第三話 火曜①
火曜日
「なあ、昼飯購買部に買いに行かないか?」
勝に聞いてみる。
「ああ、今日も買い飯の予定だったから良いけどさ、貴之が弁当じゃないの珍しいな」
「母親が寝坊して作って貰えなかったんだよ」
「じゃあ今日の遅刻理由は親に起こして貰えなかったからか? 中学生みたいな理由だな」
「それは言うなよ」
苦笑しながら席を立ち、ポケットに財布を突っ込む。
「彩ちゃん、ちょっと買いに行ってくるけど、飲み物買ってくる?」
弁当を杏奈のテーブルに置いて、卵焼きにかじりつこうとしている、彩ちゃんに勝が聞く。
「檸檬が良いな」
「檸檬ティね。杏奈ちゃんにも買ってこようか?」
「お茶持ってきているから、私はいいよ」
勝が似非紳士ぶりを発揮しているのを横目に見ながら俺は教室を出る。購買部に向かいながら財布を開ける。
「やべー。札一枚しかないな」
財布の中には一万円札と、小銭が数十円あるだけだった。
「何がヤバイんだ?」
「土曜にくるりちゃんとデートなんだけど、次の小遣い日までこの一万でやりくりするしかないんだよ。できれば崩したくなかったんだよ······」
俺の小遣い日は二十日。それまでデート代込みで、一万で遣り繰りしなければならない。
小遣い日まではまだ一週間以上ある······バイトでも始めようかな······。
「なあ、五月のデートなら何するのが良いと思う?」
「そうだな。俺は彩ちゃんに今度、山登りしないかって誘うつもりだぞ。山ガールのかっこした彩ちゃん見たいしな」
「······彩ちゃん絶対にめんどくさいって言って断ると思うぞ」
「······だよな。まあ、その時は服屋巡りか、映画でも見に行くかな」
「何か良い映画やってるのか?」
「明日情報誌発売日じゃん。それ見て映画なりデートプラン練ってみるよ」
俺は良いこと聞いたと思い、心の中のメモに、『明日情報誌発売日』と書き込んだ。
話をしていると購買部に着いた。勝は玄関の自販機で檸檬ティを買ってくると言ったのでここで別れた。
昼の購買部は都心のラッシュ並みの混雑をしていた。一瞬引き返したい気持ちに駆られたが、俺は、「行くか」と呟き、意を決して人の波に飛び込もうとした――その時、人混みがまるでモーゼが大海を割るように二つに分かれた。
俺はチャンスと思い、その隙間に飛び込む。
すると、俺の肩が中から出てこようとする人物の肩にぶつかった。
「痛ってえな、コラ。誰だぶつかったのはよぉ」
ドスの利いた声でその人物は言ってきた。
その人物とは俺の通う学校では有名な三年の高崎というヤンキーの先輩だ。
時代錯誤の白に近い金髪のロン毛を後ろで縛り、右耳には普段は赤い小さなピアスを付けていたが、今日はどこで買ったのか、骸骨をモチーフにしたピアスを一つしていた。
ちなみに勝が教えてくれたのだが、右耳に一つピアスをしているのはゲイの証らしい。高崎先輩は知らないで付けているようなので、ゲイではなく、馬鹿の証しに思えた。
俺の学校は進学校ではないが、決してヤンキー校でもないので、こういう風貌の生徒は珍しかった。多分この高崎先輩と、金魚の糞のようについて歩く数人の先輩くらいだろう。
「あっ、すいません······」
俺はヤンキーの先輩だからという事もあり、素直に謝った。
「すいませんって、お前、謝ってすむと思ってんのか? こっちは肩が折れてっかも知れねえんだぞ。とりあえず裏来いや」
先輩は俺の耳元で言うと、折れたかもと言った腕で肩を組み、強引に裏――多分体育館裏だろう――に連れていこうと、ぐいぐい引っ張ってきた。
「ちょっ、なに言ってるんすか?」
「何もかにも、慰謝料の話をするに決まってんだろ。一万か二万にするかは財布を見てからにするわ」
俺が抗議しようとすると、周りを取り巻きが囲みだし、目隠しを作った。
「おい、外いくのが嫌なら、財布出せや」
「高崎君、ポケットに財布入っているよ······って、しけてんな、一万しか入ってないや」
取り巻きが俺の財布を抜き取り言ってきた。
「ちょっ、返せよ!」
声を荒げ財布に手を伸ばすと、取り巻きが俺の手を押さえた。
「返せよじゃなくて、返してくださいだろうが。言葉遣いに気を付けろや!」
そう言うと高崎先輩は俺の腹に拳を打ち付けた。
「がはぁっ」
息が洩れ、体がくの字に折れる。格闘技もスポーツもやっていない俺の腹筋は、平凡そのもので、素人のボディへの一撃と言っても大ダメージだった。
膝を着き呻いていると、視界に白い靄がかかってきた。嘘だろ? 腹に一発パンチを受けただけで、気を失いそうになっているのか?
