第十五話 土曜 荷
『どうした?』
声のテンションが変わり、ふざけた感じは消え去った。
「······夢で·····刺された······」
説明不足の短い文ではあるが、勝は察したようだった。
『······今家か? どうする、俺そっちまで行くか?』
来て欲しい思いもあったが、俺は一秒でも早く勝と合流したく、その申し出を断った。
「いや、どこかで合流したい。今どこにいる?」
『······今家だけど······電車で幸島駅まで来れるか? 改札で待っているからよ』
「分かった。今出るから、なるべく早く来てくれるか?」
『ああ。直ぐに家を出る。電車に乗れば大丈夫だろうけど、駅までは周りを警戒しながら走って来いよ』
「分かった······じゃあな」
俺は返事をし、通話を終了させると、すぐさま服を着替えた。
今日はくるりちゃんとデートだが、電車に乗り遅れてでもしていた髪のセットをせずに、ハットを被り、髪型を誤魔化し家を出た。
外に出ると、言われた通り走った。
十字路で立ち止まる事もせずに、全速力で駅を目指した。
すれ違う人が何事かと見てくるが気にせずに走り、発車間近の電車に飛び乗り、誰にも教われないように、運転席前で背中をガラス窓に押し付け、立ったまま電車に揺られた。
揺られている間も俺は、眼光鋭く乗客を見続けた。
誰もが通り魔に見え、目が合うたびに、背筋に冷たい汗を掻いた。
駅に着き、辺りを警戒しながら改札を抜けると、デニムに白シャツとベストという格好の勝が、息を切らしながら、柱の前に座っていた。
「よお。思ったより早かったな」
勝が片手をあげ言ってくる。
「ああ。悪いな」
「馬鹿。ダチの頼みなら、彩ちゃんを譲ってくれって言う頼み以外は聞いてやるよ」
「······言ったら殺されそうだから言わねえよ」
「だな」
勝は笑うと立ち上がった。
「で、どこ刺されたんだ?」
勝の顔は真剣な面持ちに変わっていた。
「······背中」
そう答えると、勝は俺に向かい鍵を投げてきた。
キャッチするとそれが自転車の鍵である事が分かった。
「じゃあ背中を見せないように、貴之が運転で、俺が後ろだな。ちょうど良かった。全力で飛ばしてきたから、くたくただったんだよ」
つまり自転車の二人乗りでどこかに移ると言う事だろう。俺が駅構内から出て直ぐの所に停められていた勝の自転車の鍵を開け跨がると、後ろの荷物置きに勝が座った。
「どこ行くんだ?」
「学校近くのドーナツ屋なんてどうだ?」
「こっから十分は掛かるだろ? 近くじゃダメなのか?」
「お前はニュースも見てないのか? 直近の事件じゃこの近辺で通り魔に襲われたって報道していただろ。離れた方が安全なんだよ」
「了解。場所知らないから案内頼むな」
ペダルを力一杯踏み込み、自転車を進めた。後ろに置いた大荷物である勝は、気楽そうに、「遅いぞ」や、「それじゃ風になれないぞ」と、エールを送っていた。
「うるさい」
と、一喝し、立ち漕ぎに移行し、十分間の苦行に挑んだ。
勝の案内を聞きながらペダルを漕ぎ続けると、ファストフードの店に着いた。それは全国チェーンのドーナツ屋で、男二人で入るような店ではなかった。
「······ここ入るのか?」
「ああ、そうだよ。通り魔の性別は分かんないけど、こういう事件の大半は男性が犯人と言うケースだから、安全だとは思うぞ」
俺はお気に入りの店だから連れてきた位にしか考えていなかったが、勝の言葉を聞き、家以上に安全であるように思えてきた。
スクーターと数台の自転車が停められた駐車スペースに自転車を停めた。
二人で店内に入ると、鼻腔に甘いチョコの香りが漂ってきた。
店内にはそんな香りが似合いそうな、女同士の若い客や、チョコよりも甘そうな関係のカップル、仕事中なのかテーブルにパソコンを広げているキツい顔の化粧の濃い不機嫌そうな女性がいた。
