第23話 疑問
「アイアスですって? あれが?」
私がシモーヌの言葉を聞き、不思議に思ってそう尋ねると、彼女は言った。
「ええ……私たちが仕える初源神アイアス様は、竜の翼と蝙蝠の翼を持ち、そして長い金色の髪をしていらっしゃると伝えられているのです。竜の神と、闇の神、そして森の神を生み出した方でいらっしゃるので、そのすべてを司る力をお持ちだから、と……。あそこにいらっしゃるのはまさに……」
シモーヌが目を向ける方向にいる人物は、まさに竜の翼と蝙蝠の翼を持ち、長い金色の髪を持っている。
特徴だけ見れば確かにそのアイアスのそれと一致するだろう。
しかし、顔立ちがどう見てもあの悪魔のものだし、それに私には全く威圧感が感じられない。
確かに少しは力が増したようだが、その程度だ。
だから私は彼に近づき、話しかける。
「あんた、剣に宿っていた悪魔でいいのよね? 初源神じゃないわよね?」
そう尋ねた私に、彼は自らの手足を確認しながら、
「……ええ。間違いなく。しかしこれは……一体。私は……」
と困惑しきりの様子で答えた。
どうやらその様子からして、彼の身体の変化は彼自身が望んだものというわけではないらしい。
ではどこに理由があるのか、それは今一よくわからないが……。
「何か変なところとかはないの?」
とりあえず、契約をした者として、あまりおかしなものになられても困るので尋ねた。
彼は、手を握ったり、背中にある翼をいじったりしつつ頷いて、
「特にないようです。むしろ、力が溢れてくるような気が致します……それに、何でしょう。悪魔として持っていたはずの、邪心、のようなものが……なくなってしまったような、そんな気分です。非常にすっきりしていますが、心もとないような、そんな気も」
と意外なことを言う。
彼は私と契約したにしろ、悪魔であるのだから多少の邪心くらいあるのが当然のはずなのだが、それがないというのだ。
「一体どういうこと?」
私が首を傾げると、彼もまた同様に首を傾げる。
「さて……それは私にもわかりかねます。なにせ、人と真面目に契約したことなど初めてですので、その詳細についてもあまり気にしたことがないのです」
二人して顔を見合わせていると、そこにシモーヌが近付いてきて、口を挟んだ。
「……おそらくは、存在それ自体が別のものに変わったのだと言うことだと思います。悪魔ではない存在に……。魔物が魔力を取り込むに連れて上位存在に進化することは知られていますが、それに近いことが起こっているのではないかと。ただ、悪魔については上位存在になるにしても、上位悪魔になるだけで、それ以外のものになるとは聞いたことが……」
と彼女も困惑しているらしい。
しかし、一応、といった様子でおずおずという。
「あなたは……アイアス様とは?」
何か関係があるのか、と言う含みのある質問を元悪魔にする。
元悪魔は、
「いえ、全く関係がないですね。むしろ以前は嫌っていたくらいですが……はて、今はさほど嫌悪感は感じませんね。かといって好感があるわけでもないですが」
と言った。
彼の返事にシモーヌはあからさまにほっとした顔をする。
まぁ、悪魔から変わったものが自分の信ずる神だ、と言われたら納得しかねるだろうから理解できる反応である。
それに、突然、信仰対象が目の前に出現されたらそれもまた驚愕するだろう。
シモーヌにとって、特にアイアスと関係があるわけではない、というのは非常に安心する答えだった、というわけだ。
「その見た目がアイアスに似ている、というのはただの偶然ということかしらね」
私がそう言うと、元悪魔は、
「だと、思いますが。そもそも、なぜこんな姿に……全く不快ではないのですが……」
と不思議そうに首を傾げるので、私は彼に言う。
「たぶん、私の血を飲んだせいでしょうね。私、かつて竜と吸血鬼と森人の血を飲んだことがあるから」
それは、前の世界に地球から召喚されたときに勇者たちからされたことだ。
どうも、そうしなければ私は死んでいたらしく、仕方のない措置だったらしい。
ただ、だからと言って別段、何か変化を感じたということもなかったし、応急処置みたいなものだろうとさして気にしてこなかった。
