第24話 助手
治安騎士団詰所の中を、七歳くらいの小さな少女がぱたぱたと慌ただしく走り回っていた。
真っ黒の、しかしフリルがふんだんに使われたその服は少女の白い肌と赤い唇のコントラストを際だたせ、子供ながらも不思議な色香を感じさせる美しさを放っている。
その服が、いわゆるゴシックロリータと言われるものであることを知っているのは、この世界では一人しかいない。
少女の手には木の皮を編んで作られた籠が把持されており、その中には青い液体が入った小さな瓶がいくつも入っている。
少女はそれを部屋の中に設えられたベッドの上で苦しそうにもがいている騎士団員に手ずから渡し、飲むように説明していた。
一人一人が一瞬訝しそうな目で少女を見つめるが、部屋の入り口の近くで私と一緒にその様子を眺めている治安騎士団長シードラが頷くと、覚悟を決めたような眼差しで青い液体を眺めてから飲み干していく。
騎士団長だけあり、やはり人徳があるのだろう。
青い液体を飲んだ騎士たちは、しばらくの間、放心していた。
けれど、数分経過してから、それぞれがはっとした様子で自分の体の点検を始め、何も異常が無いことを確認すると、叫び出す。
「なんともない……なんともないぞ!」
「治った……! あの怠さが嘘のようだ……!」
「これで仕事に戻れる……もう一生騎士として働けないものかと……!」
内容を聞く限り、私の作った薬は彼らの症状にしっかり効いたらしい。
まぁ、当然だろう。
あの魔族の少女の協力を得て、その血を僅かばかり分けてもらい、それをいくつかの材料と掛け合わせてできあがった、魔族化に対する特効薬があの青い液体なのだから。
シードラは驚いたように私を見つめている。
「……どんな医師や薬師に見せても治療法どころか原因すら不明だったのにな。おまえは一体何者なんだ」
「何者って言われてものね。薬師としか言いようがないわ。それよりも、シードラ。分かってるわよね。あの魔族の少女は、私の自由にさせてもらうわよ?」
そう言ってシードラを見つめると、彼は眉を寄せてこちらを睨んだ。
それから、ため息を吐き、
「……本当にあの少女が魔族、なのか?」
「あなたたち、逃げられたとは言え、一度はあの娘を追い立てたのでしょう? 顔も覚えてないの?」
「いや……何せ、煤やら泥やらで真っ黒だったからな。今のあの娘とは似ても似つかないものを追いかけていたのだ」
確かに捕まえた当初はそんな有様だったことを思い出し、納得する。
家に連れてきた直後に魔法で汚れを落としたのだ。
そんな魔法はこの世界の魔法体系には存在しないようだったが、そこは別に自重しなくてもいいだろうと思ってやったことだった。
汚いまま家に入れるのもあれだったことだし。
「ま、そういうことなら分かるわ。……あの娘は本当に魔族よ。吸血鬼って奴ね」
「不思議なのだが、なんでお前は俺にそんなことを話している。俺はこれでも行政の一員なのだぞ。上に報告するとは考えないのか。それに俺は魔族を……」
「憎んでいる? ……でも、その割にはあの娘を見る目には憎しみなんて感じないわ」
私の台詞に虚を突かれたような顔をしたシードラはしどろもどろになりながらも反論する。
「それでもだ。あの娘が本当に魔族で、お前が助けたいと考えているのならばそのことは秘匿しておくべきだ。俺のような立場にある者に、言うべきではない……」
「言いたいことは分かるわよ? けれど、はじめてあなたに会って、魔族という単語を出したとき、あなたの目には少しばかり迷いのようなものを感じたから……。それにそんなこと言う奴が、言いふらしたりするとは思えないわ」
「それは……」
シードラは言葉をなくしたかのように黙り込む。
私は続ける。
「別に無理に内緒にしてろとは言わないわ。けれど、もしあの娘のことがばれた場合、私は色々やるわよ? そのときに後悔しても遅いわ」
「……お前は、一人であの娘を守る気か?」
驚いたように目を見開くシードラ。
そんな彼に、私は微笑みかける。
「ええ。それくらい出来なくはないから。ただ……」
「ただ?」
「私は出来るだけ、普通の生活がしたいのよね。普通に街に住んで、平穏に生活していきたいの。あの娘だって、同じようにした方がいいと思ってる。そしてそのためには、あの娘の秘密を知っていて、けれどしっかり隠して守ってくれる人が、この街の権力者の中に必要だと思うのよね」
そこまで言って、シードラはやっと理解したようだった。
ゆっくりと頷き、そして言う。
「……なるほど。その権力者の一人として、私を見込んだと? 買いかぶりもいいところだ。さっきも言ったが、俺はただの……役人だぞ」
「あんなに忠告してくれた人がそうだとは思えないのよね。それに……言ったでしょう? 私は一人で帝国を相手にしても、勝つ自信がある。こんな小さな街の、騎士団長くらい……」
