接敵、中央突破戦3
(これにて、この王国も最後であるか……)
半分になった視界にようやく慣れたハッバ・ケルトンは、ハルパリウス王国が王都を歩いていた。多くの者が家に引きこもり最後の時を持つか、路地に座り込み虚空を眺めるかしている時に、彼は動きやすさを重視した皮鎧と良く磨き抜かれた片手半剣を左腰に吊り、戦う準備を整えていた。
しかし二日前、王国最後の纏まった戦力である警備部隊は、侵攻してきた敵の注意を逸らすべく陽動を行い、壊滅の憂き目に遭っている。命からがら逃げ延びた僅かな人員も、まともな治療も受けられずにベットへ転がされ、動ける当てもない。にも関わらずハッバは王都を囲む城壁の方へ、つまりは外へと足を向けていた。
それは、絶えゆく者達が行う最後の抵抗……。
(国王陛下。我も、もうすぐそちらに行きまする)
ではなかった。
元々、この首都を除き国土の大半が平野で構成されたハルパリウス王国では、その地形を生かした軍勢が編成されていた。重装歩兵の打撃力とそれをサポートする軽装騎兵が集められた王国騎士団。遮蔽物の無い平原を駆け回り、時に個々人で、時に集結して敵を攪乱する遊撃弓兵隊。人間の体が元々持つ熱、電流、振動などを増幅させ、それを精神力で操る魔術を研究する機関、宮廷魔術省。その他、先述の治安維持を主とする警備部隊、王の身辺を守護する近衛部隊など、多くの軍があった。
その中でも、最も勇猛かつ精強と謡われていた少数精鋭集団、抜剣強襲隊。その名の通り、機動力優先の軽装と剣一本で敵陣へと切り込み、友軍の先駆けとなる最も危険で最も誉れ高い部隊。そこに、ハッバは所属して『いた』。
(同胞らよ、せめて最後くらいは抜剣強襲隊の名に恥じぬ働きをしてくれようぞ)
既に他の軍同様、抜剣強襲隊も全滅の憂き目に遭っていた。彼一人を除いては。
大陸中央部を完全に制圧し、徐々に王都へ迫り来るバトスの軍勢を食い止めようと出撃していった王国騎士団、遊撃弓兵隊、宮廷魔術省。その尽くは敵の足止めと引き替えにすり潰され、命を落としていった。最早後が無くなった国王は王都より徒歩三日の距離にある砦を絶対防衛線に指定。国土と民を死守すべく、虎の子の近衛部隊と抜剣強襲隊を中核とし軍を編成、それを自ら率いて出陣した。
そうして迎えた、乾坤一擲の一大決戦に置いて。
(逃げ出した我の汚名を雪ぐ為にも、な)
彼はただ独り、戦う仲間達を見捨てて逃亡した。人と人との戦いならば、ハッバも数えきれぬ程経験した。人々を襲う獣を退治した事も一度や二度ではない。自惚れる訳ではないが、自身をそれなりの経験を積んだ剣士だと自負していた。幼き頃より鍛え上げた剣一本でのし上がったという自信もあった。だが、そんな事、あのバトスの前では何一つ役立たなかった。
腕や胴を斬られた者、矢で針鼠の如き姿になった者、馬の蹄に踏み砕かれた者、魔術によって灼かれた者。そうした数多の死体を見てきたハッバでさえも耐えきれなかった惨状。
(針で血液を啜られ、酸で体をどろどろに溶かされ、生きたまま体を貪り食われる……ただの兵士だけではない、 王さえもそうだった !)