しかし、この世界に来てから見た目が変わったり、私の血を取り込んだ結果、目の前の元悪魔の容姿が変わってしまったりして、薄々感じていた違和感の原因がそこにあるかもしれないと気づいた。
つまり、元悪魔がこんな姿になってしまったのは、私の中の竜の血、吸血鬼の血、そして森人の血を彼が取り込んでしまったが故のことであろう、と思ったのだ。
これを聞いてシモーヌは、
「……一体どうやってそんな者たちの血を……?」
と首を傾げる。
私はそれに対して、別に普通に倒したりすればいくらでも飲めるだろうと言ったのだが、シモーヌは、
「人間がどうやって竜など倒すというのですか。吸血鬼、というのは何かは分かりませんが、人の血を取り込む生き物ということでしたら魔族の一種族にそのような者がいると聞いたことはありますが、彼らはもはやほとんど見ることが出来ないくらいに数を減らしているはずです。そして森人……彼らは森の奥からまず、出てくることはありません。彼らの住むと言われる森に行っても、彼らが得意とする精霊魔術によって複雑に構築された結界により、彼らの集落に行くことは不可能です。ごくまれに外界に出て旅をする変り者もいますが、そう言った者はその悉くが手練れだと言いますし……」
そんな風に説明したので、私はなるほど、と思った。
つまり飲もうとしたところで飲めるわけがないという訳だ。
となると、そんなものたちの血を、飲んだことがある、などと言ったのは少し軽率に過ぎたかもしれない。
森人については冒険者をやっているおそらくは変り者に一人、知り合いがいるので他よりは難易度が下がりそうだが、それでも彼女はA級冒険者だったはずだ。
相当に難しいのは変わりないだろう。
ともかく、それにしてもシモーヌに色々と語ってしまったわけだが、シモーヌは別にそこまで口が軽いわけではなさそうだし、リリアのことを考えると私についての秘密みたいなものを誰かに吹聴するのは避けてくれるだろう。
まぁ、もし誰かに言われたとしても問題はさしてないし、それはそれでという感じである。
ただ、一応内緒に、ということは言っておくことにする。
「あー……そう言われると、困ったわ。秘密にしておいた方がいいことよね?」
これにシモーヌは呆れた顔で、
「当たり前です……まぁ、このことについては私の胸の内にとどめておきましょう。リリアたちにも言わない方が良いかと思います」
と、リリアやモーゼスたちの方を見て、そう言った。
リリアはまだ儀式は終わっていないと思っているようで、こちらに近づいては来ていない。
おそらく、シモーヌが終わった、というまで定位置にじっとしているつもりなのだろう。
モーゼスとタタール、それにヨゼフにしても、シモーヌが妙に深刻そうな顔で私たちと話しているからか、近づいてこようとはしてこない。
つまり、ここでの話は私と、元悪魔、それにシモーヌだけしか知らない話になるわけだ。
私は言う。
「そうしてもらえるとありがたいわ。あんたも秘密にするのよ?」
元悪魔にそう言うと、彼もまた頷く。
「もちろんです。というか、私はもはや貴女に仕えるものなのですよ? 貴方に不利なことなど致しません」
などと殊勝なことを言いながら。
しかし、彼はもともと魔神の命に従って使命を行ってきた悪魔なのだ。
基本的には私に従うにしても、魔神から命じられればそちらの命に従わざるを得ないのではないか。
そう尋ねると、彼は首を振って、
「……こうなる前でしたらわからなかったでしょうが、今の私に魔神に対する信仰心はこれっぽっちも残っていないのです。どうやら、邪心と共に吹っ飛んだようで」
などという。
これに私は疑わしそうな視線を向けるが、意外なことにシモーヌが、
「信じてもよいと思いますよ」
と言った。
私がシモーヌに、
「……なぜ? 悪魔を最も疑っているのは貴女ではないの?」
と尋ねるとシモーヌは、
「ええ。でも、もはやこの方は悪魔ではないですから。それどころか、どこか神聖な力を感じます……。儀式の目的は、達成されたと言っていいでしょう」
そう言って笑ったのだった。




