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綺羅星の子  作者: りつか
4章 10年前
13/23

[4ー1]シアールトへ

 階上からエントランスホールを覗くとたくさんの使用人が並んでいた。開いた扉の外から差しこむ明るい光にはなんとはなしに安堵の息が出た。旅立ちの日はやっぱりお天気な方がいい。


「いよいよだね」


 あとからやってきたアンは僕の少し後ろで腕組みをして階下を眺めていた。薄くて柔らかな生地のドレスを(まと)い、癖のある長い髪は結わずにそのまま背に流している。そんなふうにしているとまるで昔に戻ったみたいだった。


「渡したお守りはなくさないようにね。忘れ物ないかい。あの本は?」

「ちゃんと入れたよ」


 肩からかけた鞄をぽんと軽く叩いてみせる。リューから貰ったガイドブックをついに役立てる日が来たんだ。そう意識するたび嬉しくなるし、わくわくが止まらない。

 だけど「せっかくだから楽しんでおいで」とアンが笑って、その顔を見たら急に心に隙間風が吹き出した。


 ――やっぱりアンも一緒がよかったな。


 それが僕の我儘でしかないことは自分が一番わかっていた。アンは一度決めたことを覆したりなんかしない。セイルのことは母さんがみることになったから、僕がいくらお願いしたところで一緒に来てくれることはないだろう。何も変わらないなら言わない方がいい。


「ウィル?」


 アンが小首を傾げた。僕はきゅっと握り拳を作って代わりの言葉を探し出す。


「……僕の方が〝いってきます〟を言うなんて、思ってなかった」

「あたしも近いうちに立つつもりだよ。シアールト(そっち)にも一度遊びに行こうかな」

「ほんと!?」

「ああ、まだ先の話だけどね。何年か後には……」

「なんだ。そんなの待ちくたびれちゃうよ」


 不満の声とともに頬を膨らませた。そんな僕を見てアンは可笑(おか)しそうに笑みをこぼした。いつもみたいな力強い笑顔とはちょっと違う、胸の奥の大好きな声にどこか重なる笑い方だった。




 階下にセイルの手を引いた母さんが現れた。母さんは白い羽根のついた帽子をかぶっていて、執事に何か話すたびにそのふわふわがあっちこっちに揺れていた。

 あくびをしたりしゃがんだりと落ち着きがないセイルを横目にアンの話を聞いた。母さんのお手伝いをしっかりするとか、セイルの面倒をちゃんとみることとか……。頭の上から降ってくる約束事にただ黙って頷いていると突然ぐいと顔を持ち上げられた。アンの両手が僕の頬を挟んでいた。


「あたしはいつもウィルのこと想ってるから。……それに、()()()()()()()()()()()んだろ?」


 上の空だったのはばれていたはずなのに、まっすぐ向けられた紫紺の瞳に僕を責める色は見当たらなかった。代わりに宿っていたのはまるで全てを優しく包みこむような温かくて柔らかな光だ。





 僕にはどうしても信じがたかった。どんなに周りを探しても見つからないのに、リューが〝一緒にいる〟なんて。だけど突き詰めようとすると胸の奥から声が聞こえてくるんだ。大袈裟な溜息とともに、「信用しろって言ってるだろう。嘘ついたことないんだからさ」って。

 この話をしたらアンは呆れたように肩を(すく)めていた。


「信用は、無理だよね。なんでも適当で、無責任を地でいく人だったもの」


 途端に楽しそうなリューの姿が見えるような気がした。アンの手前、僕はハイともイイエとも言えなくて曖昧に笑うしかなかった。

 仕方ないから深く考えるのはやめておこう、ここはリューを信じることにしよう。そう決めたのがつい三日ほど前のこと。


「それだけはあたしも同感なんだ」

「え?」

「あんたのそばにいるってやつだよ」


 アンの目は僕に向けられていたけど、もっと後ろの方に焦点が合っているような、どこか遠いところを見ているふうだった。そのあと小さく頷いて、「一緒にいるんだなって、そう思う」と続けた。

 僕は目を丸くする。思わずあたりを見回したらアンは声を上げて笑った。

 さらさらと髪をなでてくれるアンの手つきは優しかった。温もりはそのまま下りて、滑らかな指の背が僕の頰に添えられる。


「ウィルにもわかるときがくるよ」


 眼差しに嘘をついてる感じはなかった。――アンも同じことを言うならやっぱり信じたいな。実感は湧かないけれど。





 ホールから呼ぶ声が耳を打った。アンにぎゅっと抱きしめられて僕も同じように手を回す。


「次会うときはあたしがあんたを見上げてるかな。土産話いっぱい用意していくからね。楽しみに――」

「ねえ。アンは、ひとりで大丈夫?」


 身体を離し、あらためて目線を合わせるとアンはきょとんと瞬いた。けどすぐに「心配はいらないよ」と柔らかな声が返ってきた。果たしてそれは真実なのか、僕を安心させるためについた嘘なのか。僕には判断がつけられない。




 次の瞬間、鞄を下ろしていた。急いで取り出したのは一冊の本。いろんな国やいろんな街のことが書かれた大事なガイドブック。


「やっぱりこれ、アンが持っていって」


 宝物を押しつけた。「いいの?」と尋ねる瞳に大きく頷く。


「どうせヴィーナ湖周辺はちょっとしか載ってないもん。何度も読んだから内容も覚えてる。……シアールトのことは違う紙に書いておくから、後で挟んでくれる、アン?」

「……わかった。また張り切って反論書いてくる」


 ふわっと綻んだ顔を見て僕はホッとした。

 目を閉じれば瞼裏に何度もめくったページが映し出される。余白に書き殴られた二種類の筆跡は、大好きなふたりがまるで本当に言い合ってるようで可笑(おか)しかった。もしかしたら見られたかもしれない光景が簡単に想像できてしまう。


