第九話 木曜③
暫く呆けていた俺は、携帯が軽快な音楽を奏でたので我に返った。この音はメールの着信音だ。
『今学校終わったよー。駅側のお店で待っていればいいかな?』
くるりちゃんの学校から駅までは歩いて十分程度。けれど、俺は今学校を出ても三十分は掛かってしまう。
『ごめーん。俺今から学校出るから、お店で待っていて貰っても良いかな?』
メールの返信を待たずに学校を飛び出した。
校門辺りに勝達が居るんじゃないかとヒヤヒヤしたが、校門には上部だけは仲の良さそうな女子の集団や、外周に行こうとする野球部の姿しかなかった。
少しホッとした俺は、野球部に負けず劣らね速度で駅まで走った。
電車に揺れながら窓に映る髪を手櫛で整え、駅に着いた俺は改札を駆け抜け、目的地であるファミレスを目指した。
五月だと言うのに冷房の効いた店内は、急いできた俺の熱くなったなった体を冷やすのにはちょうど良かった。店員に待ち合わせなんですがと伝え、くるりちゃんの元に案内してもらう。
「遅れてゴメンね。学校出る時先生に捕まってさ」
「ううん、大丈夫だよ。くるりも今来た所だもん」
そう言ったくるりちゃんの前に置かれたお冷やは半分以上減っていた。
「本当にゴメンね」
謝った俺はバックから情報誌を取り出す。
「そうだ、これ買ったんだけどさ、今度のデートで見る映画選ばない?」
「選ぶ選ぶー。貴くんはどんな映画が好き?」
くるりちゃんが質問をすると、店員がやって来て俺の前にお冷やを置き、『ご注文が決まりましたらそちらのベルでお呼びください』と、定型文の言葉を言ってきた。
「はい」
と、返事をし、俺は水を一口飲み、走って枯れた喉を潤し映画の話を続けた。
「俺はSF とか好きだな。あとは邦画の恋愛物も好き」
「くるりも恋愛物好きー。今、恋愛物何やっているかな?」
くるりちゃんは情報誌を捲り、お勧めの映画コーナーを開いた。
「これ、テレビでも絶賛している映画だよね。これなんてどう?」
人気若手俳優と、人気女優が主演の高校生の恋愛物を指差し言った。
「うーん、でもこれ、女の子が浮気しちゃうみたいなんだ。くるり浮気とか出てくる話嫌いだから見たくないな。浮気って凄い悪い事なのに、彼氏が簡単に許しちゃうみたいなんだよ。くるりだったら、浮気なんかされたらすっごくすっごく悲しくて、絶対に許す事なんて出来ないもん。貴くんは······浮気······しないよね?」
その言葉に胸がズキッと痛んだ。
「しないよ。俺は何があっても浮気はしない。されたらどれだけ辛いか······知っているからさ」
グラスを持つ手に力がこもる。するとくるりちゃんは俺の手をそっと握った。
「くるりも絶対にしないもん。貴くんを悲しませるような事······絶対に」
添えられた手は温かく、冷房で冷えてきた指先も、心までも温かくなる事が分かった。
「くるりちゃん······ありがとうね」
「えへへ。貴くんにありがとうって言われた」
「じゃあ、嬉しかったお礼としてはなんだけど、今日はくるりちゃんにデザートご馳走してあげようかな。甘いの好きだよね?」
「うん。くるり大好き。貴くんの次に甘いもの好きだもん」
その言葉に俺の心はときめいた。やっぱり、くるりちゃんは可愛い。
「じゃあ、デザート食べるのか決まった所で飲み物も頼んじゃおうか」
俺はメニュー表に手を伸ばし、ドリンクのページを広げる。
「うーん。中は少し寒いから、くるりは温かいカフェオレにする」
「じゃあ、俺もホットコーヒーにしようかな」
ドリンクを決め、ページをデザートの所に変える。
「くるりちゃんはデザート何食べたい?」
「うーん。美味しそうなやついっぱいだから迷うな。えへへ」
くるりちゃんは目を輝かせメニューを見つめると、ミニパフェを指差した。
「これが良いなー。貴くんは何食べるー?」
聞かれたが、予算の少ない俺は迷った振りをする。
「どうしようかな。ああ、でも帰り際に勝と菓子パン食べたから······今日はコーヒーだけでいいや」
勝の名前を出した時、今日の出来事が頭に浮かんだが、俺はなんとか顔に出さずに言い切った。
「じゃあ、くるりのミニパフェちょっとあげるね」
もしや、カップル定番のあーんをしてくれるんじゃないかと思い俺は心踊らせる。
「じゃあ、貰っちゃおうかな」
そう言い呼び鈴を押すと、やって来た店員にコーヒーとカフェオレとミニパフェを注文した。
「ちょっとトイレに行ってくるね」
学校を出る前にいざこざがあり、待ち合わせに遅れそうだった俺はトイレに寄らずに来たので、我慢が出来ずに席を立った。
