第4話 勇者
"勇者”。
そう世間から呼ばれているその男は、現在窮地に陥っていた。
世界に魔王が現れて、どのくらいの月日が流れただろう。
彼は、ある日その討伐を決意した。
その当時からすでにつきあいのあった仲間三人を引き連れて、その討伐へと動き始めたのがいつのころだったのかは、もはや記憶の彼方だ。
彼らは強く、どんなものにも敗北することはなかった。
魔物など、彼らの敵ではなかった。
魔族など、彼らの敵ではなかった。
与えられた力を存分に振るい、世界を平和へと導くためにひたすら彼らは戦った。
その戦いは、魔族とのものだけではなかった。
世間、社会、そういうものとの戦いでもあったのだ。
魔王が現れたのは、ある意味で必然だった。
この世界には様々な生き物がいて、知性ある生き物も色々存在していた。
遙か昔は彼らはそれぞれ文明を築いて、仲良く暮らしていた時代もあったと言われているが、それはいつの日にか変わっていき、同一人種のみで構成される国家がいくつも作られていく。
その中で生まれた忌まわしき思想が、他種族排斥主義だった。
この世界の知的生命体の中で、もっとも繁殖力の旺盛な種、真人種。
彼らは高い身体能力も持たず、体は鱗などない滑らかな肌で覆われていて、口から火を噴くことも出来ず、空を飛ぶ羽も持っていない、この世界の生き物としては非常に弱い部類に入る生き物であるはずだった。
その特徴、生き物としての強みは、いくら死のうともいつの間にか元の数に戻っているとまで言われるほどの旺盛な繁殖力と、短い生しか持たないが故か、知識を後生へと伝える技術に極めて長けていること、そして何よりも他の数多ある人種と比べ、真人種は欲が強かった。
そしてその欲が、真人種を繁栄へと導いた。
有り余る真人種の欲望は、いくつも存在する他種族を押しのけて、世界を自らの手中に収めることへと向けられた。
そのために、彼らは多くの武器を作った。
強力であり、他種族にとっては致命的な効果を持つものも多く作られ、また様々な魔法が生まれていき、真人種はその身の丈に合わぬ強大な力を手に入れていく。
そうして、最終的に他の種族をその支配下においた真人種は、自らこそが人類種のなかで最高の存在であり、真の人と呼べる存在であるとして、自らの種の名を般人種から真人種へと改めた。
しかし、繁栄は長くは続かない。
真人種はその治世の中で、他種族を下等種族と定義し、その存在は全て真人種への奉仕のためへと費やされるべきであるという考えを持つようになっていった。
当然、そんな考えを認められる訳が無く、他種族は徐々に真人種への反発を強めていく。
ただ、真人種の力――技術力は当時、あまりにも強大であり、身体能力や魔力など、基本的能力で遙かに上回るはずの他種族の力でもってすら反抗をあきらめざるを得ないような、おそるべきものだった。
だから、真人種の治世は、まるで何事もないかのように、しばらく続いた。
けれど実際は、その水面下では他種族の青い炎がゆっくりと燃え始めていたのだ。
真人種は奢っていた。
自らに敵う者は、もはやこの世に存在しないのだと、そう奢っていたのだ。
だからこそ、かつて神の領域に手が届かんばかりに発展した技術は徐々に衰退していく。
そして、その衰えが無視できないところまで――他種族を押さえつけることが難しくなるまで、それほど長い時間はかからなかった。
革命の狼煙は、瞬く間に世界へと広がった。
他種族の怒りは激しかった。
真人種の支配に反抗した他種族は、真人種の文明など一遍たりとも残す気が無かったのだ。
もともと、身体能力や魔力で遙かに真人種に勝っていた他種族が本気になれば、世界中に広がる真人種の文明など紙に等しかった。
何もかもが滅びるのに、それほどの時間は必要なかった。
そうして、真人種の支配は終わり、この世界の一種族へと戻った真人種。
他種族は、真人種ほどに欲はなく、また執念深くも無かったからか、真人種を根絶やしにすることはなかったからだ。