他の兵士がそうなるのは覚悟していた。しかし、彼の目の前で、敬愛すべき王が断末魔を上げてバトスに五体を引き裂かれるに当たって、全ての意志は砕け散った。その後の事を、彼はよく覚えていない。ただ気が付いた時には、王都へと辿り着いていたこと。その時、既に左目が視力を失っていた事。ユリティア姫殿下の前で、聞かれるがままに王の死に様を口から垂れ流していた事。それだけは断片的に覚えている。
(愚かだった。惰弱だった。しかし、それを挽回する機会は最早無し)
それ以降、ハッバは今日までずっと自責の念に苛まれ続けていた。逃げ出した事に、王を救えなかった事に……そして、幼き姫君に無惨な死に様をそのまま伝えてしまった事に。もう少しましな、誇り高い最後を幾らでも繕えたはずなのに、それをそのまま伝え、王の遺児に凄惨な心の傷を与えてしまった事に。
だがもう、それを弁明する機会は二度と戻ってこない。出来るとすれば、それは身命を賭した戦いのみ。
詰まるところ、これは自己満足の為の、壮大な自殺というのが本質であった。
そうして、ハッバががっちりと閉ざされた城門脇に設置された連絡用通路を抜け外へ出ると、意外にも二十人程の男達が屯していた。誰も彼もが包帯に包まれ、腕や足のない者も混じっていたにもかかわらず、全員が粗末な武器で武装している。
「そなたら……」
「よう、ハッバの旦那。アンタもきたんかい」
ハッバの姿に気づいた一人が、ひらひらと手を振って挨拶してきた。仮にもハッバは元抜剣強襲隊の一員であった為、街でもそれなりに顔が知れ渡っている。それはハッバも同様で、集まった一人一人が怪我や四肢の欠損でもう戦えないと判断された傷病兵だと一目見た時から気づいていた。
「何しに此処へ来たのだ? もうバトスの群れが目前に……」
「それは旦那にも言えますでしょう? ま、お互い似たような理由だと思いますがね」
問いかけるハッバの言葉に、ニヤリと笑みを浮かべる兵士。その脇で思い思いの格好で待機していた者達も、ぽつぽつと言葉を漏らす。
「嫌なんだよ、もう。誰かが目の前で喰われて、そんで自分が貪られる姿を晒すなんざ」
「生き残ったんじゃない。俺たちはみんな死にぞこなっちまったんだ」
「だったら、最後くらい一匹でも多く奴らをぶち殺してやる……誰かが入るはずだった胃袋を、俺たちで埋めてやる。そうすりゃ、誰か一人でも救えるかもしれねぇ」
彼らの言葉が紡ぐのは、意地だった。このままむざむざやられたくはないという、反骨心だった。手の込んだ自殺を行おうとしていた自分と比べれば、なんと眩しい事か。それを見て、思わずハッバは目を細めてしまう。
「なら、それに我も加えて貰おうか」
「どうぞどうぞ。それに、もう逃げ帰る時間は無いみたいですぜ?」
兵士が指さした方向には、黒く蠢く無数のバトスの姿があった。よくよく耳を澄ませば唸り声にも似た地響きが耳朶を打ち、僅かな振動が体に伝わってくる。どうやらバトスは全速力で走りながら接近しているらしく、こうしている間にもその姿が徐々に大きくなっているように見えた。
「逃げるつもりはない。もう二度とな」
「ならば結構。それじゃ、最後の悪あがきと行きましょうか。指揮は頼めますかい、階級が一番高いのが旦那なんで」
「うむ、受け持とう。叫ぶくらいしか出来んがね」
刃こぼれした剣、途中で折れた槍、僅かな弓矢。それらを構えて敵を待ち受けるハッバと兵士達。みるみるバトスの姿がくっきりと見えるようになり、全員の緊張がにわかに高まってゆく。そうして、弓の射程範囲にまでバトスが接近する。頃合いだ。
「弓兵、射撃を……」
号令を掛けようとハッバが口を開くも、そこから先の言葉が兵士達に伝わる事はなかった。
何故なら、甲高くか細い音が聞こえた刹那、まるで冬山の雪崩の如き音と衝撃を上げて、バトスの軍勢が吹き飛んだからだ。もうもうと土埃が立ち上り、白い雲に覆われた空も緑の平原も、みな全て土色で覆ってゆく。
「な、なにごとか!? 何がおこったのであるか!?」
「分かりません、こんなん見た事も聞いた事もございやせんぜ! だけども、奴らがたくさんぶっ飛んだのは少なくとも確かでさぁ!」
突然の事態に右往左往し、ただ目の前の光景を見て呆然とするより他ないハッバと兵士達。しかしそんな轟音に紛れて、彼らは自分たちの頭上で声が響いたのを耳にした気がした。聞いた事のない言語だったが、もし彼らが理解出来ていれば、このように話していたのが分かっただろう。
「こちら、フライアイ1。榴弾砲及び迫撃砲の着弾を確認。射撃効果を認む。敵の隊列は乱れた、これより本作戦は第二段階に移行する。装甲車隊、順次発進せよ」