学校であんな言い合いがあった以上、メールが来るとは思えなかったが、念のために携帯をポケットにしまいこむ。
トイレで用を済ませ、鏡で紙のチェックをする。髪をグシャグシャにしたせいか、手櫛で直したとはいえ、セットは乱れていた。指先に少しだけ水をつけ、揉みこむように水を髪に馴染ませ、セットを整える。
「······よし、及第点だな」
呟きは俺は席に戻った。予知夢の時よりも時間をかけ戻ったが、携帯が鳴る事はなかった。
「髪直していたら時間掛かっちゃたね。ゴメンね」
俺が戻るのが遅かったからか、テーブルには飲み物とパフェが置かれていた。
「貴くんがお手洗いに行っている間に映画調べたんだけど、くるりこれが見たいな」
指差した映画は恋愛物で、主人公の少年が大怪我をして歩く事が出来なくなり、彼女に別れようと言う少女漫画原作の映画だと情報誌に書いてあった。
「くるりこの漫画大好きで映画も見たかったんだ。こっちでやるか心配だったけど、駅の映画館でやってくれるね。これね、彼女のミクが、動けなくなっても、アサヒの事ずっとずっと好きでい続けて、毎日お見舞いに行くんだよ。くるり凄い感動しちゃったんだから。車椅子のアサヒとウェディングドレスを着たミクが病室で結婚式するシーンとか凄い泣けちゃうの」
くるりちゃんは涙を浮かべながら······ネタバレし出した。まあ、俺は話を知っても楽しめるタイプだから良いんだけどね。熱くなって話しちゃうってよくある事だしね。
「最後はアサヒ死んじゃうんだけど、凄い感動するよ!」
「······死んじゃうの!」
ちょっと気になった。主人公が死ぬのかよ!
「うん。最後は風船取りに行って死んじゃうんだ」
ネタバレどころの話じゃない。結末知っちゃったよ。
ってか、風船取りに行って死ぬって······見たくなってきたかも。
「これの放映日は······土曜からか。ちょうどいいね。じゃあ、土曜のデートはこれ観に行こうか」
「うん。観に行くー。くるり土曜の午前中は学校で吹奏楽部の練習あるから、着替えて一時半待ち合わせで良いかな? 映画は三時の回があるから、それで良いよね?」
「オッケー。じゃあ、時間も決まったし、ドリンクが冷める前にいただこうか」
「うん。いただきまーす」
くるりちゃんは手を合わせ言うと、カップに口をつけた。色付きのリップをしているからか、カップの淵にはうっすらとピンク色の跡が残っていた。
「美味しいな。カフェオレー。えへへ」
にこりと笑って言った。
俺はその天使のような笑顔に心底癒された。
くるりちゃんとの一時は学校での出来事を忘れさせてくれた。
杏奈との口論も、勝とのいざこざも全部忘れる事が出来た。
いや、忘れたのとは違うかも知れないな。
俺は棚上げしたんだ。
本当に解決しなければならない事項を高い高い棚の上に置き、見えないようにして、目の前にあるくるりちゃんとの楽しい一時を優先した。
杏奈の事も、勝の事も、予知夢の事も。
もしかしたら、今日が一番の転機だったのかも知れないのに。
その後、くるりちゃんにパフェをあーんしてもらい口を開けた瞬間、店員が『お水のおかわりお注ぎしますね』と、空気を読まずにやって来たりしたが、楽しい時間を過ごした。
五時を少し過ぎたくらいの時間にくるりちゃんの携帯が鳴った。
「あっお母さんからメールだ。暗くなる前に帰っておいでだって」
「そうだね。そろそろ行こうか。通り魔が出て危ないもんね」
五時を過ぎれば人通りも少しずつ減ってくる時間帯だ。くるりちゃんの安全のためにも早く帰した方が良いな。
「ほんとはもっと貴くんと一緒にいたかったな」
「俺ももっと一緒にいたいけど、一番はくるりちゃんの安全だし、仕方ないよ」
「えへへ。じゃあ、くるりの一番は貴くんの安全だね。くるり送った後、寄り道すると危ないから、急いで家に帰るんだよ」
「了解。じゃあ行こうか」
笑うくるりちゃんに笑みを返し、情報誌をバックにしまい、伝票を手に取り会計を済ませ店を出た。
五時過ぎとは言え、五月の空はまだまだ明るかった。
俺とくるりちゃんは明るい道を手を繋ぎ歩いた。俺は小さなくるりちゃんの歩幅に合わせゆっくりと、くるりちゃんは小さな歩幅で、まるで俺から離れないようにと少し早足で歩いた。
帰りの道中は、他の高校生カップルがするよう他愛もない会話をしながら家を目指した。
授業では何が一番好きか。占いの結果はどうだったか。運命を信じるか等、本当に他愛もない話をした。
くるりちゃんを家に届け、俺は駅に引き返した。
電車が自宅の最寄り駅に着いた頃には六時を過ぎ、遠くの空に夜が迫って来ていた。