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第22話 初源神

 儀式場の中心にたどり着くと、そこではリリアとシモーヌの二人が跪いて錫杖の中ほどに額を当てている。

 何かに祈っているようなその姿には神秘的なものを感じるが、かなり体力を消費しているらしく、二人ともうっすらと汗が浮かんでいる。

 ただ、ここで儀式を終わりにするわけにもいかない。

 シモーヌは疲労を無視して、剣を持つ私に、言う。


「剣を……中心に置いてください」


 中心とは、丁度、シモーヌとリリアの中間地点である。

 おいてくれ、とはアバウトな指示のような気もするが、まぁ、そんなものなのかもしれないと私は剣を儀式場の中心にそっと置いた。

 ぶん投げようかなと一瞬思わないでもなかったが、さすがにそんなことするとシモーヌが驚くだろう。


 すると、不思議なこと、中心に置かれた剣は、横に置いたはずなのに、誰も手を触れていないのに、ふっと浮き上がり、剣先を下にして、立ち上がるように浮き上がった。

 それから剣の高度が徐々に上がっていき、そして儀式場のだいたい、中間くらいの高さにたどり着くと、今度は横に滑るように進んでいき、静止した。

 それを確認したシモーヌはさらに私に言う。


「では、次に貴方が中心へ……」


 言われた私は、その言葉通り、先ほど剣を置いた地点へと歩き出す。

 すると、風のようなものが体を覆い、そして気づいたら体が宙に浮かんでいた。

 対抗できないわけではない力の働きだったが、ここで抵抗する意味はない。

 契約に必要な流れの一つで、ここは黙ってそれに乗るべきなのだろう。


 すると、私の体は先ほどの剣と同じようなルートをたどり、しかし剣と同じ高度に達した時点で、剣とは反対側の端に運ばれた。

 ちょうど、剣と私が対称的な位置に浮かんでいる感じである。

 そして、目を凝らしてみると、剣も、そして私も魔術的な檻の中に押し込められていることが分かり、相当厳重に閉じ込められているな、と思った。


 空中に浮かんだ私と剣を確認したシモーヌとリリアは、それから立ち上がる。

 そして、徐々に中心から離れ、儀式場の周囲を対称的な動きで回り始めた。

 耳を澄ますと、何か声が聞こえる。


「これは……歌?」


 歌詞は存在しないが、音程はしっかりと何かのメロディーを奏でている。

 宗教歌のような清冽な音色で、シモーヌとリリアの声ははじめ、同じ音程を奏でていたが、徐々に別々の旋律を奏で始める。

 二人の作り出すハーモニーが、強弱を繰り返すたび、キンキンと儀式場全体に響く。

 これに何の意味が、と思って再度、周囲を見つめてみれば、私と剣を覆う魔術的構造物の強度が徐々に上がっているのが分かった。

 この歌もまた、ただの歌だというわけではないのだろう。

 そうではなく、魔術の強化、増幅をすることのできる特殊な旋律なのだ。

 はじめに私と剣を囲んでいた魔力の牢獄だけで十分に強固だったというのに、警戒の仕方が半端ではない。

 それだけ、悪魔、というのは恐ろしいものだとシモーヌとリリアは認識しているのかもしれなかった。


 そして、しばらくすると歌は終わる。

 その頃には、私たちを覆う牢獄は幾重にも重なりあって私と剣を閉じ込め、雁字搦めにし、身動きすらできないように形成されていた。


「申し訳ないことです。もう少しで終わりますので、辛抱を……」


 シモーヌがそう言って、彼女は私に向けて、朗々と何かを唱え始めた。

 リリアの方は剣に向けて何かを唱えている。


「――古より伝わる儀式により、契約を結ばんとする者。お前はあの剣に宿るものと魂を繫ぎ、従えることを、初源神の御名に誓うか」


 それは、通常の言語ではなかった。

 砂嵐のような、奇妙な発音であったが、しかし、私の耳にははっきりと、その意味が聞こえた。

 内容的には、初源神に仕えているわけでも信じているわけでもない私にその誓約は意味があるのか、という気がするが、どちらかというと、私よりはあの剣に宿る悪魔の方に意味があることなのかもしれない。