最後の女に関しては似合いそうと言うよりは、チョコで血糖値を上げた方が良い言った方が正解か。
しかし、店内を見回しても男同士の客はどこにもいなかった。
「······男同士は俺達だけじゃん」
「大丈夫だって、男二人でもゲイのカップルに見られる事はないからよ」
「そんな心配してねえよ」
ため息混じりに言い返すと、勝は慣れた手つきで、トレイにチョコレートドーナツを乗せた。
「お前も同じやつでいいか?」
一人っ子の俺は、普段ドーナツなんて食べないので、何を頼めばいいか分からず、「同じで」と答えた。
勝は同じチョコレートでコーティングされたドーナツをトレイに乗せ、レジに向かった。
「お願いしまーす」
「あっ今日も来たんだ。今日は彼女さんと一緒じゃないの?」
「今日は男子会なんで、男二人なんすよ。あいつは休みっすか?」
「今日は一時からシフト入っていたから、あと一時間くらいで来るんじゃない?」
「了解っす。あっ、飲み物コーラ二つで。氷少な目でお願いしますね」
「はいはい」
常連だからか、店員と慣れ親しんだ感じで会話をし、会計を済ますと空いている席を探す。
「今回は俺の奢りだから、今度なんか奢れよ」
財布を出し、金を払おうとした俺に言ってくる。最近出費が多かったのでこの提案は有り難かった。
「了解」
「じゃあ、食いながら話すか」
席に座り、勝はドーナツをかじった。
「美味っ。お前も食べてみろよ。俺のお勧めなんだからさ」
話はどうしたと思いながら俺もドーナツをかじると、口の中にチョコの甘さと、ドーナツの香りが広がった。
美味い。
スーパーの四つで百円のドーナツとは大違いだった。
食感も良く、これなら何個も食べられそうだと思った時に、俺は不思議な感覚に襲われた。
「······これ······食べた事あるな」
「うん? 食った事あったのか? まあ、昔からあるプレーンなドーナツだしな」
「昔に食ったのかな?」
「······予知夢に出てきたとかか?」
いや、それはない。予知夢ではこの店に来ていない。
「見てないから······デジャヴかもな」
「予知夢じゃなく、デジャヴュね。ちょうど予知夢の話になった事だし、今日何を見たのか話してもらえるか?」
持っていたドーナツをトレイに置き、今朝見た予知夢の内容を話す。
「······いつどこでかも分からねえけど、突然背中に痛みが走って、視界が真っ暗になり地面に倒れたんだよ。それで、必死に手を背中に伸ばしたら、指先に刃物とぬるぬるっとした血に触れたんだよ······」
思い出すだけで背筋に冷たい汗を掻いてきた。
「······それで終わりか?」
「······ああ」
「なあ、ちなみに昨日も予知夢を見たのか?」
「昨日も見たよ。ただこんな俺が刺されるような内容じゃなかったよ。もっと日常にありふれた話だった」
「そうか」
と、呟くと、勝は腕組をし、なにやら考え込んだ。
「······短いな······なあ、月曜から今日見た夢までを思い浮かべて貰えるか?」
俺は言われた通り、月曜から今日の刺される夢までを順に思い浮かべてみた。
「俺は昨日の夢以外の話をはしょって聞いているけどさ、お前は現実のように、その夢を体感しているんだよな?」
現実のようにと言うよりも、現実そのものだと思うほど体感していた。あの痛みは現実としか思えず、俺は起きてなお叫んでしまったんだ。
「それまでの夢と今回の夢の違いって何がある?」
「何がって······あっ」
夢をそれぞれ思いだし、一つの事に気づいた。
「今日の夢以外······五分くらいだった。家を飛び出て轢かれたのも、教室を出て購買部で絡まれたのも、駅に着いて本を買い間違えたのも、ファミレスでトイレに行って戻ってくるりちゃんに水を掛けられたのも、昨日見た杏奈と揉めて······くるりちゃんに振られたのも······五分くらいだった」