「一万とこの一発だけで肩の慰謝料としてやるよ」
高崎先輩と、それに合わさるような取り巻きの笑い声が聞こえてきたが、意識が飛びそうで、俺は何の反論もする事が出来なかった。
視界の全てが白い靄に覆い隠されると、静寂が生まれた。
何も見えない。何も聴こえない。何分か何秒かも分からない静寂が続くと、遠くからジリリリリリと何かの音が聞こえてきた。
音はどんどん大きくなり、俺は思わず、音を止めようと手を伸ばした。
うん? 音を止めようと?
この音は······携帯の目覚ましアラームの音だ。
そう思った瞬間、意識が覚醒し、視界がパッと開けた。俺の視界には学校の風景ではなく、家の部屋の天井が映し出されていた。
携帯を手に取り、アラームを停止し、俺はベッドから起き上がった。
「······また、リアルな夢を見たな」
呟き携帯に表示された時間を見て、冷や汗を掻いた。時刻は七時五十分。いつも乗っている電車が発車している時間だった。
時間を理解してからの動きは俊敏としか言えないものだった。ジャージを脱ぎ散らかし、制服のボタンもベルトも締めずに身に付けると、階段を駆け降りた。
「母さん! 母さん! 弁当どこ!」
叫びながら洗面所に入り、髪をお湯で濡らす。濡れた髪をタオルで拭き取りながらも母さんを呼ぶと、眠そうに目をごしごしと擦りながらも、母さんが歩いてきた。
「朝っぱらから煩いわね。ご近所迷惑でしょ」
「いや、時間見て、もう直ぐ八時だよ」
「······えっ? 嘘。母さんの目覚まし鳴らなかったわよ。えっご飯作ってないよ!」
「弁当は何か買うから良いよ。パン出して、焼かなくて良いから、一枚かじっていくから」
親に指示を出しながら、髪をセットした。
トップの決まりは悪いが、さすがに二本電車に乗り遅れるのはまずい。
不完全なセットを嘆きながらも、食パンにジャムも塗らずに胃に流し込み、家を飛び出した。
遅刻する電車に乗り込み、携帯を開く。
『貴くんおはよー。昨日ね、言い忘れたんだけど、木金と顧問の先生出張で部活休みになったんだ。だからね、だからね、木曜と金曜も貴くんに会いたいな-。ダメかな-?』
可愛らしさ満載のメールに胸をキュンキュンさせながら、俺は即返信した。
『くるりちゃんおはよー。木曜と金曜も会えるなんて嬉しいよ。俺も会いたいな。早く木曜日になって欲しいな-』
送ると、くるりちゃんから又メールが来た。
『えへへ。くるりも早く木曜になれって思ってたんだよ。一緒だねー』
俺がまたキュンキュンしていると、電車は駅に着いた。
早く返信したかったが、そろそろくるりちゃんの学校も朝のホームルームの時間だと思い、返信したい気持ちをぐっと抑え、ホームルームが始まっているだろう自分の通う学校に向かい駆け出した。
学校に着いた俺はまた片岡ちゃんの小言を聞くはめになった。その時に勝は、『マジで、俺の後輩になるぞ』と、もう遅刻をしないように釘を刺してきた。
明日からは絶対に遅刻をしないと誓い、授業を受けた。
昼休みになり、さて、弁当を食べようかと、バックを開けると、弁当を持ってきていない事に気づいた。
「なあ、昼飯購買部に買いに行かないか?」
勝に言うと、ある違和感に気づいた。
あれ? この台詞ってどこかで言った気がする。
どこでだっけ?
