第十七話 土曜 止
勝の絶叫と落ちたナイフを見比べた客が、続けざまに悲鳴をあげた。
「いやぁぁぁぁぁぁぁ!」
「逃げろ!」
「殺される!」
悲鳴があがると、呆然とする通り魔から距離を取るように、勝は椅子から飛び退き、通り魔を指差した。
「この女だ! この女が俺に何か向けてきたから、手で払ったらナイフだった! こいつ俺に通り魔は私だって言っていた!」
店内は悲鳴と逃げようと席を離れる人でパニックになっていた。俺もどうしていいか分からずに、人混みの方に非難した。
「裏口! 店員さん! 裏口から避難させてください! あと、警察に電話して!」
勝の指示で店員は客の避難を始めた。すると、状況把握が出来ていなかった通り魔も何が起きたのか理解し始めたようで、椅子から立ち上がった。
「······騙したなぁ!」
「騙したも何も、あんな嘘八百信じるなよ。ああ、そうそう、こういう店の氷は中に空気が含まれているから、成人男性なら氷を三つも重ねれば簡単に砕けるんだよ。大人なのに、そんな事も知らないんだな」
「ふざけるな!」
叫び、通り魔はナイフを拾おうと飛び出した。その時の顔は怒りに塗り潰され、まるで山姥のような形相だった。
「させるか」
勝はナイフに手を伸ばす通り魔の腕を掴み、床に顔から押し倒すと、腕の関節を極めた。
テレビで見る、警察官が犯人を取り押さえる時のような動きだ。
「誰か! 押さえるの手伝って」
通り魔が逃れようと暴れるので、周りの人に助けを求めた。ナイフを持った通り魔だったなら、正義感を持ち、動ける人はまずいないだろうが、今は取り押さえられた素手の通り魔だ。男性店員や。他の男の客が駆けつけ、取り押さえるのを手伝ってくれた。
「離せ。殺す。このガキは殺す! あの四人より滅多刺しにしてやる!」
床に爪を立て、通り魔は喚き散らした。
「すいません。僕ももう限界なんで、誰かこの手を押さえるの代わってください」
取り押さえるのを代わって貰った勝は、その場から離れると、通り魔のナイフを拾い、俺に近づいてきた。
「これ見ろよ。刃の根本に血がこびり着いているから十分証拠になるだろうな。いやー。こんなに緊張して嘘並べたのは初めてだよ」
「······おお。俺は生まれて初めてこんなに詐欺師が天職な人間を見たと思ったよ。あんな嘘よく思い付いたな」
「ああ、あれ? なんか昔、あんな感じの展開の小説読んだ事あったからよ、話の筋に使わせて貰ったんだよ」
「けどさ、あんな話よく信じたよな。プロの殺し屋とか普通は信じないだろ」
俺は声を潜め聞いた。
「普通はな。でもあいつは通り魔、普通じゃないんだよ。ほら思い出してみろよ、あの女パソコンのキーを強く叩いていたろ。人を何人も刺し殺してるんだから、いつ捕まるか分からないプレッシャーが相当なストレスを与えていたんだろ。そこに理解の範疇を越えた話と自分の正体がバレたという衝撃を与えたんだ。普通に考える事なんて出来なかったんだよ」
俺がうるさいとしか思えなかった、キーを叩く音からここまで考えていたのか。
「でもさ、あれがただの癖で、通り魔じゃないってシラを切っていたらどうする気だったんだ?」
「その時はあの女に財布をすられたって言って、店員に警察を呼んで貰う予定だったよ。それで持ち物検査すれば、ナイフが見つかって一巻の終わりだからな······っと、財布返せよ」
「ああ」
だから俺に財布を渡したのか。
こいつマジで将来詐欺師になるんじゃないか?
そう思いながら、ネタに使われる事の無かった財布を返した。
「なあ、通り魔がナイフを持っていなかったら、どうする気だったんだ?」
「その時は、財布はその前に落としていたんだって言うつもりだったけど、ナイフを持っているっていうのはかなりの確証があったぞ」
「確証?」
「ああ、お前が予知夢で通り魔に襲われただろ? それならどこで襲われたか考えてみたんだよ。今ここでお前に目をつけたんなら、たぶん跡を付け狙って襲った事になる。だったら家に帰ってナイフを持ってくる時間なんてないだろ?」
「······確かに」
詐欺師から、こいつは探偵になれば良いんじゃないかと俺の考えは変わった。
その時、遠くからサイレンの音が聞こえた。
その音はどんどん近づいてくると、俺のアラームよりも大きい、母さんのどなり声の何倍ものけたたましさになり、ドーナツ屋の前でピタッと止まった。
通り魔という悲劇の終了を伝えるベルが鳴りやんだ。幸島市を震撼させた通り魔の人生という演目は狂言回しの活躍により幕を閉じた。