第十八話 土曜 誤
「さすが日本の警察。お早いお出ましだな」
警察が来たことで、勝と通り魔を押さえつける人達は安堵の笑みを溢す。
「さてと、俺は事情聴取される事になるから、納得のいく嘘を用意しておくか。貴之は外に出ていた方がいいぞ。ここから何時間拘束されるか分かんないからな。もう、運命が変わって怯えずに歩けるだろ」
「······良いのか?」
「桃原とデートなんだろ? 昨日彩ちゃんが言ってたよ。杏奈ちゃんのメールが明るくなったってな。理由はわからねえが、お前なりに答えを出して、今日デートをする事にしたんだったら、俺はお前の背中を押すよ。決断した男を止めるような野暮な事はしたくないからな」
「······ありがとな」
「良いって。その代わり······今度なんか奢れよ」
「······ステーキ食わせてやるよ」
俺は最高の友達にそう言い、店の裏口から外に出ると、入れ違いで店内に入っていく無数の足音が聞こえた。
警官隊だろう。
外に出ても、警官が十人近く揃っていた。俺に気づいた警官の一人が近づいて来る。
「怪我はありませんか?」
「はい······怖くて震えていたら、店員さんが通り魔を押さえてくれたので、俺は大丈夫でした」
「それは良かった。もし、大丈夫でしたら、少しお話よろしいでしょうか?」
「······あの本当に怖くて、誰かが通り魔だって言ってから、直ぐにうずくまったので、なにも分からないんですよ」
「そうですか。ちなみに店には一人でいらしたんですか?」
その質問で、勝の事を言うべきかどうか迷っていると、俺の名前が呼ばれた。
「貴之!」
聞き慣れたその声で振り向いた。
「杏奈!」
自転車を押しながらやって来る杏奈の名前を呼び、警官に向き直る。
「あの子と待ち合わせしていました」
俺は誰と来たかは言わずにそう答えると、警官は一人先に来ていたと思ったようで、分かりましたと頷いた。
「またお話を伺う事もあるかもしれないので、電話番号だけでも教えて貰ってもいいかな?」
警官に家電と携帯の番号を教え、解放してもらい、杏奈の元に急いだ。
「ちょっと、これ何があったの? 店長も警察と話しているし、何事よ?」
「店の中で通り魔が捕まったんだよ」
「通り魔ってあの通り魔?」
「他にどの通り魔がいるんだよ。ニュースで話題の通り魔が······まぁ、取り押さえられたな」
勝の手によってと言うかどうか迷った俺は、話をスムーズに進めるために伏せる事にした。
「お前こそこんなところで何してるんだよ······あれっ? さっき店長とか言ってなかったか?」
「······ここでバイトしているのよ」
「バイトって聞いてねえぞ。いつからだよ」
「······春休み入って直ぐよ。ちょっと待っていてもらえる? 店長に休むって言ってくるから、まあ、こんな様子じゃ今日は店を開けられないでしょうけどね」
杏奈は自転車のハンドルを俺に預け、警察との話が終わった様子の店長らしき人物の元に小走りで駆けていくと、二言三言、言葉を交わし、戻ってきた。
「······ねえ······中に勝くんがいるんだけど······」
「······」
返答に困っていると、杏奈は俺の顔をじっと見てきた。
「······何があった······と言うより、何かした?」
俺と出会って一年、勝と出会って四年の杏奈の勘は鋭かった。普通なら何かしたとは聞かない場面だよな。
「······えっと······ここじゃなんだし、場所移さないか?」
杏奈には俺の即興の嘘はばれるだろうし、この場所で本当の事を言って警察官に聞かれるのも困るので、俺は提案した。
「いいけど······どこに行くのよ? そもそもあなた今日は予定があるんじゃないの?」