「······昨日の夢の内容も気になるが、今は置いておくとして······今回だけは違うってことか?」
「今回は刺されて痛みで呻いていたから、はっきりと時間は分かんないけど······一分も掛かってない気がする······」
「チッ!」
と、俺の言葉を聞き、勝は舌打ちすると拳を握りしめた。
「······熱くなって悪い。貴之······落ち着いて聞けよ。その夢は······五分見れなかったんじゃないのか? 刺されて······死んだせいで、夢が止まった······」
俺は薄々気づいていた事を勝の口から聞かされ、体が震えだした。
予知夢から覚める時白い靄が掛かったように視界がおおわれるが、今日は光の一切届かない洞窟の中に入り込んだように真っ黒になって目覚めた。
俺は······刺されて死ぬのかもしれない。
「落ち着けって言っても難しいかもしれないが、俺の言葉を良く聞けよ。お前は月曜から昨日までの予知は回避して来れたんだよな?」
「······ああ」
「だったら今回の予知もきっと回避できる。夢に何かヒントはないか?」
ヒントって言っても何も見ていないし、何も聴こえなかった。
今までの夢とは違い、いつ起きるかも分からない。
どこにも手がかりが無く、俺が首を振ると、一つ後ろの席から、キーボードを乱雑に叩く音が聞こえた。
「······うるさいな」
勝は俺の背後の席にいる音の主に鋭い視線を向けた。
普段柔和な表情が多いだけに、緩急効いたこの表情の変化には思わず息を呑まされる。
「悪い。話を続けるか」
俺を落ち着かせるためか、また微笑を浮かべ話を続けた。
「ヒントがないと言っても、背中を刺されたのは間違いないんだよな。つまり、通り魔に会った可能性が高い。だったら今日一日俺がお前の後ろを歩いていれば大丈夫じゃないか? ちなみに今日はなにか予定あるか?」
「······予定っ言うと、くるりちゃんとデートだけど······こんな状態でデートは無理だよな······」
「桃原とか······断った方がいいな。さすがに俺が付いて歩けば桃原だって不振がると思うし、最近のホテルは三人では入れないらしいしな」
「俺達はピュアな関係続けているんだから入るか!」
俺が突っ込むと、勝は「悪い悪い」と、笑いながら謝ってきた。もしかしたら俺の緊張をほぐすために言ったのかも知れないな。
「三人では入れても、死んでもお前は入れねえよ」
俺はコーラを一口飲み、笑いながら答えた。するとまた背後からターンと言うキーを弾く音が聴こえた。
勝がうるさそうに眉値を寄せたので、俺も振り返り後ろを見ると、背後には化粧の濃い女性が気むずかしげな顔をして座っていた。
俺の視線に気づくと、女性はじろりと睨んできた。
慌てて俺は前を向いた。
きれいな女性だったが、そのきつそうなメイクと、キツい目付きのせいで、綺麗と言うよりも怖いと言う印象を持たせる顔だ。
「······怖っ」
声を潜め俺は言った。
「確かにな。けどさ、ちょっと杏奈ちゃんに似てないか?」
「はあっ? 杏奈はケバくないし、もっと柔らかい表情してるだろ」
ムキになって俺は答えた。後ろの女性は顔立ちが整っている点では杏奈似ではあるが、杏奈の落ち着いた表情から醸し出されるクールさと違い、不機嫌そうな怒りから来る冷たさを目に宿していた。
俺はまたチラリと後ろを覗く。
うん。杏奈とは似ていないな。
そう確認し、視線を前に戻す時に、女の横に置かれたバックが目に入った。バック自体はなんのへんてつも無い物だったが、その上には、バイクの半帽が置かれていた。
「······おい!」
俺は声を潜め、勝に顔を近づけるように手招きをする。
「後ろの女、俺をスクーターで轢いた女だぞ」
バックの上の半帽とスクーターの運転手の半帽は同じに思えた。そう思うと、顔も一緒な気がする。
髪型も同じだ。
あれっ······何で髪型も同じってわかるんだ?
