第十六話 土曜 惨
思わず声をあげそうになった口に手を当て、驚きと絶叫の混じった声を押さえ込んだ。
「······はぁはぁはぁ······嘘·······だろ······」
口から手を離し、必死に恐怖に耐えながら、掠れるほど小さな声を出す。
「今は下手に動くなよ。あいつが動きそうになったら、俺が伝えるから」
俺はこくんと頷き、心を落ち着かせるために、コーラを喉に流し込む。炭酸で喉が痛んだが、今の俺にはそんな事気にしている余裕などなかった。
「でも······本当なのか?」
「半々だな。けれど、今日緊急ニュースが出るほどの事件を起こしているやつなんて通り魔くらいなんだよ。もしかしたら時効間近の犯人が逮捕されたとかも考えられるが、あの女はどう見たって二十代後半位だし、時効間近の犯罪を犯しているとは思えない。それに俺達にとって大事件は対岸の火事で、解決してもへぇーって言うくらいのもんだろ。そう考えると、通り魔だと考えた方がしっくり来るな」
「······確かにな······じゃあ、警察に通報するか?」
「いや、予知夢で見ましたなんて話しても警察は信用しないだろ」
「······じゃあ、このままつけて歩いて、犯行現場を収めるか?」
「それも無理だろ。相手は夜に犯行に及ぶうえに、スクーターで移動してるんだぜ。ここに夜までいるとも思えないし、スクーターで移動されたら、自転車じゃ追跡出来ないな」
「どうするんだよ」
「······嵌めるか。あの女にはこの場で自白して貰うしかないな」
「······」
勝の言葉に戦慄した。
つまり、警察に通報出来ない以上、周囲の目のあるここで、自分は通り魔だと言わせるって事だろ?
それがどれだけ危険な事か分かっているのか?
「······嘘だろ?」
「······ここで見逃したら、ダチの命が危ないかも知れねえんだし、やるしかないだろ。それに相手が女なら、下手に反撃食らっても何とかなるだろ。まあ、もし通り魔じゃなかったら、俺は頭の悪い学生の振りでもして謝るわ」
そうは言いつつも緊張しているようで、目を閉じ深呼吸を始めた。
「······本当にやるのか?」
頭の悪いヤンキーの先輩をはめるのとはレベルが違う。相手は通り魔の可能性がある以上、もし失敗すれば、命の危険だってあるんだ。
集中を乱すのは悪いと思いつつも聞いてみると、「ああ」と、返事が返ってきた。
「じゃあ······俺も手伝うよ」
「いや、お前はここにいてくれ。これは刺される未来を回避するためにやるんだ、貴之が手伝うのは危険だ。もしかしたら、手伝った末に刺されるのかもしれないだろ」
確かにそうかもしれない。
通り魔に偶然教われる確率より、関わっていき襲われる確率の方が高いだろう。
けれど、納得する事が出来なかった。親友だけを殺人鬼と戦わせ、一人指をくわえて見ているなんて出来ない。
俺の目にもその思いが宿っていたのか、勝は目を見つめると、折れたかのように「はぁ」とため息を着いた。
「じゃあお前にも手伝って貰うわ」
「何すればいい?」
「とりあえずこれを隠し持っていてくれよ」
テーブルの下から俺に財布を手渡してきた。
俺は、これになんの意味があるんだと子首を傾げる。
「それは使うか使わないかわかんないが、持っていてくれ。あと······ヤバイ時は警察呼んでくれ。相手がナイフでも出せば、警察も動くだろ。まあ、理想はナイフを出さずに、『もうしません。警察に自主します』って言わせるのがベストだけど······それはさすがに無理だろうな」
「······なんか策があるのか?」
「······おいおい、俺は喧嘩よりも······口喧嘩が得意な男だぞ。口八丁、嘘八百で騙し通すよ」
勝はそう言うと、空のグラスを持ち、席を立った。
