第5話 旅に出る
リリアがやってきて数日が経った。
そろそろ彼女も我が家の生活に慣れて来ただろうと思った私は彼女に明日、帝都を目指して出発することを告げることにする。
それは食事時のことだった。
もぐもぐと相も変わらず美味しそうにご飯を食べるリリア、それに萌に対して、厳粛な神託を告げる様に言う。
「明日から、私たちは帝都を目指してこの街を出発するのでよろしくね」
と。
リリアは始めからそのつもりだったのであるから、さほど驚いていなかった。
気を少し引き締めて、頑張ります、と言ったくらいか。
それに対して、萌は目を見開き、聞いてない、という顔を一瞬したが、私に何を言っても無意味だという事はしばらく私と生活したことで理解できたのだろう。
ご飯をそうそうに片づけて、
「……準備してくるの」
と言って自分の部屋に行ったのだった。
それからしばらくの間、がさごそと旅支度を整える音がリビングまで聞こえてきたが、一時間も経たずにとの音は消え、萌がリビングに戻ってきて言った。
「終わったの」
早いな、と突っ込もうかと思ったが、よくよく考えれば萌の持ち物は極めて少ない。
そもそも着の身着のままで放浪していたのであり、改めて整理するほどものは持ってない。
それに、仮にあったとしても究極的には影空間に突っ込めばいいわけで、最低限の整理をしただけ、なのだろう。
ちなみに私は萌にしっかりお小遣いをあげているので、ここ最近、彼女の持ち物はそれなりに増えている。
とは言っても、まだ、萌がここに来てからそれほどの期間が経っていないので、大した量ではないのだが。
リリアはそんな萌に少し驚いていたが、荷物が少ないのは彼女も同様である。
お姫様の癖に、少しだけ大きめの鞄一つ分しか荷物のない彼女。
もともとそんなものだったのか、必要に駆られて減らした結果それくらいになったのか。
おそらくは後者なのだろうと彼女のここ何日かの生活を見て当たりをつけてはいるが、それが正しいのかどうかは分からない。
まぁ、そんなことは知っても知らなくても問題は無いか、と投げることにして、その日は全員、早めに眠ることにしたのだった。
◆◇◆◇◆
その日は朝から晴れ渡っていた。
真っ黒のゴスロリ服にそれと合わせて作られた、というか私が作った帽子を被った萌がまず家から出てくる。
「……まぶしい」
そう言って日を嫌うのは吸血鬼だからか。
しかし眩しがるだけで、それで消滅、という風にならないのは、この世界の吸血鬼というものが私の知っているそれとは根本的に異なる生き物なのだからかもしれない。
最後に家から出てきたのはリリアである。
大きな鞄一杯に詰め込んだ荷物を持って、ゆっくりと現れた。
「も、萌ちゃん。待っていただけますか!」
そう言って出てきたあたり、萌に置いてかれたのだろう。
急いでこちらまで来る足取りにふらついたところはなく、華奢に見える割に意外と力はあるらしい。
二人がやってきたのを確認し、私は声をかける。
「じゃ、行こうか」
私の声に、二人は頷き、それからナードラの門近くの馬車乗り場に向かったのだった。
◇◆◇◆◇
馬車乗り場につくと、目的の馬車を探す。
十台二十台と馬車が屯しているので、どれが目的の馬車かはとりあえず尋ねるか、御者か馬車の所有者がどこ行きなのかを叫んでいるのを聞き取るしかない。
しかし幸い、帝都行きだと叫ぶ御者らしき男を発見できたので、私は萌とリリアを連れてその御者に近づき、乗せてもらうべく交渉を始めた。
「この馬車、帝都行きなのよね?」
三十代半ばと思しきその男は頷いて、
「あぁ、そうだよ。帝都方面に向かう。終点は確かに帝都だが、途中いくつかの街に泊まるから、それでいいなら乗るといい」
「代金は?」
「一人5000エルドってとこかな」
その金額は、この辺りの物価からするとまぁ、それほど高いとも言えない額だろう。
それなりに良心的なのか、それとも値切り交渉が面倒と感じているのか、初めからその額を出した辺り楽でいい。
「分かった。はい、一万五千エルドね」
そう言って金貨一枚と大銀貨五枚を男に渡すと、男はそれが正貨であることを確認した上で、木札を三枚渡してきた。