「こうなったらちゃんとガイドブックの名に恥じないもの目指そうかな。リューの注釈、洒落にならないくらい適当だっただろ。もしあれを信じて飲み食いしたら間違いなくお腹壊すよ。全然、ガイドになってない」

「〝屋台の焼き鳥おいしかった〟とか?」

「あれね。スパイスにちょっと癖があるから食べ過ぎ注意。……リューも本当は二、三日お布団とお友だちしたんじゃないの?」


 やれやれと呆れ口調でアンが片手を腰に当てる。わざとらしい溜息のあと一拍おいて僕たちは笑いあった。





  * *





 シアールトへは馬車を使って三泊四日の行程だ。それまでフォルトレストを一度も出たことがなかった僕やセイルにとって、小窓の外に流れる景色はとても目新しかった。川沿いに伸びる街道を走っていく影は荷馬車も含めそれなりに多い。騎乗の人や隊列を組んで歩いていく旅人もいて、目があったときは手を振ってみたりもした。

 とはいえ景観は単調で次第に慣れてくる。フォルト川にかかる橋を渡るときは一緒に窓に張りついていたセイルも、気づくとうつらうつら船をこいでいた。




 お日さまが稜線に隠れようとする頃、ようやく宿泊予定の街に着いた。フォルトレストに比べればこぢんまりとしたところだった。食事処を兼ねた宿が幾つかあり、通りの向こうには屋台も出ていて人が群がっているのが見える。


「なあなあ、あれ何? 見てきていい?」


 セイルが母さんの袖を掴んでぴょんぴょん跳ねた。ちらちら助けを求める視線を感じつつも僕はしばらく屋台の並びを眺めていた。買い食いは前に一度だけ――リューがウィンザールの家に来て間もない頃経験した覚えがあった。その場で調理して渡された揚げ菓子はすごく熱くて美味しかったっけ。

 頬を紅潮させてねだるセイルをあそこに連れていけばどうなるかは容易に想像がついた。そのあと弟の夜ご飯が辿る運命なんてもっと明白だ。だけどだんだん夜の色に沈んでいく中で、赤やオレンジ色の灯に照らされた屋台は魅惑的でどきどきする。


「……あの、ご飯を食べてからならどうかな? 少しだったら、見てまわっても」


 母さんが眉根を寄せた。僕も自分で自分にびっくりした。一緒にセイルを諭すべきと頭ではわかっていたのに。

 それでも提案は無事認めてもらえることになり、うきうきしながら食堂で夜ご飯を食べた。一旦部屋に戻った僕は少し仮眠するつもりで横になった。それが間違いだったと気づいたのは次に目が覚めたときだ。何かおかしい――そう思って窓に駆け寄ってみれば外はすっかり明るく、抜けるような青天が目に眩しかった。きっちりと旅の装いを整えた人が、馬車が、次々と街を出ていく。

 同じように寝入ってしまったセイルは今から探検すると言って聞かなかった。必死に宥めていた母さんは最終的に侍女にも手伝わせ、ふたりがかりで馬車に押しこんでいた。





 この日の目的地であり宿泊地となるのはヴィーナ湖のほとりにあるクラレットという街だ。ここには大きな学校があって、ジール兄さんとファル兄さんは二年前からそこに通ってるらしい。ウィンザールの別邸があるから宿を取る必要もないようだ。


「わたくしが生まれ育った街も、湖のそばにあったのよ」


 静かな車内、耳に小さく届く車輪の振動音に母さんの声がかぶさる。「みずうみ?」と呟いた僕にそうよと笑って、母さんは隣に座る侍女の腕の中を見やった。暴れ疲れて寝てしまったセイルの柔らかな髪を、細い手指がゆったりなでる。


「水路が街中に張り巡らされて、花と緑に囲まれて……、とてもいい街だった」

「僕も、行ってみたいな」

「そうね……いつか行けたらいいわね」


 僕は青い空を視界に入れた。フォルトレストからひたすら北へ、一週間も馬車に揺られていく街ってどんなところだろう。リューは、行ったことがあるのかな。もしくはアンなら。

 それから母さんはまるで内緒話を打ち明けるみたいに「あのね」と顔を寄せてきた。


「仲の良かったお友だちが、今はクラレットに移っているの」

「クラレットって、これから行くクラレット?」

「そうよ。わたくしが立ち寄ると伝えたら、会いに来てくれるんですって。お子さんも一緒にいらっしゃるそうだから、どうか仲良くね」


 僕と同じ藍色の目が楽しげにきらきら輝いていた。母さんが嬉しそうだと僕も嬉しくて、お客さんに会ったらしっかり挨拶をしよう、子どもにも絶対に優しくして仲良くするんだと心に誓った。




 ――けれどクラレットに滞在している間、母さんのお友だちは来なかった。ふたりいる子どものうち下の子が酷い風邪を引いちゃったんだって。セイルにうつしたら悪いからと断りの手紙が届いて、母さんはすごく残念がっていた。


「クラレットとシアールトって近いんでしょ? じゃあ来ようと思ったらすぐに遊びに来られるよね。次は僕たちがお家に遊びに行きますってお手紙書こうよ」


 僕の提案に母さんは少しの間考えて、そうねと笑ってくれた。

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