俺が見たのは、夢でも現実でも半帽を被っていたはずなのに······。
「マジか。確かに外にはスクーターがあったし、あの顔なら轢き逃げしそうな気がするな」
「今見てはっきりした。俺、あの人に見覚えある」
「登下校で会っているとかじゃなくてか?」
「いや、ヘルメット被っていない顔を見た気がする」
「どこで見たんだ?」
その質問の答えを考えてみるが、どこで会ったのか思い出せなかった。
「······どこでだっけ······街とかじゃなかった気がする······なんか、あの顔見て······勝が言ったみたいに·······あの顔ならしそうだとか思った気がするんだよな······」
必死にその女の子とを思い出そうと思っても、あと一歩と言うところで答えが霧散してしまう。
どこだ?
俺はどこで見たんだ?
「······俺にはどこにでもいる休日のOLにみえるけどな······ってか、自分で言っておいてなんだけど、あの顔ならしそうって、犯罪者とか不倫したOLにしか使わないぜ」
苦笑しながら勝は言ったが、俺はその瞬間、頭の中の靄が消え去り、はっきりとあの女性の顔が浮かんできた。
「······ッ!そうだよ。後ろの女犯罪者だよ。ニュースで逮捕されたって報道されてたじゃん」
内容が内容なんで、さらに声を潜める。
「······いやいや。俺は毎日ニュースを見て新聞も読んでるけどさ、あんな女が逮捕された報道なんて知らないぞ。そもそも、逮捕されてたらなんでここにいるんだよ。もう出所したってのか? どのくらい前のニュースなんだ?」
「······確か······俺とくるりちゃんが一緒の時にスマフォの緊急ニュースで見たから······先月か今月だと思う」
「緊急ニュースでって、俺は見た覚えないぞ。お前夢でも······ッ!」
途中で言葉を止めると、勝ははっとした顔をし、俺を見つめた。その目には焦りと驚愕と困惑を織り混ぜたような深い色に染まっていた。
「そのニュース······予知夢で見たんじゃないか?」
「······いや、見てないはず······でも、なんか記憶にあるんだよ」
「······見てないのに記憶にあるって······デジャヴュみたいだな······なあ、そのニュースを見た時のの事、何か思い出せないか?」
実際に起きた事なのか、予知夢なのか分からないが、言われて俺はこめかみを押さえ必死に思い出してみる。
するとぼんやりとだが、その時の情景が浮かんできた。
スマホに逮捕ニュースが映し出されていた。
「携帯に緊急ニュースが流れていて······俺が······くるりちゃんに······良かったねって言っていたと思う」
「いつかは分かるか?」
さらに思い出し続けると、その時の情景が鮮明になっていく。
「······その時のくるりちゃんの手には······映画のパンフレットが握られていたから······今日か?」
「······予知夢かデジャヴュ。捕まって良かった······逮捕時に写真が出る······緊急ニュース······そして······今日って······マジかよ」
勝は結論が出たようなので呟いたが、俺にはわからなかったので、何がマジなのか聞いてみた。
「いいか······仮定の話でしかないから、間違っている可能性は大いにあるが、落ち着いて聞けよ。絶対に声を出すんじゃねえぞ」
俺が頷くと、勝は自分を落ち着かせようとしているのか、コーラからストローを抜き取り、直接口をつけると、一気に飲み干した。
「······彩ちゃんが以前言っていたんだけどさ、未来って言うのは分岐点の先にあるものなんだって。AとBという分岐点でAを選べば、Bの未来は消える。Aを選んだ後は、また新たなCとDという分岐点が生まれるもの。人間は一度分岐点を過ぎればもう戻れない。だからその時その時を運命に委ねて生きていくんだってさ。もしもだが、貴之の予知夢がその分岐点の先の未来を見せているとする。AかB。今日ならA刺される。B刺されないみたいにな。もしBの刺されないという分岐をした場合、その後には未来が続く。今日の予知夢では刺される部分しか見れなかったから、回避が難しいよな。けれど、もし、貴之の予知夢が切り取ったその分岐点以外も見せていたとしたらどうする? 本当の夢と同じで記憶にも残らないような、断片的な未来も見せている。この場合は刺されない未来の先だな」
そこで一息つくと、俺の目をじっと見つめた。
「つまり······通り魔が捕まった後の未来だよ」