第十九話 土曜 麓
「あっ、次右に曲がって」
言われた通り曲がると、見慣れた道に出た。
駅からも程近い大きな郵便局の近くの道だ。
「さてと、そろそろ降りましょうか。ここからは歩いていけるわね」
「ああ。じゃあ止めるぞ」
一度報告し、俺はブレーキを掛け自転車を止めた。
「ふう。二人乗りって初めてやったけれど、お尻が痛くなるのね」
「お前の場合だけど尻にも肉がないからだろ。俺は割りと平気だぞ」
「······も?」
ヤバイ。失言した!
そう思った俺は後ろに修羅がいるだろう事を覚悟しながら振り返った。
杏奈は眉尻をぴくぴくと震わせながら、俺を睨んでいた。
その顔は通り魔のように険しく、恐ろしかった。
勝が言った通り、通り魔と今の杏奈の顔の雰囲気は似ていた。
「······も、って何かしら?」
も、と言うのはお尻同様······胸に肉がないと言う事だが、口が裂けても言えなかった。
せっかく死の未来を回避したというのに、この場で死にたくはなかったからだ。
「······うっ、ウエストの事だよ! ほら、お前線が細いじゃん。つまり痩せているって事だよ」
「線が細い? それは鉛筆みたいに真っ直ぐで細いという事かしら?」
「違う違う! 誰も胸が無いとは言ってないじゃん!」
「私もそんな事は言っていないわよ!」
杏奈の言葉のトリックに引っ掛かり、墓穴を掘った。
どうやら俺には人を騙す才能はなくても、騙される才能はあるようだ。
ちなみに以前放課後の教室で、漫画のグラビアのページを見ながら勝と二人話をしていた時、俺達はやっぱりC位は欲しいよなと、笑いながら言い合った。
その時廊下に彩ちゃんと杏奈が居るとも知らずに。
俺は杏奈に数日間冷たくあしらわれ、勝はまるで奴隷のように彩ちゃんに使われていた。俺達にとってそれ以来、胸の話はタブーになっていた。
「本当に思っていないんだよ。だって今のはお前の被害妄想が生んだだけじゃん!」
墓穴を掘って、今度は十字架を立ててしまった。
「被害妄想って何よ! 確かに私は桃原さんよりは少し胸が小さいけれど、どこにも被害なんか受けていないわよ」
いや、少しじゃねえだろと言う、墓穴の上に立った十字架の前に花束を置くような言葉をグッと呑み込む。
杏奈は勝曰く辛うじてBであり、くるりちゃんは俺の目算EからFカップの少女だ。横綱とちびっこ力士くらいに大きさの違いがあるぞ。
「······うん。本当にそうだね·····」
人を騙すのに向かない俺は、嘘をつくのも下手なようで、苦笑いを浮かべながら答える。
ダメだ。
杏奈が切れる。
何とかしなければと思った俺は、話を変える事にした。
「なあ、何でバイトしていた事を俺に言わなかったんだよ」
話を変えると、杏奈の表情も怒りから、少し悲しげなものに変わった。
「······うちの親の会社が不渡りを出したのよ」
「不渡り?」
どういう事か分からず、俺は聞き返した。
「商業高校に通ってそんな事も分からないの? 手形の支払日までに額面分のお金を銀行に預けられなくて決済出来ない事よ。つまり、お金が無くて倒産の危機だったのよ」
「お前の親の会社って、デザイン事務所だっけ?」
「ええ。うちは中小零細企業の看板デザインを主にやっていたから、不況の波で大打撃を受けたのよ。まあ、何とか銀行融資は受けられたけれど、首の皮一枚って所ね。だからお小遣いなんてねだれないし、大学に行くにしても、奨学金だけでは賄えきれないだろうから、アルバイトを始めたのよ。まあ、もし会社の建て直しが上手く行けば、バイトを辞めて、ハイスクールライフを満喫するつもりではいるけどね」
杏奈は軽く言ったが、俺にはそれがとても思い話のように感じた。
「······何で言わなかったんだよ。それ知っていれば、俺だってバイトして、お前のーー」
「それが嫌だから、言わなかったのよ!」
俺が何をするか言う前に察したのか、杏奈は言葉を遮った。
「私はあなたと対等でいたかったから言わなかったの。もし行ったらあ、デート代だってあなたが全部だしたでしょ? 私はそれが嫌なのよ」
杏奈の言葉に俺は反論する事が出来なかった。
優しさのつもりで言った言葉がただの同情でしかない事に気づいてしまったから。
同情とは平等では成り立たない感情。