俺はやっぱり無謀だ、止めるべきだと思ったが、勝はそんな俺の肩にぽんと手を置いて、小さな声で、「大丈夫」と言った。
勝が通りすぎると、俺の真後ろの席に誰かが座る音がした。勝が女の向かいに座った音だ。
「相席いいですか?」
「はぁ? こんなに空いているのに相席って何でよ?」
一つ後ろの席の会話に俺は聞き耳を立てた。
店内は賑やかだったが、辛うじて二人の声を聞き取る事が出来た。
俺は様子を見るために向かいの席に座ろうとしたが、これ以上離れたら声が聞こえなさそうだったので、この場に留まる事にし、スマホのカメラを自撮モードで起動して、背後の様子を映し出した。
何度かズームを繰り返し、二人の動きがわかる大きさに設定する。
「お姉さんの顔を見て、少し話がしたくなりましてね」
「何? ナンパ? おあいにく様、私の恋愛対象は二十代からなの。乳臭い子供を相手にする気はないわ」
うわぁ。この女凄い口が悪いな。
杏奈以上に毒舌だ。
しかし、女の向かいに座っているのは勝だ。あいつは更に毒を吐く男だった。
「あはは。俺だってこんな化粧の濃いババアをナンパする気はありませんよ。まあ、その石膏のようなメイクを落として、その南米の食虫植物のハエを呼び寄せるために出しているような香水の臭いを落とし、更に十年若返ったら、ナンパするかどうか考えるかもしれませんがね」
「······ッ! 馬鹿にしているの!」
女が大声をあげた。
毒舌合戦は勝の圧勝だった。
大声をあげた女は周囲の視線が浴びせられたために、罰が悪そうに下を向いた。
「あまり大きな声を出さないで貰えますか? 俺も······あなたも、目立つのはお嫌いでしょう?」
「······」
女は勝の言葉から何かを感じ取ったのか、黙りこくった。
「そう、ここからは仕事の話ですので、静かにしましょうね」
「······仕事?」
女は俺と同じ疑問を持った。
仕事の話って、会話をどんな方向に持っていくんだろうか?
「困るんですよ。あなたみたいな素人が······俺達の仕事場の邪魔をされるのは耐えられないんですよ」
「はぁ? 仕事の邪魔って何の話よ」
「何の話? ああ、そういうスタンスなんですね。すいません。久しく素人の方と会話をしていなかったものですからで説明不足でしたね。あなたの三件目のターゲットが俺達の獲物だったんですよ」
「······何の話かしら? 子供の遊びの話なら、お子様のお友達としてもらえない?」
「ははは。ここまで言ってもそういうスタンスを貫くんですね。それなら俺も回りくどい言い方は避けますか······」
そう言うと、勝は間を取る。
「これは忠告だ。お前はやり過ぎた」
声に込める温度をグッと下げ言った。聞き耳をたてているだけだと言うのに、店の冷房を限界まで下げたような寒さを感じた。
「······私には······何を言っているのか分からないわ」
「なあ······分かろうが分かるまいが俺達にとっては関係ねえんだよ。お前がどこで誰に何しようが、勝手な話だ。ただ······この街でこれ以上遊ぶつもりだったら······注意しろって事だよ」
言い終えると、グラスに手を伸ばし、中に残った氷を手に移し······握り砕いた。
「口調が荒くなってしまいまして申し訳ございません。ただ覚えておいてください。俺は、あなたみたいに道具は必要ないんですよ。この場にいる人間くらい······三十秒もあれば全員の喉を握り潰す事も可能なんです」
「······なんなのよ······あなたは······」
「俺ですか? 考えればわかるでしょ? 俺はあなたを素人言った。それなら俺はなんでしょう?」
「······プロ? 何言っているの?」
さすがにこんな嘘を信じるやつはいないだろ······勝が展開を間違えたのか?