そうして、高度な文明の全てを破壊され、原始的な生活に戻った真人種は、再度、長い期間をかけて文明を築くことを余儀なくされる。
彼らはしぶとかったから、それでも徐々に新たな文明を築いた。
けれど、それはかつてのように他種族を支配できるほどのものではなく、そこに至るまでにはどのくらいの年月がかかるのか分からないほど稚拙なものでしかなくなった。
そうして全てを失ったと思われた真人種だが、それでも残ったものはあった。
真人種の名と、過去の文明を物語る遺跡、それに他種族を排斥し隷属させることを至上命題とする多種族排斥主義だ。
かつてそれが原因で滅びたというのに、真人種の一部はその思想を捨てずに保持した。
そして、その思想をもとに、新たな国を築き、限定的ではあるが他種族を隷属させたりした。
懲りないその真人種の行動は、他種族に真人種への不信と疑念を植え付けていく。
ただ、そんな真人種の性質を仕方がないものとして受け入れる者もいた。
その結果、真人種に対する姿勢の違いによって、知性ある他種族は二つのグループへと分かれていく。
つまりは、魔族と亜人とに。
真人種は悪であり、この世界に不要であるとして排斥し、滅ぼそうとする魔族。
そうではなく、あくまでこの世界を構成する一要素であるとして、真人種と共に生き、暮らしていこうとする亜人。
その二つに。
元々は同じ生き物だったその二つ。
しかしその分裂は長い年月を経て、その生物としての性質まで変えていく。
魔族は憎しみのあまり闇に染まってしまったからだ。
そして彼らは真人種だけでなく、それ以外の、人に組みする生き物をも襲うようになった。
真人種への魔族の憎しみはとどまることを知らない。
魔族からはその憎しみのもっとも強いものとして、王が生まれるようになった。
魔王と呼ばれるその存在は、真人種の天敵であり、世界を滅ぼすものであるとされていく。
実際、彼らは世界の存在などどうでもいいとでも言うように、何もかもを破壊することに躊躇がなかった。
真人種への憎しみ。
それが、そのような破壊の権化を生み出してしまったのだ。
それは、真人種自身の罪であり、償うべきものである。
魔王の出現は、だからこそ、必然であると言えるのだ。
"勇者”はそう思った。
けれど、だからといって、真人種が滅びていい、ということにもならないとも思っていた。
確かにどうしようもない真人種はいる。
けれどそうではない者も少なくないのだ。
"勇者"は、真人種とは欲が強く、傲慢だ、というより、多様性のある種族なのだと思っていた。
他の種族では思想や存在の仕方がほとんど同じだったりすることも少なくないのだが、真人種は不思議なくらいに同じ性質を持つ者が少ない。
それは単純に人数が多いからだけなのかもしれないが、それでも"勇者"はそれが嫌いではなかった。
だから、守ろうと、そう思ったのだ。
魔族から、人を守った。
すると、"勇者"と呼ばれた。
神の使徒とされ、女神を奉じる女神教会から認定を受けた。
自分をそんなものに認定するなど、笑えるものだと思ったが、それで人々が安らかでいられるのなら、まぁ構わないかと思った。
ただ、それでも真人種の中にはかつてのそれのように、どうしようもない性質を持った者もいるのだ。
この世界で進行されている宗教は、女神教だけではない。
他に、三神教というものもあり、それは三人の真人種以外の人種が神として君臨しているものだ。
竜神、森神、闇神。
しかし、真人種にとって、それは受け入れがたいものであるらしく、真人種に最も広がっているのは、かつて実在したと言われる聖女が昇神した女神を奉じる女神教だ。
"勇者"は、どちらも信仰してはいなかった。
別に、何を信じようともそれはその人間の自由であると考えているからだ。
しかし、女神教の真人種の司祭はそうは考えていなかった。
"勇者"に何度と無く女神教への帰依を強要し、それが完全に決裂するに至っては、神敵扱いして兵を差し向けてきたのだ。
しかし"勇者”は強かった。
その仲間も強かった。