杏奈は俺に同情されたくなかったんだ。
対等で居るため。
惨めな気持ちを味わいたくないから。
俺は杏奈に『ごめん』と謝ろうとしたが、喉まで込み上げてきたその言葉をグッと飲み込み、別な言葉を探した。
「ああ、俺は馬鹿だったから何も考えずに奢るのが優しさだとか思っていただろうな。けど、少し嬉しい事でもあるな。もちろん嬉しいって言うのはその話を聞かせてもらえてだぞ。俺は何でも出来るお前に引け目を感じていたんだよ。顔だって俺よりもずっと整っていて、頭だってずっと良いお前にな。けと、そんなお前が俺と対等でいようとしてくれていたって事が······本当に嬉しい。話してくれてありがとうな」
「······昨日といい、今日といい、貴之って変わったね。良い意味でよ。物事を咀嚼して考え話すようになった。思った事を考えなしに話すような、小学生みたいな馬鹿丸出しの会話だったのに、今は私の気持ちを汲んで話そうとしているわね。ようやく進学できたようね」
この会話の流れでの進学とは中学生のような気がするが、俺は言われた通り言葉を咀嚼し、怒鳴りたい思いを押さえ、大人の返答を心掛けた。
「変わったのかも知れないな。自分の馬鹿さも、ちっぽけさも今週は嫌って言うほど痛感したからな。それに······流されるだけじゃなくて、運命を切り開くって言うか、未来を作り出す事の意味を知れたから、今ここにいれるんだよな」
「······青臭い学園小説の主人公みたいな物言いだけど······嫌いじゃないわ。まあ、私なら運命を切り開くんじゃなくて、ねじ曲げて見せるけどね」
「お前らしいな」
俺が笑うと、杏奈も少し微笑んだ。
「······俺は今でもお前の事······やっぱり好きだ」
「······それは嬉しいお言葉ね。でも、あなたは桃原さんの彼氏でしょ? しっかり彼女を愛してあげなさい。それで、これ以上愛せないって思った時に私と秤に掛けて。それでどちらか選んでちょうだい。もし、今よりを戻して、やっぱり桃原さんが良かった······何て言われたら、大人の私でもあなたに殺意が湧くもの。しっかり彼女を愛して、それから比べてね」
刺される予知夢を見た日に、殺意が湧くと言われるのは心臓に悪かったが、杏奈の言いたい事はよく分かった。どちらのこの事もしっかり考え、それで答えを出せ。くるりちゃんのすべてを知ってから私と比べろと言う事だ。
頷き、『分かった』と言おうとした時に、ポケットの中の携帯から、軽快なメロディが流れた。そこには、『桃原くるり着信中』と表示されていた。
俺は杏奈をチラリと見る。
「出ていいわよ」
杏奈は察したのかそう答えた。
「······もしもし」
『あっ、貴くんお昼過ぎだけどおはよー』
「くるりちゃんおはよう」
『朝からメールの返事なかったから、風邪酷くなったのかと思って、くるり凄い心配したんだよ』
電話口からは車のエンジン音のようなものが聞こえた。道路に面している所を歩いているようだ。
「ゴメンね。朝寝坊しちゃって、バタバタしていたからさ。風邪はもう、バッチリ良くなったから、安心して良いよ」
『良かったー。あっ、くるりもうちょっとで着くけれど、貴くんはどう?』
俺は現在位置を確認する。歩いてあと四、五分って所だろう。
「俺はあと五分くらいかな」
『くるりも一緒くらいかな。今ねおっきい郵便局の······』
そこでくるりちゃんの言葉が止まった。うん? 郵便局のって······もしや、ここの事じゃないか?
俺は背後の郵便局を一度見た後に、ゆっくりと、人生でも一番遅いと言ってもいいほどの速度で振り向いた。すると、遠目に携帯を耳に当てた小柄な少女ーーくるりちゃんの姿があった。
「······くるりちゃん?」
もしかしたら見間違いじゃないかと思い、名前を口にしてみる。
『貴くん······隣にいるのって······杏奈ちゃん?』
見間違いじゃなかったが、出来れば見間違いであって欲しかった。
「······うん」
言い訳のしようがなく、正直に答えると杏奈もくるりちゃんの姿に気づいたのか、「あら」と呟いた。
「桃原さんじゃない」
平然とした口調で続けた。
慌ててでも、嫌そうにでもなく、平然と。
怖いよ。
「修羅場ね」
言わないでくれ。
修羅場なんて俺に自覚させないでくれ。