そこで言葉を切って、お腹のそこに封じていた魔力を吹き出させる。
部屋全体に広げたりはしない。
ただ、シードラの方に向けて、強い殺気のこもった、濃密で、強力なそれを、思い切り吹き付ける。
そして、幸いなことに私の目の前に立つ、治安を守るべき騎士の長は、それだけで理解してくれたようだ。
瞬間、どばっと冷や汗を垂らして息を止めたシードラは、私がその魔力を引いて体に戻した直後、荒くなった息を少しずつ納めながら、畏怖の宿った表情で私を見つめて言った。
「……非常に技量の優れた魔術師だと思っていたが……そうではなく、天災の類だったとは……」
「……分かった?」
私が、国を相手取れること、そして、その場合に何がどうなるかということを。
そう言った意味を込めて、彼に聞いた。
するとシードラは頷き、
「痛いほど分かったさ……お前の言うとおりにすることこそが、我が国への忠誠を尽くすことになるということがな。たかが魔族の娘一人で国を滅ぼされてはかなわん……脅しに屈しようじゃないか」
あれだけ強力な魔力を浴びせたのに、その直後にこれだけの冗談が言えるのだから、シードラはこれで傑物なのだろう。
ただ、勘違いしてほしくないのは、私は別に脅そうと思って魔力を浴びせたわけではないのだということだ。
そのことは、分かっておいてほしかった。
もちろん、極端におそれられたりしたいわけでもない。
だから、むしろ、親切で言ってやった。
「別に脅したつもりはないんだけどね。言い訳がほしかったでしょう?」
私の台詞にシードラは絶句し、そのことに満足した私は改めて笑いかけていった。
「あなたの過去になにがあったのかは私には分からないけど……引きずると疲れるわよ? ま、とにかく、これからよろしくね」
「……は、ははっ。なんだ……敵わないな……」
差し出した手を、シードラはひきつった笑みでつかんだが、もはややけくそなのか、強く振って大きく笑ったのだった。
病から立ち上がった騎士たちもその声につられて笑った。
籠を持った魔族の少女も。
ついでに私も笑う。
別に世界平和なんて求めていないけれど、人が死なないに越したことはない。
穏便に依頼が終わったことを、家に帰ってから、我が家の新たな住人と祝ったのだった。
◆◇◆◇◆
「……これで合ってるの?」
少女がぱたぱたと部屋の中を歩きながら様々な物品を部屋の中央にある大きなテーブルまで持ってきてはそんなことを言う。
煉獄の森にある私の立てた小屋の中。
今、そこで薬の調合をしているところだ。
魔族の少女にはあの事件のあと、私の助手として働いてもらうことにしたのだ。
少女の方も異存はないようで「静かに暮らしていけるならそれでいいの」と言っていた。
人族に連れて行かれたという両親や仲間については少女はすでに諦めているらしい。
人族とは言っても、どこの国のどんな集団に属する人間かすらも分からないから、手がかりすら無いという。
だから、どうしようもないのだと彼女は語った。
世知辛い世界だと思うが、前の世界もそんなものだった。
そういうことは間々あることで、一度さらわれた人間の居場所を掴むのは容易ではない。
だから、この世界の人間は命に対する諦めが現代日本と比べたかなりいいのだろう。
仕方ないこととはいえ、胸が苦しくなる話だ。
少女の方をちらりと見つめる。
雪のように白い肌、空みたいに青い目、赤く小さな唇。
人形のように整ったその顔が、へらり、とした笑顔に彩られる。
どうやら事件を解決するに当たって、彼女を突き出したりしないでその保護に当たって動いていた事実が信頼を得る方向で働いたらしい。
徐々になつかれて、いつの間にか笑顔を見せてくれるくらいになった。
ここまで懐かれればかわいいもので、今では横に来たら頭をなでたりしたりすることもある。
すると彼女は結構クールで眠たげな印象の感じられるその表情をだらしなく緩ませてへらりと笑うのだ。
その表情がまたかわいらしく、庇護欲をそそり、ついつい甘やかしてしまう。
本当の両親もどうにかして捜してやりたいと思っているのだが、人間の街で魔族を一人捜すことと、世界中から魔族の中でも特定の一個人を捜すのとでは難易度が天と地ほど離れている。
いくら私でも限界というものがあり、彼女の両親探しは私の能力の限界を超えていた。
そうそう、そう言えば魔族の彼女の名前だが、仲良くなったのでそれくらい聞いてもいいだろう、ということで聞いてみた。
そうしたら答えてくれたので、しばらくはその名前で呼んでいたのだが、あるときを境に、その名前を使用する機会は永遠に失われてしまった。
それは彼彼女が今着ているかわいらしいゴスロリ服を作って押しつけたときのこと。
