第21話 異界の神楽
「……すごく広いの」
――広いの……広いの……
儀式場の中に、萌の声が反響した。
儀式場は巨大な半球状をしていて、天井は遥か高いところに存在している。
壁には多くの図形が描かれているが、ここに来るまでの廊下の壁に描かれていたような壁画というよりは、幾何学的な図形や文字がその大半を占める呪術的なものばかりである。
おそらくは、ここが儀式場である関係で、そのために必要な文様が描かれているということなのだろう。
「さて……リリア。準備をしますよ。皆さんは少しお待ちください」
シモーヌがそう言って、儀式場を横切り、端の方にある扉の方へと歩いて行った。
リリアもそれについていく。
あの扉はいったいどこに続いているのか、と一瞬思ったが、その疑問はすぐに解消された。
その部屋から戻ってきたリリアとシモーヌは服装が変わっていて、儀式場に描かれた文様と同じ性質のものが複雑に描かれた服を身にまとっていたからだ。
さらに、それぞれの右腕には黄金の錫杖が握られており、またもう片方の手には色々と荷物を持っている。
おそらく、二人が入ったあの扉の向こうは儀式のために用いる用具室なのだろう。
そして、更衣室も兼ねているというわけだ。
「……国王の戴冠式などで見るような神官服ですな」
ただ単純に変わった服を着ているな、と思った私とは異なり、モーゼスにはシモーヌとリリアが着ている服は見覚えのあるものらしい。
シモーヌはモーゼスの言葉に頷いて、
「ええ。これは非常に格式がある服装ですから、通常ならそう言ったときにしか身にまとうことがありませんね。しかし本来は、格式のため、というよりは儀式のために必要だからこそ、このような複雑な文様や装飾がなされているものです。見栄えがするので、外部の重要な式典などで使うことの方が、むしろついでというか、目的外使用なのですね」
「なるほど……まぁ、普通はそのような意味には気づきませんでしょうからな……。そちらの荷物は?」
「これは顔料や清めのための用具などですね。これから儀式場を使えるようにしますので、もう少々お待ちください。リリア」
「はい」
シモーヌとリリアはそれから、錫杖を一旦おいて、顔料を儀式場の床にまいたり、壁に何かを描いたりし始めた。
その行為にいったいどういった意味があるのかは私にはわからなかったし、萌にもモーゼスにも、タタールにも理解は出来なかったが、ヨゼフにはわかるらしく、大まかに説明してくれた。
「初めから壁や床に描いてある文様は儀式の基本になるもので……ようは、舞台みたいなものだからな。今二人がやってるのは、その舞台の上に、演目にふさわしい大道具を載せていっている感じだな。本当はかなり複雑な計算と準備が必要なものだから、こんなに素早くは出来ないはずなんだが、あの二人は初源神殿で最も優秀な巫女だからな……。相談もせずにお互いが何をやればいいのかわかってるわけだ」
確かに二人とも、まったく相談もせずに、まるで適当にやっているかのように顔料を撒いていっている。
そのやり方に迷いはなく、初めからどうするのかわかっているかのように思える。
実際、しばらく経った後に二人が撒き、また塗り付けた顔料の文様を見ると、まるですべて正確に定規で測ったかのように、シモーヌのやった部分とリリアのやった部分が完全な対称を描いていた。
描かれている線の長さや円の大きさ、点の位置など、何もかもが完全に対称である。
これをあの何でもない様子で描き切ったというのは、優秀を通り越して異能と言ってもおかしくないくらいだ。
実際、何か魔術的な何かがあるのかもしれないが、そう言ったものの働きを私は先ほどの二人の動きの中に感じ取ることは出来なかった。
むしろ、この直後に行われたことの中にこそ、それはあった。
「……これで、終わりかしら」
と、図形を描ききったらしい二人を見ながら私がつぶやくと、ヨゼフが首を振る。
「いや、まだだ。ここから場を作っていく作業がある」
実際、シモーヌとリリアは一旦置いていた錫杖を手に取り、それから儀式場の中心からちょうど対象の位置に立ち、まったく同じように構えた。
それから、ゆっくりと動き出し、錫杖を巧みに使いながら、様々な動きを始めた。
はじめは、跪き、祈るような仕草だった。
錫杖の中間に額を当て、目をつぶっているような形で静止していたが、しばらくして、錫杖を上に掲げ、徐々に立ち上がり、それから色々な動きを見せる。
一つ一つはゆっくりな動きで、厳粛なもののように感じられた。
しかし、それは時を追うごとに少しずつ速度を上げていき、また動きそれ自体も激しいものへと変わっていく。
錫杖に取りつけられた金具がしゃらんと一つ音を立てるたび、二人の動きは早くなっていく。
そして私たちは唐突に気づいた。
あれはただ、祈っているわけでもポーズをとっているというわけでもなく、一つの踊りなのだと。
何かに捧げる舞なのだ、ということに。
これをもって、二人はこの儀式場に“場”を作っているのだろう。
ヨゼフの言葉の意味は、二人が躍り始めた直後は全く理解できなかったが、今ははっきりとわかる。
魔力が渦巻いているのだ。
風のように二人の体に魔力がまとわりつき、そしてそれは二人の体の上を舐めるように流れていく。
あれは、舞であると同時に、言葉を活用しない魔術なのだ。
動きを持って、魔術を構成していく。
おそらくは、初源神殿において、長く受け継がれた技術なのだろう。
後学のためにと、シモーヌの部屋にいた神殿巫女もここにはいたが、彼女はリリアとシモーヌのその動きに魅せられたような顔で、ただ、
「……すごい……」
とつぶやいている。
シモーヌに優秀な巫女と言われた彼女をして、隔絶した技術を持っているように見えるのだろう。
実際、よどみのない二人の動きに導かれた魔力は全く対称的な動きを持って儀式場に見えない魔術的な構造物を形成していくのが私の目にははっきりとわかった。
普通の人間にはおそらく見えないだろう。
けれど、私の目には見える。
それは、巨大な牢獄のような形をしていた。
強固であり、巨大であり、そしてかつ神聖な色すら見せているその構造物を、私は美しいと思った。
そして、二人の舞は静かに終わっていき、中心までゆっくりと同じ動きで寄っていくと、静かに跪いた。
それからシモーヌが私に向かって言う。
「剣を、こちらへ!」
そして私は剣を持ち、儀式場の中心へと歩き出した。




