第9話 同意
「……さきほどの話だが、乗らせてもらえないか?」
タタールがおずおずとそう言い出したのは、馬車が帝都に着く直前のことだった。
その後ろにはモーゼスが頷きつつ、タタールとリリアのやりとりを見ている。
「それは、お二人とも私と共に迷宮に潜っていただけると言うことですか?」
リリアの言葉に、タタールは頷く。
「あぁ。モーゼスとも話し合ったんだが……他の方法よりリリアと共に行った方がまだ可能性があるだろう。俺は一応ルルリアの王子だし、モーゼスも侯爵としての地位があるが、オズモンドに掌握されている身だからな。帝国貴族を訪ねても門前払いされるか、もっと悪ければその場で捕縛されてルルリアのオズモンドの元に送られる可能性すらある。それを考えると……」
確かにそういうこともなくはないだろう。
ルルリアの貴族たちがどのような立場にいるのかは想像するしかないが、タタールとモーゼスが国内貴族に頼れずに帝国まで落ち延びるような状況なのだ。
ほとんどオズモンドに逆らえないような状況にあって、帝国の貴族もルルリアと交流がある者はそんな状況をすでに知悉していていてもおかしくない。
そしてそうである場合には、タタールとモーゼスを捕らえてルルリアのオズモンドの元へ送ればそれだけで感謝されるだろうと言うことは簡単にわかる。
倫理的には避難されることであっても、強力なパイプを手に入れるためにそのようなことをする貴族は一般的であり、そのことを考えればタタール達はおいそれと帝国貴族を訪ねることすらも難しいというわけだ。
考えれば考えるほど詰んでいるが、ここでリリアに出会ったのは彼らの運だろう。
リリアは少し考えてから、
「しかし、私も私で裏切る可能性があるのでは? 迷宮でお二人を前衛に立ってもらい、傷ついたところで捕縛してルルリアに送致、ということも出来なくはないですよ?」
と恐ろしいことを言う。
その言葉に少しびくりとしたタタールであるが、すぐにふっと笑って、
「本当にそうするつもりがあるならそんなことは言わないだろう。それに……」
「それに?」
「リリアを信じて裏切られたなら、それでもいい気がするな」
と言った。
なんだかずいぶんとすっきりしたような物言いで、リリアは首を傾げるが、タタールの後ろにいたモーゼスは少し優しい顔をした。
何か甘い空気が生まれようとしている気がした私は、なんだか邪魔したくなって声を上げる。
「あーっ! そろそろ帝都に着くわよ! 萌!」
「ほんとなの! おっきい街なの!」
私とは異なって純粋な萌は馬車の幌から外を見てそう叫んだ。
実際、だんだんと見えてきた帝都の情景は、思わず叫んでしまうような迫力がある。
まず、帝都全体を覆っているのだろう巨壁がどこまでも続いているのが見え、さらにその巨壁でも隠すことの出来ない建造物や尖塔がいくつも除いている。
また、そんな巨壁の一部分に設けられた大きな扉は今はまだ日が落ちていないため、開け放たれており、そこに並ぶ大勢の帝都を尋ねてきた旅人や商人たちが見え、またその向こう側には帝都の賑やかな活気ある風景が覗いていた。
「久しぶりに来るが、いつ見ても巨大だな……。ルルリアの王都も決して小さくはないのだが、帝都と比べると霞む……」
タタールが帝都の景色を眺めてそう言った。
「ジュラメント大陸でも最も巨大な国家の中央都市ですからな。比べるのも烏滸がましいということになりましょう」
モーゼスもその言葉に頷く。
「ここは帝国の富と権力と文化の象徴ですから……。ありとあらゆる文物が揃い、帝国の最高権力者たちが集い、またありとあらゆる人間の欲望が集約された、夢と絶望の都です。ですから、必ずしも素晴らしい街、とは言えない部分もあります。ただ……この光景だけは、掛け値なしに素晴らしい、と評価できますわ……」
リリアは若干の皮肉が混じった口調でそう言った。