俺はその言葉でくるりちゃんとデートだと言う事を思い出した。待ち合わせ時間は一時半。今の今まで時間を確認する余裕がなかった俺は、慌てて携帯を取り出し、時間の確認をした。今は十二時四十五分。
まだ時間はありそうだ。
「デートは一時半からだからギり大丈夫······」
大丈夫ではあるが、ここから駅に向かうのは一苦労だった。自転車で十分と言う事は、歩いて三十分から四十分は掛かるな。
来るときは勝と二人乗りして来たが、自転車の鍵は勝に返したし、貸してと頼もうにも、当の勝は今何人もの警察官に囲まれ、身ぶり手振りで通り魔の話をしているので、頼みに行ける状態じゃないな。
「ギり大丈夫だけど?」
続きが出て来ない事を不審に思ったのか杏奈が聞いてきた。
「······時間は大丈夫だけど、向かう足がない」
「······はぁ。デートって言う事は、桃原さんとのデートなのね。と言う事は、駅周辺で待ち合わせでもしているの?」
「駅前でだな」
「仕方ないわね。じゃあ、話は駅に向かいながらしましょうか」
「歩いていくのか?」
「帰宅部の私に三十分以上歩かせる気なの? 道交法違反しましょうって言ってるのも分からないの?」
道交法違反と言うと······ああ、なるほど、二人乗りの事か。
「俺は別にいいけど、杏奈二人乗りなんてした事あるのか?」
四人で遊んでいた頃も、俺は勝の後ろに乗せて貰っていたので、杏奈とは二人乗りはした事がなかった。
「無いけれど、私、ジブリは好きなのよ」
答えになっているのかどうか分からないの回答をした杏奈は、絶叫マシーンの順番待ちに並ぶかのように、目を輝かせた。
「了解。じゃあ警察がいない所まで行ったら乗りますか」
杏奈の自転車のハンドルを握り締め、俺は自転車を押して歩きだし、後ろをついてくる杏奈をチラリと振り返った。
「何よ」
「二人乗りできる服かどうか見たんだよ」
「できない服何てあるの?」
今日の杏奈はスキニーのデニムパンツに白のカットソーにベージュのカーディガンといったラフな服装だった。
まあ、バイトに行く服装なら着飾る必要もないし、これが正解かもな。
ちなみに俺は、スキニージーンズに黒のカットソーにカーディガンといった服装だ。
うん。かなり似ているな。
人によってはペアルックと言うかも知れないほど似ている。
焦って家を出た俺は、クローゼットから目に付いた服を手に取り着替えて家を出たので、ラフと言うよりも、よく着る服を着てきた感じになってしまった。
なんだろう······服以上に俺と杏奈の感性が似ているのかな?
あれ?
この杏奈の服装見た事ある気がするな······?
ああ、そうか。以前スキニーパンツに、赤のカットソーにカーディガンって服を見た事があるからか。今日は色違いの服装だったから、デジャヴみたいに感じたんだな。
「ちょっとボーッとしてないで答えなさいよ。どんな服がダメなのよ」
「······ああ、えっと、二人乗りの時、マキシスカートとか長いカーディガンはタイヤに絡むらしいぞ」
「じゃあ、今日の私のようなスポーティーな服なら平気ね」
「その服装はスポーティーってより、ラフだろ。そもそもスキニーでスキニーでスポーツなんか出来ねえよ。走るのだって一苦労だろ」
実際に、今日駅に走って向かうのも一苦労だった。
「確かにそうね。まあ、日常生活で走る事はまずないから、走りやすかろうが、走りにくかろうが私には関係ないわね」杏奈はそう言うと、足を止めた。つられて俺も足を止める。「ここを曲がれば駅への近道になるし、警察に見つかる事もなく行けるわよ」
言われて、横を見ると細道があった。この辺の土地勘は俺にはないので、言われた通り曲がり、勝の自転車より一回り小さな杏奈の自転車に跨がった。
「乗れよ」
「······こういう時はジブリ的に横に座れば良いの? それとも跨ぐの? はたまた曲芸の熊のように立てば良いのかしら?」