俺がそう思っていると、勝は畳み掛けていった。
「物語と言われても、実際にいますからね。そもそも、あなたは考えが足りていませんね······なあ、警察も掴んでいないようなお前の正体を俺が知っているのは何故かって思わないのか?」
「······ッ!」
あからさまに女の顔色が変わった。
「お前がやったガキな、二月前にいたいけな女子高生をレイプしていたんだよ。された子は心にも体にも傷を負って外に出れなくなり、終いには自殺してしまいました。主犯のガキは親のコネで無罪。付き合った仲間も無罪。怒りを覚えた被害者の親は、うちの会社に一人二百万で殺ってくれって泣きついて来ました。全五人のうち三人目まで、失踪やら、薬物中毒やらで消えて貰って、さて次だと思いその男を後方から付け狙っていたら、突然あなたが出てきて、ぶすりと殺ったもんで驚きましたよ。まあ、依頼人は通り魔に見せ掛けて行った犯行だと思ったらしく、お金は払ってくれましたけど、これでも俺にもプライドってもんがあるんですよ。さすがにこれからもターゲットが被って、人の手に掛かるのは耐えられませんからね······っと、失礼。回りくどくなってしまいましたね。つまり······見ていたから、お前が通り魔だと知っているんだって事ですよ」
「······ッ! 嘘よ! だって周りには誰もいなかったわよ」
回りに誰もいないと言ったと言う事は······女は自分が通り魔だという事を認めたって事だ。
勝の鮮やかな手口に思わず拍手を送りたくなったが、必死に耐え、事の顛末をカメラ越しに見守った。
「······プロが気づかれると思っているのか? あなたの動きは今後も見ていくつもりですけれど······まだ通り魔を続けますか? その相手がもしかしたら俺達のターゲットかもしれないと怯えながら」
「······止めるわ······もうこの街では······しません」
「いい心がけですが、ちゃんと言えないのかな? 誰が何をしませんなんだろうな?」
「······もう私は······この街で······通り魔なんてしません」
女の顔は恐怖に怯え、最初のような気の強さは見て取る事は出来なかった。
「いいお言葉ですね。ただ口約束をするのもなんですから······あなたの獲物をくれませんか? 依頼人に証拠を出す必要がありますので」
勝がそう言うと、女はちらりとバックに視線を送った。
「通り魔の鏡ですね。凶器を常にバックに入れ持ち歩いているなんて。いつでもどこでも好きな時に刺す事ができますからね。さあ、渡して貰えますか?」
女は手を震わせ、バックをテーブルの上に置き、ジッパーを開けた。
俺の位置からはその中まで見る事は出来なかったが、勝は中の確認が出来たようだ。
「このナイフで殺ったんですね。おや、ブレードの根本にまだ血がこびり着いているじゃないですか。血は水洗いだけでは落ちないんで、しっかり磨かないとダメですよ。それじゃあ渡してください。ああ、他の人の目なんか気にしなくていいですよ。もし、この会話が聞かれていた場合を考えて······全員消すつもりでしたから。あなたは早めに非難してくださいね」
「······はい······あの、警察には······言わないんですか?」
「言いませんよ。だって、会社の存在を警察に嗅ぎとられるわけにはいきませんからね」
警察に言わないという言葉を信頼したのか、女は卓上で勝に······血のこびり着いたナイフを手渡した。
それは不良が隠し持っているようなバタフライナイフではなく、もっとゴツイ、女の腕力で振るえるのか疑問に思えるほど大きなナイフだった。
洋画の中の迷彩服に身を包んだ軍人が持つようなナイフだ。
俺なら見ただけで息を呑み、思考が停止するようなナイフを出された勝は、次の瞬間、俺も女も予想外の行動を取った。
無骨なナイフの柄を掴み、奪い取ると、人のいない所にーー放り投げた。
俺と女がその行方を追うと、続けざまに勝が大声をあげた。
「わあぁぁぁぁっ! 通り魔! この女、血の着いたナイフを持ってる! 通り魔だぁ!」