その青い瞳には複雑な感情が覗き、彼女の立場をはっきりと聞いた今ではいろいろな想像が働いてしまうくらいだ。
ただ、その表情も一瞬で引っ込み、いつもの柔らかなほほえみに戻る。
そして、
「ただ、普通に住んでいるだけならいい街です。迷宮に行くにあたっての準備も十分に整えられますわ。いくつか、知っている店もありますので、明日にでも向かいましょう」
と、珍しく頼もしいことを言う。
ナードラではさっぱり頼りにならず、食料調達も薬草集めも覚束ないので雑用係と化していたが、帝都ではそうはならないのかもしれない。
そうして、馬車は、帝都正門の長い列の最後尾につき、徐々に進んでいく。
◆◇◆◇◆
「……いろいろと勝手に決めてしまって、申し訳なく存じます……」
日が落ちて、蝋燭の光だけが照らす中、帝都でも中くらいのランクの宿の一つ"宿り木亭"の三人部屋の中で、リリアが私と萌に向かって申し訳なさそうにそう言った。
タタールとモーゼスに対して、ぽんぽんといろいろ提案し、決めていったので何かリーダーシップのようなものが目覚めたのだろうか、と思っていたのだが、それはどうやら気のせいだったのかもしれない。
リリアはあれだけ喋っていたのに不安だったらしかった。
私と萌はあくまでナードラにおいて治安騎士団長シードラに依頼されてついてきているに過ぎない。
それなのに改めて考えるととんでもないことに巻き込まれているのだ。
リリアからすればそんな気持ちになるのはある意味当然、と言えた。
しかし、私も萌も、特に大きな問題は感じていない。
もし私や萌が生まれながらの帝国民であり、帝国皇帝に対して畏敬と服従の気持ちを小さな頃からたたき込まれていたら、今回のことは恐れ多くてたまらなかったかもしれない。
だが、私はそもそもオラクル帝国なんて国は最近知ったばかりで、一応ナードラ市民であるから帝国民ではあるのだが、皇帝に対して特別な感情は持っていない。
萌にしたって、彼女は帝国から忌み嫌われる魔族である。
かかわり合いになりたくない、という感情はあるかもしれないが、知り合いの迷宮探索を手伝うくらいなら構わないと思っているし、それにリリアは萌にとって数少ない友人のようだから、余計に協力したいという気持ちが強いらしい。
したがって、全く問題ないのだ。
だから私は言った。
「別に気にすることないわ。そもそも、私が恨むべきはシードラであって、リリアじゃないし……」
元をたどれば依頼を出したのはシードラだ。
そう考えるべきなのが当然の話だった。
しかしリリアはそれに首を振って、
「いえ、それならやはり、私を恨んでください」
と言った。
私は首を傾げて、
「どうして?」
と言うと、リリアは、
「シードラは私のことを思って、ユーリ、貴女をつけてくれたのだと思いますから」
と答える。
「……そう? 私は最近冒険者組合に登録したようなぺーぺーよ? 貴女のことを考えるなら、もっと経験豊富な実力者を選ぶべきだったと思うわ」
私の素っ気ない言葉に、リリアは頷く。
「ええ、初めは私もなぜシードラが貴女のような、若く華奢な女性を選んだのかと不思議だったのですが……一緒に生活をし、その実力を見て納得しましたわ。……鬼魚をお昼ご飯にちょっと採ってくる、なんて言って引きずってきた時には血の気が引きましたから……」
と少し顔を青くして言う。
「あれくらい出来る人はたくさんいるわよ?」
これは嘘ではない。
ナードラの冒険者達にはそれくらいのことが可能なものはたくさんいた。
たとえば、私の家を尋ねてきた四人はまず間違いなく、全員出来ると言っていい。
しかしそう答えた私にリリアは、
「それを普通だと思わないでください……あんなことが可能な者は、それこそ滅多におりません」
とあきれた顔をし、ため息をついたのだった。