 彼は、魔神に仕えるものだ。

 それが、初源神の名前に誓約などしてしまえば、いわば一種の裏切り者のようなものになるのだろう。

 そして、誓った以上はそれを守らざるを得なくなる。

 そういうことなのだろうと、私は思い、シモーヌの言葉に返答することにした。


「……誓うわ」


「では、血を一滴捧げよ……」


 儀式に必要なのだろう。

 私が頷こうとすると、その前に何か指に痛みが走り、そして小指から一滴、血が垂れて、私の正面に浮かんだ。

 おそらく、肯定の意思を心の中で形成した瞬間に、自動的に抜き取られたのだろう。

 なるほど、すごい儀式だと思わずにはいられなかった。


 私の血はしばらくの間、浮かんでいたが、リリアが向かっている剣が光り輝き、そしてそこから闇の塊のようなものが噴き出て、あの悪魔を形作り、それが私と同じようにリリアの言葉に肯定の意思を示すと同時に、悪魔からも血液が抜かれ、それと同時に、儀式場の中心へと向かって飛んでいった。


 非常に小さな、たった一滴の液体だが、私の視力にははっきりと見えている。

 中心に飛んでいった私の血と、悪魔の血は儀式場の中心で混じりあい、光り輝いた。

 そして、そのまま、再度、悪魔の方へと飛んでいき、悪魔の口の中にものすごい速度で入り込んでいった。


 私の方には飛んでこなかった。

 それから、血を飲んだらしい悪魔は苦しむような顔をして、叫んだ。


「こ、これは……うぅ……」


 しかし抵抗するそぶりは見せない。

 それどころか、耐え抜こうと必死な形相で胸を押さえている。


「……あれって大丈夫なのかしら」


 ぽつりと私がつぶやくと、シモーヌが、


「……こんなことは起きないはずですが……」


 と困惑していた。

 しかし、儀式は止められないようだ。

 悪魔の苦しみがおさまるまで、待つしかないらしく、そのまましばらく時間が過ぎた。

 そして、唐突に、悪魔が何か真黒な繭のようなものに包まれた。

 魔力が渦巻いて、集約しているのが私の目には見える。

 シモーヌとリリアが築いた魔術的構造物がきしきしと悲鳴をあげ、繭の周囲には雷光が走り始めた。


「とてもじゃないけど、このままうまくいきそうには見えないんだけど……」


 私がさして深刻でもなさそうにそう言うと、シモーヌは、


「い、いえ……でも、儀式自体は破たんしていません。まだ、続いています……」


 慌ててはいるが、確信をもってそう言った。

 ということは、これでも大丈夫、ということなのだろう。

 リリアもシモーヌと対面の位置で困惑しているような感じだが、しかし彼女もまた、儀式が今だ続いていることは分かっているらしい。

 黙って黒い繭がどうなるかを観察している。


 それから、どのくらいの時間が過ぎただろう。


 雷光はおさまり、儀式場の空間にかかっていた圧力が嘘のように霧散した。

 そして、ぴしり、と黒い繭にひびが入り、開き始めたのである。


「ちょっと、何か出てきそうなんだけど、いいの?」


 私の質問にシモーヌは、あっけらかんとした様子で、


「……こんなことは初めてのことなので、正直分かりません。ただ……」


「ただ?」


「悪いものは、感じません。悪魔というより、むしろこれは……」


 そんなことを語っているうちに、繭は完全に開いた。


 そして、そこからばさり、と音を立てて何かが飛び出す。

 完全に姿を現したそれを見て、リリアとシモーヌは驚いたような顔をし、それから二人そろってつぶやいた。


「ま、まさか、あれは……ア、アイアス様……!?」


 繭から現れたそれは、竜の翼と蝙蝠の翼を持ち、長い金色の髪をたなびかせて、そこに浮かんでいたのだった。


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