「それが割符になるから、なくさないで持っていてくれ。あと、降りた後に回収するからなくしたりしないでくれよ」
「分かったわ、じゃ、これからよろしく」
そう言って私は男と握手し、萌とリリアに割符を渡して馬車に乗り込んだのだった。
◆◇◆◇◆
がたがたと馬車が揺れてナードラが遠ざかっていく。
その光景をリリアは冷めた目で、萌はその瞳をキラキラさせて見つめていた。
馬車の同乗者は私達三人の他に、男性騎士が二人、何の職業なのか判別がつかない街人らしき男が三人である。
八人も乗っていることになるが、幌の中は意外と広く、それだけ人がいてもあまり窮屈さは感じない。
荷物の他に、おそらくはナードラの特産品のオリーブオイルらしきものを詰んでいる箱もいくつかあることから、この馬車は人だけでなく商品も運ぶものなのだろう。
同乗者たちは基本的に気さくであり、マナーもあって、必要以上に踏み込んだ話はせずに雑談をする程度の関係を望んでいるようだった。
ややこしいことを抱えているのは別に私達だけではない、ということだろう。
この世界も、前の世界もそうだったが、現代日本以上に色々なものに縛られていて、軽々しく言葉にすると非常にまずい事実というものがたくさんあるのだ。
そのことは私もよく分かっていたので彼らと同じように当たり障りのない話をしながら、適度に流して王都までの道のりを終えようと思っていた。
けれど。
――ヒヒーンッ!
とした高らかな馬のいななきと共に、馬車が突然急停止した。
そして矢が馬車の幌を突き破って飛んでくる。
私はとっさに自分と萌、それにリリアに防御壁を張ったが、それが出来なかった騎士が一人、矢が刺さってしまった。
街人らしき男二人はどうか、と見てみれば、彼らは止まった馬車から一目散に外に出て、あらぬ方向に走っていく。
というか、その方向はどう見ても矢が飛んでくる森の方角であった。
街道の向こう側に静かに鎮座している森。
そこから矢は何本も飛んでくる。
ふと、御者は大丈夫なのかと思い、幌の前方から御者を除いてみれば、残念なことに絶命していた。
首に矢が刺さって血が流れている。
おそらく即死なのだろう。
胸にも矢が刺さっており、これはもうどうしようもないことは明らかだ。
幸い馬は生きているようだが、はて、どうしものか。
そう思った瞬間、
「ユーリ。私、行ってくるの」
そう言って、萌が幌から飛び出した。
リリアが驚き、あわてて止めようと手を伸ばすがその手は届かずに終わる。
ちなみに私は特に止める必要は感じなかったので、とりあえず黙っていることにした。
幌を飛び出す瞬間、萌が影空間から何かの剣の柄を握って引き抜こうとしていたのが見えたので、この襲撃者を潰しに行こうと言うのだろう。
騎士二人もその必要を感じたのか、
「あんな子供には無理だ! 我々が……」
と言って出ていこうとしたが、彼らが行っても二次災害になる危険の方が高いだろう。
だから私は言った。
「あの子は実はけっこう強いので、大丈夫ですよ。少なくとも、怪我をしている騎士と見習い騎士よりはマシだと思います」
騎士二人は、片方が矢による傷を負っているが、もう一人は明らかに見習い、もしくは騎士に叙任されてまだそれほど経っていないだろうと推測させる若者だった。
そのためそんな言い方になったのだが、若者騎士の方は侮辱と感じたらしい。
「子供よりはましだッ!」
そう言って一人、幌から出て行ってしまう。
「待て、タタール!!」
傷を負っている騎士がそう叫ぶも、しかし時すでに遅しである。
彼の姿は森の中に消えていた。
「くそッ……」
そう言って、怪我をしている騎士は追いかけようとするが、傷が痛むのだろう。
良く見ると、矢は腕と太ももに一本ずつ刺さっており、これでは戦うのも厳しかろうと言う感じだ。
別に追いかけなくても萌が何とかするだろうし、あの少年騎士も守るだろうと思ったので、その旨告げると、
「本当か?」
と疑わしそうな目で私を見るも、少し見つめて、
「……ふむ、確かに大丈夫そうだ」
と納得して騎士は座ったのだった。
その納得の良さに疑問を感じないではなかったが、待っててくれることに越したことはない。
特に触れずに、その場で生き残っている三人で、若者二人の帰りを待つことにしたのだった。




