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第19話 後援

「……ふう。行ったようですね」


 シモーヌがそう言って部屋の窓から下を見下ろした。

 私たちはすでに執務室の隠し部屋から出ており、部屋の中にある応接用の椅子に腰かけている。

 窓の外を見ていたシモーヌも、椅子の方にやってきて座ったので、私が彼女に話しかけた。


「……で、あれは何なの? 皇帝の世子の一人、第二皇子だってのはわかるわよ。それよりも……あの態度は何?」


 いくら皇子とはいっても、あそこまで手荒なことを国教に近い地位にある宗教団体のトップにするのは問題だろう。

 場合によっては即座に首が飛びかねないが、シモーヌは言う。


「おっしゃることはわかりますよ。ただ、今は……私が動いてもあまり意味がありませんので。と、言うのも、こういった場合、彼のような存在を処罰するためには通常かなり長い時間が必要になりますので……」


 この言葉の意味は私には判然としなかったが、モーゼスとタタールにとっては自明のことだったようだ。

 モーゼスが頷いて言う。


「ふむ……おそらく裁判をすることになるでしょうが……王子殿下は皇族ゆえ、皇帝陛下から領土を賜った臣下で構成される同輩裁判による、というわけにもいきませんしな……この国では……?」


 モーゼスが首を傾げたので、シモーヌが答える。


「皇族の裁判については元老院の管轄になりますね。したがって、形式上は皇帝陛下についても一応、そうなってはおりますが、あの方は実質的に元老院よりも立場が上です。ですので、現実的には皇帝陛下以外の皇族については、元老院が、ということになっております」


「それはどのような形式で行われるのですか?」


 タタールが尋ねる。

 シモーヌは、少し考えてから答える。


「色々と手続きはありますが……最終的な判断は多数決になりますね。元老院の過半数の評決を持って判決とされるのですが……この事実を勘案しますと、今は第二皇子殿下についても処罰不可能です。なぜなら……皇帝陛下の世子は三人いらっしゃることはすでにご存じでしょうが、そのうちの二人、第二皇子殿下と、第一皇女殿下はお母上が同じで、非常に仲がよろしく、そしてそれぞれが元老院議員のうち三分の一ずつ押さえていらっしゃるからです。したがって、仮に第二皇子殿下の裁判をしたとしても、無罪の判決が下るでしょう。よほど悪辣でかつ証拠が言い訳も通らないほど揃っている、となると話は別ですが……今回のことは、そもそも証拠がほとんど出しようがありませんので……神殿巫女やリリア、それに皆さんの証言だけでは弱いでしょうしね」


 だから、訴えるのは無駄だ、というわけだ。

 でも、何もしない、というのは腹立たしい。

 そんな顔を私がしていたのを理解してか、シモーヌは微笑んで言った。


「そうは言っても、私も普段であれば、仮に勝てないにしても訴えてはいたでしょうね。それでも第二皇子殿下の名誉を傷つけることくらいは出来ますし、元老院議員をうまいこと取り込めばまったく可能性がないとまでは思いませんから。最終的には神殿を巻き込んで皇子の地位から引きずりおろす、位のことはできる可能性はあります」


「だったら……」


 言いかけた私の言葉をシモーヌは遮る。


「――しかし、今は時期が時期です。それをするには先ほども申し上げましたように、かなり時間がかかりますが……その間に彼に皇帝になられてしまってはそこで終わりです。初源神殿は手前味噌ながら、確かに巨大な宗教団体でありますが、皇帝の権力はそれよりも大きい。国を挙げて排除に取り組まれれば我が神殿はいずれ滅びることになってしまうでしょう」


「なるほど。そのために、シモーヌ殿としてはリリア殿に皇帝になってほしいと?」


 モーゼスが尋ねる。

 シモーヌは頷いて、


「ええ。そういうことです。リリアは私の孫のような存在ですから、出来ることならただ幸せに暮らしてほしいとも思いますが……神殿が亡びてはこの娘が身を寄せるところもなくなってしまうでしょう。それならばいっそ皇帝になった方がいいと思いまして。もちろん、リリアの意思次第でしたので……それほど時間はありませんでしたが、それでもまずはこの帝都から出て、遠くで少し考えてはどうかと思い、ここから逃がしたのです。どんな結論をリリアが出そうともそれを尊重しようと待っておりました……そうしたら、こうして皆さんを連れて戻ってきました。しかも無傷で。覚悟も決まったようで、私の選択は正解だったようですね」


 そう言って微笑む彼女の顔からは何だか妙な凄味が感じられた。

 やはり、穏やかそうな老婆に見えても巨大宗教団体のトップだということなのだろう。

 一筋縄ではいかない性格をしているのだ。

 とはいえ、この人と何か争う必要はなく、むしろリリアの完全な味方だと考えることが出来る以上、この人に対する心配はいらない。

 それは非常にありがたいことなのだろう。

 そしてそれは同時に、リリアと敵対する者にとって、この老婆が多大なる脅威に見えるということに他ならない。

 強硬な手段に出るのも理解できる話だった。


 それから、私はふと思い出して尋ねた。

 気になることがあったからだ。


「貴女がリリアを帝都から出した、ということはナードラに行かせたのが貴女だということよね?」


「ええ、そういうことになりますね」


 シモーヌは頷いたので、私は質問をつづけた。


「ということは……ナードラ治安騎士団長のシードラとはお知り合い?」


「ええ、もちろん。彼は初源神殿の敬虔なる信徒ですわ。小さなころのことですが、初神神殿で修行を積んでいたこともあり、初神神殿騎士団への入団を勧めたこともあります。もちろん……彼は貴族ですから、領地を守る義務があると断られてしまいましたけれど。しかし本心では神殿騎士団に入りたかったと語っていたこともありましたよ」


