第十一話 金曜②
春休みが始まって一週間も経たないある日、杏奈でも勝でも彩ちゃんでもない、仲が良いかと言われれば、判断に困るようなクラスメイトの男子からメールが届いた。
その内容は、『昨日、佐倉さんが男と腕組んで歩いてたって聞いたけど、貴之君大丈夫か?』と言うものだった。
俺は何かの間違いだろと返信したが、その後にも、別なこれといって仲良くしていないようなクラスメイトから、『佐倉が南校のやつとホテルに入っていったのバレー部のやつが見たって言ってるんだけど、マジかよ?』とメールが来た。
何言ってるんだ、そんなわけないだろと思っていたら、今度はまた別のやつから同様のメールが来た。
俺はイラついて、そのメールが届く度に、ろくに読まず削除していった。
ろくに読まずにじゃないか、読みたくなかったから削除していったが正しいかもな。
何件も消去すると、また携帯が鳴った。
俺はそれを開かずに消去しようと思ったが、今度のメールは勝からだった。
『今朝から俺に何件もメールが来てるけど、貴之にも届いているか?』
何のめーるかを書かずに送ってくれた勝の優しさを感じながら、俺は、『ああ』とだけ返した。
すると、すぐ電話が掛かってきて、今から会えないかと言われた。俺は同意し一時間後に会う事にした。
ファーストフードのハンバーガー屋にやって来た俺に勝は手を上げて挨拶した。テーブルの上にはカップが置かれていたので、俺もコーラを注文し席に向かった。
「俺さ、お前に送った内容と同じメールを彩ちゃんに送ったんだけどよ、彩ちゃんからは、何の事? って返ってきたよ」
勝の第一声はこれだったが、俺は勝の言いたい事が分からず、「どういう事だ?」と聞き返した。
「つまり、俺やお前にはメールが来ているけど、彩ちゃんや、杏奈ちゃんには届いて無いって事。ちなみに貴之に送ってきたやつも、全員男子か?」
「ああ、うちのクラスと、隣のクラスの男子からだな」
「そいつらに返信はしたか?」
「ムカついて削除したから返してないな」
「俺はさっき二人に返したよ。それ、誰から聞いたってな。そうしたら、他校の俺らと同じ中学のやつの名前が出たよ」
勝と彩ちゃんと杏奈は三人とも同じ中学だ。市内では一番生徒数の多い学校だったと思う。杏奈が七組だって言ってた事があるから、最低でも七組まではあるんだろう。
「知っているやつか?」
「名前は何となく覚えているくらいで、俺は話した事も無いやつだな。そいつがこのデマの発信源か確認するために、他のやつにも誰に聞いたか聞いてみたんだけどよ、そうしたら今度は商業の一組のやつの名前が挙がったよ」
「······つまり、どういう事だ?」
回りくどい言い回しに俺は少しイラッとしながら言った。
「このデマを流したやつは誰なのか、特定しにくいって事だな。時間を掛ければ見つけられるかも知んないけど、こういうデマは拡散が早いんだよ。今は男子の間を回っているだけだが、発信元を見つけるよりも早く、彩ちゃん也杏奈ちゃんの耳に入るだろうな」
俺の耳に入るのはまだ良いとして、杏奈の耳に入るのは避けたかった。俺よりも頭も良く落ち着いているが、それでも女だ。
打たれ強いはずがなかった。
何とかしたいと俺は思ったが、同じ高校のやつならともかく、発信元としてあげられたやつが勝と同じ中学である以上、俺に出来る事は少なかった。
「······なあ、こんなデマ流して何の特があるって言うんだよ」
「賞味な話、お前と杏奈ちゃんを別れさせるためにやっているとしか考えられないな。特に狙いはお前だな」
「俺?」
杏奈の中学の同級生の名前が挙がり、俺はてっきり杏奈が狙われていると思っていた。
「杏奈ちゃんを不審に思わせて、お前から杏奈ちゃんに別れを切り出させる為って所だろうな。なあ、貴之、俺がいの一番にお前を呼んだ理由なんだけどさ、聞きたい事があるからなんだよ」
勝はそこで急に声のトーンを落とした。この後に聞く質問が重要であろう事が嫌でも分かった。
「なんだよ」
「お前さ、このデマを······信じてないよな?」
「······ッ!」
直球の質問に俺は狼狽えてしまった。
「······信じてねえよ······どうせイタズラだろ」
そう答えたが、俺の中では本当にデマなのかと言う疑問が、徐々に膨らんで来ていた。
「お前も今はキツイかも知れないけどな、このデマが耳に入ったら、一番キツイのは、杏奈ちゃんなんだからな」
「分かってんよ!」
俺がそう答えると、ジーパンのポケットに入れた携帯が鳴った。
「チッ!」
また杏奈の浮気報告のメールかと思い、イラつきながら開くと、杏奈からの電話だった。
「杏奈から電話だ」
「出ろよ」
馬鹿な俺でもこのタイミングで掛かってくる電話の意味くらい分かった。一呼吸し、気持ちを落ち着かせ、通話ボタンを押し、電話に出た。
「もしもし? どうした?」
『もしもし、貴之の所にもメールあったでしょ?』
杏奈の声は低く、少し震えているようだった。
「······ああ」
『その事で話があるんだけれど······今から会える?』
「いいよ。今駅近くのハンバーガー屋にいる。ここ待ち合わせでいいか?」
『分かった。二十分で行く』
そう言うと、杏奈は通話を切った。
「あと二十分で杏奈来るってさ」
「もう、杏奈ちゃんの耳に入ったって事は、思ったより拡散が早いな。じゃあ俺は杏奈ちゃんが来る前に、店を出ますか。彩ちゃんの様子を見に行って来るわ」