「ああ、俺は今日も買い飯の予定だっから良いけどさ、貴之が弁当じゃないの珍しいな」
「母親が寝坊して作って貰えなかったんだよ」
「じゃあ今日の遅刻理由は親に起こして貰えなかったからか? 中学生みたいな理由だな」
「それは言うなよ」
苦笑しながら席を立ち、ポケットに財布を突っ込むと、違和感の正体に気づいた。
これって夢の中と同じ展開じゃないか?
「彩ちゃん、ちょっと買いに行ってくるけど、何か飲み物買ってくる?」
勝が卵焼きにかじりつこうとしている彩ちゃんに飲み物を聞いたので、彼女が答える前にポツリと呟く。
「檸檬ティ······」
俺の言葉を不思議に思ったのか、彩ちゃんが小首をかしげた。
「凄い。今日檸檬ティの気分だったの良く分かったね」
「彩ちゃん、俺だって今日は檸檬ティだって分かってたよ! 貴之、当てずっぽうが当たったからって、お前が一番彩ちゃんの事分かっているなんて、間違っても考えるんじゃねえぞ。俺が彩ちゃんの一番の理解者で、彩ちゃんが俺の一番の理解者なんだよ」
待ち合わせ中の彼女をナンパしている男を見つけた時のような、敵意と殺意を含んだ目を向け言ってくる。
「······分かっているよ」
眼光の鋭さに怯みながら答えた。
「なら良しとしよう」
勝は瞬時に笑みを浮かべ俺に言うと、杏奈の方に向き直った。
「杏奈ちゃんにも買ってこようか」
「お茶持ってきているから私は良いよ」
勝が似非紳士ぶりを発揮しているのを横目に見ながら、俺は教室を出る。
やはり杏奈の答えたも夢の中と一緒だった。購買部に向かう道中、夢の中身が本当なのか確認する事にした。
「なあ、お前さ······今月、彩ちゃんを山登りデートに誘うつもりでいるか?」
さりげなく聞いてみる。
夢の中ではこいつは山ガールのかっこうした彩ちゃんが見たいから、山登りに誘うつもりだと言っていた。
「なんで知ってんの? 山ガールのかっこうした彩ちゃん見たいし、誘うつもり満々だったぞ」
当たっていた。
じゃあ、俺の見た夢はやっぱりーー予知夢だったのか?
「······彩ちゃん絶対にめんどくさいって言って断ると思うけど、その時は映画にでも誘うつもりだった······違うか?」
「······お前凄いな。そこまで俺の事知っていてくれてると思うと······ちょっと引くわ」
「お前以上に俺が引いてるんだよ。なあ、俺が昨日言った事覚えているか?」
「昨日っていうと······ああそうか、お前また夢を見たのか?」
勝の察しは良かった。
「ああ、今日の夢は、俺が弁当忘れて、お前と一緒に昼を買いに行って······購買部で高崎先輩にぶつかったって、虎の子の一万を奪われる夢だよ」
「······お前カツアゲに会うのかよ。ダサいな」
そうこう言っているうちに、購買部の前に着いた。購買部は都心のラッシュ並みに混雑していた。
「ここで勝が玄関の自販機に飲み物買いに行って、俺が一人で絡まれるんだよ」
「······じゃあどうする? 本当に予知夢か確認するためにも、俺は玄関の自販機に行った方が良いか?」
「ふざけんなよ。お前が行ったら、俺、金取られるどころか、腹まで殴られるんだぞ。予知夢かどうかの判断の前に、回避するためにもお前も来いよ」
そう入り口で話していると、人混みがモーゼに割られた津波のように、左右に別れていった。