すべてを退け、その結果として求心力を徐々に失っていった女神教の神殿は、かつての真人種のように力へと傾倒していく。
女神教は古代の遺跡から出土する神造具と呼ばれる道具をいくつも収集し、また様々な技術を保持していて一国に匹敵する力を持っていた。
その力を徐々に、しかも隠すことなく使い始めたのだ。
"勇者"たちは戦った。
魔族と戦い、そして女神教とも戦った。
そうして、長く続いた女神教との戦いの最後、聖地エルファドラスの中心地に存在するエルファドラス中央神殿において、女神教の最高司祭であり、巫女を勤めるルル=リリストラが最後の手段として、女神召喚を行おうとしているとの情報が入った。
女神召喚。
それは恐るべき所行だ。
女神をこの現世へ召喚せしめ、その力を召喚者が自由に操ろうとする、まさしく神をも恐れぬ所行なのだ。
一体どうやって女神の力を操るのか、その具体的手段は分からなかったが、とにかく良いことが起こらないだろうということは確かだった。
"勇者"達は神殿へと急いだ。
僧兵たちが襲ってくる中、出来るだけ無傷で無力化していく。
本気でかかってきた人間を、片手間で無傷で無力化するなど相当の技量がなければ難しいが、それが出来る力を"勇者"たちは持っていた。
出来れば、召喚などなされる前にルル=リリストラのところへたどり着かなければ。
そう思っていた。
転移は出来ない。どこでなのか強力な阻害系の魔法がかかっており、それがために正確な座標把握が難しいのだ。
来たことがある場所ならともかく、"勇者"たちはここには初めてきたのだ。
だから、走るしかない。
そうして、やっとたどり着いた中央神殿。
その大広間。
巨大な魔法陣が真っ白い床に輝いている。
その前には、黄金の髪をした一人の女性が立っている。
おそらく、あれこそがルル=リリストラだろう。
間に合ったのか……?
そう思ったが、ルルの来ている神官服が徐々に赤く染まったのを見て、自分たちが間に合わなかったことを悟った。
「……くそっ!」
"勇者"は足に力を込め、ルルの近くまで寄る。
すると、ルルの向こう側に一人の黒髪の少女がいたことに気づく。
少女は目を見開いており、その顔をルルが狂気的な笑みで見つめている。
「ありがとうございます。女神様……私は、これで……永遠の力を手に入れることができる……!」
その言葉の途中で、少女はゆっくりと倒れていった。
"勇者”は急いで少女の近くに寄り、その体を支える。
そして、微笑むルルを見上げて睨みつけた。
「貴様……!」
すると、ルルは言った。
「あらあら、"勇者"様ではありませんか。しかし、少し遅かったようですね。もう、女神様の力は私がいただきました。今なら、私とてあなたに……あな……たに……ぐっ」
勝ち誇ったような笑みを浮かべていたルルは、しかしなぜか突然胸を押さえて苦しみ始める。
「うっ……なんだ、なんなんだこれは! いきが苦しい! 血が、沸騰する! く……きゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
そうして、断末魔の悲鳴を上げたルルは、そのままボコボコと皮膚が沸騰するかのように盛り上がり、そして爆散した。
その一部始終を見ていた"勇者"は首を傾げ、
「なんなんだよ……いや、それよりも、今は」
今起こったことよりも、目の前の少女の方が心配だった。
倒れている、どこかから召喚された何者か。
女神、らしいのだがとてもではないがそうは見えない。
おそらくルルは失敗したのだ。
この娘は普通の人間ではないか。
そう思った。
ただ、そうだとするとこの出血はまずい。
床に流れ出た血液の総量は相当だ。
このままでは死んでしまうことだろう。
治癒系の魔法をかけてはみたが、わずかに傷が塞がるのみであり、元気になるような様子はない。
なぜだ。
"勇者"の魔法は一級品だった。
効かないはずがないのだ。なのに……。
このままでは……。
"勇者"は窮地に陥っていた。




