第17話 初源神殿
「すごい大きいの。きれいなの……」
萌が目の前の巨大な建造物を見て、そう呟いた。
帝都の中心にその建物はあった。
真っ白な壁や柱で構成されたその建物こそが、リリアのかつて寝起きしていた場所、初源神アイアスを祭る初源神殿であるらしい。
私たちはリリアに連れられてここにきた。
当然、私と悪魔との契約をするためであり、目的からすると私と剣とリリアがいればそれでよかったのだが、他の者たちも野次馬根性というか、見物したいらしく全員でやってくることになった。
鍛冶師であるヨゼフもいるのは、剣について首座巫女に詳しく説明するには彼が必要だろうとの判断からである。
ここに来ても、悪魔が神殿に果たして入れるのだろうか、よくて門前払いではないか、と怪しんでいた私であるが、リリアがこの神殿にかつていた、というのは事実らしいということは神殿の前をうろうろしているだけではっきりした。
建物と同じく真っ白な神官服を身にまとった神官や巫女たちがせわしなくその建物の中と外を行き来しているが、リリアの顔を見るとはっとして、会釈をしているからだ。
中には声をかけてくる者もいて、
「リリアさま……!? このようなところにいらっしゃって、大丈夫なのですか!?」
それは妙齢の巫女だった。
黒色の艶のある髪をした静かな雰囲気の女性だったが、リリアを目にした途端、慌てた様子で彼女にそう言ってきたのだ。
リリアは苦笑しながら、
「ええ、大丈夫ですわ……今は、この人たちがいるので」
その言葉に、巫女はいぶかしげな顔で、
「……この方たちは……?」
「共に迷宮へと潜ってくださる方々です」
リリアはそう言った。
どうやらこの巫女はリリアの事情をいろいろ知っているらしいことがそれでわかる。
しかし、巫女にはあまり私たちは頼りがいのある人物には見えないようだ。
眉根を寄せて、
「この者たちで……大丈夫なのでしょうか。やはり今からでも神殿騎士団から団長と副団長、それに腕利きの騎士を選抜した方が……」
と言う。
まぁ、その反応も仕方がない。
私たちが頼りになるように見えないのは至極当たり前だろう。
なにせ、華奢な女と年端もいかない少女に、利かなそうな少年がいるのだ。
一人、経験豊富そうな屈強な騎士風の中年男がいるわけだが、他は期待できなさそうだと考えるのも無理はない。
しかし、リリアは首を振った。
「その必要はありませんわ。この方たちは……信用できる方々なのです。実力も、申し分ありません」
そう言い切ったリリアに、巫女はまだ信じきれなさそうな視線をやるが、リリアは話題を変えた。
「……それはともかくとして、シモーヌさまはいらっしゃいますか? 少し相談がありまして……お会いしたいのですけれど」
その言葉に、巫女はいろいろ言いたいこともあったようだが、そのすべてを飲み込んで、慌てた様子で、
「いらっしゃいます! リリアさまに一番会いたがっていたのはシモーヌさまですから……どうぞこちらへ! みなさんも」
と言って神殿に向かって先導し始めた。
◇◆◇◆◇
神殿の中は果てしなく広かった。
どこまでも続くような廊下が延々と伸びており、その途中にいくつもの扉がある。
廊下自体の広さは様々で、人ひとり通るのが限界のような狭さのところもあれば、見上げるばかりの高さを持つようなところもあった。
巫女の案内は永遠に続くかのようで、かなり長く歩いたが、彼女はある扉の前でふっと止まった。
「――こちらでお待ちです」
そう言った彼女の目の前には、確かに扉がある。
巫女はゆっくりと扉を開き、中に入るよう勧めてきた。
「失礼します」
そう言ってリリアがまず一番最初に入り、私たちはそれにぞろぞろと続く。一番最後に、巫女が入り、扉を閉めた。
扉の中は広い部屋だった。
部屋の片面には大きな窓があり、そこから帝都の風景が望める。
光が入ってきて、部屋の中を照らしていた。
不思議なことに、というかいつの間にか私たちは神殿を昇ってきていたらしい、ということが窓の外から望める景色でわかる。
階段を上った記憶はないのだが、廊下に傾斜があったところがいくつかあったのは覚えている。
それにしてもこんなに上ったとは思えないわずかなものだったので、少し驚いた。
部屋の奥には革張りの装丁の本がいくつも並んでいる大きな本棚と、そしてその前に執務机が一つある。
今、その机の前には一人の老女が立っていて、穏やかな微笑みを浮かべてこちらを見ていた。
「お帰りなさい、リリア。それに、ようこそいらっしゃいました、皆様」
そう言って老女は深く頭を下げる。
この女性こそが、初源神殿の首座巫女であるシモーヌ=シェローなのだろう。
真っ白だが豊かでよく手入れされた髪をひっつめにしており、優しげな表情と相まって清廉な印象を感じさせる。
「おばあちゃん!」
そんな彼女に、叫んで駆けていったのはリリアである。
そのまま、まっすぐに彼女の胸に飛び込んだ彼女は、シモーヌのことを抱きしめて離れない。
「あらあら。この子は……。お友達が見ておられますよ」
シモーヌは彼女のことをそう言ってたしなめるが、リリアはあまり離れたくはないようだ。
けれど、そうも言っているわけにはいかないということを思い出したのか、名残惜しそうに離れて、シモーヌに私たちのことを紹介する。
「おばあちゃん。あの……私、この人たちと迷宮を潜ることになったの。ユーリと、モエ、それにモーゼスと、タタールよ」
言葉遣いがいつもと異なるのは、この老女がリリアにとっての家族だからだろう。
紹介された私たちは、頭を下げて会釈をする。
それから、リリアは老女を私たちに紹介した。
「こちら、私のおばあちゃん……初源神殿の首座巫女でいらっしゃる、シモーヌ=シェロー聖下ですわ。私の……家族のような方なんですの」
「の、ようね。仲がいいみたいでよかったわ」
私の適当な感想に、シモーヌが言う。
「私には血のつながった家族というのがもうおりませんし、小さなころから育ててまいりましたから、実の娘のようなものなのです。この度は、私の娘がお世話になったようで……感謝申し上げます」
と深く頭を下げて。
それを見て驚いたのは、部屋の隅に控えていた、ここまで案内してくれた巫女である。
「シモーヌさま……」
唖然としながらそんなことを言っているのは、あまり頭を下げるようなことの少ない人なのだろう。
シモーヌ自身は、頭を下げることに忌避感があるわけではないようだが、地位が高すぎるために、そのような機会がないのだ。
「別に大した世話はしてないわ」
その言葉に嘘はない。
基本的に自分のことは自分でやってもらった。
食材の確保とか、料理とかはともかく、自分の服を洗ったり繕ったり、そういうものは自らの手でやってもらった。
浮世離れしているリリアであるが意外とそう言ったことについては慣れているようで、あまり苦労はしていなかった。
今にして思えば、それは、この神殿で暮らしてきたからなのだろう。
神に仕える者は、基本的に自分のことは自分でやる。
そういうことだ。
「しかし、ここまで無傷で連れてきていらっしゃった。それだけでも、大したことです。私には、ここから逃がすことくらいしかできませんでした……」
とシモーヌは目を伏せていった。
どういうことか気になった私は、彼女に尋ねる。
「逃がす? それはどういう意味?」
私の質問に、シモーヌはゆっくりと話し始めた。