三つとも二人乗りの乗り方としては正しいが、跨ぐは個人的に品がないと思うし、立はなんとなく杏奈の言葉的に乗せたくはなかったので、ジブリ的な横に乗るを進めた。
「じゃあ、乗るわね。とりあえず転びそうになったら言ってよね」
「転ばないよ。そっちこそ、落ちそうになったら言えよな。止まるからさ」
「落ちる時は道連れにして、あなたをクッションにするから大丈夫よ」
二人乗りで転んだら大惨事だぞ。俺は落とさないように、なるべく揺らさず進もうと心に決めた。
「捕まれよ」
杏奈が座ったのを確認し、俺が言うと杏奈は腰に腕を回してきた。
少しドキッとした。
ペダルを踏み込み自転車を進めると、勝を乗せていた時とは違い、スムーズに進んだ。
考えてみると、女性を乗せての二人乗りはこれが生まれて初めてだった。
ああ、女の子って軽いんだ。そんな事を思っていると、杏奈が話掛けてきた。
「ねえ、今日って桃原さんと何するの?」
「······何って、映画見て、もしかしたら夕飯食う······くらいかな」
「······映画か。なに見るの?」
「あの漫画原作の······タイトルなんだっけ? えっと、主人公が半身麻痺になるやつ」
タイトルを忘れたので、要点を話した。
「ああ、あれね。私も読んだ事あるわ。最後死ぬやつでしょ」
くるりちゃんもそうだが、簡単にネタバレするなよ。
「そうそう、その死ぬやつ。面白かったか?」
「······」
俺の質問に杏奈は答えずに、ただ背中に顔を埋めてきた。俺は思わずドキッとしてしまい、ハンドリングを誤り、自転車が揺れた。
「おい、近いよ。ファンデーションとか付くだろ」
照れ隠しに言うと、杏奈はその一つ前の質問に遅れながらも答えてきた。
「私はあの話嫌いだな。死んだのにハッピーエンドみたいに書かれているのが嫌だった。好きな人とはずっと一緒にいたい。それは肉体的にであって、精神が一緒だから幸せとは私は思えない。私だったら、半身麻痺でも寝たきりでも、生きた肌に触れたいし、好きな人とずっと話していたい。私ってロマンチックの欠片も無い女かしら?」
「······さあな。恋愛観なんて人それぞれだし、俺は杏奈が間違っているとも思えないな。それに杏奈の意見じゃ、どんな姿だろうが、生きてずっと一緒にいたいって考えているんだろ? それはロマンチックじゃないか?」
「そうね」
「······」
俺は暫く無言でペダルを漕ぎ続けた。軽い杏奈を乗せたペダルを漕ぐ事も、この無言も全然苦じゃなかった。
「······ねえ、通り魔が捕まったって言っていたけど、危なくはなかったの?」
「······俺はな」
この答えで杏奈はきっと察するだろう。
「勝君を止められなかったの?」
「······俺は······怖くて止められなかった」
背後にいた通り魔が怖くて。
予知夢で見た刺される未来が現実になる事が怖くて。
「勝君の唯一の男友達なんだから、あなたが止めないとダメなのよ。さっき見た時は元気そうだったから良いけれど、もし怪我や······それ以上の事があったら、きっとあなたは後悔するわよ。それに彩はきっと泣くし、私だって泣くと思う。命を懸けて助けろって言ってるわけじゃないの、私は一緒に逃げろって言ってるの。もしも、勝君とあなたの立場が逆だったとしたら、私は今、きっとあなたの首を絞めているわよ。そして、死んだらどうするのよって言ってるわ」
腰を抱く杏奈の腕に力がこもる。
「······杏奈」
「まあ、勝君は後で彩に今言った事以上のお仕置きをされるだろうから、私からは勝君に何の文句も言わないけれどね」
具体的に何をするのか教えて貰いたかったが、俺は怖くて聞けなかった。
首を絞められる以上の事って何だろう?
とりあえず、心の中で、勝に助けてくれた事へのありがとうと、死地に送り出した事へのゴメンねを繰り返した。