迷っていると、勝は昨日俺も買った情報誌を手に、彩ちゃんとデートの話をしていた。
彩ちゃんとの話が終わってから、話しかけるかなと思っていたが、二人の話は、休み時間から、昼休みまで延々と続き、話しかけるタイミングなど皆無だった。
帰りのホームルームが終わり、俺は意を決して、彩ちゃんに話しかける前の勝を呼び止めた。
「なあ、帰る前にちょっといいか?」
「悪い。今から出し忘れたプリント職員室に持ってかなきゃならねえんだよ。ほら、数学の滝口さんって野球部の顧問だろ、直ぐいなくなるみたいなんだよ。五分だけ待ってて」
五分だけならデートに遅れる事もないので云いかと思い、席に戻ると、勝は彩ちゃんと二人教室を出て行った。
教室からは次から次にクラスメイトが出て行き、中には俺と杏奈の二人だけになった。
杏奈は椅子に座り文庫本を広げていた。俺は久々の二人きりと言う空間に少し緊張しながら、腕を枕に机の上で寝た振りをした。
「······ねえ······」
ぼそっと杏奈が言った。
教室には二人しかいないので、俺に話しかけているのは明白だった。
このまま寝た振りを続けようかとも思ったが、なんだか杏奈から逃げているようで嫌だったので、「······なんだよ」と、顔を上げずに答える。
「······あなたがここに居ると空気が重くなるから出て行ってくれない?」
「はあっ? なんで出て行かなきゃなんねえんだよ。俺は用事があるからここに居るんだよ。お前が出てけよ!」
顔を上げ、声を荒げて言う。
「······私は彩を待っているのよ」
「俺は勝待ちだよ」
「······」
「······」
それから暫くお互いに無言の時が流れた。
さすがにここからまた寝た振りをするのも辛いと思った俺は、教室の外で待とうと思い、バックを手に席を立った。
予知夢の話は廊下でしてもいいや。そう思いながら入り口目指し歩き出した俺は、ふと予知夢の事で気になった事を杏奈に聞いてみようと思い振り返った。
文庫本を読んでいる杏奈に、「なあ」と、呼び掛ける。
「······何よ」
文庫本に栞を挟むと、顔を上げこっちを見てきた。
俺のように顔を上げずに話すといった失礼な真似はしないようだ。
「······お前さ、俺になんか話あるか?」
「······ッ! なんで私がいまさらあんたみたいな最低な男に、しなきゃいけない話があるって言うのよ」
「最低の男ってなんだよ! 元カレを最低呼ばわりするなんて、お前の方が最低なんじゃねえのかよ」
売り言葉に買い言葉だった。
最低と言う単語が杏奈に届くと、杏奈は鞄を掴み席を立った。
「······あんたの側に居るのはもう耐えられないから、私は彩を校門の所で待つことにするわ」
「ああ、勝手にしろよ。そうだ、お前さ、俺にもうメールして来るなよな。迷惑だからさ!」
扉を開けた杏奈の背に、怒り巻かせに言うと、杏奈は振り向き、キッと睨み付けてくる。けれど、その目には怒りといった強い感情ではなく、悲しみといった弱い感情が表し出されていた。
「死ね!」
そう言うと、力任せに扉を閉じた。
廊下からは、スリッパで懸命に駆ける音が聞こえた。
「杏奈!」
と、名前を叫び追いかけたい気持ちに駈られたが、その言葉を飲み込み、足を止め、遠ざかっていく足音を聞き続けた。
追いかければ階段付近で追い付く事が出来たかもしれないけれど、事の原因を作ったのは俺だった。そんな俺が追いかけてなんと言えばいいんだ?
「······だけどよ······死ねってなんだよ。普通、元カレに言う言葉か? あいつ、意味わかんねえよ」
捌け口のない怒りが沸々と湧いてきて、近くにあった机を椅子ごと蹴り飛ばした。
机は倒れたが、整理整頓を心掛けるやつの席だったらしく、中身は空で、なにも散乱する事はなかった。
けれど、俺の怒りは収まらなかった。床に座り込み遅刻してまでも整えた髪を両手でくしゃくしゃにし、天井を見上げ俺はまた呟いた。
「意味わかんねえよ」
この言葉にはもう、怒りは含まれていなかった。あるのは切なさだけだ。