 と、サラリと意外な事実を語った。

 そういう事情があるから、リリアが彼に預けられたわけだ。

 そしてシードラは私に託したと。

 シードラにとってもリリアはかなり大事な人物だろうに、そこまで私のことを信用していいのだろうかと改めて思わないでもなかったが、まぁ、人から信じられるというのはどんな形であれ、ちょっとうれしいものである。

 たとえシードラが私に対して少し不名誉な感覚でもって――どんな理由があれ、私が他人に従うことなどありえない――信用を寄せているのだとしても、だ。


 シードラの名については鍛冶師のヨゼフも知っていたようで、


「あぁ、あのガキか……今は治安騎士団長なんてやってるのか。出世したもんだなぁ……」


 としみじみしていた。

 彼からすればそれくらいの昔に会った相手だということなのだろう。

 それでも覚えているだけ、すごいものだ。

 私なら即座に忘れる。

 そう思って尋ねると、ヨゼフは言った。


「あいつの剣を打ち直したことがあるからな。ガキっつっても十七、八くらいのときの話だ。ついこないだのことじゃねぇか。そんなに簡単には忘れねぇよ」


 シードラの年齢は三十代半ばくらいである。

 となると十数年前のことで、十分に昔のことのような気がするが、ヨゼフからするとそうでもないらしい。

 土族ドワーフは比較的長命な種族であるから、時間の感覚も普通とは違うのかもしれなかった。


「まぁ、そういうことですから……私たち初源神殿としましては、今後、リリアが迷宮探索に挑むというのであれば、その後援は惜しみませんよ。ヨゼフもそのつもりですよね?」


 シモーヌが尋ねると、ヨゼフも頷く。


「あぁ。もちろんだ。ついてはこいつらに武具を作ってやりたいんだが、鍛冶場と素材なんかを貸してくれねぇかと思ってよ」


聖銀ミスリルなどご入り用ですか?」


「あぁ、俺の伝手でも手に入れることは出来るんだが、大量にとなると金もかさむし時間もかかる。ここならそういう心配もいらねぇかと……」


 ヨゼフの言葉にシモーヌは笑顔で頷き、


「ええ。金銭的なことについてはこちらで持ちましょう。もちろん、鍛冶場についても。そもそも、あの鍛冶場に貴方が一時でも戻ってくると聞けば職人たちは皆、道を開けますよ」


 ヨゼフの腕は本当に大したものだったらしい。

 聞けば、今神殿にいる鍛冶師たちはみな、ヨゼフの腕にあこがれを抱いているのだという。

 しかしヨゼフはそういうものが少しばかりうっとうしいようだ。

 手を振り、彼は面倒くさそうに言った。


「俺はもうここから出てった身だからな……本当なら今更合わせる顔なんてねぇ。むしろもっとぞんざいに扱ってくれていいくらいだ」


「それは本人たちに言ってください。まぁ、全力で拒否されることでしょうけれど」


 とシモーヌが上品に微笑んだ。

 それから、ヨゼフが最後にと一つ付け足す。


「あとこれはついでなんだが……」


「ええ、なんでしょう?」


「こいつの剣を見てくれ」


「……? ……これは……」


 首を傾げたシモーヌの瞳に複雑な文様が浮き出て、私の持つ剣を見ると、驚いたように彼女は後ずさった。

 それから、シモーヌは責めるようにヨゼフに言う。


「これほど邪悪なものを、なぜここに持ち込ませたのです……?」


 その台詞にヨゼフは困ったように頭を掻き、


「まぁ、そうなるようなぁ……。俺の家にあったときにはここまでじゃなかったのに、どんどんやばくなりやがる。もう手におえる気がしねぇが……リリアがな……」


 実際、放つ邪気はどんどん増えている気がする。

 今が最高潮で、普通の人間が見てもこの剣に対してあまりいい感情は抱けないだろう。

 特別な修練を積んだ二人にはひどいものに見えているのかもしれない。

 私にはそれほどでもないのだが……。

 モーゼスとタタールにはあまりわからないらしい。

 萌はなんだか機嫌がよさそうだ。まぁ、どっちかと言えば邪気側に傾いている存在だろうから当たり前と言えば当たり前か。


「リリア……これはどういうことです……?」


 シモーヌがおびえたようにリリアに尋ねると、彼女は決意に満ちた顔で説明を始める。


「この剣には強力な悪魔が宿っているの」


「……それは見ればわかります。問題はなぜこんなものをここに持ってきたのかということで……」


「剣に宿る悪魔が、この人……ユーリに従うというから」


 その言葉にシモーヌは目を見開く。


「悪魔が……人に、従うと? それは本心で、ですか……?」


 騙されているのではないかと聞きたいのだろう。

 しかしリリアは首を振って、


「……たぶん。でも、私にはどうしても信用できない。だから、その悪魔と、ユーリに正式な契約を結んでほしくてここに連れてきた。おばあちゃん、儀式場を貸してほしいの。それと……私と一緒に契約の立会人を務めて」


 神に仕える者の最上位者に、悪魔とも契約の立会人を務めろという無茶苦茶な話である。

 シモーヌはしばらく何も言えずに突っ立っていたが、そのあとふっと微笑み、つぶやいた。


「……リリア……貴女はなんだか、変わりましたね」


「そう……かな?」


「ええ。少し前まで、そんな、非常識極まりないことは言わない娘でしたが……いい意味で型破りも辞さないようになったような感じがします」


 すると、リリアは、


「それは……きっとこの人のせいだよ。この人、非常識が服を着て歩いているような人なんだもん……」


 と私の顔を見ながら失礼なことを言って、ため息を吐いたのだった。


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