出撃前夜
正式な『穴』についての声明の発表。それに伴う調査団と付随する国連軍の編成に、世界中は沸き立った。ついに、危機に陥っている同胞に救いの手がもたらされるのだと。
だが、それに臨む者達にとって、それは手放しで喜べぬ知らせだった。
「俺が調査団へ出向、か」
「これから忙しくなりますねぇ」
陸海空全ての自衛隊を擁する基地、武山駐屯地。その一角の自らの事務机に腰掛けながら、建部義則一佐は深々と溜息をついて居た。その横では品川二佐が相槌を打つ。彼らは今回の調査において、日本の自衛隊から抽出される戦力の最高責任者を命ぜられ、現在は人員の選定と装備や物資の手配に追われていた。
「俺は根っからの叩き上げで、交渉事は苦手なんだぞ」
「だから、わたしが副官として付けられたのでしょう」
建部は若い頃から自衛隊一筋、現場で働き続けてきた肉体派だ。何かと不遇を囲いがちな現場の待遇を良くすべく上へと上り詰め、人を指揮する立場になっても体を鍛える事を怠ったことはない。対して、品川はいかにもなインテリ気質であった。防衛大出のエリートで腹芸にも長けるこの男が副官についているのは、若者にキャリアをつけさせる為という狙いも強い。最も、ただの頭でっかちでは無いことは、短い付き合いからでも建部は感じ取って居た。
「ふん、所詮俺はお飾りだよ」
「防衛大のキャリアが頭はるより、叩き上げの武闘派の方が下の受けが良いんですよ。我慢して下さい」
建部の愚痴に相槌を打ちつつ、品川は淡々と処理を進めてゆく。今回、国連軍へと組み込まれる人員は戦闘員や後方支援、医療関係者を含めて、約三百人。やや少ない印象を受けるかもしれないが、それでも主要各国の部隊を統合すれば中々の数になる。それに加え、大部隊を送り込んで全滅した場合のリスクも計り知れないのだ。
人類に敵意を持つ無数の軍勢。その危機に晒された人々。だが飽くまで今回の派遣は調査なのだ。そこまで過剰な戦力は必要ない。
「それに『穴』もそれなりに大きいとはいえ、通せる物資の量も限られます。補給が滞って全滅など、旧軍の二の舞ですからね」
「腹を空かせた人々が待ってるかもしれないのにか?」
「あの『メッセージ』からはや一月。全滅している可能性もあるんですから、無用なリスクは犯せません」
「う、ううむ。そうではあるが…」
品川の冷たい言葉に口を噤むながらも、不満顔の建部。その様子に品川は溜息を着く。
『穴』の実在と向こう側の世界が正式に確認されて以降、建部の様な「向こう側の人々」に同情的な人間が急激に増えている。品川自身、鉄で出来たアンドロイドではない以上、幾ばくかの感情は持っている。だが、それとこれとは話は別。感情論ではなく、きちんとしたリスクマネジメントによって動かねばならない。我々は慈善ボランティアではないのだ。
(ま、命じられた以上、動くしかないのか)
しかし、すまじきものは宮仕え。どの様な背景があるにしろ、お上に逆らえぬのが公務員である。ならば、その制約の中で最善を尽くすより他ない。
「海自、空自との調整は勿論、在日米軍の動向、各国の兵種に指揮系統の統一、輸送手段の確保。防疫体制に調査団の警護と待遇。やるべき事はまだまだあるんですから、キリキリ働く!」
「体力に自信はあるが、こいつは体を動かす以上に疲れるな、全く」
大柄な体をどうにかこうにか椅子にねじ込みながら、建部はキーボードを叩き始める。その脇には、新聞が何部か重ねて置いてあった。
「調査団の名を借りた進駐軍!」
「国連軍への戦力提供の必要性、憲法との矛盾は?」
「調査団は救世主か、支配者か。『穴』の実態に迫る」
そこには建部のやる気を益々削いでゆく文言が踊って居た。半ば強引に決まった国連調査団の派遣は、各国で激しい議論を巻き起こして居た。あれだけ「救いの手を」と叫んで居たのに、現実化すればこれである。かくも世間は奇妙なものだ。
「……百聞は一見にしかず、か」
『メッセージ』実在の可否は、一本の映像によって覆された。ならば、この派遣の是非も、この調査団の結果いかんによって決まるはずだ。
それにもう、『穴』は開いてしまったのだ。その向こうから、あの怪物が溢れ出さないと、誰が言い切れるのか。
世界はもう既に、かかわらないという選択肢を自らの手で切り捨てたのだから。
ーーこうして。
国連調査団の派遣が決定してから、一ヶ月後。異常とも言うべき速さで整えられた調査団及び護衛部隊は、南極付近の海上へと集結していた。
海上の『穴』を取り囲む様に待機する各国の護衛艦群。歴史的瞬間をカメラに収めようとするマスコミのヘリ。そして、その中心に陣取る五隻から成る大型輸送艦団。
各国から抽出された国連軍約四千人、国連大使及び科学者を含む調査団約百人。積み込まれた武器弾薬、医薬品、食料、化学機械、移動用装甲車、武装ヘリ、その他多数。必要と思われる全ての物資を積み込んだ調査船団は全世界が固唾を飲んで見守る中、ゆっくりと『穴』の中へと侵入してゆく。
その先に何が待ち受けているのか。
それを知る者は、まだどこにも居ない。