「お前も同席するんじゃないのか?」
「こういう事は当事者同士で話し合った方が良いんだよ。それに杏奈ちゃんの耳に入ったって事は、彩ちゃんの耳に入っている可能性が高いからな。もしそうなら、きっと落ち込んでいるだろうから、そっち見てくるわ。ああ、そうだ、間違っても杏奈ちゃんに浮気しているかどうかの追及なんかするんじゃねえぞ。杏奈ちゃんが浮気するような女じゃねえ事は、お前が一番良く知っているだろ?」
「分かっているよ」
俺が答えると、勝は携帯を取り出し、電話を掛けた。
相手はディスプレイを見なくても直ぐ分かった。
彩ちゃんだ。
俺と話している時は、やや荒っぽい口調になるが、彩ちゃんと話している時はまるで猫に話し掛けているような、甘ったるい口調になる。今がそうだ。
「今から行くよ。うん。うん。大丈夫、急いで行くからね。じゃあ待っていてね。えっ? うん、うん。勿論だよ。ちゃんとジュース買って行くよ。彩ちゃん他に食べたい物はないかなぁ?」
ちなみに以前、風邪で休んだ勝に彩ちゃんが電話をすると言う場面に出くわした事があるが、彩ちゃんの口調は冷静さと気だるさを併せ持ったようないつも通りの口調だった。
甘ったるい口調は勝だけだ。
こいつらは仲が良いんだか、悪いんだか分からないな。俺は長電話をし始めた勝を見ながら、氷が溶け出し薄くなったコーラに口をつけた。
周囲の目を気にせずに、大好きだよとか、愛していると勝は言うと、通話を終えたのか、携帯から耳を離した。
「彩ちゃんにはまだメールは来てないみたいだな。とりあえず、俺は今から彩ちゃんの所に行くから、お前は杏奈ちゃんのフォロー頼むぞ」
電話との態度の違いに多少面食らいながらも、「了解」と頷く。
勝が店を出て行くと、入れ替わるように杏奈が入ってきた。
「お待せ。さっき外で勝君を見かけたけど、一緒だったの?」
「ああ、あいつ俺と杏奈の事心配して、相談に乗ってくれたんだよ」
「相談ね」
呟き、杏奈は俺の目を見つめて来た。
「貴之は今回の事どう思っている?」
「どうって、馬鹿なデマを流すやつがいるなって思ったよ。今は春休みだから良いけど、学校始まる前には誤解を解いておかないと、面倒くさいなって······思っているよ」
杏奈の強い視線に気圧され、最後の言葉は眼を反らして言った。
「そう。だったら良いわ。私としても貴之としてもいい迷惑ね。どちらがターゲットか分からないけれど、面と向かって別れろとも言えない人が、こんな回りくどい方法を使ってきているんでしょうね」
少し目に苛つきの色を出すと、視線をチラリと腕時計に移す。
「じゃあ私午後から予定があるからもう行くわね」
「もう良いのか? って言うか······予定って何があるんだよ? 春休み始まってからお前、予定があるとか言って、俺と会わなくなったじゃん」
「予定は予定よ。あなたには関係ないでしょ」
杏奈は棘のある言い方をした。
「関係あるだろ。俺はお前の彼氏だからな」
「······彼氏だから言えない事もあるのよ」
「言えない事って······お前別な男に会うんじゃないだろうな?」
その言葉を言った瞬間、俺はしまったと思った。
普段の俺ならもっと冷静な受け答えが出来ていたかもしれないが、今朝からのメールで俺の心は平常心とは言えない状態になっていた。
勝の忠告にもあった追及するな。
俺はそれを破ったのだ。けれど、口を出た言葉を戻す事なんて出来ない。
後悔したって遅いんだ。
杏奈は瞳を見開き俺を見つめた。
「······やっぱり疑ってるんだ」
「······違うって」
「何が違うって言うの? こんな時に、他の男と会うのかって聞く理由が、疑う以外に何があるって言うの?」
「いや、だから······やっぱりハッキリさせる為に······聞いておいた方がいいと思ってさ」
「馬鹿じゃないの? それが疑っているって言うんでしょ!」
杏奈は声を荒げ言った。
春休みの昼前の店内は同年代の客が多くいて、そんな少年少女にとって痴話喧嘩は大好物らしく、好奇の目が俺達に向けられた。
見てるんじゃねえよ。
俺は目にそんな言葉を宿し、じろりと辺りを睨み付けた。
ああ、イラつく。
「周りなんか気にしないで、こっちを向きなさいよ。イエスかノーで答えて。貴之は······私の事信じられないの?」
「······ッ!信じたいけど······火の無い所に煙は立たないって言うだーー」
俺の言葉はほほに走った痛みと、パシンと言う乾いた音に遮られた。
ビンタされた頬を押さえると、少し熱くなっていた。
「何すんだよ!」
「······」
杏奈は答えずに歯を食い縛り、必死に泣くのを堪えていた。
「·······信じて貰えないってどれだけ辛いかあなたには分かる?」
「信じられなくしたのはお前だろ!」
「······良いわ。あなたの事良く分かったわ。信頼しあえないなら、私達はもう終りね。さようなら」
「ちょっと待てよ!」
制止も聞かずに、杏奈は出口に向かい走り出した。
「······なんだよ······これ」
俺は呟き、髪をくしゃくしゃとこねくり回した。
たった数分で俺達の関係は終わりを告げた。
水っぽいコーラを一気に飲み干し店を出ると、叩かれたはずの頬が妙に冷たかった。
触ってみると、涙が頬を濡らしていた。