真っ黒フリフリなその恰好があんまりにもよく似合っていて、人形のようにかわいかったのでふと、
「……萌え……ってこういうことかぁ……」
とつぶやいてしまったのを、耳ざとく聞き止めてしまったらしい。
「……モエって、私の名前なの?」
などと言うものだから、可愛らしさに悶えたときに使う表現よ、とは言いにくく、
「まぁ……そうね。私の故郷では、本名は諱と言って、親や仕える人以外には許されないって言う文化があって……代わりに字っていう普段使う名前もつけることになっているのよ。けれど、あなたには字なんてないでしょう? だから、まぁ、なんていうか、仮にね、私がちょっとつけてみたんだけど……」
嘘ではない。
しどろもどろに説明したわりに、意外と私の舌は綺麗に回ったと思う。
その証拠に彼女は納得したように頷き、それからにへらと笑って、
「アザナがモエなの……分かったの! アザナくれて、ありがとうなの!」
と、純粋に感謝を私に表明してくれた。
そこまで言われて今更撤回も出来ない。
本人も喜んでいるし、別にいいかと開き直った。
吸血姫の名前も≪モエ≫だったなと感傷が胸に去来する。
それを考えれば、もしかしたら色々な世界でポピュラーな名前なのかもしれない。
こちらの世界でもさほど珍しい名前ではないことを祈ろう
ついでにその名前の本来の意味も説明してそれらしく語ってみた。
「ちなみにだけど、《萌》っていう言葉はね、私の国では植物が芽を出している様のことを表した言葉よ。あなたは……これから、新しく、平穏な日々を送る。だから、ね。そんな思いを込めて、その名前を贈るわ……」
実にそれっぽい説明だと思うのだが、どうだろうか。
彼女も、萌も説明を聞いてなおのこと喜んでいる。
調子に乗った私は、ついでに紙に名前の綴り、つまり漢字で《萌》の字を書き、言った。
「これが、私の国であなたの名前を表す文字よ。この部分が、植物を、この部分が、欠けた月と太陽を表しているの……。ものごとの始まり、兆しをも表しているわ……あなたの、新しい始まりに、相応しい文字だと思わない?」
その説明に、萌の芽はきらきらと輝いている。
よし、だましきった!
萌はその名前の書いた紙を私の手からひったくり、くるくると回る。
「すごいの! すてきな名前なの!」
……少し、悪い気もするが、いいだろう。
漢字なんて知っているのはこの世界で私だけだ。
誰も何も文句は言うまい。
そんなことを考えながら彼女を見ていると、少しずつ萌の回転は緩やかになっていき、そして紙を凝視して言った。
「この紙って、すぐ破れちゃうの?」
「……? ええ、そんなすぐじゃないけど、まぁ、いつかは朽ちるでしょうね……」
「いやなの!」
「えぇ?」
「ずっと、ずっと持ってたいの……私のもらった名前……」
ずいぶんかわいいことを言うものである。
とはいえ、所詮紙は紙だ。
すぐ破れてしまうだろう。
まぁ、10年は持つかもしれないが、20年は無理、と言った強度のものだからだ。
どんなものにも永遠はない。
形あるもの、いつか壊れる。
彼女もその紙でその真理を知るのもいいだろう……と、少し考えたのだが、萌があまりにもかわいいので、私はつい甘やかしてしまう。
「しょうがないなぁ~。その紙、ちょっと貸してね」
萌から紙をもらい、部屋の棚の上の方にある液体を取り出して、受け取った紙の表面に塗りたくる。
そして、魔力を込めて、魔術を組んだ。
すると、ほんわりと紙の表面が青く光り、徐々に紙の中に染み込んでいく。
これは、保存の魔法だ。
紙や布のような、比較的強度の弱い物質を経年劣化から保護する、魔法。
それほど難しくはないのだが、やはりこの世界では失伝しているか、開発されていないらしく、使用できる人は少なくともナードラにはいなかった。
萌にはいずれ私が事細かに魔法を教えるつもりなので、いずれ彼女にもこれは使えるようになるだろうし、他にも物質を経年劣化から保護する魔法はあって、そちらの方が使い勝手が良かったりするのだが、今の彼女の表情を見るに、自分の手元にこの紙を持っていたいようだから、この魔法が適切だろう。
魔法をかけて決して劣化しなくなったその紙を手渡し、私は言う。
「はい。これで、この紙は劣化しずらくなったからね。でも、破ろうとしたら破れちゃうから、破りたくないなら大切に扱うこと。わかった?」
「わかったの! わーい!」
喜んでまたくるくると回り始める萌。
なんだかこの小屋も私一人で暮らしていたときと比べてにぎやかになってきた。
そのことにほんのりとした暖かさを感じながら、私はテーブルの上に出しっぱなしの作りかけの薬の調合を改めて始める。
こういう日々がずっと続けば、それだけでいいな。
そんな気がした。




